practice(136)






 五丁目二番地の通りにはサラミとオニオンの組み合わせが美味しいサンドイッチ店がある。手作りで置かれたプレートから取って支払いを済ませた後で,その日にあればフレンチドレッシングをかけ,別売りのスープをカップの小さい口から着実に飲んでいくのが実に効く。寝ぼけ眼に,と言ってもいいけれど家から道路,道路から足を踏み入れるべき建物と心持ちを切り換える。眼鏡が曇る湯気がいい。鼻の辺りからじんわりと消える。時間が経って,信号機が嫌にクリアに見えるのも悪くない。包装紙をくしゃくしゃといわせて,サンドイッチとともにその端に頬をひっかかれる。斜めにした鉛筆で引いた線のように痒みは残り,親指を使うか,それとも我慢するか,両手ともに塞がっているから,それを解消するには苦労する。手伝ってもらえたら楽はことはないけれど,出る時間が異なり始めた変更後のシフトの元ではそれも時々しか叶わない。薄いマフラーにするか,ストールを羽織るかで待たされる,「どちら」に「でも」を付けられない姿見側のハンガーだった身としては,手持ちぶさたな気もして,ウインドウ越しに黒のチョッキと銀の食器を手に早朝に空いたテーブルの準備をする,給仕の後ろ姿と自分を重ねる。俯瞰でみれば,と思うスープのカップを傾けて,熱々と咀嚼し見上げた天気は,晴れだろうが何だろうがやはり次第に鮮明となって,建物の最寄りの窓の外にハトがよく止まっている。目が合うような気がするので,サンドイッチの端を齧る。ハトは首を傾げ,つがいらしき一羽と建物の横を向く。
 五丁目二番地の通り。着いてから取り,話し終えてから切った電話によるとお互いがお互いのものを持ち出してしまい,結果的に忘れ物をしたようだ。だからその約束はお昼どきとなった。混んでいるだろうけれど,会う場所はやっぱりロータリー付近の方が前のように見つけやすいし,それぞれの仕事場にも戻りやすい。さきのサンドイッチ店以外で,候補に挙がる店がすぐに浮かんで三つはある。うちひとつの看板は折りたたみ式で,その赤い色は辛そうな印だ。天辺にある金具のフックに糸が結ばれて,バルーンが何個かくくり付けられている。バーガーショップは店名を入り口の階段に手っ取り早く備え付け,クリーム色の壁に小さい絵を掛けている。別の一階の雑貨屋の店頭で売られる椅子は大きくて目立つ。具体的にはその辺りで良いと思う。
 机の上を整理してから,パンフレットは誰かにあげ,紙とコルクボードに画鋲を刺し,背表紙記載の名前を追って,カップの底を振って置く。捨てる前にコピー機の空き具合を見ようとパーテーションを横切って,同期の席の後ろに立てば,コピー機本体の前面部分を大きく開け,中身の点検に取り掛かっているメーカーの担当者の方の背中がしゃがんでいた。ペンライトを点けたり消したりし,肝心の箇所を特定するのにも手間取っている,そんな様子が窺える。排出トレイのある側で,より厚いファイルを抱える顔見知りの女性は(より長い時間を待っていたであろう),担当者が持ってきた取っ手が角張って大きい工具箱の蓋を眺めて,こっちを見て,苦笑いを浮かべた。手元にあるファイルをぶら下げて,コピー機の側に苦笑いを返す。一応歩いて,近付きながら,
「まだかかりますか?」
 という問いを,発信しようかどうしようかと迷っていたら,首を振ってその担当者がフロアに出て来た。排出トレイ側に首を向け,
「これは相当かかりますね。パーツは確か本社にあったはずなので,一応今日中には。」
 と女性に告げてから,こちらにも顔を向けて,同じ趣旨の一文を担当者は述べずに働かせていた。角張っていた工具箱の蓋が開かなかった。
「他の階にも,ありますけど,コピー機。借りれますかね?」
 と女性が聞く。
「五階,か七階。一階にもありますけど,外部用で有料ですから。」
「七階だったらすぐに借りれるかもしれません。そこの係長は顔見知りですし,それに,今の時間は案外暇だと聞いています。」
「ついでに出来ますかね?こちらも。」
 と,手にしたファイルを余計な感じで持ち上げれば,
「二人分,と言わなければ問題ないと思います。一人分で,混ぜてしまえば。」
 と女性は作戦を告げる。それに応じて,
「では,それに甘えて。早速行きましょう。」
 と言ったけれど,女性は「いえ,私一人で。ファイルをお渡し下さい,コピーはすぐに済みますから。」と,それを断った。いまや立ち上がり,電話で本社に在庫確認からこちらへの配送の手配まで済まそうとしているコピー機の担当者より前に進んで,コピー機を離れた女性は手を伸ばして,目の前に差し出す。より厚いファイルを片手で抱えて,空いた手は決まっている。
「いえ,一緒に,」
 と慌てた。
「『一人分』なので。二人いると変です。」
 しかし女性は動かずに,そう告げる。
「なら,ファイルを持つ手伝いという形では?」
「それでは二人分と変わりありません。お気づかいには感謝します。でも,必要なのは重いファイルを持っている,という姿だったりするのですから。」
 微笑む女性に,それが鍵だと言わんばかりだった呼び出しがかかって,同僚の席の電話を借り受けるために,女性にそのファイルを預けたのだった。
「お礼は後日に。」
「では,コピーが必要な時に。」
 二枚は机の上に,ファイルもそこに,とまで頼んだ。
 内線に切り替えて,それで電話は繋がった。「もしもし,」と言う。開いたまま,光とともに,コピー機が動かされた音が聞こえる。うんうん。
 メモで『十二じ』,『ゾウのまえ』。
 長めの色鉛筆まで貸りた同僚の席の上には雑誌から切り取られたぐらいの短い紙がゴムで束ねられ,内側に曲がって円筒を描いていた。きっとランチタイムに用いるお店の割引券だろう,一枚ごとに美味しく使える,ちょっとしたカラフルさは揃っていない用紙サイズから垣間見える。やじろべえの動きを見せる不思議な生き物のオブジェ(?)から,書類の山に埋れたカッターシートは実に巧みに眠っており,マジックペンは相変わらず揃えていない。左側を塞ぐパーテーションに,四隅を両面テープで貼られたカレンダーに記された丸印が飛び石間隔で並ぶ。そういえば今月は犬も含めて,誕生日を祝うべき日が続くと言っていた。『三十日』に付けられた緑の丸が特に目立つ。引っ張られた矢印の空欄が白く待っている。
 正常に動かないコピー機に関して,今はすることがないメーカーの担当者が自動販売機がある場所を尋ね,そこに向かってフロアの床を進んで行った。工具箱は邪魔にならないように,開いたコピー機の,排出トレイとは反対側に位置する側面に置かれてある。色鉛筆は書類に,割引券はクリップや付箋紙が集まっている箇所に一応紛れ込ませた。円筒形が寝転がる。席を離れてパーテーションを曲がり,壁に掛かる時計とはこれで何度か顔を合わせ,心持ち足早に席に戻る。机の上のカップを手に取ってから,冷たさに浸った残りを飲み干し,足元の黒いごみ箱に入れる。背もたれから上着を掴もうとして,事務用品のチェックに来た若い子が,
「あ,お出かけですか?」
 と先に声をかけ,項目が書かれたメニューに目を落とす。予め,
「すぐに済むなら構わないよ。口頭で,それとも本数と実際を照らし合わせる?」
 と言った。数十枚あるチェック用紙からしかるべき一枚を無事に見つけ出し,どうしようか思案をしながら,その子は袖口の腕時計をチェックしている。こちらから見えるあの時計とは大体合っていると,二本の針の形から,それぞれ逆さで確認した。
「では今は口頭で。足りなくなったり,増えたりしたら,もう一度ということで。」
「了解。では,何から?」
 そうしてひと項目ごとにチェックを始めた。色鉛筆は結局,出てこなかった。
 バルーン,『十二じ』,『ゾウのまえ』。
 味のある軽食の話になった時,その子はサンドイッチを勧めた。サラミとオニオンで美味しいという。ドレッシングは何でもいい,フレンチであっても。そうでなくても。
「その店だったら知ってるよ。買って来ようか?」
「いえ,その店もいいんですけど,私が行くところは別のお店です。門構えが豪華な,もとは宿泊施設に使っていたそうですが。」
「宿泊施設?」
 その子はいたずらっぽく笑う。
「例えみたいなものです。でも,人気はありますよ。お子様連れの方に,年配の方も多いです。」
 場所はいつも通る道の真反対であった。バスで降りて,ここに向かう形になる。五丁目二番地なのかと,冗談目かして聞いてみると「そうです。」とその子が答えるものだから,それを知っている理由も聞いた。
「以前,ホームパーティを催したときに一皿,そこのサンドイッチで盛り付けるために電話注文をしたんです。私は準備に手一杯だったので,その店には車で向かっていた友人に頼みました。住所はそのときに口頭で伝えて,一応メールでも送りました。だから,そうです。間違いないと思います。」
 その子はしっかりとそう言った。
「五丁目二番地は,サンドイッチの名店揃いか。」
 と思わず漏らした感想にも,
「二軒だけでも,そう言えるなら。」
 その子はしっかりとそう言った。
 背後の時計が一分上がり,各机の事務用品のチェックに戻った若い子が去ろうとする。片手に提げている上着の内ポケットが垂れ下がり,少し迷って呼び止めた。
「時計の電池を早く取り換える時計店,いや,それより,」
 と言葉を詰まらせながら,メモ用紙を机の上に広げ,ペン立てから取り出したボールペンで地図を書いてもらう。その子がチェック用紙を片手で持ちながら走らせた先に,『ゾウ』の二文字が赤い鉛筆で書かれてあった。そこに矢印が被さる。『ここ』という文字と図形が付く。
「似たような建物が並びますから。その辺りは。」
 とペンは置かれる。一目でここからの道順を辿りながら,
「ありがとう。助かるよ。」
 とその子に告げた。『ボールペン』という項目にチェックマークが入ってからはその子は笑顔で,
「では,いってらっしゃいませ。」
 と言った。かちゃかちゃとコピー機の備品が運び込まれて,修理担当者が二人に増える。時間は刻一刻と進んで,電話が鳴って,
「いってきます。」
 と言った。身に付けるときに上着の内ポケットが垂れ下がり,階下を降りて,向かった玄関から小走りで出る。メモ用紙は忘れていた。それには後から気付く。
 一階の雑貨屋の店頭で売られる椅子は大きくて目立つ。道順を辿りながら,ロータリーは思うぐらいに混んでいて,待ち合わせに適している。
 五丁目二番地。もうすぐ先,季節は曇りを引き連れて,素知らぬ顔してすっかり晴れる。

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-01

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