赤い花火(最新版)
携帯販売店に勤める井本は親密な交際相手、バーのママ恵子から携帯大手社長橋本を紹介され、独立開業の手助けをしてもらう。
赤い花火の下で男はなにを掴もうとするのか。
携帯販売店に勤める井本は親密な交際相手、バーのママ恵子から携帯大手社長橋本を紹介され、独立開業の手助けをしてもらう。その夜、有頂天の井本は恵子を相手にたっぷり奉仕をしてやった。ところが、恵子には変な癖があった。コトが終るとすぐにバスルームに駆け込み、シャワーの音をたてるのだ。井本は興ざめしてしぼんでしまう。それに誰かに覗かれているような気がしてならない。
自分で会社を興すことになった井本は店員の弘美を誘い、新会社のスタッフに加える。もちろん、それは下心あってのことで、弘美もまんざらではない。後輩大平の協力で弘美と関係を結ぶことの出来た井本は、妻志保、バーのママ恵子、弘美との三重生活を始めた。
ある夜、恵子のマンションで、井本はいつになく敏感な恵子に応えていた。しかし、例によって恵子はコトが終ると浴室に駆け込んでいく。浴室には新店舗のスポンサーも兼ねる橋本が潜んでいた。彼は他人の情事を覗かないと自身が役に立たないのだ。橋本が恵子とバスルームで行為中に卒倒してしまう。恵子の悲鳴で浴室に飛び込んだ井本は事の顛末を知って憤然とする。
家に戻った井本は、橋本の死で仕事の失敗を覚悟し、ショックで不能になる。その晩、夫を求めた志保はおかしな様子に気付き、夫は性奉仕も仕事も駄目になったのを悟る。
後日離婚届を渡す志保をどうにか宥めた井本だが、今度は友人山本から弘美の浮気現場を知らされる。怒り狂った井本は弘美のマンションに怒鳴り込むも逆に追い出され、恵子のところに行けば、今度は大平と恵子がからみ合っている。プレイポーイ井本も意気消沈し、自宅に戻るが、そこでも志保が浮気をしていた。恍惚の表情を浮かべる妻にくみしだかれていたのは山本だった。
井本が飼い慣らした三匹の牝は、ことごとく彼を見放し、他の男と情事に耽っている。
不能を治そうとクリニックに通い始め、院長の勧めで受付の香に性愛の手ほどきを受け、機能が回復した井本は、香を従え、雌犬たちに復讐を誓う。三人を自宅の地下室に監禁し、手錠をはめて裸にすると、香を女王として倒錯プレイを強いる。
さあ、これこそが性豪井本の真骨頂、肉林饗宴の始まりだった。
折しも季節は夏の暑い盛り。花火が打ち上がる闇空の下で、奇妙な饗宴は繰り広げられる。
「さて。あっちも復活したし、どうするかな」
井本は床に転がり命乞いをする愛人や妻らをいたぶる妄想にふけった。まさか大島クリニックの受付嬢がその世界の女王だったなんて。世間というのは表の顔と裏の顔がこうも違うのだな。ふだんは、大人しく清楚に受け付けに鎮座し、ちいさな声で「こちらにご記入下さい」とか「保険証はお持ちですか」と訊ねるご令嬢。その大きな胸を重そうに受付台に載せ、窮屈そうな水色の制服で隠しているが、いざ夜になるとボンデージの黒革に身を包み、片手にムチを持って裸の男や女を相手に容赦なくそれを振り下ろし、赤や黒のアザを作っては紫色の仮面の下で高笑いするのだから。こんな世界は特定の場所にいき、高い金を払う会員制のクラブでしか味わえないはずだった。しかし、いまこうして香の調教シーンを収めたDVDを院長から借りてみると、そばに脱ぎ捨てられた制服、院長が脱いだ白衣が客のそれとともにソファーに無造作に放り出され、院長みずから手錠をかけられてムチを受けている。井本の住む場所から遠くないところだと院長はいった。まさに日常に潜む倒錯ワールド。彼らの姿態はどこまでが苦痛であり、どこから快楽になるのか、彼らが演じるプレイを見ただけでは想像もつかなかった。ここで、志保、恵子、弘美と交わり、さらなる快楽を要求するなら香の餌食とする。これが院長と交わしたこのクラブの入会条件だった。
「独立開業はまた考えるとして、とりあえず趣味の充実を図るとしよう」
吼えた井本は、股間を触ると満足げに煙草を燻らせた。
―――ガチャ。
書斎のドアノブを開ける音がする。誰だ? 志保か。
「あなた。携帯ショップの新規開業、あきらめたらどう」
妻はおれを揺さぶっている。女房の考えたことは多分こうだ。離婚を選択しないのなら、今の店で地道に働いて欲しい、と。
「ああ。それも考えた。ちょっといろいろと相談してみる。先輩や仕事関係のひとに」
そういうと、椅子に座ったままで女房の尻を撫でてみた。
「いやん。ばか! お店じゃないのよ!」
「確かめただけだ。浮気してないだろうな」
「それはないわよ。馬鹿なひとね」
いや。わからん。あの晩、お前は確かに山本の裸に馬乗りになっていた。オレが夢でも見たというのか。そんなはずはない。しかも、いまの尻具合はどうだ。おれとしていた頃よりも張りが出ているじゃないか! 性交渉がない亭主と暮らすだけでは、あの弾力はありえない。おおかた、携帯メールで連絡をとっているはずだ。山本とな。
そこまで確信はあっても言い出せない男だった。井本という小心者は。しかし、饗宴への序曲は始まろうとしている。大島院長には金を渡してある。若い店員を紹介する見返りに今度の乱交酒宴に参加することが決まっていた。人間というのは少数より、大人数でいたほうが覚醒状態に陥りやすい。ようは、興奮のボルテージが上がってしまうのだ。あのDVDで見たような快楽の坩堝が、もうすぐ味わえるのだ。そう思うと、楽しみでしょうがない。いてもたっても居られなくなる。
―――妻の携帯に男からの誘いのメールを打ってやる。
携帯の申し子であり、携帯会社に勤める井本にとって、なりすましメールの一つや二つ、どうってことはない。
―――ふふふ。志保。お前が快楽に打ちのめされる様子が手に取るようだ。
かつて、三島由紀夫が著した『禁色』において、作家はその精神性を、「精神の完全な不在によって女に君臨する」と表現した。いまの井本が正にその心境だった。井本もそんな器用な手妻(てづま)はできないと思っていたに違いない。
自分が強いる快楽行為は、己の倨傲(きよごう)に過ぎないのか。
男は窓の闇に蠢く影に怯えた。それは自分の影でもあった。
( 了 )
赤い花火(最新版)