握られた拳
誰かに見られてませんか?
何かにジーっと…
それは、
気のせい…ですか?
地下鉄の中、突然それは現れた!
それは、35年前…
まだ私が十代最後の夏を楽しんでいる頃のある日の出来事でした。
大学の仲間が開いたコンパに参加した私は
おおいに飲んで騒いで、かなり酔った状態で地下鉄に乗り帰路につきました。
終電に近い時間でもあった事から車内は空いており扉近くに難なく座席を確保した私は
目的の駅まで少し時間があることもあり
酔っている自分を少し落ち着かせようと目を閉じて息を整えていました…が…
ふと誰かから見られているような“視線”を感じたのです。
“酔っていて自分でも気づかない内に変な格好にでもなっているのかな?”
と、薄目を開けて自分をそっと観察してみましたが、そうでも無い様子。
さすがに歩けば酔っ払っていることは隠せないだろうが
今こうやって座っている限りでは普通に仮眠を取っている人と変わりない態勢でいるとしか自分には見えませんでした。
それでも…
やはり…
見られている。
しかもその視線は自分のすぐ前から来ているように思えて仕方ありません。
何度かその視線を頭の中で振り払い“気のせいだ”と思おうとしましたが
次第に絡みつくように強くなってくる“その視線”に耐えきれず
意を決して私は顔を上げてみました。
と、そこには…
一人の女性が立っていました。
座れる席はいっぱいあるのにナゼか私の席の前の吊革につかまり立っているのです。
でもこの女性…
私の前に立ってはいるものの吊革とは反対の手に雑誌を持ち、読んでいる。
雑誌越しに私を見ているのかとも思いましたが
そんな様子もなく、どちらかというと熱心に読みふけっているような感じでした。
そして不思議なことに
その女性の顔の位置と“その視線”とは少しズレているような………
酔った頭の中で訳が解らなくなった私は取り合えず席を移動しようとした時
電車が次の駅の停車アナウンスを始め、それを聞いた女性は読んでいた雑誌をカバンに入れ目線をすぐ傍の扉に移しました。
「何だ、そういう事か。おそらくこの女性は乗った駅と降りる駅とが近いので雑誌に夢中になって乗り過ごすのを防ぐためにワザと座らずにいたんだろう。よく考えたら私の座席は扉のすぐ横にあるんだし、私の前に立つことになっても何の不思議も無いよな。」
女性と“その視線”とのズレが少し引っかかったものの頭の中の小さなパズルが完成したことに安堵した私は
「さぁ、もう少し仮眠しようかな」
と目を閉じようとした時、電車は駅に止まり
目の前の女性が扉に向い歩こうと
背中を向けた瞬間
ーーーそれは現れたーーー
肘から先しかない一本の腕がいきなり私目がけて飛び出してきたのだ。
思わず座席にひれ伏すようにかわした“その腕”は
そのまま座席の背もたれの中に消えていった。
おそらく“それ”は私以外には誰にも見えなかったのだろう。
急に悲鳴と共に座席に倒れこんだ私に
車内は一瞬異様な雰囲気に包まれていた。
もしかしたら、あれはただの酔っ払いの夢だったのだろうか?
でも私はあの時ハッキリと見たあの光景を未だに忘れる事は出来ない。
あの時飛んできた“その腕”は…
開いていた手のひらをギュッと結んで消えていったのだ。
それは……そう……
あのまま私が座っていればちょうど心臓のあたりで握られていた“拳”だった。
そして拳が消えたそのすぐ後に聞こえた
『チッ‼︎』
という舌打ちが
35年経った今でも私の耳から離れずにいる。
握られた拳
若い頃“不思議な体験”や“不思議な夢”をけっこう見ました。
それが元でホラーやミステリーを書くようになりました。
霊の世界は怖いだけではありません。
色々な世界をご紹介出来ればと思います。