箱女
狭く苦しい世界は…
私のすべてかもしれない。
この闇が私を包む時
すべてが解き放たれる。
閉ざされた世界での快感。息も詰まる空間に埋れてみたい。
私は小さい頃からここが好きだった。
暗くて、狭くて、カビ臭い………押入れの中が………
始めて入った時の、あのドキドキ感を今でも覚えている。
何も見えない真っ暗な世界は
何でも見せてくれた。
自由に羽ばたいて何処へでも行ける気がした。
でも成長するにつれて、それは味気なさを増していった。
もっと小さい、もっと狭い場所に行きたい!
そしてある日の朝早く、それを見つけてしまった。
人目に着きにくい裏路地に捨てられていた……トランク……
誰にも見られていない事を確認して待ち帰った私は
一人興奮を抑えられずにいた。
入ると手足を目一杯縮めなければ入れない窮屈さ。
蓋をすると一筋の光も通さぬ真っ暗な闇の世界。
そして…
消毒でもしたのだろうか?ほのかにアルコールのような薬品臭がしている。
まさに理想郷とはこの事だった。
私はちょっとした陶酔感を味わいながら、
そのトランクの中での世界を一人感じていた。
と、いきなり…
『さぁ、お客さん、ちょっとこちら注目するアルよ。種、仕掛け、ちょこっとアルけど
今からこの箱にこの剣を刺していくアルよ。』
見える…真っ暗なトランクの中にいるのに、その光景が見えている。
マジックショーなのだろ。私が入った(とされる)箱に剣が刺されると
その度ごとに“歓声”と“どよめき”が客席から沸き起こる。
「すごい!凄すぎる!」
思わず声を出しそうになったその瞬間……アァ〜……
《やりましたね、教授。これは歴史に残る大発明ですよ。》
………どうやら場所が変わったようだ。
『あぁ、この箱の発見により世界の歴史は塗り替えられるかもしれん。
さぁ、あけるぞ』
“ダメ、開けちゃダメ。中にいるのは私なの…アァ〜…”
こうして私はこのトランクの中で色んな処を旅していった。
今までただ暗い所で息を殺してジッとしている時の何十倍もの興奮が私を包んでいった。
私はこのトランクの中にいることに、はまっていった。
会社に行くことも忘れ、食事を取る事もせず、寝ることさえ惜しんでは
トランクの中の世界にドップリと浸かっていた。
2週間近く無断欠勤した私を不審に思い、会社の同僚がアパートを訪ねて来た時には
私はトランクを大事そうに抱え、声も出さずに笑っていたそうだ。
あれから10日たち、療養を終え病院を退院した私は
さすがに“やばい”と思い、元々トランクが落ちていたあの“裏路地”に捨てにいった。
でも…最後にもう一度…もう一度だけみてみたい!
気がつくと私は窮屈なその空間に膝を抱えた姿勢でトランクの蓋を閉めていた。
〔警部補、やっと見つけましたね、このトランク。一体何が入っているんですか?ちょっと開けてみましょうか〕
{あっ!ダメだ!!開けてはいけない}
警部補は慌てて俺の手からトランクをひったくると、こう言った。
{バカな事をするんじゃない。このトランクは“人間兵器”を作るために恐怖を快楽に変えてしまうー国が極秘に開発している“新薬”を運ぶためのものだよ。トランクの中には“薬”が染み付いている。こんな所で蓋を開けて我々が感染でもしたら大変な事になる。こんな物はゴミ焼却炉の中にでも捨ててしまいなさい。}
〔しかし、何か重たいですよ、このトランク。中に何か入っているんじゃ?〕
{構わん。どうせ実験した動物の死体か何か入っているのだろう。…いいから早く焼き捨ててしまいたまえ}
“今度は何処に行くのだろうか?”
私は期待に胸を膨らませて、その時を待った。
“あぁ〜、暖かい。ここは南の楽園だろうか?”
ジリジリと肌を焼く感触に酔いしれながら、私は最後の余韻に浸っていた。
“アッハハハ、炎がみえる。私の肌を溶かしていく…炎が…アッハハハ、アッハハハ”
燃え盛る炎に身を焼かれる様を目の当たりにしながらも
何故か、私の中に『恐怖心』は少しも湧いてこなかった。
箱女
子供の頃の“押し入れ”の中は
別の世界への入口だと思っていませんでしたか?
あのドキドキ感を
忘れられないーあなたはー
開いてはいけない扉に手をかけてませんか?