なんとなくダイエットコラム 〜イントロダクション〜
元気でいたいという願望のために
ボクがまだ母のお腹にいた頃。
母は「ショートケーキ」が食べたくなったそうです。
父は毎日ショートケーキを買って帰る。でも横を向いた隙に、母はケーキの上に乗っているフルーツを全部食べていたそうな。
母の身長は145cm。今では縮んで143cmになりました。
妊娠9ヶ月にして、胎児=ボクは立派な体格になっているため母体の負担が大きく、帝王切開により取り上げることとなりました。
医師は「母を取るか、子を取るか」と誓約書を差し出し、祖母は「次のチャンス」を願って母に丸をしたそうです。
が、ボクは産まれてきました。
約3700g、身長49cm。
予定日よりも1月早い誕生。
もし、十月十日入っていたら、5000g超えは必至だったでしょうね。
その後父の実家へ返った折りに、近所の神社の神主さんがボクをみて「こりゃ、鳴滝さんじゃ」と言ったそうな。
江戸時代、島根県には「鳴滝」を名乗る力士が何人もいたそうで、赤ちゃんのボクを見て、そう感嘆したようなのです。
とまぁ、つまりは巨大なベイビーだった訳です。
生まれついて、ボクの体には脂肪細胞がしっかりと用意されていた。
つまり、デブの要素満点のエリートおデブちゃんだったわけです。
出の悪い母の母乳を嫌い、哺乳瓶のミルクを一気飲みし、初めて離乳食で鍋一杯のパン粥を完食し、親を驚かせる。
大きく産まれた子は、当然のように大きく育ったのでした。
でもその後は、クラスの一・二の大きい子というくらいで、身長も体重も飛び抜けている訳でもなく、夏休みに招集されると噂のダイエットコースに送り込まれることもない程度のデブとして成長して10代を過ごしました。
転機が訪れたのは18歳。
受験ストレスにより、毎月1キロずつ体重が増え、学生服のボタンが留まらなくなり、ついに人生最初の100キロ危機を迎えたのです。
体重計の針が1周するというのは、自分でも目を疑うもので、3回ほど計り直して、やっと納得ができる。
おまけに異常に体が怠く、病院に行くと脂肪肝との診断であった…。
その後ですが、一番体重が少なかった時期は大学時代の62キロくらい(減り過ぎて怖かったので正確には計っていない。すぐ風邪をひくし、検診を受ければ栄養失調だと言われるし)。
逆に一番体重が多かった時期は、ここ10年の間に2度訪れた110キロ超(こちらはもう「どうにでもなれ」と諦めていたので計っていない。おそらく115キロまでは行ったと思う。当然クローゼットの洋服は全滅。)
しかし、40歳に手が届くようになってから「体脂肪率が50%です」と宣告されると恐怖すら感じました。
医者も「今はまだいいけど、将来確実に大病するよ」と太鼓判を押してくれたのです。
うん、そう思う(苦
ということで、一念発起してダイエットに取組んでいます。
現在ただいまの体重は92キロ±1キロというところ。
今後書き進めていくダイエットコラムですが、これはあくまでボク自身の経験と感想に基づいたものでしかありません。
時々関連する図書や理論も紹介するでしょうが、医学的に太鼓判を押されたものということでもありません。場合によっては危険だと警鐘をならされているものでもあったりもします。
また身体的なコンディションについても個人差があります。
ボクは内臓疾患という観点からすれば、かなり健康であります(デブではありますが)
健康診断などでは規定の数値をオーバーすることもありますし、それに伴う服薬をすることもありますが、しばらくすれば規定値を維持することができます。
食べ物についても、糖尿病の人、痛風の人、高血圧の人、腎機能障害の人等、それぞれの病状にあった制限がありますが、このコラムで書くのはあくまで「ボクの場合」という限定事項です。
とはいえ、食べるの大好き、作るのも大好きなので、読まれた方に楽しんで頂きたいし、多小なりとも参考としていただけるようなものを書いていきたいと思います。
時々はフィットネス(運動)に関することも書きますが、基本的にはダイエット(食事制限)を主軸とします。
痩せているのが美しいのではない! 健康なのが美しいのだ!!
そして、持病持ちでも元気に毎日を過ごすのだ!!!!
ちなみに、ボクの持病は、尋常性乾癬、自律神経失調症、腎盂腫瘤、扁桃腺肥大、腰椎分離症、頸椎すべり症、顎関節症、四十肩くらいでしょうか(笑
元気で楽しく、美味しい食事をしましょう!
なんとなくダイエットコラム 〜イントロダクション〜