テンマツ

 テンマツの出自を知らぬ。テンマツの姿を知らぬ。テンマツの意志を知らぬ。テンマツの因果を知らぬ。
 けれど僕たちはテンマツがいることを知っている。テンマツは一ヶ月に一人だけきっちり食う。一週間ごとに体を四分の一づつ削り取る。僕はテンマツの棲む街に住んでいる。
「――テンマツにね」
 病室に入った僕が突っ立っていると、彼女はそういった。日当たりの良い病室だった。彼女はベッドに横たわっていた。個別トイレがついていた。ベッドにまたがるように置かれているキャスター付きのテーブルには百羽くらいの鶴が置かれていた。彼女のテンマツが始まってニ週間だ。彼女は両耳を失い、両腕を失っていた。シーツの横からクリアファイルくらいの大きさの布袋がはみ出ていた。テンマツの喰い方は不明だ。気が付くと体がごっそりとなくなっている。出血は起こらないが、確かに存在したものが欠損してしまう。
「そこ、座って」
 彼女は言葉を選んで、一番短く言っていた。僕は彼女の横に座った。シーツは不自然に凹んでいた。足があるべき場所も一箇所しか膨らんでいなかった。彼女の中身も失われたのだろうか。彼女は白地に青いプリントが入ったTシャツを着ていた。『Maybe ever.』と歪んだ文字が刻まれていた。
 僕は一番綺麗な制服を選んで病室に入ったことを後悔した。この制服はこれから一年間使うために買ったものだった。ブレザーの裾を僕は握った。テンマツ、テンマツ、と僕は言葉に出そうとして、結局ぜんぜん別のことを言った。
「やばいんだよ、担任、今日も遅刻してきてさ」
 彼女は少し笑った。僕も少し笑って、その後の言葉を続けられなかった。彼女の母親もテンマツで消えた。彼女もたぶんテンマツで消えるだろう。彼女の髪の毛は変わらずに栗色のショートだった。
「二週間経っても来るのは君だけ」
 彼女は困ったように笑った。僕はなんとも言えずに黙っていた。彼女はクラスメイトの一人だったし、それ以外はなかった。僕は返す言葉を必死に探す。
「そう、意外」
 彼女はちょっと窓の外を見た。かさついた唇に光が当たる。彼女は目を細める。僕は座って点滴の袋を見ていた。この街の人口は何万人もいる。その中で一ヶ月にたったひとりしかテンマツには選ばれない。県庁の前に電光掲示板があって、そこの事故死亡者数はすでに四人だった。彼女は何も言わなかった。僕は追加の百羽鶴を出して、机の上に置いた。全く意味のない祈りだ。クラスの女子がご飯を食べながらせっせと折っていたが、持っていくのは僕だった。僕は折らなかった。僕は絶対死ぬ人に、なんと祈ったらいいのかわからない。最後まで幸せに生きてね――両腕片足内臓をぶち抜かれても。ハッピーに死んでね――最後は頭と心臓と肺だけの肉塊になって。
 馬鹿が! 卑怯者が! 嘘を吐け! 本当は――僕も含めて――こうだ――私だけはテンマツに選ばれないように。
 僕は彼女を見た。ナースコールの薄いボタンが鎖骨の間にテープで貼り付けてあった。まだ十七の少女にしては彼女はずいぶん年をとって見えた。僕は彼女を何故か美しいと思った。彼女はゆっくりと口を開く。
「来てくれてありがとう」
 僕は卑怯なやつだ。僕はそう思う。彼女がテンマツに選ばれなかったら僕は彼女の元を尋ねただろうか。僕は彼女からありがとうと言われるためだけに来たのだ。僕は消える人間を後腐れなく鞭打てるものと思っている。単純に、僕が他のクラスメイトから『ありがとう』と言われることがないというそれだけの理由だ。無理やり何とか言った。
「――テンマツが悪いんだよ」
 僕は馬鹿だ。
「そうかなぁ」
 彼女はまた天井を見上げた。
「そうだよ」
 僕は卑怯者だ。
「そう……」
 彼女は今度は目を細めて、優しく笑った。彼女の薄い唇も、彼女の泣きぼくろも、そのうち見ることが無くなる。僕は黙った。僕は嘘つきにはなりたくなかった。僕はそれだけは守ろうと思った。
「こんな時、手を重ねるラブストーリーってよくある」
「つないであげようか」
 僕は手を彼女の首元に置いた。彼女は寂しそうに笑った。こんなにも沢山の笑い方を見せる子がテンマツに食べられることが僕には納得できなかった。けれど、たぶん彼女がテンマツに食われなければ、僕はこの笑顔を見なかっただろう。僕は泣いたらいいのか、笑えばいいかよくわからない。
「君、面白かったんだ」
 僕は泣いていいのだと思った。涙は出なかった。僕は最低なやつだ。彼女以外の子がテンマツに食われるべきだ。けれど、そこから『僕が選ばれればよかった』とはならない。
「私ね、キスってしたことがないの」
 僕は彼女の目を見た。黄斑も無く、斜視もなく、きれいなひとみだった。曇りなき目だった。僕は「ごめん」と呟いてしまう。病室から出る時、彼女は一言「死にたくない」とだけ漏らした。
 二週間後、彼女は完璧に病室からいなくなった。彼女の写っている写真を一葉もらったが、飾っているうちに色があせてしまった。二百羽の鶴は僕が回収した。

テンマツ

テンマツ

一ヶ月に一人、テンマツに消されるので嫌だなぁという話。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-04

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