平凡でギリギリな記憶

誰しもこの世に生を受けるのは自分の意思でないから、生まれる境遇は選べない。
おそらく庶民に生まれた人は、どこかの甘やかしてくれる金持ちの家に生まれたかったと一度くらいは思った事があるに違いない。
そこそこ恵まれた家に生まれた人でも、他人の事は幸せに感じるもので、より良いと思っている家に憧れるかもしれない。
何にしても、特に子供の欲というものは際限が無く、しかしながら欲望を叶える方法は限られているものだから、結局のところ現実を知ることとなり、それが大人になると言う事なのだろうか。
大人になりすぎると、子供の頃の反動か欲しいモノを手に入れることに躊躇が無くなるが。
ただ、お金を出しても手に入れることができないモノ、時間とか命とか風景とか…そういうモノは永遠と憧れ続け、しかし手に入らないジレンマに悩まされつつ、死ぬまで格闘は続くのだろう。

記憶

僕が生まれたのは京都のどこかのようだ。
多分どこかの病院だろうけど記録も記憶も無いものだから正確な事は謎。
そんな状況だから何時に生まれたとか出産時何gだったとかも全く判らない。
0才の自分に記憶というものがあればよいのだけれど、思い出せる一番古い記憶は4才の時窓の外に向かって泣いているというこれまた謎の風景である。
誰かの結婚式に出席すると生まれた時の話やら小さい時のエピソードなんてのがいろいろ披露されるものですが、いやみなさんよく覚えてるなといつも関心するものです。
そう、昔の事って全然覚えてないのです。
ひどいくらい記憶が無い。
だからギリギリ覚えている事を書き残そう。

平凡でギリギリな記憶

平凡でギリギリな記憶

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-26

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