バスケットシューズ

初の投稿です。よろしくお願いします。
今作は1年半ほど前に帰国子女友人の話をベースに創作したものです。
90年代初頭、私自身も作中人物たちと同じ時間を過ごし「青春」を感じていた頃のお話です。
ニルヴァーナを聴き心躍らせたのはアメリカのキッズも日本のキッズも一緒でしたよね。
私はエアジョーダンよりエアマックス95あたりがど真ん中でした…
ほぼ処女作です、どうぞお手柔らかによろしくお願いします。

〈 創作 〉
 「バスケットシューズ」       サザナミ

 父親の仕事の関係で日本に帰ってきたのは一九九四年のナオキが十四歳の頃だった。商社に勤務していた父親についてシカゴに四歳の頃に行き十四歳になるまで約十年間、海外生活が続いた。両親の方針で現地の学校に通い、家庭の中では日本語を使った、仲の良い友人たちは当たり前だが英語しか話せなかったので日本語より英語の方が得意だった。
 日本の文化や社会についての知識は浅く、たまに日本の輸入雑貨を取り扱う店で母親が買ってきたかっぱえびせんの絶妙なしょっぱさとエビの風味に「日本」を感じた。アメリカには大味な甘過ぎる菓子が多く、それらをけっして美味しいと感じていない自分に日本人としてのアイデンティティを感じていた。

「ナオキくん、よろしく」
 真面目という言葉が型とおりに当てはまるような黒縁のメガネをかけた男がしゃべった。こういう雰囲気の日本人はアメリカのB級映画で腐るほど見ていた。
 日本の中学校ではクラスを受け持つ先生のことを「担任」と言うらしい、黒縁のメガネ男はどうやらナオキの「担任」らしい。日本ではひとつのことに対して様々な名前がついたり、言い方が違っていたりする、英語ではそんなケースは少ない。
 ナオキには合点がいかないことばかりだった。
 家庭の中で日本語を使っていたが、日本に帰ってきてから細かなニュアンスを理解することに苦労することは多かった。

 ナオキが引越してきたのは米軍の基地がある海の匂いが漂う街だった。父親と別れた母親の実家がこの街にあったのだ。ナオキも三歳に満たない頃この街に来たことがあるらしいが彼自身その記憶は一切ない。
 先ほどから理路整然と話を進める担任にいちいち母が頭を下げる。転校初日に母親が一緒というのは多感な年頃のナオキにとってはやはり恥ずかしいことだった。
「そう、それとひとつご注意があるのですが・・・」
 担任は丁寧に話し始めた。
「ナオキくんの入るクラス、まあつまり私のクラスなんですが、いわゆる非行というか不良の素行がある生徒がいるんですね、木村という生徒なんですが、彼には近づかないようにお願いしたいのです、以前隣の中学校の生徒との間に問題を起こしまして怪我をさせてしまった経緯がありまして・・・」
 担任の話す言葉にやはり母は丁寧に相槌を打っている。
 ナオキは「非行」も「不良」も「素行」もわからない・・・しかしニュアンスで木村という子が問題がある生徒で近づくなと警告していることは理解できた。シカゴにも授業を妨害するような生徒は居たけど彼らを特別視するような風潮は無かったように思う、特に学校がそんなことを態度として顕にしてしまえば大問題になり兼ねない、「管理」より「自由」の中で育ってきたナオキにしてみれば目の前に居る「担任」が話す注意というのが現実味のないものとして聞こえた。
 大人しく聞いているナオキに真面目な担任は微笑みかける、ナオキはそのわざとらしい微笑がどうしても苦手だった。

 朝の緩やかな太陽の光が海の方向から差し込み教室の中は薄く靄がかかっているように見えた、その光は本当に柔らかく寒いシカゴの朝の張り詰めた光とはまるで違うものに感じられた。
 土地が違えば日光の差し方や表情も変わることは、それを実際に体感した人にしかわからないことかもしれない。ナオキはぼんやりとそんなことを考えながら担任が黒板いっぱいに世界地図を描いているのを待った。
 粗末なアメリカらしい大陸の真ん中よりやや右、北の位置にポツンと印が付けられていた。そしてやはり粗末に描かれた日本列島のほぼ中心、太平洋側に印をつけた。
 彼なりにナオキがどこから転校してきて今どこに自分たちの街が存在しているのか図で見せて分かりやすくしようとしていたのだ、いかにも真面目なタイプのすることである。
 担任が世界地図を書き終えたところでナオキは自己紹介をするように促された。
「みんな注目、今日はみんなの仲間になる友達が遠くアメリカから転校してきました、さあじゃあ自己紹介お願いします」 
 担任の声は滑舌が良く静かな教室いっぱいに響き渡った。
 ナオキは粗末な世界地図が描かれた大きな黒板の前にただ一人立ちクラスを見渡した。皆黒い制服(学ランとセーラー服)に身を包んでいる、その様子がなんとなく軍隊を思わせるようで気色の良いものではなかった。シカゴでは、みんなで同じ服を着るということがあまりなかった、それも喉のあたりが窮屈な詰襟などナオキにとってはまるで異世界のことのように感じられた、自分も目の前にいる生徒たちと同じ格好をしていることに言い様のない窮屈さを感じていた。
「シカゴから来ましたクボナオキです」
 ナオキが搾り出すようにそう言うとそれまで黙っていた生徒たちがざわついた。
 海外からの転校がよほど珍しいのか皆ヒソヒソ声で何かをしゃべっている。
「すげー」
 坊主頭のひょろっとした生徒が声をあげる。
「英語話してよ」
 調子の良さそうなメガネをかけた生徒がやはり声をあげた。
「外人なの?」
 まったく空気を読む気のない女生徒が同じくらいのボリュームで言った。
 どうしていいのかわからないでいるナオキを見かねてか担任が前に立ち生徒を静粛に促した。そのまま担任は粗末な世界地図を使い引越しの事情からナオキの趣味(バスケットボール)や得意教科、シカゴの現地校に通っていたことまであらかじめ知らせていた額面上の情報を頼んでもいないのに勝手に話し、生徒たちは納得をした。
 ただ一人ナオキだけがこの状況に納得していなかった。

 ナオキは転校初日から心の中で大きなため息をついた。
 日本の授業のスタイルに慣れていないのもあったが、移動教室や不慣れな教科書の書式、日本の中学生たちのひとつひとつの所作、日本的な「先生」という存在、初めての「学校」に対してのアレルギーがナオキに戸惑とストレスを与えた。
 休み時間のナオキの席には好奇心と野次馬根性丸出しの噂好きな女子が取り囲んだ。同じような質問や答える必要のないような質問が雨のように浴びせられる。
 ナオキはここでうまくやらなければと思い、それらの質問に無難に低姿勢で答えた。
「早く慣れろ、早く慣れろ」
 ナオキは心の中で言い聞かせながら精一杯の笑顔を作った。
 こんなふうにしてあの担任のような微笑になって均一化した笑顔で日本の世間を渡り歩かなければ・・・父と別れて苦労している母親に迷惑をかけちゃいけない・・・そんな思いがナオキをつき動かした。母親の悲しい顔はもう見たくはなかった。

 三限が終わる頃まではクラスも転校してきたナオキのことで独特な賑わいを見せていた。
 しかし、四限が始まる頃クラスの雰囲気は一瞬にして変わった。一番後ろの空いていた席の主が登校したのだ。
 ナオキの隣のおかっぱ頭の女の子が小声で言った。
「あれが木村くん、先生に言われてると思うけどあんたも関わっちゃだめよ」
 不良や非行を見るのはナオキには初めてのことだった。
 木村は他の生徒と違う制服を着ていた。髪も茶色がかっていて整髪料か何かで固めて逆立てている、学ランの丈は他の生徒のものと少し違い短めにしていて、ボタンは留めずひらきっぱなし、その下には白の学校指定のシャツではなく赤色のTシャツのようなものを着ている。
 目は一重で鋭く斜めにきれ上がっている、誰彼かまわず睨みをきかしている、誰が見ても分かりやすい悪そうな顔をしていた・・・ナオキは担任の言った意味がなんとなく理解できた。確かにあの睨みでは関わったらいつ喧嘩になってもおかしくはない、ナオキは担任の言いつけをとりあえず守ることにした。

 給食が終り五限が始まる頃、木村はいつの間にか居なくなっていた。そうするとクラスは元のような活気を取り戻した。これから毎日こんな日々の連続になるんじゃないかという危惧はナオキの気持ちを重く暗くさせた。
 転校初日を無難にこなしナオキは慣れない帰路についた。あまり広いとは言えない校庭を横切り校門を出るとこで何かが聞こえたような気がした。
「やーい外人外人」
 心ない声は校舎のどこからともなく聞こえた、ナオキは振り返り校舎の方を見たがどの窓も閉まっており、午後の日差しを反射させた窓ガラスは無表情で冷淡な表情を見せた。
 子供じみた「からかい」にナオキはじんわりと心を痛めた。

 校門を出て駅の近くの国道をしばらく行くと二十四時間営業のコンビニエンスストアがあった。ナオキがその前を歩き過ぎようとしたら、そこに見た顔が居た。店の入り口には数人の若者が溜まっていた、皆いわゆる不良なのだろう・・・皆それぞれ変わった制服を着ていた、そこに木村が居た。
 ナオキは一瞬、木村と目が合ったが特に何もせずやり過ごした。木村は堂々とタバコをくわえていた、ナオキに気がついていて知らぬ顔をしていた。

 海からの風がナオキの頬をかすめた、潮風は独特の香りをもち、どことなく胸に重く積もるような有機物を含有しているようだった。
 その風が自己暗示を促す・・・
「早く慣れろ、早く慣れろ」
 心の中の声はもう何回反復しただろうか。
 自宅に帰り夕食を終え自分の部屋で横になる頃にはナオキの反復の言葉は変化していた。
「シカゴに帰りたい、シカゴに帰りたい」
 シカゴにはまだ父がいた。父のことが大好きだったナオキにとって今回の両親の決断はやはり苦しいものだった。
 離婚について何が大きな原因になったのか、それは結局わからなかったがナオキにはまったく関係の無いことで、両親の勝手な結論に苛立ちさえ覚えた。
 しかし一方で夫婦にしかわからぬことに一人息子である自分でさえ立ち入るのは、差し出がましいのではないかという考えも持ちあわせていた。ナオキは必死に大人になろうとしていた、自分さえ大人になってこの状況を耐え忍べば母親を心配させることもないし父親にもいつか会えるかもしれない・・・そんな淡い想いを浮かべた。
 ナオキが本格的な眠りに落ちる頃には反復する胸の内の言葉は「父さんに会いたい、父さんに会いたい」という言葉に変化していた・・・。

          *

 転校二日目、二限の英語の授業でナオキは異様なストレスを感じることになった。
 英語教師にさされ教科書に載る英文を発音した途端、クラス中がざわついたのだ。ナオキの発音はきっと当の英語教師の発音より良く本物の海外英語でそれが日本の田舎の中学生からしては好奇の対象となったのだ。
「ヒューヒュー」
「やっぱすげーな外人は」
「わざとらしい発音だよな」
「あいつやっぱ外人だったんだ」
「発音良すぎて何言ってるのかわかんないー」
 クラス中の分別のない子供じみた発言がナオキの心を侵食していく。
「まったくなんで日本の人たちはこうなんだろう?」
「僕は当たり前のようにしているだけなのに・・・」
「なんでこんなふうに茶化されなきゃいけないんだ?」
「我慢、我慢、我慢・・・やり過ごすしかない」
「早く慣れろ早く慣れろ」
 思ったことはすべて心の中で叫んだ。何か問題を起こして母親の辛い顔・・・見たくはない・・・。
 ナオキは心優しい少年だった。

 ナオキは中学生にしてはしっかりとした体格だった、目鼻立ちもしっかりしていたし、どことなくくっきりとした二重まぶたは純粋な和風の顔立ちからは遠いものだった。色白で髪の毛もパーマをかけたようなクセッ毛、背も一七五センチ前後はあったし、骨ぶとで体格も立派な方だった。そういう風体も含め彼のことを「外人」とよぶクラスの未発達で幼い生徒たちの心理は、むしろ当たり前だったかもしれない、しかしナオキは少なくともシカゴに住んでいる間こんな仕打を受けたことはなかった。
 シカゴのナオキが通っていたスクールには彼を日本人だのジャップだのと、からかうくだらない生徒は一人としていなかった。
 日本の授業自体もまるで退屈でナオキの好奇心をくすぐるような面白い授業をする教師はいなかった。国語と社会には少々苦手を感じたが、英語と数学の授業は復習のようで退屈なものだった。総合的に見ればナオキは優等生でクラスでは一番勉強ができる部類に属することとなった。
 クラスの心ない生徒の一部はそんなナオキのことがとても妬ましく、絶好のからかいの対象となるだろうことは明白だった。

 四限前に、このクラスのもう一人のあぶれ者(仲間はずれ)の木村が登校してきた。彼は無愛想に体操服に着替え始めた、四限は体育の授業だった。
 ナオキも一昨日買い揃えたこの学校指定の体操服に着替えた、体育は体育館で男子のみバスケットボールをやることとなっていた。
 狭い体育館には立派すぎるバスケットのゴールがあった。
 この学校のかつてのバスケットボール部が全国大会に出たことは転校初日担任から聞かされていた。ナオキはシカゴでバスケットボールのジュニアクラブに所属していたので興味がないわけではなかった。
 体育館はどことなくひんやりとした空気だった。
 体育教師がチャイムとともに整列を促す。 その時、前のほうに並んでいた坊主頭のひょろっとした男子生徒が手をあげた。その生徒は転校初日ナオキが自己紹介をしたとき最初にちゃちゃを入れた生徒だった。
「先生ーなんで久保くんだけ違う靴履いているんですか?ずるくないですか?」
 彼の言いぶりには明らかではないものの悪意が感じられた。
 学校指定の体育館履きの靴でナオキのサイズに合うものがなかった、だからナオキは担任に話し特別にバスケットシューズを履くことを許可されていたのだった。
「久保は転校してきたばっかでまだ体育館履きが用意できてないんだ、許可してあるからいいんだ」
 体育教師の言葉にその場でざわつきが起こる。
「ずっけー」
「いいなー俺も別の履きたい」
「久保だけ特別あつかいかよー」
「まだ用意できてないって貧乏なんじゃないの?あいつん家」
「外人のくせして」
 心ない発言は小声でもはっきりとナオキには聞こえていた、しかしそんな些細なことでいちいち授業は中断しない。
 チーム分けをしてゲームをやり始めた。

「俺、畑山って言うんだよろしくな」
 ナオキよりはるかに背の小さい坊主頭のひょろっとした体系の生徒が言った。彼の言った「よろしくな」の語尾になんだか言葉通りでない雰囲気をナオキは感じた。
 畑山は転校初日の自己紹介でからかい始めた張本人だったし、さっきもナオキのことを意地悪に指摘したりしていた、決して好意的なクラスメートとは言い難い。ナオキは再び心の中で復唱した「早く慣れろ、早く慣れろ」ナオキはくじでこの畑山と同じチームになってしまった。
「こんな信用できない奴とどうチームワークとればいいんだ?」
 ナオキはそう感じたが我慢するより他なかった。

 ナオキのチーム以外のゲームが始まる、最初は観戦だ。ゲームの内容はボール取り合戦のようなものでナオキにしてみたら随分と退屈なものだった。そうして、しばらくするとナオキたちのチームの出番がきた、ゲームの内容は二十対六でほぼナオキのゴールでナオキのチームが圧勝してしまった。
 シカゴでジュニアクラブとは言え本格的な練習をしていたナオキにとって日本の田舎の生徒とのゲームなど赤子の手をひねるようなものだった。しかもほとんど個人プレーでゴールを決めてしまった。きっとナオキ対他チーム五人という構図は誰が見てもわかるものだった。
 それが畑山には面白くなかったのかもしれない・・・。

「なんだよ一人だけカッコつけやがってよ」
 ゲーム終了後の観戦中にナオキの横で畑山が声を荒らげる。
「お前さ俺らのことバカにしてんだろ?」
 まるで喧嘩を売るような口調で続く。
「シカゴだかなんだか知んねえけどよ、嫌いなんだよ俺はアメリカかぶれはよ」
 米軍基地のある港町だから昔から米軍絡みの事件が多くそれを地元の人間がよく思っていないことは確かであったかもしれない。しかし、そのこととナオキの転校のことは無関係だし「言われ」はない・・・。
 ナオキは必死に奥底から湧き上がる怒りを抑えた。
「我慢、我慢・・・早く慣れろ、早く慣れろ・・・」
 そんなナオキに畑山の心ない言葉の暴力は浴びせられる。
「だいたいそんなバッシュなら俺だってお前みたくゴールきめてらー」
 タチの悪い畑山はナオキの肩に手をかけ黙って耐えているナオキに言った。
「なんか言ったらどうなんだよ?黙ってばっかでよー日本語しゃべれないのかよ」
 ナオキの怒りは今にも爆発しそうになった。
 ここは耐えて何か言わなければいけないと思ったナオキは畑山の方に向き言った。
「ぼくが君の気にさわるようなことしてたらごめん、でも言いがかりみたいなことはやめてくれないか?だいたい『バッシュ』って何なの?ぼくはそれがわからない」
 ナオキは振り絞るように言った。
「は?なに言ってんの?お前バッシュも知らねーのにバスケやってたの?お前外人のくせしてバッシュもわかんねーのかよ」
 憎たらしい顔を畑山は見せた。

「バッシュ」「bash」「ばっしゅ」・・・・・・「bash」なら「叩く」「ぶつける」という意味で意味が通じない、ナオキの耳には「ばっしゅ」という日本固有の単語のように聞こえてしまった、その言語がいったい何を意味するのかナオキには分からなかった。それはナオキが聞く初めての言葉だった、それが日本語なのか英語から派生したものなのかさっぱり見当がつかなかった。
「お前外人のくせしてバッシュも知らねーのかよ」
 なおも畑山は憎たらしい顔でからかう。
 ナオキがわからない顔をしていると畑山は得意な顔して言った。
「バッシュはバスケットシューズだろうが普通・・・」
 そこまで聞いてナオキは初めて合点がいった。
「ああこれね、これはエアジョーダンっていうんだよ」
 ナオキは答える。シカゴに居るときにはバスケットシューズのことを「バッシュ」なんて略すことはなかった。ともすると「バスケットシューズ」とも言わなかった。
「シューズ」もしくは呼称でよんでいた。
 エアジョーダン、ユーイング、ポンプフューリー・・・。ナオキにとってバッシュの意味が分からないのは当然だった。一方畑山にとってはナオキがバスケットシューズをどう呼ぶかなどどうでもよかった。バッシュと言って通じるか通じないか・・・それだけが問題だった。おそらくナオキのエアジョーダンを知るものはこの日本の田舎の中学校には皆無と言っていいほどだった。

 お互いの論が詰まったところで畑山はナオキの肩を掴み言った。
「この外人野郎が」
 畑山は掴んだ手に力をいれる、それを離そうとナオキは力任せに振りほどく。次の瞬間、掴み合いの喧嘩が始まってしまう。
 しかし、畑山は予めそうすることを決めていたようにすぐさま大声を出して周囲に助けを求めた。ゲームも授業も中断、体育教師が走りより二人を引き離した。
 その後の授業は説教に代わり、なぜかナオキは保健室で一人給食を食べるハメになった。
 ナオキはまずい給食を食べながら心の中で叫んだ。
「こんなの間違ってる」
「僕は悪くない」
 そうは思うものの浮かび上がるのは心配性の母の弱々しい顔だった。悲しいけれども日本の学校やそのやり方に慣れなければ・・・母親に心配をかけてはいけない・・・それだけは、しちゃいけない・・・。
 ナオキは教室に帰って畑山に謝ろうと思った、ナオキが悪くなくても謝ろうと思っていた。
「そうすることでこの先うまくやれるならそれでいいさ・・・」
 ナオキはそう心の中でつぶやいた。

 五限が始まる頃、ナオキは体操着のまま教室に戻った。
 クラスに入ると休み時間のざわめきが一瞬にして静まりかえった。ナオキはバツが悪そうな表情で教室に戻る、その様子を見て女子たちがヒソヒソ話をしている。きっと畑山とその仲間たちが根も葉もない噂を流しているのはわかりきっていることだった。体操着のままナオキは畑山の席まで行き、謝ろうとした。
 畑山は厳しい目つきで睨み返してきてナオキが言葉を発する前に言った。
「お前さーなんなの?アメリカ帰りだかなんだか知んねーけどさ、暴力ふるうのよしてくんない?謝られても許す気ないから」
 そこまで彼が言った時、チャイムが鳴り教師が入ってきた。ナオキは体操着のまま五限の授業を受け、暗い気持ちを引きずりながら六限が始まる前に帰宅した。
 もうこれ以上教室に居たくはなかった。
 まるでクラス中の人間がナオキのことをヒソヒソ話しているように感じられたからだ。授業中、密かに回っていた小さな紙切れ、ナオキ以外のほとんどの生徒がそれに目を通していた、きっとその紙片にはナオキの悪口や何の証拠もない噂話が書かれていたのだろう。そんなことは頭のいいナオキには分かっていたし、無知でひどい仕打ちには何の正当性もないことは明らかだった、そう分かっていながらナオキには自分の姿をその場から消すことしかできなかった。
 そして次の日からクラス全員からの無視をナオキは受けることとなる。ナオキは初めて日本の集団意識、いわゆる「村社会」を知ることとなった・・・。

           *

 もう誰もナオキに好意的に接してくれはしなかった。クラスメート全員がナオキのことを陰で噂しナオキが通ると視線をわざとらしく外した。転校初日に好意的に接してくれた女子たちでさえ冷たい視線をナオキに浴びせた。
 ナオキはどうしようもない気持ちにかられた。
 三日経っても四日経っても何も状況は変わらなかった。真面目だけが取り柄の担任はそんな些細な変化に気づくほど優秀ではなく鈍感でナオキのことなど微塵も気にかけてはいなかった。
 ナオキの机には罵倒するような言葉が書き殴られたノートの切れ端が置かれ、彼の心を傷つけた。
「外人」
「アメリカ野郎」
「暴力男」
「ナンパおとこ」
「日本語しゃべれ」
「片親」
「貧乏人」
「アメリカ帰れ」
 どこで情報を仕入れたのかナオキに母親しかいないことまで罵倒の言葉に含まれていたのが、やけに陰湿でナオキの気持ちを不安定なものにさせた。ナオキも最初は我慢して乗り切ろうという気持ちがあったが、さすがに慣れない日本の学校で孤立すること、誰も彼をサポートしてくれないことに苛立を覚えるようになっていった。
 クラスの人間は皆、畑山の口車に乗りナオキをいじめることで共通の楽しみを得ていた。いじめとはいつの世でも集団でする側に何か言い様のない興奮が生まれるのである。
「集団」というのはそういった心理を生み出す力があり、する側の当事者は何の気なしに行為に加担していく・・・。
 まだ精神的にも幼いナオキにはそんなことを冷静に考えプライドある孤立を選び卒業するまで気丈に振舞うことは不可能だった。

 一人で登校し、一人で授業や掃除当番の準備をし、一人で後片付けをし、一人で下校する・・・。誰とも話さず誰とも目を合わさず、誰とも遊ばない・・・。
 退屈な授業と、退屈な教師の話は彼を救うことは決してなかったし、彼のことを気にかけてくれる存在など、この地球上には存在しないような気持ちに彼自身なりかけていた。
 自宅に帰っても彼を救う存在はなかった。母親は慣れない保険の営業職で毎日辛そうな顔をして遅くに帰宅していた。クタクタになったサランラップがかけられた作りおきの料理には必ず母親の手書きのメモが添えられていた、そこにはお決まりの定型文しかなく、それは傷ついたナオキの心を救うことはできなかった。
「夕飯チンして食べてください、一緒に食べられなくてごめんね 母」
 小さくて気弱な性格が出ている母親の文字を見るたびに母親にだけは迷惑をかけられないというナオキの気持ちは増殖していった。不慣れな日本での新生活に前向きに頑張っている母に到底今の自分が学校で置かれている状況を話し相談することなど無理だった。
 ナオキには年老いた祖母がいたが、祖母もここのところ痴呆の症状が出始めていて半分寝たきりの生活をしていたので相談することなど不可能だった。シカゴにいる父に連絡して相談したところで現実的な部分で解決には至らないことは頭の良いナオキにはわかりきっていることだった。
 つまりナオキの抱える問題はナオキ自身が考え自分で解決していくより他ないことだった。しかしながら、解決といっても耐えていじめられなくなる日を待つ・・・という選択くらいしか彼に残された道はなかった。

 忍耐の日々が数日続き、ナオキの孤独は今まで経験したことのない暗く重いものとなっていた。
 そんなとある日の夜、目的もなく国道沿いをしばらく行ったとこにある小さな海の見える人工的な浜にナオキは向かった。母親も祖母も寝静まった後にこっそりと家を抜けだした。
 なぜかどこかへ行きゆっくりと自分と向き合いたいと漠然と考えたのだ。
 父親から譲ってもらったポータブルCDプレイヤー(SONY製ディスクマン)を片手に足早に歩く、夜の田舎町は死んだように静かだった、遠くのほうでバイクが数台、かなりの爆音をあげていたがナオキには気にならなかった。
 彼の両耳にはイヤフォンがしっかりとされていた、そこからは大きな音でアメリカのバンドサウンドが流れていた。海が見えるくらい近くに来ると潮風と小さなイヤフォンから流れるグランジがミスマッチに混ざる。
 風を感じながら耳元ではノイジーでセクシーなギターが静と動を行ったり来たりする・・・シカゴに住んでいた頃、ナオキの心を踊らせるものが二つあった。ひとつはバスケットボール、もうひとつはカート・コバーンのかき鳴らすギターの音色と歌声だった。アメリカではMTVがどの家庭でも観れるくらい普及していたので当時流行っていたニルヴァーナはキッズたちの憧れだった。スクールバスの中でレフティ(左利き)のギターをかき鳴らすカート・コバーンのモノマネをするのが流行り、そんな子供たちを見かけると大人たちは決まって眉をひそめた。
 ナオキはニルヴァーナの代表曲である「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のプロモーションビデオに夢中になった。バスケットコートでバンドが演奏し観客は大騒ぎ、チアリーディングの女の子たちがグランジサウンドに合わせ踊る、という風景が繰り広げられるのだがナオキにしてみれば大好きな組み合わせが二つ同時に再現されており、それが大きく彼の心を踊らせた。MTVでその映像(ビデオクリップ)が流れるたびにナオキは夢中になって飛んだり跳ねたりしていた。

 浜に降りるとナオキはイヤフォンのボリュームを少し下げた。
 眼前には真っ暗な海が広がっていた、海からの風は遠慮無くナオキに吹きつけてきた、風の強い夜だった。
「こんなにも潮風がきついなんて・・・」
 ナオキは少し弱気になっていた、日本での生活にこんなにも苦労するとはナオキ自身考えていなかった。
 
 父親と最後にふれあったのもこんな風の強い夜だった。
 シカゴの自宅のガレージの前にはちょっとしたスペースがあり、そこには簡易のバスケットゴールが設置されていた。それは父親がナオキのバースデープレゼントとして買い与えたものだった。
 ナオキは両親の離婚を知らされてからその場所で一人でシュート練習をすることが多かった。スクールから帰ってから暗くなるまで練習をした、ただひたすらリング目指しシュートを放った。何も考えず、無心にシュートを打つことで現実から逃避しようという自然な目論見があったのかもしれない・・・。
 父親との別れの前日、母親が夕飯を知らせたがナオキはシュート練習をやめようとはしなかった。周囲はもう既に暗く夜を迎えていた、父親はこんな時でさえ仕事で帰りが遅れていた。
 ナオキは普段よりも何本も多くシュートを外した、疲れのせいもあるし夜になって風が出てきたせいかシュートの精度が下がっていると自分に言い聞かせた。しかし、自分の視界が霞んでよく見えないことに気がついた、正確にゴールを認識することができていなかったのだ。
 両親から離婚を知らされ数週間、ナオキはずっと冷静に聞き分けのいい息子を演じすぎていた、そんなツケがシカゴを去る前日になって一気にのしかかってきたのだ。ナオキは大きな瞳に大きな涙を溜め込んでいた、涙で視界がとれなかったのだ・・・。
 自分の涙をはっきりと認識した時、ナオキは大きくシュートを外してしまう、ナオキはそれてしまったボールを追いゴール裏へと向かう、そこに父親の車の音が聞こえてきた。随分と遅い父親の帰宅だった、ナオキは急いで自分の目を汗だらけの上着で拭った、涙を見せたくはなかった。
 ガレージに車を入れ父親はゴール近くまでなぜだか寂しそうに歩いてきた。そしてジャケットと鞄をコンクリートのスペースの端に置き、ナオキの方を見た。
「ヘイ、パス」
 そう言い、パス出しの指示をする父親、ナオキはその指示を見ると複雑な想いで父親にしっかりとしたパスを出した。それから親子は心ゆくまでワン・オン・ワンをした。
 強い夜風が二人の汗を乾かし、そのゲームは終わる事のないように思われた・・・。ナオキの複雑な想いは汗と同時に乾き、父親もまたゲームに一生懸命になり素朴な笑顔を見せた。
 どれくらい没頭したのか、さすがに疲れて二人はゴール前で仰向けに横たわった。

 父親が口を開く。
「ナオキ、ひとつだけ言っておく・・・お前の父親は俺だし、俺の息子はお前だけだ、これは不変の事実なんだ、ただこれからは離れて暮らすだけだ・・・俺の顔が見たくなったらいつでもシカゴに帰っておいで」
 普段は厳しく硬い表情ばかりの父親は、本当に穏やかで優しい顔でナオキを見つめた。
 綺麗な星空は優しく二人を見つめていた・・・。
 あの夜と同じように強く吹く風にナオキは押し負けそうになっていた。暗い太平洋の向こうにアメリカ大陸があり、その中央北東部にシカゴがあって、きっとそこではナオキの友だちたちや大好きな父親が何気なく普段どおりの生活をしていると思うと何だか悲しい気持ちになった。
「父さん、シカゴに帰りたい・・・でも帰れないよ・・・」
 ナオキは胸の内でやる気なくつぶやいた。イヤフォンからは、そんなナオキのことなどおかまいなしにディストーションとリバーブのかかったギターが鳴り響いていた。
 ナオキは人工的に作られた浜に自分の両手をつけると強く砂を掴み風下に力いっぱい投げた。
 
 その夜、家に帰り、眠りについたナオキは不思議な夢を見た。
 何も聞こえない真っ白な空間、そんなには広くない四畳半くらいの狭い白い部屋にナオキはなぜだか不安げに一人で居る。しばらくすると白い壁の方から真っ白な手が伸び彼の肩を叩く、ナオキはその叩かれた肩の方を向くのだがそこには何もなく無表情な白い壁があるだけで余計寂しく辛くなる。
 そうこうしていると先ほど叩かれた肩ではない方がやはり壁から伸びてきた手で叩かれるのである、そしてやはり振り向くとそこには壁だけがありナオキの気持ちを暗く沈めるのだ。不気味に叩かれることに嫌気がさしナオキは頭を抱え体育座りをして視線を隠し無視する、すると壁のあらゆる方向から真っ白な手が伸びて彼の両肩やら抱え込んだ頭の後頭部を叩く、ナオキはひたすら耐えるしかない・・・。
 やがてどこからともなく真っ白な煙が部屋いっぱい充満し視野が取れなくなる、そうなると同時に壁から伸びていた手が一本、また一本と無くなっていく・・・。数分だろうか数時間だろうか、もしくは数秒だったのか・・・歪んだ時間が流れ、そこはかとない静寂が訪れた。
 音もなく風もなく温度さえない無機質な時間が部屋一面を支配する、ナオキ自身の呼吸の音さえ聞こえない・・・。このまま何も感じず何も考えずやがてナオキは植物になっていくのではないだろうか?そんなふうに考え始めた時、背中に重く当たるものがあった。
 振り向くとそこには錆びついたドラム缶があった、重いドラム缶はナオキの背中に遠慮無く偏って寄りかかっていた。
 ナオキは起き上がり、そのドラム缶の中を恐る恐る見る。
 真っ暗なドラム缶の中には真っ白で綺麗な裸の死体が入っていた、白人の成人男性の死体が綺麗に胎児のような格好をしてドラム缶に収められていた。ナオキはなぜか恐怖を感じないでその死体をよくよく見入る、そしてその死体が見覚えのある男だと認知した次の瞬間、夢は突然覚めてしまった。
 柔らかい朝の陽の光、潮風、低く小さな空、何気ない日本の朝・・・現実がナオキにのしかかる、目が覚めた途端、温度を感じ重力を感じ、呼吸を感じた。
 ナオキはなぜだか生きていて良かった、そう思った。
 その翌日、ナオキが大好きなカート・コバーンの訃報を日本のラジオが知らせた、死後一ヶ月経ってからの発表だった。
 ナオキが夢で死体を見た時、既にアメリカ一のバンドマンは死んでいたことになる、ナオキは自分の見た夢と大好きだったバンドマンの死とは何ら関係ないものと思い込むようにした。

            *

 クラス全体の無視が始まって二週間くらい経った頃だろうか、体育の授業が始まる前の休み時間、ナオキは無残に切り刻まれたお気に入りのエアジョーダンを自分のロッカーから発見した。それは大好きな父親から買ってもらったお気に入りのシューズだった。
 父にせがんで初めて観に行ったNBAのコートでナオキはテレビで観ることしかできなかったバスケットボールの神様を見た。彼と同じシューズを履いてプレイしたい、ナオキは純粋な思いでジョーダンに憧れた。
 ジョーダンのように華麗なジャンプをして豪快なゴールをきめたい・・・シカゴに住んでいる同世代のナオキの友達たちが同じように憧れる夢を彼自身も描いていた。当時アメリカのバスケットボールを愛する少年は皆ジョーダンに憧れるのが当たり前だった。
 そんな大切な想いが詰ったナオキのエアジョーダンは無残にもカッターで切り刻まれ穴ぼこだらけになっていた、丁寧に靴ひもまで切られて・・・。

 ナオキの我慢は限界に達していた。
 まだ授業が始まる前の体育館で友達とふざけ合っている畑山を見つけナオキは勢い良く殴りかかった。遠慮なく右ストレートのパンチが強烈に畑山の左頬に入る、次の瞬間、彼はまるでボクシングのノックダウンのように固い体育館の床に崩れ落ちた。それに気がついてナオキをクラス中の男子が取り囲む・・・。
 所詮多勢に無勢・・・ナオキは一瞬にしてボコボコにされる、現実か非現実なのか、伸びてくる白い手をかわすので精一杯だった。しかし、ナオキはここで倒れてはいけない・・・倒れたら負けだ・・・そう思い反撃しながら必死に体育館から逃げ出した。倒れこむ畑山のことが心配なのかナオキを追ってくるものは誰一人として居なかった。
 もう教室にも帰ることはできなかった。とにかく学校に自分の存在を置きたくないような潔癖とも近い感覚がナオキの中で溢れ出した。

 校門を出て駅との間にある小さな公園にナオキはやっとのことでたどり着き水飲み場で口を濯いだ。
「口の中まで切れてる・・・」
 ゆすいで吐いた水は少し赤い色が混じっていた、中途半端な夕日のような薄い色だった。頬も眉の上やおでこにも殴られアザがあることは鏡を見ないでもナオキにはわかった。ナオキも遠慮なく誰彼構わず殴ったがクラス中の男子も大きな体格をしたナオキめがけて遠慮のない暴力を繰り広げた。
 ナオキは、大きな深呼吸をして公園の芝生に寝転んだ。大きくて清々しく晴れている五月の青空は何がナオキに起こったかなんてまるで気にしていない素振りだ。薄い雲が海からの風で内陸部に流されている・・・。
 ナオキはその姿を見て自分もあの雲のようなクラスメートたちとたいして変わらない存在なのでは、と思った。風で流される雲は畑山たちの噂やデマで流されるクラスメート、そして自分はそのクラスメートたちのくだらない行動に振り回され暴力までふるってしまった・・・。これじゃくだらないクラスメートと変わりはしない・・・。
「自分は雲だ・・・いや雲にもなりきれねえ霧みたいなもんか」
 ナオキは自己嫌悪の思いにかられた。

 流れる雲を眺めながらナオキは明日からの自分を想像し落ち込んだ。
 学校に行けば先生に注意され親も呼び出されるだろう、畑山たちのことだ親や学校に大げさに相談して問題を大きくするだろう。クラスに戻ればもっと過酷ないじめが待っているだろう・・・。いっそこのまま学校に行くのをやめようか?
 ナオキはそんなふうに考えもしたが母親の悲しい顔が咄嗟に思い浮かび頭をふった。
 どうしたらいいんだろうか?ナオキは自分の身の振り方に迷い、心を乱した。
「シカゴに帰りたい・・・」
 ナオキは寝転びながら誰にも聞こえないような小さな声で言った。大好きな父親のいるシカゴに母親と一緒に帰り、また元のような幸せな生活に戻りたい・・・。母親がそれを望まないとしても父親が断るであろうことも知っていてナオキはシカゴでの良い思い出だけを抽出した記憶に浸っていた。
 そうしてしばらくして、何の答えも出せないままナオキは立ち上がった。

 国道沿いを歩いて今日のところは家に帰る、それがナオキが出した当座の答えだった。海からの風がナオキの傷口にしみた。
 しばらく行くとあのコンビニエンスストアがありその前に四、五人の不良が溜まっていた。ナオキはなんとなく嫌な予感を感じながらその前を通りすぎようとした。通りすぎようとしたところでやっぱり声をかけられた。
 不良の集団はナオキを取り囲む・・・
「おい転校生、おまえだ、そこのお前・・・とまれっ!」
 髪を金髪に長髪を後ろで束ねている見るからに悪そうなやつがナオキに話しかける。
 ナオキは立ち止まりたくなかったが立ち止まらないと今にでも殴りかかってきそうなほど悪い目つきをしていたので立ち止まってしまった。
「おい、お前今まだ五限前だろ?なに授業さぼってんだ?あ?」
「授業をさぼっているのはお前らもだろ・・・」ナオキは心の底から言い返したかったが我慢した、そして沈黙を決め込んだ。
 今日はなんて運の悪い日だ・・・ナオキは大きなため息を心の中でついた。
 坊主頭で眉毛のないもう一人の不良が代わって話しかけてきた。
「おまえ殴られてんじゃねーの、さては誰かと喧嘩したな?」
 ナオキは無言で「イエス、サー」と回答した。
 アザだらけの顔を見れば誰がどう見ても喧嘩と一目でわかった。
「お前さー転校生のくせして目立ちすぎなんだよ、誰に断って喧嘩しとんじゃ!」
 先程の金髪で長髪の不良がナオキに理不尽な言いがかりで詰め寄る。
 不良たちの間合いの詰め方は独特で、どういうタイミングでパンチやキックがくるのかナオキにはわかりかねた(クラスメートたちの相手のほうがよっぽど楽に感じられた)。
 いっそやけくそだ、どうにでもなれ・・・ナオキは心の中でつぶやいた。
 殴ってきたら反撃するまでだし、こうなれば捨て身だ・・・ナオキは、日本をこの田舎町を、田舎の学校の社会を、村社会を・・・すべてを恨んだ。

「おいっ、やめれっ!」
 ナオキがやけくそになろうとした時、ピシッとした声が響き渡った。コンビニの入り口で気だるそうにタバコを吸っていた不良がゆっくりゆっくりとこちらに近づいてくる。
「怪我して痛そうじゃないのー、やめとけよー」
 分け入ったのは木村だった。どうやら木村はこの不良の集団の中でもリーダー的存在のようで木村の言葉に詰め寄っていた不良たちは一歩引き木村を見た。
「この子さー面白そうじゃない?アメリカさん帰りだって聞くしさー、この前パクった洋楽の輸入CDを訳してもらおうじゃないのー」
 木村は軽い口調で言った。
 タバコをふかしながら愛想のいい、ゆるい目つきで言った。しかし、その目つきの奥に何か例えようのない「野生」があり、そこにある「凶暴さ」に一同は従うしかないようだった。
「俺、こいつと少し歩くからさ、お前らテキトーに解散・・・」
 木村はそう言いナオキと連れ立って歩き始めた。

「ありがとう・・・」
 しばらく歩くとナオキは理由も分からず木村に言った。
 国道を大きなダンプが通り過ぎ聞こえないくらいの声の大きさだったが木村には聞こえているようだった。
「なにが?」
 木村はさっきとは違い愛想なく言った。
「何がって、さっき割って入って助けてくれた・・・」
 ナオキはもごもごと言った。
「は?別に助けてねーし・・・俺疲れるの嫌いなんだわ、それに・・・」
 木村はそこまで言ってやめた。
 ナオキはこの木村に対し担任が言った通り関わらないような態度を決め込んでいたことに少しだけ後悔した。
「お前さ、ここ真っ直ぐ行った団地の奥の平屋が家だろ?」
「うん・・・え、でもなんでそれを?」
「俺の家、あそこの団地でさ・・・ここんとこ一人ぼっちでつまらなそうに帰ってるお前さんを見かけてたってわけさ」
 木村はそう言うと少し笑顔になった。
 しかし、その笑顔も決して隙のない笑顔だったし、どことなく淋しさを抱えているのはナオキにもわかった。
「近所なんだね、帰り道一緒だね・・・」
 ナオキは思い切って親しみを込めて話しかけた。
「帰り道たって俺は給食食ったら帰っちまうからさー・・・ははは」
 木村はナオキが親しみをこめて話しかけたことが嬉しかったのか少し照れながら言った。
 二人は並んで国道を歩いた。
 時々通る車の音と海からの強い風だけが二人を見ていた。

「俺、今日学校サボったからわかんねーけど、それクラスの連中か?」
 木村はナオキの顔を見ながら切り出した、どうやらここ最近のクラスの雰囲気を察知しているようだった。
「うん・・・」
 ナオキは答えにくそうに言った。
「あいつらくだんねーよ、気にすんなって」
「うん・・・」
「あいつらも学校もまじくだらねー・・・」
 木村はそう言って道端の小石を蹴った。
 ナオキは自分でコミュニケーションもとらず担任の言うがまま木村を不良と見なして勝手に「悪」と決め込んでいた自分に少しがっかりした。
「悪いヤツじゃないじゃないか」
 ナオキは心の中でつぶやいた。
 やがて木村の住む団地の入り口までたどりついた。
 木村はポッケに手をつっこみながら言った。
「じゃあ俺こっちだから・・・」
 その様子がなんだか照れていて逆に可愛く感じられた。
「うん・・・じゃあ」
 ナオキも照れながら言い、歩き出した・・・。
 五メートルくらい行ってナオキは振り返った。そこにはまだ木村が立っていた・・・。
 そしてナオキは思い切って聞いてみることにした。
「木村くん、なんで僕のこと助けてくれたの?」
 少し間が空き木村はポケットから手を出し自らの頭上で右手をスナップを効かせながら上へ突き上げた。
「久保、俺もジョーダン好きなんだわ・・・お前の履いてるやつエアジョーダンだろ?今度俺にも見してくれよな?」
木村はそこまで言うとさっさと団地の敷地の中へ入っていった。
 ナオキは「なるほどそういうことか・・・」と合点が行き団地の方をしばらく見た。
 そこには古く使い古された練習用のバスケットゴールがひっそりと存在していた・・・

 ナオキの日本での初めての友達は不良の木村だった。先生も学校もクラスの連中から疎ましく思われ、問題を起こし続ける筋金入りの「不良」だった。
 そのことを周囲の人間はとやかく言ったがナオキ自身は気にすることはなかった・・・。ナオキは自分が関わって信頼できる人間と仲良くなることを何も悪いこととは思っていない・・・。
 クラスの大半はナオキのことを相変わらず無視し続けたが彼自身はそんなことどうとも思わなくなった。
 朝、学校に来て給食を食べ終わると木村と揃って下校し気分がのれば団地の中でバスケをして楽しんだ。
 木村の遊びにもナオキは加わった。
 バイクにも乗ったし喧嘩にも加勢した・・・そうしていつの間にかナオキのことを皆「不良」とレッテルを張ったが本人には本当にどうでもいいことだった。その後ナオキは地元の公立の進学校に進んだ、木村は県内一不良が集まる高校に進学したが二人の交流は途切れなかった。
 中学を卒業する頃、お揃いで買ったバスケットシューズがボロボロになるまで二人の友情は潰えることはなかった・・・。

 三十歳になった今でも時々ナオキは、木村とお揃いのエアジョーダンを履いて外出する・・・そうしてそんな時は、決まって木村の顔と使い古された団地のバスケットゴールを思い出すのだった・・・
                                                                         
           

                                                                           終わり

バスケットシューズ

バスケットシューズ

帰国子女のナオキくんを中心としたお話です。 日本の学校社会や取り巻く環境に「?」と思った帰国子女の友人の話をベースに書きました。 一応青春モノのジャンルになるかと思います。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-01-05

Copyrighted
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