料理の鉄人・ Tー28
作者渾身の5907文字!
午後十時、レストラン「N」が閉店時間になり、ウェイトレスロボットが看板のネオンサインを消して従業員達による店内の掃除や明日の仕込みなどが終わると一人の男が外に飛び出してきた。男は小型自動車に乗り込み慌ててスタートし自宅マンションに向かって走り始めた。
男は「N」で働く調理師だった。工業高校を卒業後なんとなく皿洗いのアルバイトを「N」で始めたら勤務態度が真面目だと店主に気に入られ正社員として働く事になり、今年で十四年目になっていた。その間、調理師免許を取得し結婚もしたのだが、この結婚が間違いだった。妻は結婚前は可愛らしく大人しい性格だったが結婚後ガラリと人が変わり、専業主婦でありながら一切家事をしなくなり、おまけに男に暴力を振るう様になった。急いで家に帰らなければ。午後十一時を過ぎるとまた殴られたり蹴られたりするのだ。
今日はなんとか十一時に間に合った。ひょっとして、寝ててくれればラッキーなのだが…、そう思いながら自宅マンションのドアをそっと開けると妻はテレビゲームをしながら起きていた。
「…遅かったじゃん?お腹空いたからなんか作ってよ」
「…うん、分かった。ヤキソバでも…」
「アンタ馬鹿じゃないの!? 昨日もヤキソバだったじゃん!他の料理作れないの?」
「…ゴメン、じゃあ何か別の物を…」
結局、男は真夜中に挽き肉からハンバーグを作らされ後片付けののち寝る事を許されたのは午前一時近くだった。
次の日、男は仕事が休みだったので、朝食を作りながら洗濯、風呂掃除などをこなし趣味の釣りにでも…と思っていたところ、妻が「ボルシチが食べたい」と言い出したので材料を探しにスーパーをいくつもまわる事になった。妻は男が休みになると必ず時間のかかる料理が食べたくなるのだ。
四軒目のスーパーでやっとビートという赤カブみたいな野菜を見つけて、家に帰ろうと車を停めてある駐車場に向かって歩いているとスーパーの裏のゴミ置き場に一体の人型ロボットが捨ててあるのが目に入った。
「このロボットは…、確か故障が多くて回収騒ぎになった…」
それは「料理の鉄人・T-28」という商品名で数年前まで売られていた調理作業用ロボットだった。
機械いじりが元々好きだった男は、自分なら直せるかもしれない、と思った。そして、このロボットを車の助手席に乗せて、自宅マンションまで帰ってきたのである。
「アンタ馬鹿じゃないの?こんなモノ拾ってくるなんて!」
当然、妻には怒鳴られ殴られたが美味しいボルシチを作るからと土下座してロボットを自分の部屋に持ち込むことを許してもらった。
次の日、ドライバーでロボットの後頭部のカバーを外すと死んだゴキブリが沢山出てきた。これを掃除して、故障しているCPUを新しい物に取り替えた。人間ならこんなに簡単に脳ミソを取り替える事は出来ない。カバーを取り付けて数時間充電をしたのち電源ボタンを押してみた。
「やった!電源が入った!」
ぶうん、と低い音がして電源ボタンが赤く光り、背中の雑誌ほどの大きさの液晶パネルに持ち主の指紋とパスワードを登録しろという文字が表示された。オデコにも名刺サイズの液晶パネルがあり、背中のと同じ画面が表示されていた。指示どおりに指紋とパスワードを登録すると、うつ伏せになっていた鉄人は上半身を起こし正座した。そして、男に向かって
「…ヨ、ヨロシクオネガイシマス…」
と頭を下げた。男は工業高校を卒業していて良かった、と心から思った。
液晶パネルに表示された使い方ガイドによると、この「料理の鉄人・T-28」はインターネットから情報を入手して料理を作ってくれるロボットだった。インターネットの情報が気に入らなければ、主人が手本を見せる事によってその作り方を記録し、指定されたテーブルの上の食材を使って主人の好みの料理を作ってくれるという機能も付いていた。何となくボクに似ているな、と男は思った。ボクもあの女の料理ロボットみたいな物じゃないか、そう思うと鉄人に対してとてつもなく親近感が湧いてきた。
さっそく鉄人をキッチンに連れて行き、キッチンのテーブルを登録し、大根をその上に乗せ、背中の液晶パネルに「大根」、「皮をむく」と声で入力すると、「O.K.」の文字が表示され、鉄人は
「…カ、カシコマリマシタ…」
と言い大根を手に持ち指先に仕込まれたレーザーカッターで鮮やかに皮をむいてみせた。
「こりゃすごい!もうちょっと複雑な事もやらせてみよう!」
男は冷蔵庫から丸ごと一匹のサバを取り出し、キッチンテーブルより血を流すのに便利だろうと流し台のまな板の上にサバを乗せ「サバ」、「三枚おろし」と声で入力した。すると鉄人は、
「デ、デキマセン…」
と言い背中の液晶パネルに「拒否」の文字が表示された。
「ん?ああ、ここじゃダメなんだ」
男はサバをキッチンテーブルの上に移しボウルに水を入れサバのとなりに置き、もう一度声で「サバ」、「三枚おろし」と入力すると鉄人は「カシコマリマシタ…」
と言いサバの腹を開き内臓を取り出し水洗い、そして頭を落とし、きれいに身と骨をバラバラにした。
その時、男にあるアイデアが浮かんだ。このロボットを使って、妻を事故に見せかけて殺す事は出来ないだろうか?タイマー機能も付いているし、「食材」として妻を認識させれば、自分が家にいない間にバラバラにしてくれるんじゃないだろうか?
「でも、ひょっとしてアレが邪魔になるかも知れないな…」
男は背中の液晶パネルに声で「記録」と入力し、果物ナイフを握るとキッチンテーブルの上に自分の左手を乗せ、親指の爪をナイフで削って見せた。鉄人は頭を180度回転させて目に組み込まれたカメラで撮影していた。次に「再現」と入力すると鉄人はボクの左手を握り、持ち上げるとレーザーカッターで親指の爪を同じようにカットした。バチッ、と音がして熱さと痛みを同時に感じ、指先から血が一筋こぼれ落ちた。男はニヤッ、と笑った。
男は工業高校で習った「ロボット工学三原則」を思い出していた。
人間を傷つけてはならない
人間の命令に背いてはならない
自己を守らねばならない
たしかそんな内容だった筈だ。しかし、鉄人はボクを傷つけた。鉄人には三原則は組み込まれていない。登録されたテーブルの上の物だけを切ったり加熱したりして、テーブルの外の物には手を出さない、それが鉄人の唯一の安全装置なのだ。
「よし、後はあの女をキッチンテーブルの上に寝かせておけば…」
完全犯罪は成立する。問題は、妻をどうやってキッチンのテーブルの上に寝かせるか…。
男は以前から通っていた精神科の医者に不眠症である事をアピールして睡眠薬を手に入れた。そして、日曜大工の大型店でフローリングの床に敷く厚さ二センチ、一辺五十センチ程のウレタンマットを十六枚も買ってきた。このマットを組み合わせて二メートル四方のウレタンマットを作り、これをキッチンテーブルとして鉄人に登録させたのである。このわずか二センチの高さのウレタンマットを鉄人はきちんとテーブルとして認識してくれた。男はこの世界一背の低いテーブルの上に本物のキッチンテーブルとイスをセットした。これで妻は勝手にテーブルの上に乗ってくれる。あとは事故に見せかける為に「マグロ」、「解体」という言葉で妻を解体させねばならない。「妻」という言葉を使えば後で警察に調べられた時ボクが指示した事がバレてしまう。試しに「マグロ」と声で入力し、ベッドで寝ている妻の写真をスマートフォンから送信してみた。送信してから
「しまった!」
と男は思った。もし鉄人が妻の写真を「マグロ」と認識せず故障でもしたら…と思ったら意外にすんなり妻を「マグロ」と認識し、本物のマグロの写真の次に妻の写真を表示してくれた。それはそれで良かったのだが、男は少し考えた。人間とマグロの違いとは一体何なのだろう?人間とマグロは何が違うんだ?鉄人にインストールされている辞書「広辞苑・第八版」で「マグロ」という言葉を調べてみると、意味として「サバ科マグロ属の硬骨魚」と「船酔いして横になっている人」という二つの意味が書いてあった。だから鉄人はすんなり認識してくれたのだ。人間とマグロには大した違いはなかったのだ。男は納得した。
準備は整った。いよいよ今日は決行の日である。睡眠薬もある。鉄人も前の晩にフル充電した。男はテーブルの上に腕によりをかけてスペシャルなオムレツにパンケーキ、そしてソーセージにサラダ、果物とポットに熱々のコーヒーを並べた。自由を手に入れる為には、これぐらいエサをまかなければならない。ポットのコーヒーに睡眠薬を混ぜて、妻が起きてくるのを待った。鉄人も、男の部屋で出番を待っていた。
「あーあ、夕べもゲームやり過ぎちゃった」
どうでもいい報告を聞かされても、男は笑顔で
「オハヨウ、朝ご飯出来てるよ」
とポットのコーヒーをカップに注いだ。
「…ふうん、なんか、今朝は豪華じゃん?」
「そ、そんな事ないよ」
「…浮気でもしてんの?」
「ま、まさか!」
「…別にいいけど」
妻がコーヒーを一口飲むのをしっかり確認してから、男は
「…そろそろ行かなくちゃ、実はウチの店、トップの調理師が休みを取ってて、セカンドのボクが頑張らないと…」
と言うと、
「…そうなんだ、で?」
と素っ気ない返事が返ってきた。
「じゃ、行ってきます…」
男はキッチンを出て自分の部屋に入り一つ深呼吸をして鉄人を見た。そして、
「頼んだぞ、鉄人」
と、まるで地球の危機に立ち向かう科学者のような顔で鉄人の電源ボタンを押して「マグロ」、「解体」と妻に聞こえないように小さな声で入力し、以前記憶させておいた妻の写真を液晶パネルに表示させて家を出た。車に乗り込むと、駐車場に止まっている宅配業者のトラックをよけながらレストラン「N」へ向かった。
その日は昼の部が忙しかった。忙しさのおかげで不安感を一時的に忘れられた。が、夜はあまり客が来ず、そうするとまた「あの事」が頭に浮かんできて、うっかり皿を落としたりした。すると、「N」の店長が男のところへやってきて、
「どうした?疲れてんのか」
と心配してくれた。
「…いえ、大丈夫です」
「無理もない、この一週間トップが休みだったからお前さんの負担も大きかったろう」
「ホント、大丈夫です…」
「今日は客も少ないし、早く帰ったらどうだ」
「…いえ、そんな」
「後は他の人間がやっとくから心配するな。たまには早く帰って、カミさんをビックリさせてやれ」
いたずらっ子のような笑顔で店長はボクの背中を押してくれた。大丈夫です、妻はもうこの世にいないんで…とは口が裂けても言えない。
「それに、家に帰ったらお前さんもきっとビックリするぞ」
…ハッ?店長、何を知ってるんですか…?
「わかりました、失礼します!」
本当は仕事どころではなかった男は車を飛ばして自宅マンションまであっ、という間に帰ってきた。駐車場に車をとめて自分の部屋を見上げると、灯かりが点いていた。一瞬ハッ、と思ったが、ああ朝から点けっぱなしになっていたのだと自分に言い聞かせてエレベーターで部屋に向かった。
鍵を開けて中に入るとテレビの音が聞こえてきた。テレビも朝から点けっぱなしになっていたようだ。そんな事より、キッチンはどのような酷たらしい状態になっているのか…。
男が暗いキッチンに明かりを点けると人間の死体のような物は全く見当たらず、ウレタンマットの上にはバラバラになったキッチンテーブルとイスが散らばっていた。
「何だこれは…?」
思わず男がつぶやくと、
「あれ?今日は早かったじゃん」
という妻の声がリビングから聞こえた。リビングをのぞくと、テーブルの上にたくさんの料理を並べて妻がワインを飲んでいた。
「な、何この料理…?」
男が尋ねると、
「このロボットが作ってくれたんだよ」
と、妻が機嫌良く答えた。鉄人は、充電が切れていたようで、リビングの絨毯の上に正座していた。
「今朝、アンタが出て行ったすぐ後に、宅配業者がマグロを一匹持って来たんだよ」
「マグロ!?」
「一メートル近くあるような、すごい冷凍マグロをアンタの店の店長が送ってくれたんだよ」
…店長が「家に帰ったらビックリする」と言ってたのはこの事だったのか!確かにビックリしたが…、でも、妻は確かに睡眠薬入りのコーヒーを飲んだ筈だが…?
「それでさあ、アタシこんなデカイ魚初めて見て気持ち悪くなっちゃって、朝ゴハン全部吐いちゃったんだよ」
…そういう事だったのか。それで眠らずにテーブルから離れて殺されずに済んだのか。
「で、宅配業者とアタシでそのマグロをキッチンテーブルの上に乗せたら、このロボットがあっ、という間に解体してくれたんだけど、何故かテーブルまで解体しちゃって」
「…こ、このロボット拾った時から調子が悪かったんだ」
「そう?でもアタシが指紋を登録して、パスワードにアンタの生年月日を入れてみたら、アタシの言う事何でも聞いてくれて、この料理を作ってくれたんだけど」
確かにリビングのテーブルの上にはマグロの刺身にマグロのステーキ、唐揚げにカルパッチョと豪華な料理が並んでいた。鉄人はあまりにもアッサリと悪の手先になっていたのだ。パスワードを自分の生年月日にしたボクも悪かったが…。
「どう?アンタも食べない?美味しいよ」
「…ウン、じゃあ、いただこうかな…、美味しい!このマグロのステーキなんて最高だね!特にマグロにかかってるソースがまろやかでちょっとほろ苦くて…、何か隠し味が使ってあるのかな?」
「ほう、さすがプロの調理師じゃん!一口食べて隠し味が使われているのが分かるなんて!大したもんだよ」
「いやあ、それほどでもないけど、でも何が隠し味に使われているのかが分からないなあ…」
「教えてあげようか?」
「ウン!」
「そのマグロのステーキのソースに使われている隠し味は、…アンタの机の引き出しの奥のほうに隠してあった睡眠薬だよ!!」
その時、男はソファーの上にピョン、と飛び乗り正座して一言、
「これがホントの隠し味、でございます…」と言うとそのまま失神した。
料理の鉄人・ Tー28
「星新一賞」に応募するつもりで書いた作品です。しかし、応募用メールは帰ってきませんでした。きっと、星新一先生が「オマエには無理!」と言っているのかも知れません。