一撃

「堕落論」的な何物か


隕石が墜落した。私の下宿を直撃である。屋根には痛々しい穴が穿たれていて、もし家に居残っていようものなら、と考えると、私は空恐ろしい気分になった。丁度、気紛れで外へ散歩していたのである。
下宿の周りを、野次馬たちがひしめいて取り囲んでいる。間もなく緊急車両のサイレンが聞こえてきて、回転灯を光らせた真っ赤な消防車が、連中を避かし退かし、下宿の正面に停車した。私は運転席から飛び降りた銀服頭巾の隊員たちに歩み寄ったが、勿論彼等に、家主と野次馬の区別などつく筈が無い。危険なので退がってくださいと押しとどめられた。
隊員たちは無駄のない動きで用意を整えると、蛇のようなホースを引きずり抱えて部屋へ押し入った。大家が開けておいたのだろうか、締めていた筈の鍵は開いていた。隊員たちの動向は、時折ずりずりと部屋へ引き込まれるホースを見て伺える。しばらくして、隊員の一人が部屋から出てきて、がやがや騒ぐ野次馬目掛けて部屋の人はおられますか、と叫んだ。私は直ぐに手を挙げて、僕です僕がそうです、と答えた。近くの野次馬たちは一層がやがやしだしたので、私は内心むず痒くなった。それで隊員はちょっと来てください、と私を部屋へと手招いた。私は野次馬達の目線を背中を感じつつ、隊員に続いて部屋に入った。
屋根のぶち抜け具合から察された通り、隕石は丁度居間に墜落していた。普段私が座り寛ぐ長椅子の、しかもまさに私の座る定位置を直撃である。隕石は、小石風情の大きさながら、畳の床をも突き破って、更に下の土台に八方のひびを入れて食い込んでいる。隊員達は、気の毒でしたなぁ、と慰めてくれたが、私はこの災害に、何かしら悪意のようなものが混じっていることを疑ってならなかった。
暫し他の下宿を借り住まっていたが、部屋の修理が済んだというので再び元の下宿へ返ってきた。こちらの方が、大学への通学に好都合だし、大家も家賃を大分まけてくれるというからである。
床の畳を張り替え、天井を塗り替えた馴染みの下宿に、私は懲りずにまた、新たな長椅子を買い入れた。前のよりも座り心地が良く、私は従来以上に、無為な寛ぎに時間を費やすようになった。時間を忘れて講義に遅刻することもしばしばだった。しかし最近はどうにも、この心地よさに底抜けの不安を感じるようになった。やはり、あの隕石が関係しているように思えてならない。
ある日のこと、私はえんやこんやとずらしどかした長椅子の下の畳を引っ剥がした。 薄暗い床下を会中電突で照らし見ると、なんと土台にはあの隕石が突き立った儘である。八方に走るひびすらそのままだった。なんだ、修理したのは見てくれだけか、と私は呆れた。
私は手を伸ばして、隕石を引っ付かんでみた。そのごつごつして、ひやりと冷たい触感に、私は俄かに、例の底無しの不安を感じた。
ふと、頭上に太陽の日差しを感じた。驚いて見上げると、直したはずの屋根に穴が穿たれていた。木っ端なんかで荒々しく縁取られた丸い穴の向こうから、いつもの通りの穏やかな青空が覗いている。
なんてこったい、と私は頭を抱えた。部屋は直ってなどいなかったのだ。丁度昔の説話にあるように、私は幻覚の中でこの下宿に住んでいたのだろうか?
私はもう右も左も分からなくなって、部屋の外へ飛び出した。すると玄関先には、あの時の野次馬連中がずらりと並び囲んでいる。皆一様に表情が無く、唖のように黙って私を只見ていた。私は反射的に屋内へ引っ込んだ。勢い任せに閉めた扉へ背中をもたせ、総毛立った二の腕を抱えて、俄かに震えだした体を押さえ込んだ。
ふと顔を上げると、居間に消防隊員が棒立ちに立っていた。彼等も全くの無表情で、私を見ている。私は万事休すだった。玄関にしゃがみ込んで、目を瞑り耳を塞ぎ、ひたすら沈黙と暗黒の中へと逃避した...
ふと、その闇の中に、星が瞬いた。それは一つ二つと、ぽつぽつと現前し始めて次第に数を増し、やがては数多犇めく星群となって、見渡す限りの四方八方に満ち満ちた。
ここは宇宙の真っ只中だった。私はその中を、或る方向を目掛けて真っ直ぐに進んでいるのである。私の行く先の彼方には、小さな灰色の衛星を従えた惑星がある。その星は見紛いようもない、鮮やかな青色に輝く地球である。私は地球へまっしぐらに墜落している! 私はあの、矮小な隕石だった!
地球はみるみる近づいている。その輪郭は、そら恐ろしい勢いで膨張するかのように錯覚した。今や青い海と緑の陸が見える。白い雲の形まではっきり分かる。それらがみな壮大に、ゆっくりと自転しているのだ。
地球が視界一杯に広がって見えるにまで迫った私は、遂に日本列島の形を認識した。その途端、大気圏に突入して全身が激しく燃え上がった。唯でさえ小さな身体が、容赦なく磨滅してゆく! しかしもちろんどうすることも出来なかった。私はそのまま地面めがけて凄まじい速度で落下してゆき、あっという間に私の下宿の屋根を穿ち、畳をぶち抜き、床下の土台に激突した...
はっと気づくと、私は玄関にくずおれていた。恐る恐る顔を挙げると、居間には誰もいない。おっかなびっくり扉の覗き穴を覗いても、外には誰もいなかった。私はゆっくり腰を上げて居間へ向かった。屋根の穴は直っていた。唯ずらした長椅子と、引っ剥がした畳がそのままである。再び床下を照らし覗くと、隕石は相変わらず床下に突き刺さっている。私は再び冷めた隕石を掴むと、一息に引き抜いた。
隕石は、丁度古代石器のように、細くて鋭い形をしていた。何故、私はこいつの生涯を垣間見たのだろうか。ひたすら墜落してゆくばかりの、隕石の一生を、己の身に重ねて思い知ったのは何故なのか。その訳は丁度、私が感じだした底無しの不安に繋がる気がした。
そして分かった。私もこの隕石のように、今なお墜落し続けている。無為な寛ぎと引き換えに、あらゆる経験や可能性をふいにして、堕落と絶望の底へと己を貶めているのだ。そしてその苦しみに気付くのは、底へ激突する間際になってからである。それまでは、上も下も解らない無重力の錯覚で、真空間を落ちているのか漂っているのかも解らずに漠然とさ迷っているばかりなのだ。長椅子に横たわってのらくらと時間を潰すばかりでは、安穏とした日常はいずれ朽ちて、見せ掛けの塗装が剥がれてその本性が露われるだろう。私はあの幻覚の中に、世の本性と己の破滅を垣間見たのだ。この、武器に似た形状の隕石は、何者かが放った私への警告の一擲だったのやも知れない。
俄かに焦燥に駆られた私は、けれども同時に、なにか救われたような心持ちになった。得体の知れぬ不安に、具体的な形が与えられたのだ。
私は懐へ隕石を押し込むと、鞄を引っかかえてやにわに家を出た。穏やかな快晴の下、大学目指してずんずん歩んだ。予めさぼると決めていた講義に、出席するのである。

一撃

一撃

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-31

Copyrighted
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