ヘイトスピーチについて考えた事

きっかけの写真が掲載されているHP
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/64186cc20ecf3e3eaa1da3f5b5f1cd48

 八月三十日の朝日新聞に掲載されていた写真を見て少し考えてみようと思いました。
 まず、前書きにあるHPの上から二番目の写真を見て頂きたい。これが今回、私に書く衝動を呼び起こしたものです。
 見て頂ければ分かる通り、ボードにはこうあります。

 『韓国≠悪
  韓国=敵
  よって殺せ』

 明らかに論理が破綻していることが分かると思います。念のために記号の部分を文章化して置きます(文意をより伝わり易いように数語補います)。

 『韓国は悪ではない
  だから韓国は敵である
  よって殺せ』

 もちろんこれは≠を≒と取り違えたのだと思います。
 それにしても、あの堂々とした筆致。あまりに自信満々な文字のために、私の方が間違っているのかと思い調べたほどです。
 重要な自分たちの主張であるはずなのに、誰一人として気がつかなかったのだろうか。確かめて見ようとも考えなかったのかと不思議に思いました。揚げ足取りだと言われればそれまでですが、彼らは自らの主張をきちんと伝えられない。その程度の集団であると言えるでしょう。
 私にはヘイトスピーチに類するデモ行為が、理論で自分たちの主張が伝わらないので駄々を捏ねているようにしか見えません。このような集団行為が海外にまで報道されていることには羞恥を覚えます。
 また、韓国を悪だ何だと言うのならば、反日デモと似たり寄ったりの手法を使うべきではないと思います。もし、目には目を歯には歯をと言うならば、何千年前の国外法によって生きているのだと言いたいですね。

 次にもう少し具体的にヘイトスピーチの害悪と危険性について述べたいと思います。
 仮に彼らが主張する通りに『在日特権』が日本国に害悪を与えているとしても、それ以上に彼らの行為が諸外国に与える日本の悪印象の方が一層の害悪であると思われます。
 なぜならば、先進国一般ではヘイトスピーチに類する行為を公然とすると法的にまたは社会的に制裁を受けます。少なくとも表面上は人種差別反対だという人が大多数を占めるからでしょう。
 そのような人たちから見れば、公然と特定の人種を攻撃する様子は、酷く遅れた光景に見えることでしょう。文明人らしく振舞うことさえできないのかと(私は西洋文化や進歩史観を無批判に肯定するつもりはありませんが、差別撤廃の流れに関しては賛同します)。つまり、日本人全体が野蛮人に見られる可能性があるということです。例えヘイトスピーチに関わる人間が少数であっても、テレビや新聞等の記事を通してのみ日本を知る人には、それが日本だという認識にい至る可能性があるからです。
 悪印象によって、日本人は些細ながら不利益を受ける可能性があります。その総量は彼らが述べる在日特権以上になるのではないかと――確証はありませんが――そう思います。
 そうであるならば、国はヘイトスピーチを禁止するべきです。なぜなら、権利は公共の福祉に反する場合は制限されるからです。と言うことで私の場合は、人権の侵害という観点からではなく、彼らと十把一絡げ扱われる危険性から逃れるために言論の自由を制限して欲しいと考えています。

 さて、次に私が真に問題だと考えていることを述べます。
 真の問題。それはヘイトスピーチの中で「殺せ」などの攻撃的な言葉が頻繁に使われていると言うことです。
 外部から見ると理不尽でナンセンスな言説であっても、繰り返されることによって、それは内部に於いては理のある言葉になる可能性を持ちます。実際、あのような活動を行なっているのですから、彼らにとっては既に正しいことになっているのでしょう。
 この状況の中で、本当に過激な人間が出てくれば、実際に人が殺される可能性があります。
 また、このヘイトスピーチが横行する状況の中で在日の側に自衛組織のようなものが出来る可能性もあります。その中で、現在の日本の政権が掲げる意味での積極的平和主義的行動。つまり、やられる前にやってやれとばかりに、ヘイトスピーチをやる集団に対して物理的に攻撃を加え始めるかもしれません。
 このような流れで一人でも犠牲者がでれば、北アイルランド紛争や、現在も継続しているパレスチナ問題などを見るまでもなく泥沼化は必定と言えるでしょう。なぜなら、対立の中で無関係の犠牲が出ることによって争いは広がるからです。

 私がここに書いているのは想像であり可能性でしかありません。しかし、可能性ではあります。何故このような危険を冒してまで、不和の種を蒔くのかが理解できません。せっかくの行動力をもっと建設的な活動につかえないのかと思ってしまいます。
 長々と書きましたが、結論として私が言いたいことは、不愉快なのでヘイトスピーチは止めてくれと言うことです。

ヘイトスピーチについて考えた事

補足:私は全てのデモを否定しません。暴力的なものや何かを理不尽に排斥するものは否定しますが、サティヤーグラハのようなものは肯定します。

いろいろ偉そうなことを書きましたが、もしかするとあの写真を紹介したかっただけかもしれません。もっとも書いていることは本心です。

ただ、写真が合成でないかは心配です。まさかあんな失敗はしないだろうと思うので。

また、本文にも書いた通りに自分の認識が不安です。「≠」はノットイコールであっていますよね?

私を混乱に陥れるとは、やはりヘイトスピーチは許せない。

ヘイトスピーチについて考えた事

最近、週刊誌やネット上で批判にあっている朝日新聞を読んでいて、突っ込みどころのある写真を発見したことが動機の文章です。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-31

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