落下する、ただし恋には落ちない

突然、目の前で男がテーブルクロスを引き抜いた

突然、目の前で男がテーブルクロスを引き抜いた。まるで食器たちが浮いているかのようにクロスは静かに引き抜かれていった。”すごいもの”ってこれのことか、とサユリはウンザリした。正直、自分に得にもならない”すごいもの”を見せられてもサユリの心は1ミリも動かない。そのクロス後で誰が戻すと思ってんの、そう心の中で毒づいた。まあ、私じゃないんだけど。
いま、テーブルクロスをひきぬいたこの男はどこかの企業の経営者だと言うが、恐らく嘘だろう。いや、正確に言うならば、本当のことを言っていない、というのが近いだろうか。サユリには相手の言っていることと真実との距離感を測る力があった。この仕事も長く続けていると色々と身につくことも多い。かくいうサユリも相手に本当のことは言っていない。自分の趣味は本当は映画館巡りでもないし、身につける宝飾品はできれば控えめなものがいいし、この男と結婚するつもりだって毛頭ない。男の前ではサユリは、ヒロミと名乗った。結婚詐欺士だった。

「まあ大抵のものは動かせる力があるよ、僕は」適当に相槌をうつサユリに男は言った。ーこれは、真実だ。少なくともこの男の中では。そう思い込んでいる。自信家は褒めてやるに限る。たいていの場合、男の自尊心を飾り付ける会話のスパンコールをタップリくれてやると、こっちには本物の宝石がかえってきた。
男のどうでもいい自慢話とやりとりを交わすうち、サユリにも酔いがまわってきた。ちょっとゴメンね、と席を立ち、少し酔いを醒まそうと屋上へ出た。柵へ寄りかかり溜め息を一つついたところで、柵が外れた。唐突に。バランスを崩したサユリは重力に引かれてはるか足下の路地裏へ落ちていった。
自分はどうなったのか。気づくとサユリは闇の中で宙吊りになっていた。どうやら排水管か何かに洋服が引っかかっているようだ。状況を把握しようと少し体をひねると、ビビッと布の裂ける音がしてサユリの体がほんの少しだけずり下がった。遠く足下には薄汚れた路地がユラユラと揺れている。いや、揺れているのは自分なのだ。いま、自分の全体重を支えている薄手の布切れが裂けて千切れたら…。一瞬で体が冷たくなった。
誰かー。か細い声で呼びかけると頭上から応える声があった。「どうしたんだ」屋上から覗き込んでいるのは、テーブルクロスの男だった。助けて!サユリはなるべく力をかけないように叫んだ。ダメだ、届かない、と男が返す。「誰か助けを呼んで」「そんなことしている間に落ちるぞ、君、名前は?」「…は?」
何をいっているんだ、この男は。「名前だよ、ヒロミっていうのは偽名だろう?本当の名前はなんていうんだ?」
こいつ、知ってたの?とサユリは思う。だけど、こんなところで問い詰めることないじゃない。「騙しててごめんなさい!お願いだから、誰か人を呼んで。早く!」「だから、名前を教えてくれないか」体がまた数センチほどずり落ちる。小さく悲鳴をあげたサユリの代わりにうすいピンクのハイヒールが落ちていった。もう時間がない。
「誰か助けて!」あらん限りに叫んだが、虚しく反響をするだけだった。「名前、教えてくれよ」次の瞬間サユリを支えていた命綱が千切れた。
「ばかやろー、あたしの本当の名前はサユリだ!」
それであんたは満足か? 暗闇へ落ちて行きながら目の前の間抜けを心底呪った。だが、いつまでたってもサユリの体は落ちていかなかった。浮いていた。そのまま優しく浮かび上がり、屋上のアスファルトの上に降ろされた。
「超能力…?」一体何が起こったのか、へたりこんで放心しているサユリに向かって、男が自慢げに言った。「言っただろ。大抵のものは動かせるんだよ、僕は」

超能力者で命の恩人。ただし、その自慢げな態度が鼻にかかって台無し。
残念ながらサユリの心は1ミリも動かなかったけれども。結局。



++超能力者++
市田 達也(いちだ・たつや)
EPS:名前のわかるものに限り、念動力が使える

落下する、ただし恋には落ちない

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落下する、ただし恋には落ちない

2分で読めます。「話の中に必ず超能力者がひとりは出てくる」というしばりで掌編の連作を執筆中。 超能力者の名前と能力が必ず最後に記載されてますので、答え合わせ感覚で読んでいただければ幸いです。

  • 小説
  • 掌編
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  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-18

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