姉妹

姉妹

 不思議な経験をした。
 いや、不思議ではないのかもしれない。

 私は早朝の道を歩いていた。予約してある自習室に行くためである。それは、自宅から私鉄の駅で五つ先、都心に近いターミナル駅にある。そこまで歩いていく。
 電車に乗らないのは、健康に気を遣っているからではない。頭の中をリセットし、日中の仕事の集中力を高めるためだ。だから、この一時間あまりの行程の間、仕事のことなど一切考えない。他のことも考えない。ただひたすら、自分の呼吸に集中する。
 それは、東南アジアの某国から来た僧侶に教えてもらった呼吸法だ。瞑想修行の一つだと言うが、私はそれを自分用に少し作り替えている。背骨をピンと立て、用心深く足を繰り出しながら、足裏の踏みしめる感覚と吐く息を同期させるのである。一つ、二つと、息に合わせて数をかぞえる。それを続けていくと、やがて心が落ち着き、息が深くなり、同期が外れる。頭の中から数字も消え失せる。しかし、それでも、身体の動きと呼吸は一体である。調和したまま、揺るがない。

 その日も、私は自習室を目指して歩いていた。真冬の朝六時は、まだ深夜の延長線上にある。町は闇に包まれ、所々で蛍光灯が冷え切った光を地面に落としている。先週積もった雪の残りが、道の端で白く光る。
 自習室までのコースは、自分の中で決めてある。大通りや線路脇をなるだけ避けて、住宅街の細く静かな道を歩く。突然脇をすり抜ける自転車や、エンジン音の大きな日配のトラックや、鋭い金切り声を上げる電車に、呼吸のリズムを崩されたくないからだ。
 その日の私は、まったく不調だった。集中できず、息が乱れ、身体の調和を感じることなく歩き続けなければならなかった。歩いていくうちに、空が明るくなり、鳥たちの鳴き声が聞こえてきて、町は朝の空気に包まれる。その頃には、私はすでに住宅街の端にいて、残りがあと一駅分というところまできていた。
 身体は暖まり、少し汗ばんでいる。帽子を取り、マフラーをほどき、手袋を脱ぎ、ダウンジャケットのジッパーを開けた。新鮮な冷気が身体に潜り込んでくるが、なぜか、心地よさを感じない。
 そのとき、前方の細い路地から、女性が二人、突然現れ、私の前を歩き始めた。私は、その二人に目を奪われた。というのは、二人の背格好、出で立ちが、通常ここら辺りを歩いている学生や勤め人とは、明らかに異なっていたからだ。
 二人とも、外国人である。私の前を横切ったとき、顔立ちがはっきりと見て取れた。浅黒く光った肌、大きな目、濃い眉毛。強く波打った頭髪。二人とも、顔の造りが双子のように似ており、しかも、どちらも異様に背が低い。おそらく百五○センチにも届かないであろう。しかし、子供ではない。撫で肩の下にしっかりと筋肉と脂肪を蓄えた中年女性だ。三十代の後半といったところだろうか。肩に、大きく膨らんだバッグをかけている。
 服装も、明らかに日本人の感覚を飛び越えていた。二人ともマフラーのような厚手の布で頭を覆い、首に巻き付けている。もっこりとしたセーターの上に、一人はジャンパー、もう一人はハーフコートを着込んでいる。下は、まるでタイツのように足首までぴったりとしたカラージーンズとスニーカーだ。赤や黄緑や水色が雑多に全身を包んでおり、二人が並んで歩く姿は、色彩の変化に乏しい住宅街の中で弾けている。
 その姉妹らしき二人は、私の目の前に現れた時から、歩いている間中、ずっとしゃべっていた。その声は、甲高くなったり低くなったりするのだが、ひとときも途絶えず会話を続けている。私は最初、彼女たちをインド人ではないかと思ったのだが、私の耳に届く音には帯気音や反舌音のようなものは混ざっていない。膠着語によくあるような、平坦で軽い音調である。インドだかネパールだかバングラデッシュだか知らないが、なんとなく、その周辺の少数民族が話す言葉のように思えた。
 二人は、私の数メートル前を歩いている。O脚ではないのだが、ややガニ股気味に足を投げ出している。悠然とした歩き方だ。なのに、私は彼女たちを追い抜くことができない。別に二人にペースを合わせているわけではない。いつもの通り、普通に歩いている。しかし、私と彼女たちの距離は縮まらず、離れもしない。二人の会話する声が私にまとわりつく。
 そんな状態で何分か過ぎた。
 私は、胸に軽い痛みを覚え、立ち止まった。民家の植え込みの横にバッグを置き、中からポットを取りだして、暖かい麦茶を喉に流し込んだ。大きく息をした後、ポットをバッグに戻し、再び歩き出そうと前を見たとき、二人の姿は消えていた。

 私は、いつも自習室を利用しているわけではない。自由業の気楽さで、普段は自宅の書斎でのんびり仕事をしている。自習室を利用するのは、よほど切羽詰まったときか、高い集中力を必要とするときだけである。自宅の書斎でやっていても、どうもまとまらない、はっきりしない、それに引きずられてスケジュールが遅れ気味になる・・・そんなとき、わざわざ時間をかけて自習室まで歩き、違う空気の中で状況を突破しようとするのだ。
 私の仕事は、技術文書の翻訳である。クライアントから原稿を渡されると、その分量や難易度に応じて納期をクライアントに約束する。長年の経験から、この見積もりが大幅に狂うことは、ほとんどない。あとは、一日当たり何枚こなせば納期に間に合うかを計算し、それに沿って仕事を進めていくだけである。
 しかし、そんな型に収まらないアドホックな仕事も多い。原稿がなく、資料だけを渡され、自分で日本文なり英文をひねり出して、一定レベルの情報を詰め込んだレポートやマニュアルを作らなければならないという場合だ。そんな依頼があったとき、締め切り日の設定には、かなり細かい神経を使う。翻訳のようにおおざっぱな見積もりができないからだ。資料にざっと目を通し、簡単な下調べも済ませて、必要となる時間を割り出し、クライアントと納期を約束する。しかし、自分では十分な時間を確保したつもりでも、見込み違いは発生する。
 今回の場合が、まさにそれである。
 その文書がクライアントにとってきわめて重要なものであることは知っていた。自分が、ここしばらく英文を書く仕事をしておらず、少し腕が鈍っているかもしれないという思いもあった。そんなことがプレッシャーになったのかもしれない。
 最初から仕事が難渋した。自分の考えが散乱してまとまらない。考えるべきパラメータが多すぎるように思えて、いつまで経っても英文が確定しない。書いたり消したりを続け、少し進んだかと思うと以前の部分が気になり始め、前に戻って考え直したり。
 そのうちに、予定が次第に遅れてくる。焦る気持ちが、さらに心を散乱させる。
 そんな泥沼の中で、自習室へ行くことを決心した。納期まであと半月という時点だ。
 私がよく利用する自習室は、予備校生や司法試験の受験生が使うような、デスクを衝立で区切ったものとはかなり趣が違う。ほとんど密室である。防音が徹底しているのか、もともと人の出入りが少ないのか、よくわからないが、仕事をしている間、空調以外ほとんど物音がしない。デスクを離れるのは、トイレに行く時か、ラウンジでお茶を飲んだり食事をしたりする時だけだが、その間も、滅多に他人と出くわすことがない。出入りはオートロック式で、管理人も電話で呼び出す形である。つまり、ここにいるかぎり、仕事だけに集中できるのである。
 営業時間は、朝の五時から夜中の十二時まで。その間、何時間使ってもよい。だから、どんなにスケジュールに狂いが生じた時でも、ここに一週間も通えば、遅れを取り戻せるはずだった。
 しかし、今回の仕事は、そううまく運ばなかった。
 自習室のデスクに到着すると、ノートパソコンを開いて仕事の準備に取りかかる。ここでも、私は深く長い呼吸を心がける。頭脳の処理速度と肉体を一体化させようと務める。そうしないと、後でストレス性の胃痛に苦しめられたり、ひどい疲労感に悩まされたりするからだ。だが、今回の仕事は、私にそんな余裕を持たせてくれなかった。資料を開いて読み返し、十種類以上のオンライン辞書や事典を参照し、類似文献を検索しているうちに、呼吸のことなど頭から弾き飛ばされている。
 いくら丹念に下準備をしても、今日一日の仕事のアイデアが固まらない。かといって、ぐずぐずしているわけにはいかない。デッドラインは迫っているのだ。見切り発車で文章を書き起こそう、強引にでも仕事を前に進めよう。そう思いながら、毎日のノルマの分量まで、英文を書きためる。こういったやり方が、あとでとんでもない量の後戻り作業を生み出す可能性があることは、十分に承知の上である。
 行きつ戻りつしながらも、ようやく最後まで書き終えたのは、期限の四日前だ。見直しには、三日間だけしか残されていない。あまりに短い。四日後には、知り合いの米国人エンジニアに原稿を渡す手はずになっていた。彼が二日かけて校正し、最終原稿をクライアントに納入する。
 その米国人は、抜群に頭が切れ、表現力の豊かな男ではあるが、頼るには限界がある。その仕事の性質から言って、彼は品質レベルが六か七のものを八か九にすることはできるが、三しかないものをいきなり九まで引き上げることはできない。元原稿の出来映えが、彼の仕事の効果を左右するのだ。
 
 その夜、夕食後に、久しぶりにウィスキーを飲んだ。妻は、グラスを持つ私をちらりと見たが、何も言わなかった。長い間一緒にいるのだ、私がひどく大きなプレッシャーの中にいることは気づいているのだろう。子供たちが幼ければ、気晴らしになるような会話もできたろう。しかし彼らはすでに成人し、家を出ていった。
 酒を飲めば少し気が楽になるだろうという期待は甘すぎたようだ。酔いが回るにつれ、ひどく惨めな気持ちになった。もう自分の能力もこれまでではないか、年齢的に限界なのではないか。そんな思いが交錯する。
 私が、サラリーマンを辞めてこの仕事を始めたのは、バブルが弾ける直前だった。つまり、最悪のタイミングで独立したのだ。つるべ落としのように景気が冷え込んでいく中、家族を抱えて、私は馬車馬のように働いた。少しでもお金に換えられるような仕事であれば、何でも引き受けた。
 その中で、人間のありとあらゆる醜態や悲惨を見てきた。嘘つきや誤魔化しに出会うのは日常茶飯事だ。
 先月まで羽振りのよかったコンピュータ販売会社の社長は、サラ金から大金を借りた後、行方をくらました。半年後、見つかった時には、ホームレスの仲間に加わっていた。皮肉なことに、彼を見つけたのは、六本木で豪遊していた頃のなじみのホステスだった。
 編集プロダクションを経営していた友人は、何度も自殺を試みた。奥さんは、彼を思いとどまらせようと、全ての生命保険を解約した。その直後に、彼は再び自殺を試み、ついに成功してしまった。葬儀のとき、中学生の娘さんが狂ったように泣いていた。
 緊急の支出があるからと、町内の人間から金をかき集め、そのまま姿を消した町内会長もいる。印刷所を経営していた。残された奥さんと息子が、畳に頭をこすりつけ、泣きながらヤクザに謝っていた。
 毎日、パニックの街の中を、裸足で叫びながら走っているようなものだった。
 酔うにつれ、当時の辛い記憶が私を苛む。
 私が、外国人の僧侶から呼吸法を習ったのは、その頃だ。自分自身は、宗教に全く興味を持たない人間だった。ただ、その呼吸法をマスターすることで、他の全てのことに煩わされず、ひたすら仕事への集中力を高め、生き残ろうと考えただけのことだ。
 
 見直しの初日。私は暗い気持ちで家を出た。呼吸はままならず、頭が空しく回転し、数息観を何度もやりなおさなければならなかった。あの姉妹を見たのは、その朝のことだった。
 自習室に入り、デスクでノートパソコンを立ち上げた時、姉妹のことなど全く忘れ去っていた。気になるのは、ひたすら、昨日まで書きためた英文の出来映えであった。画面上で文章を読み始めると、それは予想以上にひどいものであった。情報量の点でも、明瞭さの点でも、文体の点でも、ひどく劣っている。これをたった三日で手直し、自分の納得できるレベルまで引き上げるのは不可能である。
 私はパソコンの前で頭を抱えた。絶望的な気分の中で、そのファイル自体を消去したい衝動に何度もかられた。
(時間の見積もりを間違えてしまったのだ。こんなこともあるさ)
 自分にそう言い聞かせ、文章に手を入れ始めた。しかし、三日間という枠内で、文書に根本的なメスを入れることは不可能だ。せいぜい、文章を足したり削ったりして、体裁を取り繕う程度のことしかできない。しかし、そうであっても、何もしないよりはずっといい。ともかく、これが対価を伴う「仕事」である以上、私はできるだけのことをやる義務がある。
 夕方、仕事を終えて、自習室を出た。すでに夜の帳が降りていて、空気は身震いするほど冷え切っていた。いつものことではあるが、帰りも歩くことにした。往きと同じく、自己流の数息観から始まる一連の呼吸法を実践するのだが、何度も挫折した。失敗への怒り、後悔、そして虚脱感が繰り返し身体を過ぎていった。
 見直しの二日目。ガラス窓を打つ雨の音で目を覚ました。カーテンを開いて外を見ると、強い風が雨粒を四方八方に吹き散らしている。銀杏並木が大きく枝を揺らしていた。最悪の天気だ。私自身も、なんだか熱っぽく、その日は自習室に行くのを諦めた。かといって書斎にこもる気もせず、寝室にノートパソコンを持ち込んで、仕事の続きに取りかかった。作業は思いの外順調に進み、夕方には全ての文章修正を終えることができた。
 三日目、最終日になった。朝、目を覚ました時、すでに時刻は六時を過ぎていた。いつもより一時間以上も寝過ごしたことになる。ベッドの中で、今日は自習室に出かけていくべきかどうか、しばらく考えた。まだ身体にはだるさが残っている。しかも、今日やることと言えば、仕上げのチェックしかない。作った文書を最初から最後まで丁寧に読み、大きな見落としや思い違いがないかどうかを再度確認する。そして、細かいアラを消し、最終的な「製品」にする。うまく運べば数時間、手こずったとしても半日程度で終えることができる。
 少し悩んだが、結局は行くことに決めて、ベッドから跳ね起きた。
 あの凡庸・稚拙な駄文を自宅の書斎で読んだら、自己嫌悪と怒りで気分が滅入ってしまうだろう。自習室なら、もっと機械的に作業できるかもしれない。そう考えたからだ。
 
 家を出たとき、すでに太陽があちこちの屋根を照らしていた。昨日とはうってかわった穏やかな朝である。冷気が張りつめてはいるが、光の穏やかさは、どこか春を予感させる。今は、まさに季節の変わり目に差し掛かっているのだ。あと一ヶ月もすれば、さらに春めき、生命が生まれ育つ美しい時間に立ち会うことができるのだ。
 歩きながら、今回の仕事のことをぼんやりと考えた。独立してもう二十年近い時間が経つ。この間、様々な仕事を手掛けてきたが、これほど大きな失敗を経験したことはない。自分の仕事に満足がいかないまま納品してしまったことは何度もあるが、今回ほど強いフラストレーションを感じたことはない。
 これは何かのアナロジーではないのか?
 何かを示唆しているのではないか?
 そんな疑問が浮かんでくる。真理をついた指摘のようでもあり、バカバカしい妄想のようでもある。
 私は、再び呼吸に集中した。足の運びと同期を取りながら、ゆっくりと息を吸い、そして吐く。吐き終えた時、数をかぞえる。それを繰り返しながら、身体の隅々まで吸う息、吐く息のリズムの中に収斂してくるのを感じる。静かな住宅街のお決まりのコースを歩きながら、私の集中力は次第に上がっていく……
 道は緩やかなカーブになっている。そこを曲がり終えたとたん、私は驚愕した。私の前を、一昨日と同じ姉妹が歩いているのだ。いつどのようにして私のコースに割り込んできたのか、わからない。本当に同じ人間なのか、後ろ姿を凝視したが、それは間違いようがなかった。低い背丈、小太り、長いマフラーを巻き付けた頭、肩にかけた大きなバッグ、セーター、カラージーンズ。全て同じだった。歩き方も、そして、ときどき私の耳に届いてくる、不思議な抑揚の言葉も。
 私は、一昨日とは異なる時間帯に異なる地点を歩いている。なのに、彼女たちは、私に合わせたかのように再び私の前に現れた。これは偶然なのか?
 私は、十分に信じうる仮説を立ててみようとした。おそらく、姉妹は毎日出勤時間が異なるのだ。曜日毎に別の場所に派遣されている。掃除とか洗濯とかゴミ出しといった単純作業なら、そんな勤務形態もありうるかもしれない。彼女たちが肩から提げているバッグがそれを裏付けているように思えた。つまり、あの中には仕事の制服が詰め込まれているのだ。しかも、出稼ぎで働いているのなら、電車賃を節約するため、二駅や三駅くらい歩いてしまおうと考えても不思議ではない。
 だが、その仮説では説明できない部分も残る。なぜ彼女たちが、私と全く同じルートを歩いていくのか、という点だ。
 一昨日と同様に、姉妹は、絶えず会話を続け、悠然と歩いている。しかし、私は追い抜こうとしない。彼女たちが歩いていくコースに圧倒されていたからだ。それは、私の道順とぴったり同じなのである。私は、人とすれ違うことさえ珍しいくらいの細い目立たない路地を、あえて選んで歩いている。偶然の一致にしては、できすぎていないだろうか? 本当に彼女たちが働いており、この私鉄沿線のあちこちに派遣されているのなら、こんなことは起こりようがないではないか。
 姉妹が歩き進むにつれ、そして、彼女たちの行程が私と全く同じであることが明らかになっていくにつれ、私はますます驚き、ますます彼女たちから目が離せなくなる。一昨日と同じで、私は彼女たちの数メートル後ろを歩き、その距離は縮まることもなければ離れることもない。まるで魂を吸い取られてしまったかのように、完全に彼女たちと歩調を合わせてしまっている。
 それは、何か非常に危険な行為のように思えた。
 なぜなのか、理由はわからない。ともかく、彼女たちを追い抜いてしまわなければならないと考えた。
 私は、再び呼吸に集中した。意識を足の動きに向け、呼吸のたびに足裏がしっかりと地面をとらえているのを感じ取った。
 いくつまで数えたのか、覚えていない。彼女たちが、新しい、やや広めの道に入った瞬間、私は猛烈に足を動かした。最初は、地団駄を踏むように足が空回りしたが、すぐに歩幅が伸びるようになった。必死で速度を上げ、小走りで姉妹を抜き去った。
 抜き去った後も、十秒くらいは必死に足を動かしていたと思う。
 数秒間息を整えた後、もう一度ダッシュを試みた。
 もう十メートル以上は彼女たちより先を行っているはずだった。
 おそるおそる、後ろを振り向くと、彼女たちの姿はなかった。
 
 自習室に到着し、いつものデスクでノートパソコンを開く。もう読み飽きるくらい、何度も反芻した冒頭の文章が表示される。読み始めると、思わず(あれっ)という声が口から漏れた。文章から受ける印象が、昨日までと全く異なっているように思えたのだ。
 読み進むにつれ、その印象はさらに強化された。私は、画面をスクロールしながら、むさぼるように文章を読んでいった。どのくらい時間が経過したのか、覚えていない。それくらい熱中した。気が付いた時には、全ての文書を読み終えていた。
 私の前にあるのは、句読点一つ付け加える必要のない、完璧にまとめられた技術文書である。ネイティブほど語彙・表現が豊かではないにしろ、説明は簡潔で要領を得ており、必要な情報量が適切な順序で段階的に提供されている。読む人を飽きさせない程度の修辞も加えてある。パラグラフ分けも、正確で秩序立っている。
 文章が別のものと入れ替わったわけではない。しかし、どこをどう読んでも、正真正銘、これはプロの仕事であった。昨日まで抱いていた強い不満、激しい自己嫌悪はいったい何だったのか? 何が変化したのか? 変わったとすれば、私自身以外にない。
 
 私は、あの姉妹の後ろ姿を思い浮かべていた。(了)

姉妹

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初老の段階を迎えて、全てが息苦しく感じている、仕事も家庭も。 そして、恐れていたことが起きる。 仕事のスランプがやってきたのだ。 なんとか、そこから脱出しようとあがいていた時・・・

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-03

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