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百三十五




 あの全集の背表紙にある染みを見つければ,すぐ下の段に置かれた透明なプラスチックケースと中身のカラフルな切紙が目に入る。畳の地上から近い程,遮光カーテンの揺れ具合に伴う日光のお暇と無関係で居られるのだと分かるのは,素足でトコトコと歩む娘と,外出用の靴下でゆっくりと後を追いかける私だった。娘の影は私にかかり,私のものは部屋の壁に向かっている。開けっ放しだった扉が通じる廊下の,暖色系であった明かりはスイッチが切られていて,そこに軽い荷物を運ぶ母が足を擦って去っては戻って来て,
「ねえ,飲み物は何にするの?」
 とよく通る声で聞いてくる。荷物の数から考えて,また戻って来るであろう母に言い残すつもりで,
「熱いものかな。ああ,それとこの娘のお水。」
 と言ったら奥へと去りきっていなかった母がすぐに立ち止まって
「あら,どこか悪いの?」
 と聞き返してきた。私はただ首を振り,
「お水で喉を潤してから,ジュースを飲むのが好きなの。わが家での習慣。」
 と答えたら納得をして,
「じゃあジュースも用意しておくわね。」
 と言い残した母が去って行った。小さい擦り音は軽々と運ばれる。新しく取り替えたばかりという障子の一面から私の手を透かして,そのまま軽く引いて止めた。かつてポスターでも貼ってあったところから暗がりの輪郭がぼんやりと降りて,真っ正面からの自然な光がもう少し増した。娘は相変わらずそこに居て,お尻からこちらを振り返り,手を伸ばして掴もうとする。ブタさんの貯金箱(は今でも持っているとして),ハンドルが固かった鉛筆削りは,買い換えるのを忘れて仕舞ったんだった。アイスの棒が収まったマグカップに,隣のワッペンの模様は重なっていてすぐに思い出せない。椅子の足の角は畳にいつもゆっくりと置かれて,短い髪に,夕方の匂いを巻き付けてた。電灯はその時から点けられる。頭上からの白い明かりと,机に起きる私の姿とが最初に目に止める縦に長い風景には,方角からして一番星なんて無かったと教わった。帽子は父の帽子,筆記具に母からの借り物。帰って来たときに開いているカーテンに引っ掛かる,それともし姉などが居たらと考えて,一緒に出来ると思っていたことに書き連ねなかったことが並ぶ。でも二段になっている押入れの,二段目に入ることは出来るようになった。絵本のカエルみたいに,娘が踏んでいるような長さでもって,母に怒られては,後から父の肩車の上で褒められて。
 よちよち歩きよりは進んで,暗がりは自然な光に慣れていく。
 娘は背もたれの下部を掴み,私は障子を開けた。軽々とした荷物を持って母は廊下を歩く。
「よっこいしょ。」 
 という声も聞こえる。積まれた何個かの小箱と現れた母は,それから私たちを見もせずに
「さっさと飲みなさい。冷めちゃうわよ。」
 と言って去って行く。擦り音がスムーズだ,と思うのは先程私が磨いた廊下のおかげだと内心で満足して,娘を呼びながら机に手をつき遮光カーテンより,開いている窓をカラカラと鳴らしながら閉じていく。カラカラと,鳴らしながら,明るい明かりを見つめてく。
 外出用の靴下で,畳の目を踏んでいた。



 

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-28

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