二台の電話

冒頭に書いた記事の内容を見て何となく昔の事を思い出しました。きっと私は現状がつまらないんですね。これ

2013年12月時点での国内携帯電話普及率は110%なんだそうです。乳幼児やお年寄りもいますから全国民が所有しているわけではありません。という事は携帯電話を二台以上所有している方が結構いらっしゃるんですね。
そう言えば私の周りでもいますね、二台持っている人。プライベート用とオフィシャル用と分けて使っているみたいです。
仕事がデキる人って感じで羨ましいです。本当に必要かどうかは別にして。
私は当然一台です。
現代は携帯電話を持つのが当たり前で、二台持っていても珍しくない時代です。
ですが私が幼少期の昭和50年代、我が家には電話が二台あったんです。事業を営んでいたわけではありませんよ。それにもちろん、携帯電話ではありません。今風に言うとイエデンというヤツです。当然黒電話です。正確に言うと電話回線がふたつ、我が家に引いてありました。
「公社」と「有線」です。
正式名称は知りません。漢字もこれで正しいか、定かではありません。家族を含めた周囲がみんなこう呼んでいたんです。だとするなら民主主義的見地からすればこれらはこう言う名前だったんです。きっと。
「公社」は「電電公社」の略だったと察します。NTTの前身ですね。こちらは「ダイヤル」すれば全国何処でも繋がる一般的でポピュラーなものでしたから。
「有線」はというとこちらはその地区をカバーするローカルネットワークでしたね。地域限定です。電話番号は五桁でしたし。どの程度のエリアをカバーしていたんでしょうね。それほど広くなかったと思います。
その頃の私が暮らしていた地域というのが就業者の九割が農業、残りの1割が市役所職員か農協職員という第一次産業主体で成り立っていました。
いわゆる市街地調整区域、平たく言って農村、言葉選ばず言うならド田舎です。
そのような地域は今も昔もインフラ設備が遅れしまいます。ですので私が想像するに、最初は「有線」が引かれその後に「公社」が引かれたのだと思います。
私使っていた電話は「有線」の方でしたね。私がかける相手は小学校の友達だけでしたし、かけて来る相手も「有線」でしたしね。
だから私が覚えたうちの電話番号って「有線」の方でした。今でも覚えています。友達の電話番号もそう。確か町内の連絡網の電話番号表も「有線」の方だったと記憶してます。
そんなわけで私は「有線」の電話番号はパブリックなものと信じていました。だって通じるんですもん。ふたつの電話の名前は違うって事はわかっていましたけど、電話番号の桁数の違いの意味をわかっていなかったんですね。
ある日、「公社」と「有線」の違いを身をもって知る出来事がおきました。
私が小学校二年生だったある日。私は登校途中で忘れ物に気がつきました。忘れ物が具体的に何だったのか、それは覚えていませんがとにかく重要で、とっても大事なものをうちに忘れてきたのです。
私は焦りました。泣きべそをかきました。私のうちから小学校までおよそ四キロありました。私は往復八キロを六年間歩き続けて登校していたんです。スゴいですいね。まあそれはさておき、気軽に忘れ物を取りに帰れる距離ではなかったんです。
うちに取りに行けば遅刻で怒られる。このまま学校に行けば忘れ物で怒られる。
まさに前門の虎後門の狼、です。
でも私は閃いたのです。電話です。うちに電話してもってきてもらえばいいのです。グットアイディア、これ天恵。
私が通っていた小学校の目の前に文房具屋さんがありました。小林文具店です。そこで電話を借りて親に頼むのです。私は小走りになりました。
私は店に着くなり店のおばさんにうちにかけるので電話を貸して欲しいと言いました。おばさんは快く応じてくれました。おばさん、やさしいです。
私はすぐにうちの番号をダイヤルしました。 五桁の番号、有線の方を。
繋がりません。当然ですよね。だってお店の電話は「公社」だったんですから。でも当時の私にはわかりません。何度もダイヤルしました。でも繋がりません。私は無人島に取り残されたトムソーヤのような心細さと軽い絶望に見舞われました。
そんな私におばさんは声をかけてくれました。私がうちにかからないと訴えるとおばさんはもう一度回してごらんと言いました。
私の様子を見たおばさんはそれって有線の番号でしょ。公社じゃないとダメだよ。と私に教えてくれました。
私はガツンとショックを受けました。何だそれは、と思いました。どうして同じ電話なのに出来ないのか、意味がわかりませんでした。
おばさんは私に追い打ちをかけるようにうちには「有線」ないから、「公社」の番号わかる?と言いました。
私が何でないの?みたいな事を訊くとおばさんはこの辺にはないよ、と言いました。
またガツンときました。私はこの番号しか知らないのです。ということはここからはうちにかけられないのです。私はガックリと肩を落としました。
更に「有線」がないという事もショックでした。ないうちがあるなんて、思いもよらなかったんです。
一般常識をしらなかった事は子供ながらに恥ずかしかった事を覚えています。
結局私は忘れ物をしたまま登校しました。それからどうなったのか、記憶にありません。余程電話の事が衝撃的だったんでしょうか。たぶん「前門の虎」か「後門の狼」にガブリとやられたんでしょう。肝心な事をまったく覚えていません。私ってこういう人間なんです。
それから数年後、我が家が黒電話からお洒落なピンクのプッシュホンになった頃、私が知らぬ間に「有線」はなくなっていました。
おそらく電電公社がNTTになった事で廃止になったんじゃないでしょうか。特に感慨はわきませんでしたね。その時は。それより電話が変わった事の方が嬉しかったんでしょう。
その頃からすると、今は本当に便利になりました。公衆電話を探す必要はありません。電話はポケットに入る時代になりました。携帯電話には必要なほとんどすべてのツールが入っています。今の子供は私のような経験はきっとしないでしょう。
でも家の電話番号を覚えていないなんてそんなおっちょこちょい、私だけですね、きっと。

二台の電話

二台の電話

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-01

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