このホテリアにこの銃を

男は女に豪語した / およそ 信じるに値しないと 頭は笑って否定するのに / 心が勝手に信じたがること / それが 心底信じることだと / そう豪語した

<全22章>
月~金曜日、1日1章ずつアップしようと思っています。
よかったら、お付き合いくださいませ。

1 異国にて


恐れ入った

異国の街の
とあるホテルで
突然耳に
飛び込んできた
罵声のかけらが 
韓国語

しかも
女性の金切り声で
流暢な
英語の抗議に
たった一言
混じった悪態

それが韓国語

「もう沢山!
何てことしてくれるのよ!」

日も暮れて
混み始めてきた
レストラン
気色ばんで
人を呼ぶ
女性の声

振り返ったら
それが君

テーブルには
連れ合いらしき
人影もない

この遊興の街
ラスベガスで
女だてらに
一人旅なら
豪胆なもの

地元の人間
顔負けの
有無を言わさぬ
君の抗議に
支配人と
思しき巨漢が
冷や汗タラタラ
平身低頭

さながら
狂気の美女と
しょぼくれた野獣の
様相で
吹き出しかけて
ぐっとこらえた

筋を通さずに
いられない
向こうっ気の強い
お嬢さん

度胸は
褒めてあげたいが
これだけは知ってて
損はない

ナイフと呼ぶのも
腹が立つほど
その刃が全く
切れなかろうが

グラスにヒビが
入っていようが

コーヒーの
お代わりが
待てど暮らせど
来る気配すら
なかろうが

一流なんて
名ばかりの
こんな街中の
ありふれたホテルで
レストランの
サービスごときに
期待する方が
馬鹿げてる

まして期待が
外れたからって
バカ正直に
店に食って
かかろうなんて
愚の骨頂

テーブル2つ
離れた僕は
気楽な野次馬だったから

九分九厘
韓国人らしき
見ず知らずの
お嬢さんに
振り返った肩ごしに
頭の中で
同情半分
忠告してた

ひとしきり
支配人を懲らしめて
それでも下がらぬ
溜飲を
持て余し気味の
客とも知らず

来るタイミングも
絶妙なら
テーブルの上の
スカーフに
コーヒーまで
こぼしてのけた
おっちょこちょいな
あのボーイこそ

レストランじゅうの
度肝を抜いた
君の悪態の
哀れな標的

人間誰しも
カッとなったら
最後の啖呵が
母国語なのは
洋の東西
問わないらしい

怒り心頭に
発した君は
茶色に染まった
スカーフに
やり場のない
怒りを込めて
席を立つなり
ゴミ箱に
いやというほど
叩きつけた

微笑ましくて
圧倒された

少なくとも
威勢の良さでは
生まれて初めて
目にする部類の
女性だと

そう確信して
苦笑した

韓国なんか
遠い昔に
愛想を尽かした
この僕が

まさか
同郷のよしみに
ほだされたわけでも
あるまいが

おしとやかには
ほど遠く
おてんば娘が
そのまま大人に
なったみたいな
怖いもの知らずの
お嬢さんに

目が止まったまま
離れなかった

「結婚しないのか?」

眺めてたメニューから
目を上げて
10年来の相棒レオが
僕に呆れたのは
つい今しがた

「仕事より
女の方が
楽しくなったら
考えてみる」

そうそっけなく
返事してから
3分とたっていなかった

奇妙な夜だった

2 ルームサービス


思い立って
スカーフ1枚
贈り届けた

同じ日に
同じホテルに
居合わせたのも
何かの縁

レストランでの
あの勇ましい
孤軍奮闘に
敬意を表して

ついでながら
ゴミ箱行きの
あのスカーフの
ごくささやかな
慰めにでも
なるだろうかと

部屋を探して
贈り主も
もちろん隠して
気まぐれな
ルームサービス

考えてみる
までもない

慰めになんか
なるより先に
受け取った主が
怪しんで
不審がるのが
目に見えるような
お節介

それでもよかった
いや
それで
終わるはずだった

見覚えのある
スカーフを
肩にまとった
君の口から
偶然にも
“ソウルホテル”
という一言が
こぼれなかったら

僕は今でも
まずまちがいなく
ニューヨークに
いただろう

「気に入った?」と
謎かけ半分
正体明かした
贈り主に

戸惑い顔の
君の口が
偶然にも
“ソウルホテル”の
ホテリアですと
名乗らなかったら

生きて再び
踏むまいと
20年忌み嫌ってきた
祖国の地に
すんなりと
僕が再び
舞い戻るなど
ありえなかった

韓国という
だけの理由で
まるまるひと月
断り続けた
とあるホテルの
買収話

「引き受ける」と
ある日突然
豹変して
ひとしきりレオが
苦笑した

あの日
あのレストランで
君を見たのは
たしかに偶然

だけど
どうしても
目が離れなかった
君のことを

追いかけると
決めたのは
僕の意志

3 再会


バーで待つと
ことづけたきり
ゆうに2時間

すっぽかされたと
あきらめて
あてもなく
戻ったヴィラ

日づけも変わる
頃だった

その玄関の
ドアに向かって
ポーチの明かり
1つを頼りに
客を迎える口上を
ためつすがめつ
繰り返す
ホテリアひとり

「ソウルホテルへ
ようこそ
どうぞごゆっくり…」

今年入った
新米よろしく
直立不動で
唱えては
首をかしげて
飽かずに何度も
やり直す

その当人に
すっぽかされた
鬱憤を
今の今まで
持て余してた
ほろ酔い客は

それでも
リハーサルの
邪魔をすまいと
かなり遠くで
気配を殺した

ラスベガスの
初対面から
1週間も
たってない

なのにもう
懐かしかった
君の声

大の男に
食ってかかって
客サービスの
何たるかを
理路整然と
まくしたて
我を忘れて
金切り声も
張り上げる
誰かさんの
一人舞台

目に耳に
焼きついてる

透き通って強く
でも温かく
人に寄り添う
その声は
ホテリアという
職ならではかと
腑に落ちたけど

その声を
いつまでも
聞いていたいと
いう欲は
君の顔見たさの欲に
あっさり負けた

ごめん
驚かせたね

ふりむいた君は
僕だと認めて
照れながら
バーの不義理を
早速詫びた

すっきりと
束ねた髪
漆黒の
タイトなスーツ
いっそ
“黒子”とでも呼ぶのが
ふさわしいほど

制服と言えば
それまでだろう
どこのホテルも
似たり寄ったりと
言えばそれまで

でも
良く似合ってる
想像以上に

余分な飾りも
華美な色柄も
何一つない
ホテリアの正装が
いっそ君らしい

「もしも
韓国にいらしたら
是非一度
うちのホテルへ」

ラスべガスで
君は言ったね

子どもでも
社交辞令と
わかる言葉を
決して
真に受けた
わけじゃない

でも君を
追いかけると
決めた以上

20年来の
鬼門の祖国に
今さら足を
踏み入れてでも
君を追いかけると
決めた以上

韓国での
僕の居場所は
ここ
ソウルホテルしか
ありえない

また逢えてよかった

よろしく
黒子のホテリアさん

4 フランス料理と安うどん


昼どきに
フランス料理に
君を誘った
僕の意図

察しない年でも
あるまいに

やんわり固辞して
代わりに君が
連れ出したのは
5分で客が
入れ替わる
裏通りの
大衆食堂

安うどんが
あっという間に
絶品に早変わりという
食べ方を
伝授しながら
そんじょそこらの
パスタなんか
足元にも及ばないと
口とがらせた

かと思えば

僕が泊まる
ヴィラなんか
贅沢すぎて
ひと月分の給料を
はたいたって
泊まれやしないと

あろうことか
客に向かって
安月給を
愚痴ってみせる

でも
君の言葉尻には
嫌味やねたみの
かけらもなくて

引き合いに
出されたはずの
客本人は
気分を害する
ことすら忘れて
気がつけば
愚痴の聞き役

「何から何まで
客第一の
ホテリア稼業

横柄な金持ち客に
年がら年じゅう
ふり回されて
辛くはないか」と

意地悪く
訊いてみたって
どこ吹く風

「私が生きてる毎日も
ときどき感じる幸せも
ご大層な
ものではないけど
誰にも取ったり
できないでしょ?

日々の
平凡な幸せは
お金持ちが
巨万の富を
積んだからって
買えるものとは
思わない」

卑下もせず
外連味もなく
あまりに
あっけらかんとして

鉄槌食らった
気分だった

1ウォン単位の
相場の上下に
一喜一憂
くりかえしながら
億兆単位で
企業に値をつけ
右から左へ転がして
上前はねる
我が生業(なりわい)

告げてもいない
僕の職業

いつの間に君に
見透かされたろう?

ラスベガスでは
君の言動の
無鉄砲さが
物珍しく

一面識もない君の
僕には未知の
その価値観が
新鮮だった

以来
君のくり出す
次の一手は
やることなすこと
予期に反する
ことだらけ

そのたびに
僕は苦笑い

目が行くたびに
裏切られ
裏切られると
わかってるのに
耳傾ける

今では君に
裏切られること
そのことじたいが
心地よく
内心次が
気になる始末

僕が馴染んだ
常識とは
君はあまりに
相容れなくて

僕が住んでた
世界には
まずまちがいなく
いなかった人種

「もう昼休みが
終わっちゃう」と

血相変えて
走り去る
黒子の背中を
見送る僕は
今にも転ぶと
気が気じゃないのに

当の黒子は
小走りの
足も止めずに
ふりむきざま

「ごちそうさま!」と
声張り上げた

大好物の
給食終えて
ご満悦の
子どもみたいに
元気よく
お辞儀しながら

おごったなんて
気が引けるほどの
安うどん1杯に
礼を叫んだ

猫もかぶらず
シナひとつ
作るでもないのに

目が
君から離れない

何でだろう

5 独り占め


(1)

市内観光?
悪くないね

でも案内役は?

勧めるからには
責任持つのが
筋じゃないかな?

“ソウルに疎い
ニューヨーク市民の
韓国人”

事実とは言え
すこぶる便利な
肩書きで

観光に
案内役は
欠かせないと

君を半日
独り占めする
これ以上ない
理屈を盾に

有無を言わさず
言いだしっぺに
同行願った
午後の街中

ソウル観光の
定番だと
真っ先に
連れて行かれた
宗廟(チョンミョン)で

綿菓子片手の
甘いもの談義が
いつのまにやら
横道それて

あの男への
悪口まがいの
君の熱弁
いつ果てるともなく
聞かされた

Mr.バレンタイン

毎年君から
チョコレートを
もらいつづけた
幸運児
少なくとも
去年までは

それがどんな男だか
気にならないと言えば
嘘になるけど
名前など
君の口から
聞く気はなかった

何にせよ
君は無邪気で

隣を歩く
僕の心境
ほんの少しでも
察してくれたら
あれほど呑気に
他の男の話など
できないだろうと
言いたいぐらい

熱弁が
終わる気配は
さらさらなかった

Mr.バレンタイン

羨ましいよ
羨ましくない
わけがない

でも
その男にある
君との過去が
僕には一切
ないからって
ないものねだりを
する気はない

そんなことより

今はまだ
誰のものとも
決まっていない
君との未来を

必ず僕が
手に入れる


(2)

けだるい春の
宗廟(チョンミョン)を
のどかに行き交う
親子連れ

あどけない幼子を
目にするたびに
こみ上げる
息苦しさに
耐えかねて

せめて
紛らしたくて
君の明るい
声に頼った

「子どもは好き?」

子どもが
嫌いな人なんか
見たことないと
君は笑った

そこでやめれば
それはそれで
終わったはずの
他愛もない
世間話

「子どもを棄てる
親もいる」

無意識に
食い下がってた

嫌いで
捨てるわけじゃない
止むにやまれぬ
事情のせいだと

それでも君は
思案気に
とりなそうとして
くれたけど

そんな鬼畜の
肩持つ義理は
僕にはない
血も涙もない
そんな輩に
同情なんか
する気もないと

なぜか無性に
腹立しくて
止まらなかった

「育てられなきゃ
産まなければいい

産んだ挙げ句に
棄てるぐらいなら
せめて心中
しろと言いたい

子を棄てて
どの面下げて
親だけのうのうと
生き延びる?」

きょとんとするしか
ない君に
八つ当たり気味の
自分の声を
無理やり抑えて
黙ったあのとき

「言うことが
父とそっくり」

僕の理不尽な
癇癪が
心地良かろう
はずもないのに
おくびにも出さず
笑った君の
“父”の一言に
はっとした

祖国が
鬼門である理由

小さな子どもを
まともに
直視できない理由

“父”という言葉に
凍りつく理由

あのとき
君に話す自信は
まだなかった


(3)

1分1秒でも長く
堂々と君を
独り占めできるから

帰りの夜道の
大渋滞にも
内心大いに
感謝したけど

道中とはいえ
曲がりなりにも
夕食に誘った
男から
行きたい店は
ないかと訊かれて

ファストフードの
店なんて
年頃の女性なら
口が裂けても
ふつう言わない

それにもまして
男の前で
恥じらいもなく
大口開けて
ハンバーガーに
かぶりつく
年頃の女性も
君が初めて

間近で眺める
君の仕草は
いや格闘は
実に必死で
豪快で

ついつい
笑いがこみ上げて
僕は何回
下を向いたか

ハンバーガーひとつ
後生大事に
握りしめ
あれほど夢中で
味わう女性を
君のほかに
僕は知らない

店を出かけて
空を見上げる
君の隣で
はたと気づいた
本降りの雨

羽織りかけてた
トレンチコート
頭の上から
君にもかざして
行こうと
黙って促した

即席の相合傘と
僕の顔と
ぎこちなく
ほんの一瞬
見比べて

腹を決めたか
楽しげに
駆け出す君を
“傘”で包んで
走りながら

もっと遠くに
車を止めれば
よかったと
大人げもない
欲に笑った

君を下ろした
家の前で

本当は
半日の礼を
言いたかったけど
言うべきだとは
わかっていたけど

あの場で
あれ以上
長居したって
君の立場が
悪くはなっても
良くなることは
決してないと
一目瞭然だったから

せめて
一刻も早く
立ち去って
あげたかった

傘代わりの
トレンチコートは
君に預ける

おやすみ
ジニョン

今日は本当に
楽しかった

6 ビリヤード


事務室に贈った
バラ300本

花束というには
大きすぎて
君の手には
余るだろうと
想像したし
気も引けたけど

忙しい君を
独り占めした
ささやかな
お詫びとお礼

2度目の
ルームサービスを
ボーイに頼んだ

レオの資料を
待つ間
暇つぶしにこもった
ビリヤード室

前触れもなく
ひょっこりと
現れた珍客は
黒子の君

レオすら知らない
僕の行き先
どこで誰から
聞きつけたやら

君だと気づいた
瞬間に
たとえ頼まれたって
このホテルで君と
かくれんぼだけは
しないと決めた

勝ち目なんか
どう考えても
ありそうにない

おもむろに
君の口から
聞こえてきたのは
通りいっぺんの
バラの礼

それも
贈り主が期待した
嬉しげな顔には
ほど遠かった
心外だった

「事務室は
公の場だから
心苦しい
同僚たちの
手前もある」と

無難な言い訳
淀みなかった

心苦しいのは
ルームサービス?
それとも
贈った主の僕?

「同僚の目が
嫌だと言うなら
埒もない
これからは
自宅に
贈るまでのこと」

ぶっきら棒に
言い棄てながら

ビリヤードの
台いっぱいの
球の配置を
目に焼きつけては
手元のキューを
飽かずに突いた

そうでもしないと
苛立ちが
紛れなかった

あのバラを
半日分の観光の
単なる礼に
チップ代わりに
贈ったと
君には見える?

君ではなくて
他の誰かに
世話になっても
あのバラを
僕がわざわざ
贈ると思う?

スカーフといい
バラといい
ルームサービスなど
言葉のあや

それぐらい
判らぬ君でも
なかろうに

判っていても
最後まで
知らなかったと
言いつづけたい?

僕は所詮
いずれ出ていく
ただの宿泊客だから?

ジニョン

どうして僕が
こうも露骨に
噛みつくか
君には判る?

僕を訪ねて
来ることじたい
少なからず
気が重かったに
ちがいないのに

せめて礼はと
さっそく律儀に
飛んで来た
誠意の塊みたいな君に

僕がどうして
こうまで邪険で
けんか腰に
なるのか判る?

贈ったバラを
期待どおりに
喜んでくれなかった
腹いせなんかじゃ
決してない

女に花を
贈った男の
プライドがどうのと
ふて腐れている
わけでもない

さっきから
君が呼ぶその
「お客さま」って
僕のこと?

そう呼んで
いつまで
敬して遠ざける?

口を開けば
「お客さま」

冗談言おうが
吹き出そうが
次の瞬間
目が合えば即
「お客さま」

人目があろうと
なかろうと
僕を宿舎に
見送りながら
背筋を伸ばして
「お客さま」

いかなる時も
一線を引ける君には
恐れ入るけど

悪いが
客になりたくて
僕はここまで
来たんじゃない

君に
単なる客として
扱われたくて
海まで渡って
来たわけじゃない

「頼むから
これ以上僕を
『お客さま』なんて
呼んでくれるな

これ以上の
他人行儀は
まっぴら御免

それとも僕は
礼さえ欠かねば
他人行儀で
事足りる
数多の客の
1人に過ぎない?

1人の男には
到底見えない?
1人の男と
見てはくれない?」

ビリヤードは
いつしか
そっちのけ

床に突っ立てた
キューにもたれて
不意の難癖
浴びせつづけた

礼を言おうと
やって来たのに
降って湧いた
災難みたいな
言いがかり

口ごもるのが
精一杯で
うろたえて
うなだれて
ドアに向かった
気持ちも判るが

言いたいことを
言い終わるまで
君を部屋から
出す気はなかった

「ソ・ジニョン!」

聞いた自分が
驚いたほど
威圧的な
声だったけど

10歩と行かず
立ちすくんだ
君の背中に

言い残す
後悔だけは
すまいと決めてた

「僕は今まで
勝てると
確信したとき以外
他人と勝負を
したことがない

でも
今回だけは 
考える前に
始めてた

結果なんて
見当も
つかないうちから
君と勝負を
始めてた」

恐怖で
上の空だったか
それとも
聞いて呆れたか

とにかく君は
身じろぎ一つ
しなかった

今この場で
何か返事を
期待しようとは
思わない

物言いが
一方的で
強引すぎるのは
認める

図々しいのも
傲慢なのも
認める

でもジニョン

こうと決めて
手に入れずに
諦めたことは
僕は今まで
一度もない

あくまで
ただの客だと言うなら
拒んでいい
逃げたっていい

でも僕は
絶対に
諦めない

僕が言ったこと
一言一句
額面どおり
受け取ってくれていい

嘘も誇張も
全くない

一言一句
本心だ

7 金づち


逃げ出すことしか
頭になくて

ただでさえ
段差だらけで
危なっかしい
プールサイドを
ヒールの靴で
走ろうなんて
考えるから

地に足つかない
後ろ姿が
あっという間に
よろけて揺れた

当然 傾く
君の体に
それでも
間に合った
つもりだった

ものの10メートル
あったかどうか
どう走ったかも
記憶にないけど

確かに君を
抱きとめた
つもりだった

でも
人が背中から
倒れようとする勢いは
思った以上に
激しくて

2人して
あっという間に
水の中

浮き上がりながら
気が気じゃなかった

今しがたまで
泳いでた
僕はともかく
制服姿の
黒子の君は?

人なつっこい
ホテリアが
仕事の合い間に
客を見かけて
ヒールの靴では
ふつう行かない
凸凹だらけの
プールサイドに
立ち寄ってみた
ばっかりに

哀れ不運な
濡れねずみ

何気なく
交わしたはずの
立ち話

一方的に
問いつめられて
いたたまれずに
逃げ出そうとした
ばっかりに

思いもかけない
濡れねずみ

それだけじゃない

水が
大人の
脇ほどもない
まちがいなく
足が地に着く
浅いプールで

見事に沈んで
必死にもがいて

水しぶきとすら
呼ぶのもためらう
途切れ途切れの
微かなしぶきを
パシャリパシャリと
上げながら

ついさっき
話のはずみで
奇しくも明かした
自称 “金づち”

目の前で
君は見事に
証明してた

君の両手が
もがいて上げる
そのとばっちりが
頼りなくて
吹き出したいほど
可愛らしくて

ほんとにクスっと
吹き出した分
肝心の
金づちさんを
救い出すのが
一瞬遅れた

ごめん

抱き上げた君は
生きた心地も
へちまもなくて

手にしたものに
しがみついて
むせ返るのに
精一杯で

とっくに自分で
立ってることにも
気づかなければ

とっくの昔に
僕が体を支えてて
君をしっかり
抱き止めてるのに
気がつこうとも
しなかった

君の
こわばりきってた
腕の力が
緩むまで

君が
目を上げて
恥かしそうに
はにかむまで

今だから
言えるけど
僕も生きた心地が
しなかった

プールに君を
突き落としたのは僕

ほかでもない
あの立ち話

いつかの無粋な
花束の
そのバラの数が
300本だった理由が

君を見初めた
ラスベガスの
あのレストランの
名前だったと
明かしても

だからこそ

いつかまた
行ってみたい
君と一緒に
また行きたいと
水を向けても

君は全く
動じなかった

「帰国なさったら
また行けますね
私はそろそろ
仕事に」と

そつなく
あっさり
はぐらかされた

はぐらかされて
苦笑いして
引き下がるような
軽口叩いた
つもりはない

君が体よく
受け流すのを
聞きたくて
冗談言った
わけでもない

探し当てたと
この女性だと

心が迷わず
見初めた人を
もう一度
見初めた場所に
連れて行きたいと
念じることの
どこがいけない?

生涯の
たった1人と
心が思い定めた君に

見初めた場所で
僕の口から
一生君の
半身でいると
誓いたい

それが悪いか?

「君と一緒に
行きたいんだ」と

「一緒に
行ってくれるか」と

訊かれた君が
うろたえようが
ばつが悪くて
そっぽ向こうが
おかまいなしに
畳みかけた

無理難題に
音をあげて
受け流すのも
しどろもどろの
君に向かって

「一緒に」と

強引に
繰り返した

破れかぶれに
きびすを返した
君の背中が
傾いたのは
その直後

だから君を
濡れねずみにした
非は僕にある

それを
否定はしないけど
ジニョン

もしもう一度
あの場に立てば
僕はまた
必ず君を
問いつめる

たとえまた
プールに飛び込む
羽目になっても
必ず君を
問いつめる

君が首を
縦に振るまで
何度でも
一緒に行こうと
繰り返すはず

とっぷり濡れて
頬にかかった
長い髪
そっと
かき上げてあげながら
心の中で
そんな勝手な
言い訳してた

君さえ
嫌でなかったら
このままずっと
こうしてたいけど

いくら何でも
プールの中で
その濡れねずみの
格好じゃ
そういうわけにも
いかないね

それはそうと
金づちさん

泳ぎは必ず
教えてあげる
近いうちに

8 5分でいい


(1)

日も暮れて
東海(トンヘ)から戻った
その足で

ホテルのバーの
2階の隅に
陣取って
マティーニを干し
テキーラをあおった
それも
1杯や2杯じゃない

20年も
過ぎたとはいえ
どうせ舞い戻った
祖国なら
この際
事のついでにと

半ばは意地で
探し当て
東海(トンヘ)の果てまで
押しかけて
安食堂のテーブルで
穴があくほど
この目で拝んだ
父親は

脳裏から
面影も
絶えて久しい
見知らぬ老人

息子だなんて
思いもよらない
若造が
なぜ子を棄てたと
責めたところで
昔のことと
のどかに呟く
老人に

恨みつらみの
やり場もないまま
戻ったソウル

探さなきゃよかった
行くんじゃなかった

何十回
呪ったところで
消えそうにない
この屈辱と
鬱憤を

せめて一とき
忘れてやろうと
忘れられたら
どんなに楽かと

ボトルで頼んだ
ブランデーも
半分空になったころ
階下にかすかな
人の声

その声の主
確かめたくて
半狂乱の
寸前でなお
立ち上がってた

酔ったまぎれの
幻聴でなければいいと
2階の手すりに
もたれて祈った

探し物だか
探し人だか

1階の
客席を縫って
きょろきょろと巡る
黒子がひとり

それを君だと
見てとったのと
今の今まで
つきまとってた
忌まわしい
身内の悪夢が
消え失せたのと
どっちが先で
どっちが後だか

煽りにあおった
アルコールすら
てんで効き目の
なかった悪夢が
腹立たしいほど
あっさり消えた

やおら見上げた
視線の先に
2階から
見下ろす僕を
認めた君の
慌てぶり

いたずらがばれた
子どもみたいに
息のんで
素っ頓狂に
口元押さえた
ホテリアは
猫もかぶれない
いつもの君で

それ見たとたんに
僕はもう
クスッとしてた

こんなところで
奇遇だね

長々居座る
不埒な酔客
たしなめるのに
よりによって
君をよこした神様に
感謝したいよ

「座って一緒に
一杯どう?」

百戦錬磨の
ホテリアに
酔ったふりして
ごねてみたって
かなわないから
ここは早々に
退散しよう

半分も
残っていない
軽いボトルと
グラスを1つ
失敬してから
外に出た


(2)

宵の口も
とっくに過ぎて

気の利かない
桜並木が
おぼろに明るい
夜の外苑

おかげで
宿舎の
ヴィラへの道は
迷いようも
なかったけれど

飲みすぎて
帰り道も
定かじゃないと
とぼけたら

まさか
真に受けたわけでも
あるまいが
君は気前よく
夜道の案内を
買って出た

「昼間 東海(トンヘ)に
行ってきた
東海(トンヘ)で君に
メールを送った」

何の気なしの
打ち明け話に

「ごめんなさい
気がつかなくて
どんなメール?
題名は?」

鉄砲玉よろしく
無邪気な問いが
飛んできた

「題名?
-僕の半身へ-」

問われるままに
答えるべきじゃ
なかったのかな?

今の今まで
喜々として
相づち打って
くれてた君が
案の定
一瞬で
貝になった

追い打ちでも
かけるみたいに
手にした無線が
鳴ったとき
君はとっさに
口走ったね

「ダイヤモンド・ヴィラの
巡回中」だと

背伸びしたって
見えるかどうかの
はるか彼方の
建物の名を
口走ってた

わがままな迷子に
手こずってると
さもなければ
酔ったお客が
絡んで困ると

言ってくれても
かまわなかた

僕の名前を
出してくれても
かまわなかった

なのに
どちらも君は
しなかった

無線の向こうの
男に対する
気づかいか
それとも
万に一つくらいは
僕をかばって
くれたのかと
詮索したくも
あったけど

自惚れすぎだと
多少は恥じて

行きがかり上の
共犯は
せめて
足手まといに
ならないように
黙って息を
ひそめてた

無線に返した
慣れない嘘が
きまり悪くて
うつむく君を
見つめてた

だけど
ジニョン

君にとっては
後ろめたい
“巡回中”が
僕にとっては
望外の幸運

わがままは
重々承知で
もう一度だけ
駄々をこねよう

「ダイヤモンド・ヴィラ
見物させて
もらえないかな」

君らしかった

あっけないほど
あっさりと
「お客さまが
お望みなら」と
請け合って
ぎこちない
足どりながら
歩き出した

それでいい

際限なく図々しい
僕に呆れて
罪もない君の
後ろめたさが
ほんの少しでも
和らぐなら
それでいい


(3)

何しにソウルへ
来たのかと
仕事は何かと
君は訊いたね

やぶから棒で
手に提げた
ボトルとグラス
あやうく
取り落としそうだった

ダイヤモンド・ヴィラの
真ん前だった

君を追って
来たんだと

縁は切ったと
決めてた祖国に
20年もたって今
のこのこ戻った
理由は君だと

僕が言ったら
君は信じた?

いやありえない

君はまず
まちがいなく
「飲み過ぎてる」と
大笑いして
「宿舎に
戻った方がいい」と
勧めて
譲らなかったはず

せっかくの
ヴィラ見物を
ふいにするのは
惜しかったから
正直に
打ち明ける気は
さらさらなかった

企業を操る
血も涙もない
狩人だと
あいまいな
自己紹介で
けむに巻いた

その名にダイヤを
冠したヴィラは
真夜中過ぎて
なお煌々と
きらめいて
噂に違わず
威容を誇って
いたけれど

僕が度肝を
抜かれたのは
その広さでも
部屋の数でも
絢爛豪華な
調度でもない

瀟洒な扉を
押し開けて
僕をホールに
招き入れるか
入れないうちに

ヴィラの細部の
そのいちいちを
立て板に
水のごとくに
語って聞かせた
君の演説

準備万端の
試験を受ける
新人みたいに
嬉しげに
誇らしげに
淀みなく

設計者が
これを聞いたら
本望だろう

あるいはもしも
このヴィラに
耳があったら
感涙にむせぶに
ちがいない

僕がもし
新人研修の
教官だったら
まちがいなく君に
満点をあげる

ジニョン
君にはお手上げ

常識外れの
この真夜中に
寄り道強いた
僕の意図

知ってか知らずか
人が良すぎる

人の言葉に
下心があろうと
なかろうと
君は
受け入れて
拒まない

猜疑も
邪推も
警戒もなく

かしこまりましたと
請け合って
望みに沿おうと
一心になる

どこから見ても
丸腰で
危なっかしいほど
無防備なのに

僕は
歯も立たない

素手の相手と
喧嘩するのに
気が引けて
武器を持つ気に
なれないように

とてつもなく
無防備な
君に向かって
嘘はつけない

君の前では
正直に
欲しいものは
欲しいと言いたい
あげたいものは
あげると言いたい

無防備こそが
君の強さと
わかっていても

無用な怪我を
しなくてすむなら
包んであげたい

僕自身の
恥部であれ
醜態であれ
君になら
ぶちまけて
包まれたい

君には本音を
隠したくない
君に向ける
言葉はいつも
本音でありたい

何一つ
策を弄さず
武器も持たない
君の前で
いつもそう思う

だからお手上げ

ヴィラを語る
君の達者な弁舌は
放っといたら
夜が明けるまで
聞かされそうで
手を差し出した

ジニョン
踊ろう

案の定
尻込みするのを
説き伏せるのも

未だにやめない
「お客さま」
もういいかげん
返上して
名前で
呼んでもらうのも

いずれ劣らぬ
難題だけど
真正面から
挑んでみよう

かすかに聞こえる
優しい調べが
勿体なくて
踊りたいと
欲が出たのも
本音なら

君には名前で
呼んでほしいと
思いつづけて
いるのも本音

本音は隠さないと
決めた以上は
遠慮もしない
がまん比べだ

「僕を名前で
呼んでみて」

5歩6歩
後ずさりして
諦めて
見るからに
根負けの体では
あったけど

かろうじて
僕の名前を
つぶやいた声は

客相手の
ホテリアの
それではなくて
おずおずと
ためらいがちな
素のソ・ジニョンの
声だった

これ以上
後ずさり
させたくなくて
君の背中に
右手を当てた

この手は絶対
緩めないから
逃げ出そうなんて
思っても無駄
逃げ出そうにも
君の力じゃ
たぶん無理だと

手の力だけで
伝わるように
黙って強く
引き寄せた
怯える君を
強引に

今 考えても
お世辞にも
踊ってたなんて
代物じゃない

2人して
音に任せて
揺れてただけ

真夜中に
軽薄すぎたと
君は恥じ
バラごときでと
自嘲したけど

そして
おっちょこちょいで
取り柄もないと
目を伏せたけど

そんな卑下は
聞きたくない
ほんとうの君は
僕が知ってる

自分を飾らず
ありのままに
生きられる君が
うらやましい

耳元でそう
ささやいたら

無防備をもって
身上とする
君に似合わず

珍しく
その顔に
半信半疑だと
書いてあって

本心かと
僕に訊いたね

本心だと
言葉で言っても
足りない気がして
答える代わりに
腕で包んだ

腕の中に
すっぽり収まる
華奢な君が
自分からそっと
体を預けて
くれたから

言葉代わりの
僕の返事は
伝わったんだと
信じたかった

ジニョン

言いそびれてた
東海(トンヘ)からの
メールの中身

--5分でいい
君と2人きりでいたい
誰にも邪魔されずに
君を抱いて

いや 
僕が抱かれてもいい
2人きりでいたい--

そう書いた

笑わないで
ほんとだよ

9 眠りに堕ちた司祭


夜明け前
市場が終わる直前の
NY狙って
攻勢かけた

ホテルの株を
予想以上に
首尾よくせしめて
一息ついた
その勢いで
今日と決めた

そろそろ潮時

言いそびれてた
僕の正体
僕がソウルに
しに来た仕事

もういいかげん
打ち明けよう

着々と進む
買収作業
そして何より
僕がその
請負人だと
いう事実

ソウルホテルの
買収を
斡旋してると
明かしたところで
損害なんか
1ウォンだって
君に与えは
しないのに

なぜだろう
言おうとするたび
気が萎えて
言おうとしては
口をつぐんで
ここまで来た

だけど今日
あそこでなら
きっと言える

東雲の
靄の彼方で
悠々とうねる
漢江(ハンガン)に

ヴィラの窓から
内心強気で
そうつぶやいた

夜勤明けで
遅番なら
まちがいなく
眠りも深い
いま時分

顔出しかけた太陽を
追い越しそうな勢いで
君のマンションの
真ん前に
車で勝手に
乗りつけた

眠ってる
女性相手に
たった5分で
出て来いと
電話する僕も
僕だけど

例によって
気どろうとか
媚びようとかいう
欲なんか
これっぽっちも
湧かないらしくて

無造作に
髪を束ねて
ジーンズにシャツの
ラフな姿で

ほんとに5分で
いや4分で
すっ飛んで
出てきた君が
不憫やら
いじらしいやら

朝早い教会は
思ったとおり
祈る人など
数えるほど

何もかも
見透かされそうな
森閑とした
礼拝堂の
ひんやり固い
木の椅子に
君の手を引いて
並んで座った

さぞかし
面食らったろうね

寝ぼけ眼で
こんな所に
予告もなしに
連れて来られて

でも
ここしかなかった

自分の仕事を
明かすのに
どうしてこうも
気が咎めるのか
曰く言いがたく
後ろめたいのか
ずっと狐に
つままれてた

神様に
背中を押して
ほしかった
神様の力を
借りてでも
明かす勇気が
ほしかった

「懺悔するほど
罪深いの?」

止まないあくびを
かみ殺しつつ
君は笑って
訊いたけど
それもあながち
嘘じゃない

でも
余人をもって
代えがたい
懺悔の相手と
頼りにしていた
となりの司祭は
苦もなく
睡魔に魅入られて

僕の真似して
手を組み合わせて
祈りの格好を
したのも束の間

マンハッタンで
僕が通った
教会の話を
始めたとたんに
相づち代わりに
倒れてきたのが
君の限界

突然枕に
選んでくれた
光栄なる右肩の
寝心地ぐらい
聞かせてくれても
よさそうなのに

君はとっくに
熟睡の域で
マンハッタンの
あの話が
子守唄に
なったかどうかも
怪しいかぎり

寝顔を
のぞき込もうにも

枕ひとつに
上半身の
重みの全てを
のん気に預けて

頭と言わず
肩と言わず
力なく
ふらついて
今にもがくんと
くず折れそうで

危なっかしくて
見てられなかった

背中ごと
肩を抱えた

枕でなくて
揺りかごに
してあげたかった

好きなだけ
眠っていい

君が自分で
目を開けるまで
何時間でも
こうしてる

だから
好きなだけ
眠っていい

ついさっきまで
当直だったと
知りながら
電話1本で
叩き起こした

今すぐ着替えて
下りておいでと
一方的に
呼び出した

顔を見るなり
行き先も言わず
車に乗れと
君を急かした

とにかく
君を連れて
教会へ

それしか頭に
なかった僕の
傍若無人な注文に

君なら
笑って応じると
君なら必ず
応じてくれると
勝手に
決めてかかってた

虫がいいにも
程があるけど
勝手に信じて
かかってた

果たして君は

小気味いいほど
あっけらかんと
そのごり押しに
従ったけど

いざ十字架の
前に座った
この期に及んで

懺悔につき合う
司祭の役を
務めてなんか
くれるどころか

並んで座った
隣の男が
後ろめたさに
嫌気がさして
自分の正体
明かす機会を
今か今かと
うかがってるのに
どこ吹く風で

まさにその
勝手な男の
肩にもたれて
あっという間に
夢の国まで
行ってしまえる
度胸の良さで

君をさんざん
振り回したはずの
僕が今
腕に抱えた
君の寝顔に
なす術もない

誰にも
邪魔されない場所で
こうして一緒に
いられる不思議に
おののきながら

額にそっと
口づけた

見てることすら
苦痛なくらい
幼子みたいに
あどけない
寝顔の額に
口づけた

揺りかごの揺れが
君の眠りを
覚まさぬように

そのことだけを
祈りながら

神様

ひょっとして
彼女の眠りは
身勝手な
僕への罰?

神様あなたは
ひょっとして

僕の卑劣な告白を
彼女に聞かせたくなくて
眠りの国に
誘われた?

物言わぬ
司祭の肩を
じっと抱えて
十字架見上げる
僕の目つきは
さぞ
険しかったに
ちがいない

待てどくらせど
神様からの
答えは
聞こえて来なかった

突然鳴った携帯に
君が一瞬で
跳ね起きたのが

眠りに堕ちて
5分後だったか
1時間以上
過ぎていたのか

時計を見るまで
わからなかった

まどろむ君の
体温を
肩にも腕にも
感じながら
望んで石と化してた
ひと時

もちろんそれは
告げるべき正体を
またしても
告げそびれた
痛恨のひと時でも
あったけど

行こう

ホテルからの
呼び出しなら
知らんぷりは
できないね
行かなくちゃ

こうしていつも
君をホテルに
奪われる

10 誕生日


(1)

見覚えのある
箱や包みや紙袋
ひとつ残らず
山と抱えて
よたよたと
現れるなり

誕生日の主役が
開口一番
「ごめんなさい」

忘れもしない

「私になんか
似合いもしないし
着る機会もない
無駄になるから
返品しなきゃ」と

全部
自分のせいにした
でも
譲る気配も
なさそうだった

気に入ったのを
着ておいでと
電話で
念を押したけど

目の前の君が
今まとってる
つつましやかな
淡いピンクの
ワンピース

贈った覚えは
もちろんなかった

君が喜ぶ
顔見たさに
手当たり次第
買って届けた
服もバッグも
帽子も靴も
物の見事に
お払い箱で

「女物を
返してくれても
手に余る
今回だけは
目をつぶって」と

愚にもつかない
哀願が
最初で最後の
僕の抵抗

「ただやみくもに
値の張るものを
買ったって
いい贈り物とは
限らない」

おもねることを
知らない君は
間髪いれずに
一刀両断

「その代わり
美味しいお店に
連れてって
寝坊して
お昼も
食べ損なっちゃった」

うってかわって
駄々っ子みたいに
つけ足した
その満面の
笑みを見てたら

開き直りも
言い訳も
もうこれ以上は
どだい無理
する気も失せた

人への好意を
こんなにあっさり
袖にされ
面と向かって
小言まで食らった
この僕が

二の句も継げずに
苦笑して
参りましたと
心の中で
つぶやいた

服やバッグを
返品に行く
気恥ずかしさに
耐えてみるかと
観念もした

とどのつまりは
金に飽かせた
無駄づかいだと
非難されたに
等しいのに

屈辱に
唇をかむ
暇さえなかった

ばつの悪さも
腹立たしさも
感じる暇さえ
くれなかった

筋は筋として
凛として
曲げないくせに

目にも止まらぬ
速さで君は
先手を打って
僕の心が
被る痛手に
そっと寄り添って
くれたから

臆面もなく
甘えて立てて
僕の無骨な
自尊心を
かばい通して
くれたから

あっぱれ君は
僕の幼稚な
非を諭し
逆恨みする
すきも与えず
見事に
白旗上げさせた

赤子の手でも
ひねるみたいに
何の苦もなく
あっという間に


(2)

最後まで
遠慮がちでは
あったけど

清楚な君の
胸元に
どうにか
居場所を得た
プラチナ

思ったとおり
本当によく
似合ってた

「高かったでしょ」と
本気で眉間に
しわ寄せるから

「領収書
何ならいっしょに
あげようか?」

いじらしくて
口がすべって
困らせた

せめて今日は
ネックレスだけでも
受け取って
もらえたと
感謝しないと
罰が当たるね

付き合った女性は?と
君に訊かれて
1人もいないと
即答するほど

僕にしては珍しく
饒舌な夜だった

何思ったか
その僕の目を
ひたと見据えて
やおら
吐露してくれたのは

君曰く
失恋の痛手

女の口から
プロポーズして
3年待って
もらった返事が
“友達”だったと

淡々とつぶやいて
でもまだ今でも
胸が痛いと
口をつぐんだ

うすうすは
気づいてた

相手が誰かと
いうことも
訊かなくたって
見当くらい
すぐにつくけど

相手が誰かと
いうことよりも
はるかに知りたい
ことがある

君の心にとっては
仮に
終わってしまった
恋だとしても

相手の男にとっても
それは
過去の話と
言えるだろうか

相手の男にとっての
君は
今も昔も
“友達”だと
心の底から
断言できる
存在だろうか

ジニョン

知りたくても
知る術も
まして権利も
ない僕は
どうすればいい?

じっと
待つしかないのかな?
時が来るまで

今はまだ
受け入れる余裕が
心にないって?

僕に向かって
君が詫びるの?

君が謝る
筋合いはない
そんなこと
望んでもない

僕が
待ちたいだけのこと
待ってていいなら
いつまでだって
僕は待つ
ただそれだけ

それが言えただけで
今日は充分
ほんとうに充分

金に飽かせた
ブランド物には
目もくれず

そんなものさえ
かすむほど
しとやかに装って
今 目の前に
座ってる
君に乾杯

濫費の極みと
また叱られると
覚悟しながら

それでもなお
かけてあげずに
いられなかった
ネックレス

「似合ってますか?
手鏡見ても
笑わない?」と

はにかみながら
折れてくれた
君に乾杯

心の内を
ありのままに
教えてくれた
君に乾杯

そして

待ちつづけると
言う僕を
何も言わずに
見つめてくれた
君に乾杯

誕生日おめでとう
心から

11 露見


「イエスかノーか
それだけ答えて」

入ってくるなり
詰め寄った

「ここへ来たのは
乗っ取るため?」

怒りも露わな
声だった

君のその剣幕に
一瞬だけ
度肝を抜かれて
すぐ腑に落ちた
詰問の意味

「詐欺師もいいとこ
よりによって
何で私に
目なんかつけたの?

色恋じかけで
バラや宝石
ちらつかせれば
苦もなく落ちる
女に見えた?
さぞかし内心
笑ってたでしょ」

吐き捨てながら
舌でも
噛み切りそうだった

心のどこかで
恐れてたこと

周りの誰かが
僕の素性を
嗅ぎつけて
とうとう君に
吹きこんだんだね

-君のホテルは
こともあろうに
買収の憂き目に
遭ってる-と

-そして最近
やたらと君に
つきまとってる
ヴィラの客こそ
それを請負った
張本人だ-と

-だとすれば
狙われたホテルの
幹部の一員
しかも女である君が

内々の情報欲しさに
これ幸いと利用された
カモじゃなければ
いったい何だ-と

想像に
難くない

君がたしかに
受けたであろう
いわれのない
そして多分に
悪意に満ちた辱め

このホテルを
乗っ取りに来たこと
否定はしない

そして僕が
この買収の
請負人であるというのも
また事実

でもこれだけは
誓って言う

乗っ取るために
利用したくて
君に近づいた
わけじゃない

心底求めて
君を追って
この国へ来た

ただそれだけ

買収の
話を受けた
ホテルに君が
幸か不幸か
勤めてた
それも
支配人という
肩書で

ただそれだけ

誓って言う

下心あって
近づいたわけじゃ
決してない
単なる不運な
偶然だった

今さら慌てて
言い逃れかと
作り話も
大概にしろと
他人は笑って
嘲るだろう
それも結構

でもジニョン
君にだけは
信じてほしい

君をだまして
利用しようなど
夢にも
考えたことはない

買収ごときに
そんなことまで
必要なら
脅されようと
殺されようと
請け負ったりなど
僕はしない

だけど
血相変えて
問いつめる君は

僕が一歩でも
近づこうものなら
身の毛もよだつと
後ずさりして

こんな弁解
聞く耳なんか
持たなかった

「本心だった
信じてほしい」

かろうじて
口にした一言すら
君の心には
届きもしない

「さすがに詐欺師は
嘘もお上手
感動のあまり
涙が出る」と

蔑むように
皮肉って
怒りに震えて
僕を睨んだ

「ただ純粋に
愛されたなんて
思った私が
馬鹿だった」

絞り出す
君の叫びを
黙って聞くのは
苦痛だった

後から後から
伝う涙を
ぬぐいもしないで
立ち尽くして
自分を責める
君を見るのは
苦痛だった

「こんな小道具
金さえやれば
言うことを聞く
商売女に
あげたらどう?」

叫び終わるか
終わらぬか

極悪人の
胸めがけて
言葉にならない
怒りといっしょに
手にした何かを
叩きつけて

あっという間に
ドアの向こうに
消えた君

静まりかえった
部屋の床には
見覚えのある
くすんだ銀の
光のかたまり

あのネックレスが
まさか
こんなふうに
舞い戻って
こようとは

君に
正体を
隠した報い

今に至るまで
正体を
明かす勇気が
なかった報い

明かす勇気が
くじけるような
胡乱な博打を
始めた報い

君の心を
失うという

ある日
突然やってきた
取り返しの
つかない報い

12 風防室


僕の正体を
知ってから
ふっつりと
雲隠れして
しまった君を
まる一昼夜
探しあぐねて

それでも行方の
知れない君を
探し歩くのは
もうやめた

君が来るなら
ここしかないと
いう場所で
待とうと決めた

昼下がり
閑散とした
ホテルの裏手

従業員の通用口に
ふいに響いた
快活な声

角を曲がって
現れたのは
他でもない

気も狂うほど
確かめたかった
迷子の黒子の
無事で元気な
いつもの姿

でも
安堵したのは
最初のひと目

今の僕には
あまりに遠く
屈託のない
その笑顔
正視するのも
苦しかった

僕だと見るや
足止めて
黙りこくった
君の拒絶も
こたえたけれど

「時間が欲しい
話がしたい」と

食い下がる
僕の真横を
素通りしていく
そっけなさに
胃の腑がよじれた

君の誤解を
解こうにも
ここへ来た
真の理由を
打ち明けようにも
今しかないのに

遅きに失した
僕にとっては
次なんか
もうないのに

呼んでも呼んでも
振り向きもしない
君の背中に
これ以上
何ができる?

取りつく島も
ない君に
どうしようもなく
苛立って
衝動が
自制を超えた

「ソ・ジニョン!」

語気を荒げて
恫喝まがいに
君の歩みを
止めたのと

前後の
防火扉を2枚 
ロックしたのは
ほぼ同時

君の
進路と
退路を断った
ロックの一つは
焼き切った

今を逃せば
もう二度と
僕に捕まるような
ヘマなど
君は
してくれそうもない

それより何より
これ以上
すれ違いなんか
願い下げ

話も出来ずに
拒まれたまま 
これ以上
耐える気はない

茫然と立ちすくむ
君の前後に
にわか作りの
防火扉の
盾2枚

逃げ道を封じ
閉じ込めてでも
君と話が
したかった

それがたとえ
殺風景な
風防室でも
かまわなかった

君への想いを
1度たりとも
偽った覚えなんか
僕はないけど

「全部話すから
聞いてほしい」と
声を限りに
訴えても

「話にならない
聞きたくもない」と
金切り声の
一歩手前で

僕を睨んだ
その目すら
怒りもあらわに
逸らして伏せる

君はまるっきり
閉じた貝殻

その貝殻に
はね返されて
ああそうですかと
引き下がれるなら
最初から
こんな馬鹿げた
真似などしない

歯がゆくて
限界だった

気がついたらもう
壁を背にした
君の両肩
痛いほど
わしづかみにして
力任せに
押さえてた

その殻を
こじ開けてでも
君の心を
引きずり出して
やりたかった

「どこの誰が
何と言おうと
構わない
ジニョン
僕の目を見て
真っすぐ見て」

声荒げてた
閉ざした君の
心に向かって
叫んでた

人にあれほど
怒鳴ったことなど
後にも先にも
覚えがない

弁解しない
狂気のそしりも
甘んじて受ける

君は怯えて
立っているのが
不思議なほどで

両手でそっと
包んだ頬は
血の気もなくて
震えてたけど

声 荒げたこと
謝る気はない
悔いてもいない

ああする以外に
君は
聞こうとしなかった

「人が何と
非難しようと
知らん顔して
君は僕の
声だけ聞いて

目を閉じて 
耳をふさいで
僕だけを見て」

はったりでもない
誇張でもない
一言一句 
言葉どおりだ

僕の狂気で
君の正気が
麻痺してないか
そのことだけが
怖かったから

恐る恐る
僕を見上げる
君の心に
訊きたくて

君の目に 
君の耳に
問いかけた

「僕の声が聞こえる?」

「僕が見える?」

「僕だけを見てる?」

最初は
かろうじて
ぎこちなく
次は微かに
こくんこくんと
最後は
一瞬おいて
それでもたしかに

たしかに3度
僕の目を見て
うなづいた
君の答えを
信じたかった

何度でも言う

僕は
君だけを追って
この国へ来た

馬鹿みたいに
全部放り出して
君を追いかけて
ここまで来た

ただ単に
利用したいだけの
相手なら
そんなこと
頼まれたって
するもんか

そして何よりも

「よく聞いて
愛してる
ジニョン」

嘘偽りは
一つもない
言いたいことは
残らず言った

今度こそ拒まずに
受け取ってほしかった
心に届いてほしかった

信じてほしい

そう念じて
そっと口づけた

逸らすことなく
射るように
僕を見つめて
ゆっくり閉じた
君の目を
信じたかった

触れた瞬間の
身じろぎを
自分の力で
そっと静めて
応えた君の唇の
その柔らかさを
信じたかった

僕の肩に
それから首に
君が自ら
預けてくれた
両腕の重みを
信じたかった

従業員通路の
風防室で

手出しもできない
野次馬たちが
呆気にとられて
覗き込む
無味乾燥な
鋼鉄の箱の中で

今度こそ
信じてくれたと
信じたかった

13 桎梏

ホテルの失態
客である
僕への非礼

謝罪に来たのが
総支配人の
あの男では
なかったとして
僕の譴責
いや詰責は
あれほど
容赦なかったろうか

子どもの遣いでも
あるまいに
詫びの印に
花だワインだ
笑わせるなと
足蹴にした

百歩譲って
慰謝料として
受け入れるなら
君しかないと
突っぱねた

赦しを乞うなら
君を1人で
ここへよこせと
奴に怒鳴った

あの男には
人身御供に
差し出せとでも
聞こえただろう

それも一興

ホテルを賭けて
勝負しようかと
いう相手

ホテルの他に
もうひとつ
譲りたくない
ものがあると

いや 
死んでも譲れない
ものがある
それが君だと
奴に
通告したつもり


(2)


謝罪と称した
噴飯ものの
茶番劇から
小一時間も
たっただろうか

君は単身
乗りこんできた
真夜中だった

「お客さま
お呼びでしょうか?」

総支配人には
無断で来たと
直談判だと
釘刺して

勧めたワインも
これ見よがしに
飲み干した

どこから見ても
慇懃無礼な
けんか腰

僕の神経
逆なでようと
懸命だった

「正体ばれたら
開き直って
八つ当たり?
逃したカモへの
腹いせを
ホテル相手に
憂さ晴らし?」

歯に衣着せない
糾弾ぶりは
ついさっき
奴をなじった
僕ですら
舌を巻くほど
辛辣で

ホテルの窮状
総支配人への侮辱
見て見ぬふりは
できないと

こわばった目と
震える声で
そう言い切った

「ホテルのことは
心配ない
君自身の職も
安泰だ」

どんなに言葉を
尽くしてみても

「涙が出るほど
有難い」と

真綿で針を
くるんだような
皮肉を聞くのが
関の山

金品という
手段でしか
君への誠意を
表せなかった
無骨を詫びても
火に油

「金で心を
買うのが誠意?
でも
バラも食事も
ネックレスも
カモ相手なら
やり口としては
天下一品

それが証拠に
狙ったカモは
苦もなく
いちころだったでしょ?」

君は敵意を
むき出しだった

ジニョン

斜に構えるにも
程がある
黙って聞くにも
限度があるよ

じゃあ
ひとつ訊く

「本心だった
誠意だったと
どれほど言ったら
信じてもらえる?
僕がそんなに
信じられない?」

穴があくほど
睨み返して 
答えを待った

せめて
次の怒りが
ほとばしる前に
答えてくれと
念じたら

聞きたかった
答えより先に
君の頬を
涙がひとすじ
伝い始めて
やまなくなった

「こんな風に
出逢ったことが
恨めしい
あなたの仕事も
恨めしい

私には
分身みたいな
このホテル
どうしてそんなに
奪いたがるの?」

心外だった

心外すぎて
言葉に窮した

真夜中に
単身敵地に
乗り込んできた
君の抗議の
矛先が

ホテルの買収?

「お客さま」
「お客さま」と
悪意を込めて
繰り返し

一言一言
ことさらに
楯ついてまで
僕に向かって
ぶちまけた
怒りの理由が

僕が君を
色恋じかけで
利用した
侮辱したという
女性としての
抗議ではなく

このソウルホテルの
買収を
企てたこと?

呆然とした

今初めて
ゆっくりゆっくり
腑に落ちて

腑に落ちながら
僕たちの
あまりの距離に
愕然とした

屋台骨など
どう変わろうが
ホテルはホテル
企業は企業と
僕は言い

ホテルは決して
寝泊まり用の
ビルじゃない
誇りや情や思い出の
塊なんだと
君は即座に
突っぱねる

仕事は仕事 
恋は恋
次元が違うと
割り切る僕に

愛おしい
自分のホテルを
右に左に
売った買ったと
おもちゃにされて
いい気はしない
そんな風には
割り切れないと
君は1歩も
譲らない

僕にとっては
君との接点
それ以上でも
以下でもなく
片手間の余興に
過ぎないはずの
ソウルホテルの
買収が

君にとっては
呪っても
呪ってもまだ
足りない災厄

奈落の底まで
突き落とされた

事はあまりに
明白で
思うよりはるかに
深刻で
自分の犯した
大いなる誤算に
息をするのも
苦しかった

この部屋に
入って来るなり
僕を罵倒し
揶揄しつづけて
今の今まで
君が
保ってきた闘志

何がどうして
砕けたろう?

かぼそい声が
震えてた

「信じたい
心があなたを
信じたがってる
いっそ
信じられないほうが
どんなに楽か」

奈落の底で
その一言で
ほんの一瞬
天にも昇る
心地になった

充分だ

僕の想いが
嘘ではないと

そのことさえ
君の心に
通じていれば
それで充分

でも酷いかな
現実は

買収を
企てようと
する以上
君の心を
手にすることは
僕には
ほとほと許されず

買収という
足枷ゆえに
君とは永遠に
敵味方

それが
酷くて確かな
現実なんだと

奈落の底で
もう一度
奈落に落ちて

不覚にも
涙がこぼれた

目の前の
君との間に
溝とも淵ともつかぬ
ホテルという
深く険しい
桎梏を見た

君をそこまで
駆り立てるのが
純粋に
このホテルへ
愛着なのか

あるいは
総支配人の
あの男への
執着なのか

意地悪く
問いただしても
君本人すら
涙にくれて
「わからない」と
頭を横に
ふる難問

でもそれ以上に
僕にとっては
到底
看過できない難問

そんな
おまけまでついた
あまりにも
よく出来た
桎梏だった

14 待ちぼうけ


たかが買収
されど買収

買収という
足枷ゆえに
君を永遠に
敵に回して
望みもしない
対峙をつづける
くらいなら

それならいっそ
賭けてみよう
そう思った

今夜
ここで
君に逢えたら

約束どおり
君が来るなら

この買収から
僕は一切
手を引こう

僕が仕掛ける
買収ゆえに
ホテルの前途に
君が無用に
心を痛める
くらいなら

僕が目論む
買収ゆえに
君が
ホテルの行く末に
涙を流す
くらいなら

夜が明けたら即
依頼主に
買収の
契約破棄を
通告しよう
そう思ってた

真夜中12時
約束の場所
待ちこがれても
人影はなく

10分過ぎ
20分過ぎても
教会の
はるか後ろの
重い扉は
コトリと動く
気配もなかった

判ってる

君が来るまで
このまま待てば
それで済む

義理堅さが
服着て歩く
君のこと
何時間遅れようが
必ずや現れる

待たせたことを
詫びながら
気の毒なほど
息せききって
駆け込んで来る

判ってる

でもジニョン
それは
今の僕には
来ないに等しい

冷酷
狭量
如何ようにでも
言ってくれ

1年365日
ホテルが
恋人みたいな君に
いや
ホテルの
人質みたいな君に
そうと承知で
強いた約束

しそびれた
あの痛恨の
懺悔をここで
この教会で
もう一度
やり遂げたかった

君を見初めた
顛末も
他でもない
この買収劇の
顛末も
すべて残らず
打ち明けたかった

だから逢いたい
真夜中でいい
せめて最後に
チャンスが欲しいと

一縷の望みで
半ば無理やり
強いた約束

「心が
信じたがってる」と

涙にくれて
うつむいた君を
諦めたくは
なかったから

1度くらい
ホテルも仕事も
かなぐり捨てて
僕のところに
来てほしかった

今日という
今日くらい
他のことは
全て忘れて
約束の時間
きっかりに
目の前に
立ってほしかった

ホテルよりも
僕を
選んでほしかった

まだそう
遠くない昔
この教会で

僕の肩
枕代わりに
まどろんで
帰る間際に
おもむろに
君が笑って
言ったっけ

「懺悔とやらは
もう終わり?
居眠りしてて
聞きそびれちゃった
いつかまた今度
必ずね」

もう忘れた?

それともあれは
あの場限りの
冗談だった?

15 宣戦布告


マティーニ煽った
くらいでは
酔ってもくれない
冷めた頭で
あざ笑ってた
己の滑稽

当直を選ぶか
僕を選ぶか
君に
両天秤に
かけさせて

僕を選ぶと
期待していた
自惚れを
思う存分
あざ笑うしか

砂噛むような
やり場のなさの
紛らしようなど
浮かばなかった
ヴィラへの帰り

通りかかった外苑で
目にした事実は
呆れるほどに
笑止千万

これはこれは

誰かと思えば
当直のはずの
ジニョン
君かな?

となりは
総支配人と
お見受けするが

帰りの遅い
傷心の客を
2人揃って直々に
お出迎えとは
痛み入る

しかも
よりによって
今の今

腕まで組んで
仲睦まじく
お出ましとは
何とも皮肉な
目の保養

ジニョン

慌てて腕を
解かなくていい
弁解も
要らないよ

微笑ましい
その光景が
100の弁解
聞くよりも
はるかに雄弁

教会なんか
来られないのも
道理だったね

当直の
真っ最中で
時計に目をやる
暇もないほど
てんてこ舞いに
ちがいないと

盗難か
急病人か
さすがの君でも
手に負えないほど
緊急事態の
夜なんだろうと

頭では
納得しようと
懸命なのに

ぽつねんと待った
教会で
姿の見えない
君を恨んで
ひとり
いきり立ってた僕を
笑ってくれ

1度くらい
騙されたつもりで
僕を信じて
来てほしかった
それだけなのに

最初も今も
僕の望みは
君だけなのに
何一つ
変わらないのに

待ちぼうけでも
まだ足りない?

こんな惨めな光景を
これ見よがしに
見せつけられなきゃ
ならないほど

僕は
忌むべき極悪人?
信頼にもとる
人でなし?

「信じてたのに
信じられなく
したのはあなた」

今にも涙が
落ちそうなほど
その目は
うるんで赤いのに
反論は
いつになく
冷静だね

ジニョン

君の言い分は
至極もっとも

だけど僕には
100歩譲っても
通りいっぺんの
抗弁だ
他人ごとみたいに
酷くて冷たい
言い訳だ

信じられなく
なったから
信じないのか?

信じられなく
なったら最後
2度と再び
信じないのか?

ジニョン

心底信じるって
どういうことだか
君は知ってる?

何かを心底
信じるって
どういうことだか
知ってるのかと
訊いてるんだ

およそ
信じるに値しないと
頭は笑って
否定するのに
心が勝手に
信じたがること

心がひたすら
言うこと聞かずに
信じつづけて
しまうこと

僕は
そういうことだと
思ってる

風防室で
口づけた日に

僕の想いは
1つ残らず
君に渡した
そして
君の想いも
僕はもらった

少なくとも
あのとき以来
僕はそう
信じてる

君たち2人を
目の前にして
これほど惨めな
今でさえなお
疑いもせず
そう信じてる

ジニョン
前言撤回だ

君が迷わず
その男の
側に立つ今
君たちと僕が
2対1で
相対する今

どうしてもひとつ
勝手な意地を
張りたくなった

君を求める
代償ならと
喜んで
手を引く気でいた
ホテルの買収

手を引くのは
やめにする
成し遂げて
みたくなった

ソウルホテルは
必ずや僕が
手に入れる

僕を疑い
僕を拒んで
ホテルという
隠れ家に
君があくまで
身を潜めるなら

奴との過去を
懐かしんで
今なお後ろを
向こうとするなら

その隠れ家も
その男も
もちろん君も
全部残らず
ひっくるめて

僕のものに
してみせる
約束する

決して
本意では
なかったけど
今こそ
ゲームの始まりだ

ルール?
そんなものは
存在しない

勝ってみせる
ただそれだけ

お先に行くよ

おやすみ
ジニョン

16 単純なこと


あの建物が
行き止まりでさえ
なかったら
見かねて追った
僕を避け
君はどこまで
逃げただろう

年がら年中
身を粉にして

客の身分に
あぐらをかいた
人間の屑の
顔色ばかり
うかがって

挙げ句の果てに
愚にもつかない
難癖つけて
面罵され
おぞましい
侮辱の数々
浴びせられても

口応えもせず
唇噛んで
下を向くのが
ホテリアなのか?

そんな馬鹿げた
むごい務めが
君の仕事か?

健気にも
仕事好きにも
程がある
いくら何でも
正視に耐えない

「僕の視線に
気づいたとたん
足が自然に
逃げ出すほど
自尊心は
限界なのに
なお性懲りもなく
ホテルが大事?

ホテルごときに
どうしてそこまで
意地を張る?
そこまで意地張って
何になる?」

不憫すぎて
歯がゆくて
声を荒げて
問いつめたけど
君はひるみも
しなかった

「好きで選んだ
私の仕事
たったあれしき
耐えるうちにも
入らない
それくらい
仕事もホテルも
宝物

あなたこそ
どうして無理やり
奪いたがるの?
あなたには
宝物でも
何でもないのに

買収を
諦めるという
選択肢は
これっぽっちも
ありえない?

あなたがもし
諦めてさえ
くれるなら」

そこまで一気に
叫んだくせに
恨めしげに
僕を見上げて
口をつぐんだ

僕がホテルを
諦めたら?
続けてごらん

「代わりに君が
僕のところへ
来てくれる?

何もかも
ホテルも捨てて
僕のところへ
来ると誓える?」

断言するなら
したっていい

そんなこと
君には到底
できっこない

君にとって
ホテルは家で
仲間は家族も
同然だから

そしてまた
あの男がまだ
心の中から完全に
消えてしまっては
いないから

だから
そんな度胸は
君にはない

だとしても
諦めない
君だけは
どうしても
諦めたくない

だからこそ
このホテルを
君ごとそっくり
手に入れる

それしかないだろう?
邪魔なんか
誰にもさせない

単純なことだよ
ジニョン

「どうしても
君がそこから
動けないなら
君が今
立ってる場所を
僕のものに
してみせる」

最後まで
苛立って
君に向かって
言ったのか
自分自身に
言ったのかすら
定かでない

返事を
期待した
わけでもない

絶句したまま
立ちすくむ君を
置き去りにして

ぶっきらぼうに
その場を離れた

17 声なき声


あっという間に
抱かれてた

「君の前から
消えさえすれば
気がすむのか」と

声にならない
声振り絞って
思わず弱音を
吐いたあのとき

僕の半身が
この世にいるなら
君しかいないと
いつしか
思い定めて以来
初めて
絶望しかけた
あのとき

あっという間に
抱かれてた

「罪もない
ホテリア達を
100人も

ある日突然
解雇だなんて
むごすぎる

あなたは今に
罰を受ける」と

僕を睨んで
脅した君に
抱かれてた

虫唾が走ると
逃げ出すかとさえ
恐れてたのに

君に抱かれた
ことが不思議で
面食らって
どうしていいか
一瞬迷った

肩の向こうで
小さく聞こえた
君の吐息が
少なくとも
夢ではないと
僕に教えてくれたけど

呆れてるのか
憐れんでるのか

見当もつかないことが
もどかしくて
物言わぬ君の
華奢な体を
包み返した

そのくせ頭は
性懲りもなく

それでも何とか
してみせると
ホテルも君も
何が何でも
手に入れてやると

呪文のように
繰り返してた
果てしなく
独りよがりの
この狂信の徒の
狩人に

涙にくれた
声なき声など
聞こえてこよう
はずもなかった

-狩りをするのは
何のため?-

-意地や嫉妬や
プライドのため?-

-お願いだから
目を覚まして-と

聞く耳持たない
狩人の
傲慢きわまる
腕の中で
声なき声で
君は
叫んでいたらしい

-目を覚まして
人の心を
取り戻して-と

いつからか
ただそれだけを
一心に
僕に向かって
叫び続けた
声なき声

大いなる
独りよがりに
邁進中の
この阿呆には

間違ってもあのとき
聞こえてきては
くれなかった

18 頭領の目


歯牙にも
かけていなかった

空砲の
1発か
2発も撃てば
足すくませて
一丁上がりと
たかをくくった
狩りだったのに

いざ始めてみれば
さにあらず

しかけた罠は
いともたやすく
かいくぐり

放った犬は
追うべき獲物に
出し抜かれ
すごすご
戻ってくる始末

たかだか
鹿の1匹に
いつの間にやら
本気になって
息さえ荒く
なりかけたころ

突如上がった
不審な野火が
山や野原を
見る間に覆って

なす術もなく
あぶり出された
鹿の頭領

総支配人の
あの男が
火だるまと化して
現れた

またその
現れ方たるや
尋常と言うには
ほど遠く

死なばもろ共と
覚悟の果てか
狩人めがけて
常軌を逸した
捨て身の突進

決して
巨大なわけでもなく
周囲を
威圧するほどの
凄みに溢れた
体躯というでも
ないくせに

ひたすら愚直に
勇猛果敢に
何よりも
群れのために
己を捨てて
ためらわない
鹿の頭領

正真正銘
捨て身だった

決裁権者でも
ない僕に
そうと知らぬ筈も
あるまいに
辞表を
叩きつけるなり
臆面もなく
言ってのけた

「あの者たちさえ
救われるなら
自分が去る」と

「愛するからこそ
去って行ける」と

「ホテリアたちを
よろしく頼む」と

もちろん
計算はあったろう

意表を突いて
職を辞すると
見せかけて
幾ばくか
時間稼ぎも
企てたろう

あわよくば僕の
疑心暗鬼を
誘ってでも
形勢が
多少なりとも
有利になればと
目論みもしただろう

ホテルを背負って
矢面に立つ
総支配人なら
至極当然の
計算だ

けれどそれらを
差し引いてなお
奴は
捨て身だった

蛇の道は何とやら
賭けてもいい

狩人の真正面に
敢然と躍り出る
火だるまの鹿

未だかつて
こんな獲物に
お目にかかった
ことはなかった

虚を突かれて
一瞬ひるんで
身もかわした

されど仇敵

思った以上に
手こずらされて
目ざわり
この上ない仇敵

不意の奇襲に
図らずも逸れた
銃口を
今こそとどめと
意地でも
向け直そうとして

でも2度と
そうはできなかった

「鹿の皮だけじゃ
物足りなくて
人としての魂までも
あんたは商人に
売っぱらったか」

「俺ごとき獣1匹
追いまわすのに
悪徳商人の
浅知恵にまで
便乗するのか」

「森をいたぶり 
山も野原も焼き払い
罪のない
獣たちまで
巻き添えにして
毫も心が痛まない

それが狩りか?
それがあんたの
狩りの流儀か?」

火だるまの鹿の
射るような目が

死も厭わない
手負いの鹿の
淡々と刺す問いが

二の句もつげない
忌むべき事実を
言葉少なに
僕に教えて
臓腑をえぐった

えぐり取られて
余りあった

不審な野火が
聞いて呆れる

突如起こった
山火事は

相棒と
見込んだはずが
獲物の鹿に
とどめをささない
狩人に
しびれを切らした
毛皮商人の
下劣な小細工

「じれったいにも
程がある
一網打尽に
してくれるわ」と

助っ人気取りで
放った火炎の
なれの果て

買収を
一足飛びに
片づけたいと
買う気にはやった
依頼人の
ヤクザまがいの
違法な禁じ手

毛皮商人の
残虐卑劣が
その強欲と悪辣が
ヘドが出るほど
おぞましく

それ以上に
そんな輩と
結託していた
同じ穴のムジナの
自分が
呪わしかった

極悪非道の片棒を
担いだに等しい
自分自身が
いまいましくて
視界が歪んだ

狙った鹿さえ
歪んで見えて
息がつまった

狩人は
たとえ喉から
手が出るほどに
仕留めたくても
野山に火など
放たない

火を以て
一網打尽にすることを
狩りとは言わない

でもそれは
口にするさえ
惨めな言い訳
虫のいい
責任逃れ

獣たちには
通用しない

「俺の皮ぐらい
くれてやる
喜んで
くれてやるから
魂は売るな
人としての
魂まで売るな」と

自分こそ
瀕死のくせに
鹿が狩人を憐れんで
意見するとは

職すら賭して
道破する
総支配人の
この男の目

堂々たる
鹿の頭領の目

どこかで見た目だ
それも
それほど昔じゃない

君だよ
ジニョン

奴が勝手に
書いてよこした
辞表の始末

よこした主に
返すなり
その場で破って
捨てるなり
どうとでも
委ねようと
手渡したとたんの
君の目だ

それが辞表と
気づいたとたんの
君の目だ

そっくりだった

「良心が痛まない?
こんなものを
書かせてまで
ホテルを
自分の物にしたいの?
そこまであなたは
人でなし?

自分から
目を覚まそうと
する気もないなら
この先2度と
会う気はない」と

容赦なく
引導渡して
去り際に

僕の手に
辞表をまっすぐ
握らせた
君のその目が

どうすべきかは
わかってるはず
自分の目は
最後は自分で
覚ますものだと

はっきりと
そう言ってた
少なくとも僕には
そう見えた

悔しいけど
あの君の目と
そっくりだった

-狩人が
獲物の目なんか
見たらおしまい
この先2度と
引き金なんか
引けなくなる-

レオの口癖の
この言葉
泣きたくなるほど
正しくて

引き金を
引けないどころか
銃を構える気力すら
2度とは
湧いてこなかった

「狩人失格」

そう
ひとりごちた
だけじゃない

「敵ながらあっぱれ」

思わず知らず
そうつぶやいて
自分で自分に
苦笑した

鹿の目を見たこと
後悔はしてない

それどころか

一刻も早く
手当てをと
瀕死の鹿を
背負いながら
鹿に負けたと
心のどこかで
認めてた

ジニョン

君たち2人に
僕は負けた

負けて
悔いはなかった

19 これを持つべき人へ


本来持つべき
人の手に
もうそろそろ
返したかった

僕から君への
たぶん最後の
ルームサービス

受け取って
くれるかどうか
半信半疑で
届けたそれが

今 目の前に
立つ人の
その胸元に
以前とかわらず
楚々としてある

それを
この目で
見ている不思議

金にあかした
服や小物を
ぴしゃりと
一蹴する君を
どうにかこうにか
なだめすかして
渡しおおせた
唯一の
誕生日プレゼント

そして
あに図らんや
日をおかず

僕を睨んで
出て行った君と
引きかえに
舞い戻ってきた
そのネックレス

以来片時も
肌身離さなかった
いや
離せなかった
悪夢の主役

もはや君を
失ったも同然と
視界もぼやける
絶望の淵で
何十回 何百回
眺めたかしれない
この数カ月

それでもなお
君がどんなに
遠ざかろうと
死ぬまで
諦めきれないと
何十回 何百回
拳の中に
握りしめたか

そのプラチナの
悪夢の主役が
今日この日まで
傍らで
僕の全てを
見届けた

独りよがりの
狩人が
愚行に
猛進するさまも

いいかげん
恥という恥を
さらし尽くして
憑き物が
落ちたみたいに
一転
兜を脱ぐさまも

ミイラ取りが
ミイラになったと
揶揄されながら
全財産を
投げ打って
今度は
株を買い戻し
ソウルホテルの
買収阻止に
死に物狂いに
なるさまも

全て残らず
見届けた
その来し方の証人が
夢かうつつか
今また
君の胸元にある

面映ゆくもあり
ほろ苦くもあり

ただ1人君を
得たいがために
君以外の人
君以外の物の全てを
疎んじて
軽んじつづけた
大馬鹿者が
するべくして
させられた
遠回り

気が遠くなるほどの
時を費やした
回り道

決して
無駄ではなかったと
思いたい

その胸元の
清楚な光を
目に焼き付けて
そう信じたい

株券という
紙切れ以外
ほぼ無一文と
なり果てた
今初めて

心穏やかに
胸を張って
君に言える

ジニョン

「僕と結婚してほしい」

手元で開けた
小箱の指輪に

はにかみながら
黙ってそっと
差し出してくれた
左手を
承諾の意志と
受け取るよ

薬指の
澄んだ光を見届けて
下ろしかかった
僕の手を

素早く強く
握り返した
その左手が
望外の
返事をくれた

君がその手に
込めた力に

「死ぬまで
あなたの半身でいる」と

天にも昇る
返事を聞いた

信じるに値しないと
頭がどんなに
否定しても
心がひたすら
信じてしまう
それが
心底信じることだと

はるか昔に
大風呂敷を
広げた男が

いつになろうと
いつまで待とうと
必ずや君をと
馬鹿の一つ覚え
そのままに
信じつづけて

今やっと
叶った望み
授かった半身

生涯の
たった1人と
豪語して
求め続けた
君だから

何があっても
離したくない

抱きすくめても
抱きすくめても
足りないくらい
そう思う

20 鎧


君をこうして
抱きしめてると
よくよく狐に
つままれる

ただでさえ
華奢でか細い
君の体の
いったいどこに
僕の鎧を
脱がせる魔法を
隠してた?

親に棄てられ
養子に出された
鬱屈と
肩身の狭さ

身よりもいない
異国の土地で
他人に伍して
生きていくには
何が何でも
忘れたかった

負けるのも
見くびられるのも
理由は1つ
-弱いから-
それが嫌なら
這い上がるまで

そう
心に刻んで
生き延びた

胸襟開いて
語り合うだの
誰かに心底
共感するだの

物心ついてこのかた
ただの1度も
経験はない

人に心を
許してみたり
迂闊に情に
ほだされるなど
愚の骨頂
遅かれ早かれ
疎んじられて
捨てられるだけと

身よりもいない
異国の土地で
生き延びながら
身もふたもない
教訓学んだ

救いがたい
僕の偏狭も
貪欲も
傲慢も

異国で学んだ
この教訓と
選んだ生業(なりわい)の
さもしい産物

買収の敵と
みなせば即
力づくで
なぎ倒すなり
周到に
お膳立てして
有無を言わさず
葬り去るなり

何にせよ
相手が頭を
垂れるまで
手を緩めようとは
思わなかった

そのたびに
もちろん金は
面白いほど
ついてきたけど

あっけなかった

その僕が
君に負けた

武器も
標的も
戦略も
どれ1つとして
持たないどころか

飾らない
屈託もない
裏表もない
ないない尽くしで

何ひとつ
疑いもせず
巧むことなく
人の心に
寄り添う君に
僕は負けた

頑なな
僕の心が
着込んだ鎧

君は苦もなく
脱がせてみせた
造作なかった

ホテリアとしての
顔であれ
素の顔であれ

君ほど
無邪気に
楽しげに
本能が
忖度してしまう人を
僕は知らない

他人のことが
放っとけなくて
見て見ぬふりが
できなくて

何よりも
君の心が
他人の心に
寄り添いたがる
喜怒哀楽を
共にしたがる

この僕に対しても
徹頭徹尾
そうだった

人として
許されざる
僕の破廉恥
えげつない
買収攻勢
そのさなかですら
やめなかった

負けという結果を
怖がるなと
意味ある負けなら
喫していいと
一人ぼっちで
肩ひじ張って
楽しいかと

人の懐に
飛び込む酔狂
人の心を
待つ酔狂

君は
やめようとは
しなかった

たとえ無理強い
されたところで
幼いころから
着込んだ鎧
意地でも
脱ぎはしなかったろう

でも
あるときふと
思いもかけず

愛しくて
愛しくて
ならないものが
自分自身の
すぐそばに
寄り添ってくれてることに
気づいたら

片時も離れず
寄り添って
倦むことなく
待ってくれてると
気づいたら

こんな僕でも
いいかげん
脱ぎたくもなる
頑なな
心の鎧

それでなくても
不格好で
重苦しくて
うっとうしい
僕の鎧

それだけじゃない

毎日毎日
笑って怒って
大忙しで
ひとつ所に
じっとなど
してない君に

感心したり
慰めたり
一緒になって
胆冷やしたり

それも
大笑いひとつ
ままならない
窮屈な
鎧着込んで
つきあう我が身が
いいかげん
馬鹿らしくなる
身軽にだって
なりたくなる

そして
気づいたらもう
本当に
身が軽かった

知らないうちに
自分で鎧を
脱いで棄ててた

頑固で物好きな
誰かさんが
寄り添いつづけて
くれたお陰で
いつの間にか
鎧の中は
悔しいくらいに
温かくて

脱いだところで
うすら寒さも
殻を失くした
心細さも
これまた
悔しくなるくらい
微塵も
感じなかったから

いつ脱いだやら
どこでどうして
棄てたやら

今となっては
知る由もない

21 万朶の桜


国外退去と
引き換えにしか
手に入らない
ホテルの無事なら
甘んじて
この国も発とう

君が願った
ホテルの平穏
それさえ
約束されるなら
本望だった

改心した狩人の
最後の努め
そう割り切って
喜んで
この国を発とう

ひとつだけ

君さえいっしょに
来てくれるなら
その望みさえ
叶うなら

だから渡した
チケットだった
ニューヨークに
いっしょに行こうと

でも遅かった

一足先に
君はあまりに
君らしく
自分の努めを
背負ってた

今わの際の
老女丈夫が
君を見込んで
預けた夢
託した遺志

ソウルホテルを
守ってくれと

うなづくことは
とりもなおさず
ホテリアとして
自分の骨を
ここに埋めると
誓うこと

ホテルを離れる
ことはおろか
ましてや
僕と行くことなど
望みはしないと
誓うこと

それでも君は
うなづいた

僕が一目で
見初めた君は
拒まなかった

人の心を
忖度せずには
いられない
君だからこそ
拒まなかった

うなづいた
君の姿を
見届けて
女丈夫は
安堵したろう
そして
安らかに
逝ったはず

目に浮かぶよ
ジニョン

君の選択は
まちがってない

うつ向いて
手にしたチケット
虚ろに見ながら
僕の隣りを
延々歩くに
歩いた挙げ句

「行けそうもない
どうにもならない
ごめんなさい」と

それだけ言うのが
やっとの君を
どんな顔して
見ればよかった?
何と返事を
すればよかった?

よしんば
脅してみたところで
その決心は
変わるまい
君の目を
見てればわかる

ジニョン

あまりに君らしい
選択だから
責めはしない
翻意を促す
勇気もない

だからと言って
その選択を
手放しで
褒めたたえるほど
鷹揚にも
なれそうにない

なれるぐらいなら
最初から
こうまで君を
求めなかった

この僕を
信じてくれた
君だから

求婚に
応じてくれた
君だから

まちがいなく
逡巡もし
涙だって
枯らしたろうに

それでも最後は
自分が
寄り添うべきものを
見失わずに
寄り添いとおす
君のその
呆れるほどの
強さと律儀が

今はつくづく
恨めしい

愛おしさすら
通り越して
狂い出すほど
恨めしい

いつだったか

「この先
たとえ何があっても
僕と一緒に
いてくれるか」と

冗談めかして
尋ねた僕に

「死ぬまで一緒で
離れないから
半身と
言うんじゃないの?」と

たちどころに
口とがらせた
君の声

耳の奥から
不意に聞こえて
よりによって
どうして今と
呪いたかった

ただ1人
心に決めた半身と
共に生きたい

見るもの
聞くもの
味わう苦楽の
ひとつひとつを
残らずすべて
穏やかに
分かち合いたい

最初も今も
僕の望みは
それだけなのに

たった
それだけなのに

それがそんなに
不遜だろうか
身の程知らずな
望みだろうか

たかだか
紙切れ1枚が
ニューヨークまでの
チケットごときが
つくづく因果で
途方に暮れた

泣きたいほど
途方に暮れて
それでも

夜更けの
万朶の桜の下で

君が黙って
返そうとする
そのチケットを
受け取る気には
なれなかった

受け取ることは
君なしで
1人で発てと
自分に課すこと

君を金輪際
あきらめると
自分で自分に
宣告すること

それだけは
したくなかった
支離滅裂だと
わかっていても
できなかった

今は
意地でも
受け取らない

宙ぶらりんの
そのチケットは
今夜一晩 
君に預ける

うなだれて立つ
君の両肩
強く支えて
額にそっと
口づけた

考えてみて
もう1度だけ

出発は明日
時間はまだある

きまぐれな
万朶の桜の
花びらが
漂っては
舞い落ちながら

支離滅裂な
僕の本音を
笑ってた

22 永遠に預ける


チケット1枚
握りしめて
制服姿の
ホテリアが1人
靴音高く
狂ったように
駆け込んできて

仁川(インチョン)の
出国ロビーが
ざわついたと
風の便りに聞いた

僕が発つのと
前後してたと
そう聞いた

僕にはそれで
充分だった

ジニョン

半身でいると
誓ってくれた
その君を
もし万が一にも
失うなら

僕にとって
それは即
我が身を半分
失うこと

犯しつづけた
傲岸不遜の
罪の重さを
心の底から
羞じたあの夜

幸運など
こんな僕には
未来永劫
許されまいと
心くじけて
自嘲した夜

「私たち
出逢ったじゃない?」

これ以上の幸運が
あるなら言ってと
言いたげに
言下に笑んだ
黒い瞳が

怯懦な僕への
計り知れない
慰謝であり
鼓舞であったと
君は知ってた?

うなだれる僕を
刮目させた
無垢で
怜悧で
強靭な君を

僕は決して
あきらめない

この世で出逢えた
たった1人の
半身だから
失えない
失いたくない

寄り添いながら
待ちつづけながら
言わず語らず
君が教えた
温かさ

僕の鎧を
難なく脱がせた
温かさ

今度は僕が
返す番

君が呆れて
もう結構と
いつか吹き出す
日が来ても
包んであげたい

温かく
包んであげたい
生涯 君を

だから
迷わなかった

ソウルを発つ朝
あのときすでに
決めてたこと

君が来るのが
叶わないなら
僕の方から
行くだけのこと

僕のところへ
君が来るのが
許されないなら
この僕が
君のところへ
行くだけのこと

それだけのこと

要は
-待てない方が負け-

古今東西
勝負の
普遍の法則らしい

してみれば
最初から最後まで
僕の負け

ロビーの
はるか彼方から
大きな瞳を
パチクリさせて
まっすぐ
僕に近づいてくる
もう泣きべその
ホテリアに

預けよう

人一倍
涙もろくて
掛け値なしに
有能で
そして何より
無条件に
信ずるに足る
このホテリアに

永遠に
僕の銃を
預ける

ジニョン
待たせたね

長い間
待たせすぎた

その代わり
これからはずっと
ここにいる

ずっと
君のそばにいる


   <完>

このホテリアにこの銃を

最後までお付き合いいただき
本当に有難うございました。

9月29日(月)から、『チンタ 残してゆくじゃじゃ馬さんへ』
(全11章)をアップする予定です。
よかったらまた、お読みいただければ幸いです。

このホテリアにこの銃を

  • 韻文詩
  • 中編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-20

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1 異国にて
  2. 2 ルームサービス
  3. 3 再会
  4. 4 フランス料理と安うどん
  5. 5 独り占め
  6. 6 ビリヤード
  7. 7 金づち
  8. 8 5分でいい
  9. 9 眠りに堕ちた司祭
  10. 10 誕生日
  11. 11 露見
  12. 12 風防室
  13. 13 桎梏
  14. 14 待ちぼうけ
  15. 15 宣戦布告
  16. 16 単純なこと
  17. 17 声なき声
  18. 18 頭領の目
  19. 19 これを持つべき人へ
  20. 20 鎧
  21. 21 万朶の桜
  22. 22 永遠に預ける