我思うのは

 何か、に添い寝する夢を見た……陽光に包まれたベッドの上で。正確には、その「何か」は分かっている。果汁の豊かな果物のような、潤いのある柔らかな「何か」。それは――

 浅い眠りから目覚めると、外は曇っていた。窓から見える空に広がるのは、湿気を含んだ灰色の雲。雨になるのだろう。深夜に自室で逢引し、彼と抱き合った。ベッドに行かずその場で求め合い、ソファの上で性を交わした後にそのまま眠り込んだのだろう。

(夢の中は、晴れていたな)

 ぼんやりと空を見上げていると、妙な寂しさがじわりと身体の内側に広がった。軽く痛む頭を動かし、抱いていたはずの男を探す。彼はもう起き上がり、昨夜に脱ぎ捨てたワイシャツに着替えていた。いつものことながら、先に起きたのは彼だったようだ。媚薬でも盛らない限り、彼はいつも先に目覚め、身繕いを済ませて姿を消す。後から起きた私が部屋を片付け、痕跡を消す。それで我々の情事は終わりだ。今回もそのつもりだった。目が覚めたのはただの偶然だ。
 
 つと、彼がソファに近寄った。脇の小机に並べられているのは昨夜の夜食だ。焼き菓子やジャムには興味が無いのか、すっかり冷えたコーヒーだけを啜った。私が起きているのに、気付かないのか――特に考えることも無く、反射的に彼の右手首を掴んでいた。

「なっ……総統」

 困惑の声を上げるヨーゼフをそのままソファに引き倒す。何か言おうとする彼の唇に自分の唇を重ね、声を奪い抑え込むように身体を重ねる。痩せた固い男の身体が押し退けようと暴れるのを、構わず抱き締める。舌を絡め、歯列を舐める。起きて間もない乾いた口内に彼の唾液が満ちてくる。欲情の残滓が刺激され、腕に力が籠り細い身体を締め上げるのが分かった。水気の無い枯れ木のような、痛々しい身体を……

(夢の中にいたのは)

 一瞬だけ脳裏を掠める考えを強いて打ち消す。それを考えるのは、今の自分には禁忌に等しい。考えたくない。思い出したくない。少しの間でいい、忘れていたい。だから。

「ヨーゼフ、欲しい」

「嫌だ」

 何を今さら、と股間に伸ばした手は彼に捩じられた。振り解こうとすると、彼は一層力を加え、不自然な方向に手首を曲げた。ぎり、と手首が締まり、血流が止まる。

「ヨーゼフ」

 痛い、と呻けば彼の眼は赤く燃える。彼は何も答えない。戒めは緩むどころかますます強く手首を締め上げる。彼の様子がおかしい、とその時ようやく気付くことになった。瞳の奥に、炎が揺れるのが見える。

「ヨーゼフ……?」

 苛立っている。それ以上のものが、彼の中に淀んでいる。急速に欲望が冷えてゆく。同時に夢の中で見た「何か」が水の中で揺らめく像のように、不安定に歪みながら浮かんでくる。それを振り払おうと瞼を閉じた刹那、低い声が言った。

「エルナ」

 短刀で背中を刺されたような衝撃に目を見開けば、身体の下に組み敷く男の表情の無い顔がこちらを見つめ返していた。

「何を……」

「考えていただろ?」

 今、目を閉じた時に彼女のことを、と男は言った。違う、とも、そうだ、とも言いようがなかった。考えていたのは夢で見た「何か」で、エルナでは――若い頃に死んだ恋人ではない。そう言うこともできた。しかし、その一方でそれを否定する声も小さいものではなかった。その「何か」がまさにエルナだからこそ、お前はそんなにも否定せずにはいられないのだろう、と。どう答えたものか、逡巡していると低い声は言った。

「夢を見ただろ? 彼女の」

「何を……」

 お前に分かるはずがない、と言うより先に声は続けた。小さいが、刻み込むような声だった。

「寝言で呼んでたよ、彼女の名前」

 ぷつり、と見えない糸が切れたような気がした。そんなはずが、とは思わなかった。むしろ、やはり、という思いのほうが強かった。夢の中で添い寝をしていた「何か」――果汁の豊かな果物のような、潤いのある柔らかな「何か」は、エルナだったのだ。本当は目覚めた時に分かっていた。認めたくなかっただけだ。彼女の夢を見るのは幸福なことだが、目覚めれば虚しさしか残らない。そう、今までの人生で学んでいる。だから、一時で構わないから忘れていたかった。

「身代わりにする気だろ」

 黙り込んでいると、彼は軽く手を引き言った。戒める鎖のような冷たい声と、力強さ。彼を捕まえたつもりが彼に囚われていた、というわけか。

「忘れていたかっただけ、と言ったら?」

 許さないだろうな、と思いつつ言ってみる。彼は小さく溜め息を吐いた。

「認めるんだな。彼女の夢を見たことも、身代わりにしようとしたことも」

「……夢を見たことは認めるが、身代わりにしようとしたことは否定する」

 忘れたかっただけだ、と繰り返したが、彼は納得しないのだろう。苛立った動作で掴んでいた手を放した。放り出した、というほうが正しいか。消えたほうがいいか、と体を起こそうとした。

「……け」

 最初は聞き取れなかった。何かを、呟いたのは彼だ。まだ言いたいことがあるのか、と思った瞬間、彼に襟首を掴まれ引き寄せられた。赤みを含んだ彼の瞳がすぐ近くにある。薄い唇が歪む。

「抱け」

「ヨーゼフ……」

 その女と俺は違う、と鋭い声で彼は言う。

「彼女と俺は違うって分からせろ。俺にも分かるように抱いてみろ、変態」

「そんなこと……」

 してどうなる、と言う前に彼は遮った。

「分からなくなるんだ……あんたが抱いているのが俺なのか、それともその女なのか……女の服を着ているとかそんなこと関係無く、あんたはその女のことを考えている。……あんたはどっちを抱いて、どっちを思っているんだ」

 追い詰められた声が言う。多分、彼は私を見ていない。どうしてそんなことを、と問うのは不敬なことだ。そうさせた原因が、そうなった理由を聞けば彼は荒れずにいられないだろう。

「分からせてくれよ……俺を抱いているって……少なくとも男の格好をしている時は、俺を抱いているって」

 声が繰り返す。もう、だめだ。言葉で納得させる自信が無いなら、行動で示すよりほかに無い。行動でもおそらくは足りないのだ。より重苦しく、より痛ましく――彼に思わせてやらなければ。心を追い詰めてしまったなら、体を痛めつけるのも同じことだ。反射的に、小机に置かれた小皿からジャムを掬い上げ彼の口に突き入れた。

「ん、ぐぅ」

 くぐもった呻き声が上がる。それは無視して二本の指先に力を込める。といっても、狭い空間では僅かに指先をくねらせるのが関の山だ。軟らかく生温かい、厚い肉が苦しげに捻じれる感触がある。彼の舌が、私の指に絡みついてくる。

「苦しいか、ヨーゼフ」

 返事があるはずもない問いを投げかける。口に指を入れられた状態では返事なぞできまい。指の入れ具合は加減する。あまり奥へ入れると吐き気がするだろう。ここで嘔吐されるのは御免だ。

「ちゃんと、きれいにしてもらわないとなぁ」

 意識して唇の端を釣り上げ、皮肉気な表情を作る。苛立ちと困惑が、ヨーゼフの顔に浮かぶ。目が不自然に潤んでいるのは感情の昂ぶりのためだけではないだろう。息継ぎの暇もなく、口の中をかき回される戸惑いはと苦痛は舌の動きからでも十分伝わる。息苦しいのだろう、目に涙が浮かんでいる。

「どうした? ヨーゼフ。お前ならできるだろ?」

苦しげに身を逸らせ、ズボンを握って耐えるその姿は、まるで指先だけで彼を犯しているような錯覚を抱かせる。左手をそっと股間に添え刺激を加える。布越しでも彼が熱を帯びるのが分かった。同時に塞がれている口から小さく不明瞭な呻き声が上がる。それを無視してズボンのベルトに手を掛ける。拒むようにベルトを掴む彼の手を払いのけた。

「抱け、と言ったのはお前だったな」

 男を抱いた翌朝に、死んだ女の夢を見た――そして、今また彼を抱こうとしている――不意に込み上げる自己嫌悪を隠すため、より一層に皮肉な微笑を浮かべて見せる。実に醜い笑顔だろう。

「んん……は……何をする……」

「抱いてほしいんだろう? ヨーゼフ」

 彼の口から引き抜いた指を後口に宛がう。ジャムはすっかり舐めとられ、代わりに唾液が銀色の糸を引いている。これなら十分か、と指先を体の中へ埋める。

「あ……や、やめ……痛い、ちが、いた……」

 昨夜も抱いたばかりだから、と高を括っていたのは間違いだったようだ。人差し指と中指を第一関節まで入れたところでヨーゼフは悲鳴を上げた。強張る身体は余計に指先を締め付ける。少し堪えろ、と指を進めるが締め付けはきつくなるばかりで、事態は改善したとは言い難い。だが、痛めつけることは本意ではない。

「仕方ないな」

「な、何……? え、あ……」

 一旦は指を引き抜き、戸惑うヨーゼフの左足首を掴み上げる。腰の下に手を添え、仰向けからうつ伏せにヨーゼフの向きを変える。無理に体勢を変えたためか、彼は短く呻いた。

「痛い、と言うなら仕方ないな……」

 小皿に残っていたジャムを掬い再び後口に宛がう。但し、手加減はしない。ジャムを潤滑剤代わりに二本の指を一度に突き入れる。

「や!! あ、いた……何……これ……!? 冷た……嫌ぁあ!!」

 僅かな滑り――ヨーゼフはジャムだと気付かないようだが――を頼りに強引に指を進める。口とは違い、こちらは僅かに指を動かすのも一苦労だ。締め付けてくる括約筋を解しながら、弱い部分には触れないようにする。固く目を閉じ、刺激に耐えようとする彼の理性を体は簡単に裏切っている。ヨーゼフの自覚するところではないだろうが、指の動きに合わせるように腰が跳ね、陰茎をソファに擦り付けている。

「何、するんだ……やめ、っあ、う……ひ、や、嫌だ!! こんな、の……うあ!!」

「先に求めたのはお前だ」

前立腺を裏側から押す。全ての男の性感帯だ。堪えきれるとは思えない。そのまま重点的に刺激を加えていく。

「あ、ん!! や、やめ……動、かないで!! ……う、動かないで……あぁあ!!」

悲鳴と共にヨーゼフの体が突っ張り青臭い匂いが立つ。どうやら射精したらしい。うつ伏せのまま、射精後にありがちな細い息遣いで呻いている。いや、泣いているようだ。

「何で……?」

「何で、とはどういうことだ? ヨーゼフ」

 自分のベルトを外し、性器を露出させる。ヨーゼフを追い詰めてもそんな自分に自己嫌悪を抱えても、私はヨーゼフに欲情するらしい。体はそれを雄弁に語っている。

「何で、こんなことを……あぅ」

 腰を進め静かに揺さぶる。低い呻き声を繰り返すだけのヨーゼフの背中に覆いかぶさりそっと耳元に囁いた。ヨーゼフ、分からないか……どうして、私はこういうことをするのか……こういうことしかできないのか……それは……

「お前が言ったじゃないか。エルナとは違うと分からせろ、と……」

 お前にしたことは全部エルナにはしていない、できないことだぞ。だから……

 ヨーゼフの一番奥深いところへ、体を進める。そのまま力を込めて抱き締め、首筋にそっとキスを落とす。

「今、私が思っているのは間違い無くお前だよ、ヨーゼフ」

我思うのは

我思うのは

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2014-08-22

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