八月二十七日の空
友人の誕生花の花言葉をお題にして、即興小説ってみました。
「私に触れないで。」
ふいに顔を上げて、佐山が言う。一瞬の空白の後、にやりと歪んだ顔で続ける。
「八月二十七日の誕生花、鳳仙花の花言葉だよ。私に触れないで。まさに中田くんを表していると私は思うね。」
言いながらニヒヒと、人を馬鹿にしたように笑う。いや実際馬鹿にしている。
「それはお互い様だろう。」
俺はむっとして応じる。
「中田くんに言われるほどじゃぁない。」
佐山はいたずらっ子の笑みを浮かべたままだ。
「つか、わざわざ調べたのか。」
俺は少し以外な気持ちで尋ねる。目の前のいたずら小僧は、花言葉とはまるで縁のなさそうな奴だ。どちらかというと、花より団子みたいな感じ。
「いや、自分の誕生花が気になってね。中田くんのはついでにすぎないよ。でも、もうすぐなんだね、すごい偶然だ。」
と言う割には実にどうでも良さそうである。
「じゃぁお前の誕生花はなんだったんだよ。」
特に興味が有るわけではないが、せっかくの話題なのでのってやる。
「そんなのは知らないよ。」
自分が話題をふっておいてこれだ。まったく不愉快な奴。今後一切こいつの話は無視。そう決めて俺は読書に戻る。周りに壁を作って、私に触れないでと言わんばかりなのは、実際目の前の佐山の方だ。頭のすみでそう考えながら。
俺が佐山に声をかけたのはほんの気まぐれにすぎなかった。図書室のすみでいつも一人で本を読んでいるのが、どことなく寂しそうに見えたから、ついついおせっかいをやきたくなってしまったのだ。
「なぁ、何読んでんの?」
かわいそうな同級生に情けをかけようとしたのが運の尽き。
「きもい、死ね。」
顔を上げようともせず、そう吐き捨てるぼっち。金輪際二度と関わるものかと、その時俺はどこかしらの神様に誓ったものだ。
しかし神様はその誓いを反故にしてしまったらしい。
それから図書室に行くと、必ず奴は目の前に現れた。俺がどこに座っていようと必ず目の前の椅子に奴がいる。俺は確かに奴から離れた椅子に座ったはずなのに、奴はいつのまにか移動してやがるのだ。
どっちがきもいんだよ。そう思ったある日、不機嫌を全面に出しつつ俺は再度尋ねる。
「なぁ、いつも何読んでんだよ。」
奴は今度は顔を上げた。その顔はいたずらを見つかった子供みたいな、どこか卑屈な笑顔。
「君の知らない物語。」
そう言うとクスクスと笑って、本で顔を隠した。本の表紙には「蠅の王」と書いてあった。確かに、俺の知らない本だ。
「それ、面白いの。」
「さぁね。」
全く気のない返事が返ってくる。
何がしたいんだこいつは。俺はなんだか疲れて、本の世界へ逃げる。もう存在ごと無視してやると、心に決めて。
だが、それからなぜか向こうから話しかけてくるようになった。
といっても大分一方通行な会話ではあったのだが。佐山は自分の興味のあることしか話さず、唐突に会話をやめてしまうこともしばしばあったので、俺はひどく忍耐力を使うことになった。佐山という名前さえ、俺が奴に名前を教えた一ヶ月後にやっと聞き出せたほどだ。
しかし佐山を無視しきれなかったというのは、一重に俺が一人寂しく本を読んでいる奴を見過ごせない心優しい青年であるからだ。これを佐山に言ったら十中八九、きもい死ねと切り捨てられるんだろうが。
「好きなモノってある?」
佐山からなにか尋ねられるのは非常に珍しい。いつも言いたいことを言って、それを放り出すような会話術を使う人間だからだ。だから俺はひょっとして、こいつも他人というものに興味を持ちだしたかと少し嬉しい気すらしたのだが。
「いや、自分の好きなモノはなにかって考えてさ、あんまり思いつかなかったから。参考までに中田くんの好きなモノって奴を聞いてみようかと思ったわけさ。」
なんと寂しい理由だろうか。好きなモノがないって、いっそ悲しくさえなってくる。
「好きなモノか、いろいろあるぞ。まずハンバーガーだろ、ステーキとか、後焼き肉。」
「全部食べ物じゃんか、しかも肉ばっか。もっとこうロマンチックなモノ上げられないわけ?」
誰よりもロマンチックからかけ離れてる人間にだけは言われたくなかった。というか、自分の好きなモノ1つ把握してない奴に言われたくはない。
「ロマンチック?そんなものに興味ないからなぁ。あ、一つある。俺、星空が好きだ。」
目前の顔が奇妙に歪む。その顔は、はぁ?どの面下げてそんな乙女チックなもん好きだとか抜かしてんだよ、と如実に物語っていた。誰が聞いて来たんだよ、と俺のイラつきは早くもゲージ満タン寸前だ。
「なんだよ、お前が聞いたんだろ。といっても、ここらへんは星あんまり見えないよなぁ。俺綺麗な星空って映画の中でしか見たことないや。」
「え、中田くんって星を探して夜空を見上げてみたりするの、マジできもいじゃん。」
俺のイラつきはその瞬間ゲージマックスを突き破った。それからも佐山は何かを言っていたが、俺はその時読んでいた本の内容しか覚えていない。
「明日、夜七時駅前集合な。」
それは佐山から初めて送られてきたメールだ。メールアドレスを無理矢理に聞き出されてそろそろ三ヶ月経とうかという頃合いだった。
「大丈夫だけど、何かあんの?」
夏休みになってから、佐山とはもうずいぶん会っていなかった。しかしまさか向こうから誘いが来るとは、明日は雪でも降りそうだ。こちらから誘いたくても、佐山は俺にメールアドレスを意地でも教えてくれなかったので不可能。
そして驚くことにそれから一切返信はなかった。明日行くのやめようかな、と俺が思ってもそれはしょうがないことだと思う。
しかし翌日、綺麗な夕日を眺めながら、俺は駅前にいた。大丈夫って言ってしまったし、夏とはいえ夜に待たせるのはかわいそうだと思う優しい人間なのである。
佐山は19時ぴったりにやってきた。奴の私服を見るのは初めて。初めての私服って、なんか感動する。
いつも本を読んでるときのように、伏し目がちで、そっけない挨拶をすると、なんとなんの説明もないまま佐山は歩き出した。俺はわけもわからずついていく。
「おい、どこ行くんだよ。」
「すげぇ良いところ。」
佐山の顔は楽しそうだが、こっちは混乱中だ。意味の分からないやつ。やっぱ来るんじゃなかったかなぁ。
並んで歩きながら、奴はいろいろ喋っている。こっちの返事はお構いなしで、ただ喋っている。それはいつもどおりの佐山なんだが、なんか少し焦っているような緊張しているような、変な感じだ。
ふと佐山が道のわきの茂みに入った。木々が鬱蒼と茂っているような場所。俺はドン引きだ。本当になにがしたいんだこの馬鹿。
「早く来いよ。」
帰ろうとした俺を声が引き止める。なんでこんな奴と森のなかに入らないといけないんだと思いながら、しかし佐山を一人にしておくのも気が引けるのでしょうがなく、茂みに分け入ってみる。
茂みの向こうには細いながら道ができていた。いわゆる獣道というやつ。佐山はどんどん先へ行ってしまう。街頭の届かない森の中、すぐに見失ってしまいそうで、俺は慌てて後を追う。
道は上り坂になっていて、数分で息が上がってしまった。前を行く佐山も、息を切らしながら進んでいる。
「どこまで行くんだ。」
俺はそろそろ帰りたいと思った。何が楽しくてこんな時間に佐山と二人でハイキングをしないといけないのだろう。
「もうすぐ。」
佐山も疲れているのか、いつもどおりなのか、口数は少ない。
もう帰ろうと声をかけようとしたその時、急に視界が開けた。そこは山の頂上のようだった。街の光が嫌に遠い。恐ろしく歩かされたようだ。
「なんでこんなところに連れてきたんだよ。」
俺は疲れきって地べたに座り込む。そしてふと目線を頭上に上げると。
そこで俺は言葉を失った。今まで言葉を失うという感覚を知らなかった俺だが、その時そんな事が現実に起こるということを知った。
頭上一面に広がる星の群。今まで見たことのない星空があった。俺は無我夢中でそれを見ていた。俺が知っている何よりも、その星空は綺麗だった。
「どうだよ、ここらへんでも星見えるだろ。」
佐山が得意そうに言った。
「山の上はここらへんに入らねえよ。」
そう言いながらも、佐山がこの星空を見せてくれたのが嬉しくて、つい奴の頭を撫でてしまった。
「ちょ、やめろよ。」
星の下、奴の長い髪が揺れる。顔色は、ここは暗すぎてよくわからない。
「こんな綺麗な星空見たの初めてだからさ、嬉しくてな。」
「馬鹿。」
今この瞬間に限っては、佐山の口の悪さも気にならない。
ふと何かが手を握った。それが佐山の手だとわかるまで数秒。
「なにしてんの?」
「い、嫌じゃない?」
質問に質問で返すなと思いながらも、彼女の汗ばんだ手を軽く握り返す。
「別にどっちでも。」
佐山はすっかり顔を伏せてしまって、どんな顔をしているのかわからない。
「今日、誕生日だろ?だからさ、丁度いいと思って。」
そういえば、親が冷蔵庫にケーキがあるって言ってたっけ。と俺はその時自分の誕生日を思い出す。まさか佐山が覚えているとは。
「ありがとう、いままでないくらいのプレゼントだ。」
握る手が強くなる。嬉しいんだろうか、顔はやはり伏せっていて、わからない。
「顔上げろよ。せっかくの星空なのに。」
やっと上げた彼女の顔は泣いてるような笑ってるような、変な顔だった。なんだか見てられなくて、俺も星空見上げる。
別に、触らないでほしいとか思ってねえよ。いつだったかに佐山に聞いた、自分の誕生花の花言葉を思い出しながら。
八月二十七日の空
朝に即興小説って、やるものじゃないね。
いろいろどうしようもない感。
ともかく、友人お誕生日おめでとう。