愛しの都市伝説(2)

ニ 幸福まんじゅうマン伝説

「幸福まん、幸福まん、幸福まんはいかがですか」
 カセットテープに吹き込まれた声が、何度となく、繰り返される。
だけど、誰も振り向かないし、カセットの声は右の耳から入り、左の耳に抜けるか、もしくは、耳の入る前に、会話や自転車のベルの音、カッカッカッという靴の音が混じり合い、まんじゅうの発音は五十音の一部となり、判読不能となる
 ここは、商店街の一角にある、和菓子屋だ。まんじゅうや赤飯、せんべいなどの和菓子を製造・販売している。
特に、力を入れているのが、幸福まんじゅうだ。ひと口大の、カステラ生地で、中は、白あんの焼きおまんじゅうだ。大判焼きならぬ小判焼きと言ってよい。一個五十円という値段の安さは魅力的だが、あまりにも普通過ぎて、昔ながらのなじみの客以外は購入しない。ありふれているということが致命傷になっているのだ。
 松岡には子どもが二人いるが、店がこんな状況なので、後は継がずに、銀行や役所に勤めている。妻も近くのスーパーで、パートで働いている。松岡一人が、この店を切り盛りしている。もちろん、切り盛りするほど忙しくはないが。たまには、自分を手伝ってくれる人が欲しいとは思う、だけど、アルバイト代を出すほど店は儲かっていない。自分一人でやるしかない。客が来た。
「幸福まんじゅうを十個ください」
 子ども連れの、顔なじみの客だ。妻はパートから帰って来ていない。松岡はまだ百個以上売れ残っているまんじゅうの中から十個を袋に入れた。このまま売れ残ると、今晩の夕食の主食とおかずが幸福まんじゅうという不幸な状況に陥ることになる。
「はい。まいどあり」
 松岡は袋にまんじゅうを詰めた。手が伸びてきた。パートに出ている妻が帰って来たのか。いつもよりも早い時間だ。手伝ってくれるのか。その手に袋を渡す。
「はい、ちょうど五百円ね」
「幸福まんじゅうマン、バイバイ」
 客と子どもの声がした。幸福まんじゅうマン?松岡は振り返った。そこには白い着ぐるみが立っていた。
「あんた、誰?まさか、千恵美?」
 千恵美とは妻の名前だ。着ぐるみは返事をしない。首を横に振るだけだ。松岡は着ぐるみを見る。顔はまんじゅう顔で、体もまんじゅう体で、足もまんじゅう足だ。どんな安易な表現だ。だが、まんじゅうとしか言いようがない。額には、幸という字が刻まれている。
「あっ、幸福まんじゅうマンだ」
「面白い」
「カワイイ」
 子ども連れや女子高校生が集まってきて、輪が出来た。みんな、携帯電話で写真を撮り、友だちにメールを送っている。そのメールを見た友人たちが、まんじゅう屋に押し掛けてきた。あっと言う間に、店が商店街の通路から見えないくらい人だかりとなった。もちろん、ニ間ほどの間口の店だ。十人も寄れば店は見えなくなる。
客たちは幸福まんじゅうマンを撮影した後、紙芝居を見たときと同じように、幸福まんじゅうを一個、ニ個と買って、口の中に放り込んでいく。幸福まんじゅうマンと言えば、ガッツポーズやシュワッツポーズ、など客の要求に答えている。
 まんじゅうは、あっ、と言う間に売り切れてしまった。客も十分堪能したのか、いっ、と言う間にいなくなった。松岡は、着ぐるみのおかげで、幸福まんじゅうが全て売り切れたことから、ひそかに残していたまんじゅうを一個を、お礼に着ぐるみに渡そうとした。 松岡が、うっ、と叫んだ。着ぐるみも、客と同様、店の前からいなくなっていた。
「えっ、すごいじゃないの。まんじゅう、全て売り切れたの」
パートから帰って来た妻が驚いた。
「あなた、すごいじゃないの」
 松岡は、自分の力のように言いたかったが、おっ、とそういう訳にはいかない。○○、□□、△△、××と、幸福まんじゅうマンのことを話した。
「何を馬鹿なこと言っているの。そんなのいるわけいないわよ。まさか、自分で焼いたまんじゅうを全部食べてしまったんじゃないのね。口を開けて、あーんして。あら、歯にあんこはついていないわね。それに、ちゃんと売り上げはあるわ。まあ、よかったじゃない。でも、幸福まんじゅうマンって、ちょっと安易な名前ね。もう少し、洒落た名前がつけられないのかしら」
 妻の一方的な言い分に、「別に、俺が付けた名前じゃない。客が、一方的にそう呼んでいるんだ」と答える松岡。
「ふーん。そうなの」
 妻は夫の言葉を信用していない様子だった。もちろん、松岡だって、腹の底から幸福まんじゅうマンの存在を信じている訳ではなかった。誰かに手伝って欲しいという願望が、幸福まんじゅうマンという形となって、松岡に夢を見させたのかも知れない。だが、客も幸福まんじゅうマンを見たと言っている。
 と、言うことは、松岡と客の共同幻想として、幸福まんじゅうマンが現れたことになる。松岡は、後継者を望み、客は幸福を求め、その共通した思いが、幸福まんじゅうマンを生みだしたのかもしれない。妻には見えないと言うことは、妻は、この店の後継者を求めてはいないし、幸福になることを求めていない、あきらめている、ことになるのか。
 いや、そんなことはない。幸福まんじゅう屋の妻として、二人の息子の母として、妻は幸せなはずだ。だが、幸せは他人が決めることではなく、本人が決めることなのだ。幸せな状態を幸せとは思わない、当り前のことだと思うことが、本当の幸せなのかもしれない。松岡はそう思った。
 翌日のことだった。朝から、幸福まんじゅうを焼き上げ、店頭に並べると、いつものように、カセットのボタンを押す。「幸福まん、幸福まん、幸福まんはいかがですか」と昨日と同じ声が通りに流れる。いや、同じ声ではない。かなりかすれてきた。だからと言って、改めて吹き込み直しする気はない。このまま、かすれて消えてしまってもいいとも思っている。
「幸福まんじゅうマンだ」
 誰かの声がした。松岡は振り返った。そこには、昨日と同じ着ぐるみが立っていた。ひじで隣の妻をつつく。今日は、妻はパートが休みだったので、店を手伝ってもらうことにしていた。内心、幸福まんじゅうマンの存在が嘘でないことを知ってもらいたかったのだ。
「何?」
 レジの釣り銭を数えている妻が前を向いた。
「着ぐるみ?」
 幸福まんじゅうマンの周りに人々が集まって来た。と、同時に、まんじゅう屋にもまんじゅうを求めて列が並んだ。
「幸福まんじゅう、一個ください」
「幸福まんじゅう、十個ください」
「幸福まんじゅう、二十個ください」
 まんじゅうは焼き上がると同時に、飛ぶように売れた。その間、「幸福まんはいかが。幸福まんはいかが」のカセットテープの声に合わせて、幸福まんじゅうマンは、店の前で、身振り手振りのパフォーマンスで、呼び込みをしてくれた。おかげで、午前中にまんじゅうは売り切れてしまった。
「さあ、今日は、早いけれど、店じまいするか」
「そうね。ほんと、あなたの言うように、着ぐるみのおかげで、商売繁盛だったわ。あら、着ぐるみは?」
 松岡は、店の片付けに気を取られていて、幸福まんじゅうマンのことは忘れてしまっていた。
「また、明日、会えるだろう」
「そうね。明日、来たら、ちゃんとお礼を言わなくっちゃ。アルバイト料も少しは出さないと」
「そうだな」

 翌日、松岡たちの期待に反して、幸福まんじゅうマンは現れなかった。だが、幸福まんじゅうマンが現れるのを期待して、客はまんじゅう屋にやってきた。
 一日飛ばしとか、ニ日飛ばしとか、はてまた、五日間連続してとか、不規則な登場が、返って、幸福まんじゅうマンの価値を高めた。人々は、幸福まんじゅうマンに会いたいがために、毎日、まんじゅう屋を訪れるようになった。幸福とは全ての人に与えられるものではなく、ひと握りの者にしか与えられないことを知っていたからだ。
 卑近な例で言えば、宝くじである。先日、ある売り場から、八億円の当たり券がニ枚出たと大騒ぎになった。しかも、調べてみれば、同じ人が、そのニ枚を購入していたのである。宝くじとは、多くの人がわずかな金を出し合い、一人勝ちを認めるゲームである。幸せは全ての人に与えられるのではなく、選ばれた者にしか与えられないことを、全ての人が容認しているのである。
 話を戻す。たまにしか現れない、不連続の登場が、幸福まんじゅうマンの人気に拍車を掛けた。人々は毎日のようにまんじゅう屋を訪れ、幸福まんじゅうマンがいれば、体中を触りまくった。幸福まんじゅうマンに触れば、受験に合格する、宝くじが当たる、子宝に恵まれる、商売繁盛になる。(これだけは、まんじゅう屋が、実際に儲かっているので、真実である。)という噂が街中に広がった。
 人々は我先に、幸福まんじゅうマンを触ろうとした。そのため、幸福まんじゅうマンの白い毛並みは、次第に、人々の手垢で小豆色に変わってゆく。小豆のあんこが外に出たような形である。それはそれで、より一層、幸福の本質に触れられるんだということで、人々は、幸福まんじゅうマンを触りまくった。白く神々しい姿が、黒光りを帯び、ブラックホール化していく。
 また、幸福まんじゅうマンが時折り見せるパフォーマンスも人気だった。体を二つに自分で割ると、中から、白あん、黒あん、時には、納豆やおくらも飛び出て来た。バナナや桃、イチゴなども出てきた。意外な組み合わせに、人々は驚き、今日の中身が何かを期待するようになった。
 松岡も期待した。幸福まんじゅうマンの中身を真似して、自分のまんじゅうの餡に取り入れた。白あん、小豆あん、納豆におくら、バナナにイチゴなどだ。
 客は、これをこぞって買い求めた。特に、粘り気のある納豆やおくらは、ここ一番頑張らないといけない受験生に人気だった。店はますます繁盛した。
 松岡は疲れていた。毎日、毎日、まんじゅうを作ることに飽きていた。いや、飽きるのを超えて、へどが出そうだった。実際に、嘔吐下痢を繰り返した。妻も同様だった。もう、松岡の頭の中には、幸福まんじゅうマンが、不幸まんじゅうマンとなっていた。
 ある日のこと、松岡は倒れた。そして、妻も倒れた。店は休業となった。幸福まんじゅうマンは消えた。松岡が元気に回復して、店を再開させたものの、もう客は幸福まんじゅうマンのことは忘れてしまっていた。「幸福まん、幸福まん、幸福まんはいかがですか」の声だけが、人通りの減った商店街に空しく響き渡るだけであった。

 あれから、何年のことだろう。
 松岡は思い出す。記憶の中、幸福まんじゅうマンの思い出の糸をたぐろうとするものの、たぐりよせられない。それが本当にあったことなのかどうかは、今の、松岡には思い出せないのだ。
 その姿を柱の影からじっと見つめるものがいた。幸福まんじゅうマンだった。松岡の頭の中から消えていたが、ようやく、最近になって、松岡がたまに思い出す時に、姿を現せるようになった。だが、過去の不幸な出来事から、なかなか、正面切って、松岡に幸福まんじゅうマン、登場!と切り出せなかった。だからこうして、今は、テナントの入っていないビルの柱の影に隠れて、幸福まんじゅう屋や松岡、その妻のことを見つめるだけであった。
 会いたいけれど、会えない。その葛藤で、時には、ビルの柱が揺れることもあったが、街行く人日は、誰も気づかない。今、伝説は消えようとしている。

愛しの都市伝説(2)

愛しの都市伝説(2)

ニ 幸福まんじゅうマン伝説

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-16

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