御館に産声上げた嬰児を

 最初にその子を見たのは、春の夕暮れだったと思う。長引いた彼との「打ち合わせ」から退出する途中だった。廊下の窓から空を見つめる、十歳ほどの少女を見たのだ。

 最初は見間違えだと思った。金色の髪と白いワンピースの影は淡く、赤々と燃え立つ夕日の光に今にも溶けそうだった。どうしてこんなところに、という疑問が確かにあった。ここは総統官邸――第三帝国で一番厳しく警護される場所で、子どもなどいるはずもない。すぐに衛兵を呼ばねば、とも思った。だが、それよりも奇妙な慈しみが私を捉えていた。自分の子どもに対するような慈しみと、父性ともいえる親愛の情――それが、既に私の中に生まれてしまっていた。事を荒立てたくない、そんなことになったらこの子が可哀想だ。どうしたものか――そんなことを逡巡し、僅かに目を逸らした間にその子は消えてしまったのだ。夕日の赤に溶け入るように……

 そう、あの日の夕焼けはいつもよりずっと赤かった。溶鉱炉のように輝き、血のように赤く――気味が悪いほどに、燃え上がる夕日をその蒼い瞳の子は見ていたのだ。

その子の名は、《ゲルマニア》――存在しない【都市】だった。

 子どもらしい、甲高い声が弾ける。中庭ではちょうどブロンディ――雌のジャーマンシェパードだ――が、ボールを咥えて声の主に駆け寄るところだ。大型犬が軽やかに跳ねる度、少女は感嘆と驚嘆の声を上げた。その様子に見守る私も顔が緩む。屋外でコーヒーを楽しめるような気候が一層そういう気持ちを誘っている。

「どう思うかね?」

「どう、とは?」

 テーブルの向い側から不意に問いかけられ、私は質問を返した。その間にも少女――《ゲルマニア》とシェパードの戯れは続いていた。ブロンディは賢い犬だ。少女に飛び掛かることはあっても、決して怪我をさせるようなことはしない。《ゲルマニア》もそのことをよく知っている。歓声をあげて笑い転げることはあっても、悲鳴を上げて怖がることはない。現に今もブロンディに抱きついて、笑いながらじゃれあっている。微笑ましさ、の見本のような光景だ。

「あの子の正体について、だ」

 アドルフ・ヒトラー総統はそう言うとコーヒーカップを置き、犬と戯れる《ゲルマニア》を見つめた。私は何も答えなかった。どう答えたものか、迷っていた。見かけはごく普通の少女――いや、平均値よりは可愛らしい容姿くらいが他の少女と違うことに思える《ゲルマニア》は……

「本当に【国】いや……【都市】だと思うかね?」

 質問を重ねられても私には答えようが無い。確かめようも無いが、疑いが無いわけではない。「総統官邸に金髪の少女の幽霊が出る」と噂されるようになったのが半年前だ。そして、三ヶ月前に総統執務室に突然現れた身元不明の金髪の少女は総統に「ゲルマニア」と名乗った。その後、僅かな間に少女は総統の心を蕩かし、総統官邸に一室を与えられ何一つ不自由の無い生活を保障されている。その経緯を聞き知っているからこそ、何と答えたものか迷ってしまう。コーヒーを含んだ口内で舌先は言葉を探っている。

「さぁ……私のような只人には判断はつきません」

 ゆっくりコーヒーを飲み下しながら考えても、結局出たのは通り一遍の言葉だ。そんな言葉は望まれていなかったのだろう。アドルフは僅かに眉を寄せた。視線は《ゲルマニア》に向けられたままだった。

「ルートヴィヒやギルベルトは……《ドイツ》や《プロイセン》は何と?」

 会話が途切れないように矛先を変える。最初(ゲルマニア)は、自分は【都市】だと総統に言ったらしい。【国】と同じように特定の場所を具象化する存在だ、と――もちろん、総統も人の子だ。突然現れ、奇異なことを語る少女に困惑し扱いあぐねた。そこには多少の恐怖もあっただろう。詳しくは分からないが――その最初の混乱をどうにか静めた彼は、少女が同類だと言った【国】に審判を委ねた。その結果は……

「彼らは自分たち【国】と同類だと」

 低く、総統の――アドルフの声が答える。蒼海の瞳は《ゲルマニア》を追い続けているようだ。《ゲルマニア》は相変わらずブロンディと無邪気に戯れているが、心なしかその声が遠くに聞こえた。

 【国】――この世に稀なる存在が「同類」と証明した。ならば、そういうことではないのか。外見も振る舞いも、思考も喜怒哀楽さえも生身の人間と変わらぬ【国】を、それと証明できるのは、同じ【国】と君主だけだと聞く。分かる者には、対面した瞬間に「彼らは【国】だ」という確信が宿るという。只人にはそれが無い。ドイツやプロイセンのように歴史を経て多くの国民を抱える【国】ですら、君主や重臣等でなければ確信を持てないという――私は幸運にもその確信を《ドイツ》と《プロイセン》に得たが。生まれたばかりの【国】では確信を持てる人間はいないのが自然だと、【国】である二人は語っていた。

「だが疑問もあると言う」

 ごとり、とテーブルに置けるような硬質で冷たい声が言った。【国】の証言だけでは確証にならなかった、ということか。一体何が……謎の少女ゲルマニアは《ドイツ》と《プロイセン》、二人の【国】からめでたくその身元を保障された、ということではなかったのか。

「それは……」

 先を促す言葉に、アドルフは瞳を伏せた。暫しの沈黙。犬の吠え声と少女の笑い声だけが中庭に満ちる。ああ、本当に「微笑ましさの見本」のような光景――と、似つかわしくない我々と。

「【都市】という存在がそもそも少ない、と」

「分かり切ったことでしょう。でも、そんなことを言えばあのイタリアだって」

もとは都市でしょう、という指摘は止めた。蒼の視線は《ゲルマニア》を見つめながら、不安定に中庭を泳いでいる。『そもそも』は、別の次元からさらに進める言葉だ。何に対しての『そもそも』なのか……彼の横顔は「分かり切ったこと」など改めて言われたくないと、伝えていた。

「まだ存在しない都市が【都市】を持つことは、彼らも聞いたことが無いそうだ」

「あ……」

 石のような横顔から漏れる言葉にちくり、と胸が痛む。私がずっと眼を逸らしてきたことを《ドイツ》と《プロイセン》は指摘したのか……いや、彼が言ってくれていたことを期待していたのだ。『まだ存在しない都市が【都市】を持った例がある』と、悠久の時を生きた【国】ならば知っているのではないかと、期待していた……
それはとっくに否定されていたのか。

「ゲルマニアはまだ……模型で、計画しかなくて……私と君くらいしか触れたことの無い都市だ……」

「それは、そうですが……」

 伏せたアドルフの視線と、私の視線は交差しなかった。どうにかして反論したい。それでも、彼の言葉は全て事実だ。まだ存在しない都市・ゲルマニア――私とアドルフが必ず造ろうと、図面を引き、模型を作らせた、石膏模型の都市――それが、あの少女なら……

「必ず、あの街が実現する、という神の啓示では?」

 何故か、声が上ずった。視線は知らず《ゲルマニア》と総統の間を行き来する。そうだ、少し生まれるのが早かっただけで、彼女はつまり。

「さあな」

 言って、アドルフはコーヒーを飲み干した。気の無い返事に、私は額を弾かれたような顔をした。溶け残っていた砂糖の粒が、白い陶器の内側で雲母のように光っているのが見えた。

「そう怒るな。私は……別に《ゲルマニア》を疑っているわけではないよ」

 私の言わんとしたことを察したのか、彼はこちらに向き直るとふっと唇を緩めた。

「《ゲルマニア》は確かに【都市】だ。二人の【国】が言うのだから間違いなかろう」

 それに、と彼は今日の陽光のように穏やかな笑みを浮かべ、口髭を震わせて言った。

「あの子は……我々に与えられた嬰児だろう……だって」

「お父様!!」

 総統の言葉は、少女の声に止められた。ボールを咥えたブロンディに続いて、《ゲルマニア》も総統に駆け寄った。「お父様」――第三帝国の総統に、《ゲルマニア》はこう呼び掛ける。そして、私は……

「ねぇ、お母様、ブロンディ、はね」

 三つ編みにされた金髪と青い瞳を揺らしながら、《ゲルマニア》は息を切らせて語る。そう、私――「お母様」に。ああ、そうか……そういうことか。

テーブルの下の右手が固い掌に包まれる。《ゲルマニア》の柔らかい両手は総統から差し出されたジュースのグラスを包んでいる。つまり。

「なぁ……アルベルト……我々は……都市を産もうとしている我々は……【都市】を授かったのだよ」

 それがどういう意味であれ、と力を込める熱っぽい掌を私は静かに握り返した。言われなくても、分かっていることだ。

「彼女を、【都市】《ゲルマニア》を……必ず世界一の都市に……娘にしようではないか」

『親として』

御館に産声上げた嬰児を

御館に産声上げた嬰児を

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-22

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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