点滅信号
点滅信号
時間だけがただだらだらと流れていく。
こんなことはもうやめてしまいたい。
そう思っても彼と別れられないのは
きっと年齢のせい。
34歳。
リミットはとうに過ぎてしまった私を
それでも彼は好きでいてくれる。
大事にしてくれる。
「あーくそっなんでそこで振るかなぁ」
音楽プレーヤーを聴きながらテレビで野球中継を見ている彼の
大きな声が部屋に響く。
食器を片づけながら彼を見る。
灰色の上下のスエットに片手には缶ビール。
私が苦労して手に入れたソファで足を放り投げて
だらだらとテレビを見ている。
「そう!そこだよ!そうそう!ほらね!」
自分は音楽を聴いているからそこまで大きな声を出しているとは
彼は気が付いていない。
はぁ。
泡のついたお皿を持ちながら私は大袈裟にため息をつく。
30歳。会社員。
会社員とはいっても工場勤務。
それでも社員だ。
今の時代そうじゃない人もたくさんいる。
顔は全然好みじゃない。
長く野球をやっていたせいで体は引き締まっている。
肌もすごくきれいだ。
そこは気に入っている。
だけど顔は好みじゃない。
全然好みじゃない。
この前セックスした時に彼の果てる瞬間の顔を見てしまった。
なにかの漫画かよと思うくらい彼の顔は醜く歪んでいた。
そして気持ち悪かった。
ごとん。
手が滑って持っていたコップをシンクに落としてしまう。
はぁ。
またため息が出る。
彼の方を見るとスマートフォンでゲームまで始めてしまった。
私はこいつのなんなんだろう。
昔なにかで結婚するということは死ぬまで面倒を見てくれて、
セックスさせてくれる家政婦を
雇うようなものだと、馬鹿な男が言っていたけれど、
今の私の状況はほんとにそれとさして変わりがない。
ご飯を作り、洗濯をし、掃除をし、
求められたら体を与える。
ただそれだけ。
歯向かえばネチネチ小言を言ってくるようなこんな男と、
なんで私は一緒にいるんだろう。
皿洗いを終えてダイニングテーブルに腰かける。
「こっち来てよ」
私が皿を洗い終わるのを待っていたのだろう。
そう声を掛けられる。
面倒くさいので無視する。
「こっち来いって」
やや語気が荒くなる。
いつもそう。
いっつもそう。
自分の思うように事が運ばないとそうやってキレる。
私と付き合う前まで長く女の子と付き合ったことがなかったそうだが、
それもうなづける。
「早く」
吐き気がする。
もうやめておいた方がいいという信号が私の瞼の中で激しく点滅する。
やめるといっても今更引き返せる?
34歳で派遣社員の私を、一体誰がもらってくれるというのか。
「早くしろよ」
両親の顔が目に浮かぶ。
早く孫の顔を見せてあげたい。
早く安心させてあげたい。
早く。早く。早く。
・・・彼の腕の中に収まった私は小さく呼吸を続ける。
自分を押し殺せばいい。
何も考えなくていい。
そう、私は機械になればいいのだ。
穴が開いているだけの機械になればいいのだ。
「はじめから素直になれよ」
酒臭い息が鼻孔をつく。
そのまま舌は私の耳の中へ。
耳たぶを舌で転がされながら私はこの瞬間が早く過ぎ去るように
ただただひたすら目を閉じる。
完
点滅信号