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あーそうか、君だったのか。

夢のない夢を見た。

夢ならせめて、夢を見せてくれればいいのに。
重たい瞼を持ち上げるのと同時に、僕は清々しい朝、そんな愚痴で新しい1日を始めた。
魔法使いか世界を救う勇者になって、いくつもの仲間の死を超えながら突き進んでいく苦難と栄光に満ち満ちた英雄物語なんかじゃなくていいんだから。
身一つで青い空を自由に飛ぶとか、青い海をどこまでも潜って得体の知れない未確認生物とランデブーする深海探検とか、そんな夢。

まぁ、とりあえず、僕が見たい夢はそんなところで、逆に言えば僕は今日、そんな夢は見てないってこと。
実のところは、今日どころか、前にそんな夢を見たのがいつなのかだなんて、覚えていないのだけれど。

実際に僕の見た夢について少し話そう。

登場人物は僕と僕がずっと好きだった女の子だ。
僕が、数字の一から十まですらまともに数え切れないくらいような、ちび助の頃から好きだった女の子だ。

雪やこんこん、霰やこんこん。

僕は独り、海浜公園の広場を歩いていた。
広場は海浜公園の一部で、海に沿って長く伸びている。公園の端から端までは、大人の足でも歩いて20分くらいかかるほどで、往復するだけでもなかなか歩きごたえがある。
公園全体は、象牙色をしたそれぞれ形の不揃いな石畳が、びっしりと敷き詰められている。中間地点の石畳だけは、くすんだ赤い石が正円を描くように配置されていた。
風がほとんど吹いていないため、鼻を突くような尖った潮の匂いはなかった。
粉雪も落下地点を惑わされることなく、地面に従容として吸い込まれ、降っては降っては、ずんずん積もっていった。

下は黒のスウェードシューズとパンツ、上は気に入っていたダークレッドにチェック柄の入ったメルトンのPコート。
おまけに白と黒のブロックチェックのマフラーを首に巻いて顎を埋めていた。
そんな格好だから、端から見れば(実際は周囲に人はいなかったけれども)、白い背景には僕だけが切り取られたように見えただろう。
霞んだ海を左手側に、横目に見ながら、昨晩からの雪で特別に麗白(ましろ)な絨毯の敷かれた広場の真ん中を、突っ切るように歩いていた。
コートのポケットに両方の手を突っ込んだまま黙々と。
前髪が伸びていたので、雪が無遠慮に引っかかり、視界がどんどん白くなっていったので、たまに右手で払った。

歩く以外に僕がしていた動作といえば呼吸と、それくらいだった。

“何も考えたくない”、を考えてしまうパラドックス。
そんなどうしようもないパラドックスを、常日頃から抱えるような僕だけれど、夢の中でもそんな自分から抜け出せず、やっぱり“何も考えたくない”を考えていた。
考えたくなくて、雪が自分に降り積もるのも構わず歩いていた。

独りよがりに蝕まれ、現実に否応なく切り刻まれる。
それでも強がって強くなろうとしていた、僕。
だけどそれは、前の傷が癒えないうちから、新たに薄ピンクの傷を次から次へと作っていくようなものでしかない。
苛烈な自傷行為と同義であると気付くには、心は柔軟性を失い過ぎていた。
叩いた端から割れていく。
弾くことを知らない心は、あまりに強く、脆く出来すぎていて。

それでも僕は足を決して止めなかった。

泳ぐのをやめたマグロは死んでしまう。
馬鹿げている。
マグロは魚だ、魚に馬も鹿もこうもあったものか。
僕がしているのは比喩の話だ。

めぐりめぐる途轍もなく他愛のない論争僕の頭の中で乱反射する。
乱反射の条件は物理で勉強したんだ。そういえば僕は光学、波動の分野が苦手だった。
雪が落ちるのは万有引力のせいだ。
これも物理で勉強したんだ。
万有引力の大きさは質量に比例して、ニ体間の距離の2乗に反比例する。
万有引力定数に二つの物体それぞれの質量を乗じて、それをニ体間の距離の2乗で割ってやれば、
ほらどんなもんだ、僕らが地球上で重さと呼ぶものが出てくる。
他愛ない。他愛ない。他愛ない。



夢の不思議。
いつ見たのか、内容も、その断片すらも残っていないのに、かつて存在したことだけを覚えている。
「昨日の夜は夢を見たんだ。でも内容は思い出せないんだ。確かに見たのになぁ。」
まるで宗教のよう。
無い物を確かな形で信じ込ませる。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-16

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