レプリカ
記憶の断片
空からぽつぽつと白い雪が降ってくる。あの日も確か雪だったなと、思い出すと少し笑えてくる。つい先ほどから降り出した雪は勢いを増し、東京の街を時期に真っ白に染めるのだろう。
東京のど真ん中、いくつも交わる交差点の真ん中で寝そべる青年は白い雪に似つかわしくない、赤色に染まっていた。重たい腕を挙げ、舞い落ちる雪を手のひらに乗せ、溶ける雪をこぼさないように強く握りしめる。その青年の傍らで、まだ幼い少女が不思議そうに首をかしげてつぶやいた。
「ーーー?」
GOC
東京は11月に入りぐんと冷え込む日が増えた。厚手のコートを身にまとい、マフラーに顔をうずめて歩く人もたくさんいる。東京のど真ん中、高くそびえるビルが立ち並ぶその一角に、ひときわ高いビルがある・・・警視庁である。彼らは絶対的権力の下、犯罪を防ぎ、未然に対策をとり、東京の秩序を守っている。そしてその裏、警視庁を盾にするかのようにそびえ立つのが警察庁である。彼らは総理直々の命令でしか動かない政府の番犬だ。しかし、その番犬の中でも最も恐れられている番犬がいる。通称GOC。God of children神の子どもという意味である。警察庁の中でも異例の警察庁長官の直轄で、彼らに階級は存在しない。そして彼らには特別監察官という飼い主が、常に2人付くという異例の体制である。なぜなら彼ら、GOCが神の子と言われるその理由こそが、この異例の体制をとらざるを得ないことを物語っているからである。
今日から特別監察官として配属されることになった原口遼は、警察庁内の地下5階にあるGOCの本拠地に向かっていた。GOCの存在は警察庁と警視庁の限られた人しか存在を知らされておらず、徹底した箝口令をしかれている。そのため、GOC本部に行くにも通常のエレベーターでは行けず、専用のエレベーターを使い、更にカードキーがなければ動かない徹底ぶりである。その専用エレベーターに乗り込み地下5階のボタンを押し、重厚な音を立てて動き出したエレベーターにため息をつき、真っ暗な窓の外を眺めた。原口はもともと捜査一課の人間だった。刑事としてはまだまだ未熟で、先輩や上司についていくのがやっとのこと。それがいきなり監察官に昇格。捜査一課では、原口が部長を怒らせたとか、とんでもないミスをしたのでではないかとか、様々な噂が飛び交ったが、もちろん本人にそのような覚えはなく、むしろ自分が一番驚いていた。
静かにエレベーターが止まり、音もなく扉が開く。息を吐きエレベーターから降りると、そこには吉田が腕を組んで立っていた。その姿は威圧的で、一瞬原口はひるんだが、原口の姿を確認した吉田はにやりと笑って組んでいた腕を下した。
「よう。待ってたぞ原口監察官。」
「やめてくださいよ、まだ実感わいてないんですから。それより吉田さんなんでここに?」
吉田とはGOC本部で直接落ち合う予定だったが、なぜここに吉田がいるのか、原口にはわからなかった。吉田は原口の肩を組み、本部へ続く長い廊下を進む。
「先輩からお前にアドバイスしておこうと思ってな。」
「そりゃどうも・・・」
「まず、おれたち監察官は奴らの上司じゃない。奴らも俺らを上司だなんて思っちゃいない。だが、俺たちは飼い主だ。奴らが命令通りに動かなければリードを強く引っ張らなきゃいかん。躾をするのも飼い主の役目だからな。」
「飼い主って・・・相手は人間ですよね。」
「もちろん人間だ。ただ、奴らはただの人じゃないってことを肝に銘じとけ。そうじゃなきゃ痛い目見るのは自分自身だぞ。」
「大げさですよ吉田さん。おれだっていっぱしの刑事です。自分の身は自分で守りますよ。」
そういった原田をじっと見つめ、吉田はため息をつく。それにむっとした吉田が続ける。
「そう言えば、GOCの人たちってどんな感じなんですか?年齢とか・・・」
「・・・行けばわかるさ。舐められるなよ監察官。」
そういって吉田はカードキーを通し、GOC本部の扉を開いた。
原口は唖然とした。そこにいるのはまだ幼さの残る子供だった。皆制服であるスーツに身を包んでいるものの、その体は華奢で
どこにでもいる普通の子共にしか見えなかった。原口はぐるりと室内を見渡す。室内には当然窓はなく、広い室内には少し明るめの電気が付いていた。室内には冷蔵庫やテレビ、恐らくひとり一つ与えられているであろうデスクには、モニターやパソコンが無造作に置かれ、そこには東京のいたるところに設置されている監視カメラの映像や、県警動きや警察庁内の映像までもが映し出されていた。そしてそこにいる彼らのうち、メガネをかけた背の高い青年が寄ってくる。
「吉田さん、そちらが新しい監察官の・・・」
ああ、と吉田が原口を紹介しようとしたが、原口はそれを制した。
「本日付で特別監察官に任命された原口遼です。よろしく。」
そういって手を差し出す原口。しかし、メガネの青年はそれに目もくれず、
「GOC隊長の千川健斗です。こちらこそ宜しくお願いします。」
と言った。どうやら彼は原口となれ合うつもりはないらしい。
「ははは。そんなに新人をいじめてくれるな健斗。原口監察官を紹介したいんだが、全員いる・・・よな?」
吉田はそう言って室内を見渡し、全員が揃っていることを確認して続けた。GOC唯一の女性、パーマをかけたブロンドが美しい峠香織。健斗の弟の千川優斗。顔はあまり似ていないが、無口でこちらに興味がないところを見ると、性格は兄と似ているらしい。そんな優斗とは逆に、原口に興味深々の青年は外川紫苑。吉田いわくGOCのムードメーカーだと言う。健斗と同じくらい長身のすらりとした青年、桐原暁。彼はモニターを見ながら煙草を吸っている。原口も煙草を吸い、自他ともに認めるヘビースモーカーだ。そんな原口の特技は臭いでたばこの銘柄を当てること。そんな原口でも暁の吸うたばこの銘柄がわからない。どの銘柄とも違う、薬草のような、独特の香りだった。そしてその暁の隣のデスクでタブレットをいじる青年、神崎響。原口は彼を見た瞬間、この中の誰とも違う、どこか寂しげな雰囲気を感じていた。一通り紹介を終えた吉田は、次に本部内を紹介して回った。GOC本部は地下5階すべてがその範囲で、監察官も彼らもここに寝泊まりすることになる。フロアは二階に分かれていて、二階フロアはプライベートエリアになっていて、部屋はそれぞれ一人部屋を与えられているが、食事はみんなでとるのが決まり事だ。また、業務時には一階フロアで仕事をする。しかし監察官の自室にはメンバーの動向がチェックできるモニターがついていて、誰がどこで何をしているのかを常に監視できる仕組みになっていた。
「なんだか、監視しているみたいですねこのモニター。」
自室に荷物を運び、その話を聞いた原口がつぶやく。
「監視してるんだよ。あいつらは国の大事な大事な秘密だ。それが勝手に逃げ出したりしないように監視すんのが俺たち監察官の仕事だ。千川長官のかわいいペットを見張るための特別監察官なんだよ。」
「千川って・・・もしかして」
「ああ。健斗と優斗の実の父親だ。あの人は二人の息子をこんな所に閉じ込めて何がしたいんだろうな。まあ、詮索はするな。これは先輩命令だ・・・な?」
「・・・はい。」
特殊能力者の存在に、それを閉じ込めるための監獄GOCという組織。そしてその監獄に実の息子を閉じ込めた警察庁長官。ここでうくやっていく自信がない。原口は今日何度目かになるため息を吐いた。
file.1
神崎響には7歳以前の記憶がない。そこの部分だけぽっかりと、何もかもが抜けてしまっている。最初の記憶は施設で暮らしていたこと。そこで響は壊れ物を扱うように、化け物を見るかのような目で見られていた。いつも響は一人ぼっちだった。いつも響は施設で飼われていた子犬と一緒にいた。その子犬だけが友達だった。そんな響にも、週に一回訪ねてきてくれる青年がいた。その青年の顔さえも今は霧がかかってよく思い出せないでい。あの青年が何者なのか、響とどんな関係があるのか、もやもやしたものが残るばかりだった。
響には人には見えないものが見えた。それは、おばけや霊などではない。響は人が大切にしているもの、強い思いがこもったものに触れると、そのものに込められた思い出や気持ちが見えてしまうのだ。最初のころはそれだけだったのだが、最近はすれ違う人、近くにいる人の心の形、色が見えるようになっていた。人ごみを歩くとふわふわとした白や黄色、青や赤といった得体の知れないものが目の前をかすめていく。だから外に出る際は伊達のメガネをかけるようになった。この目の能力のおかげか、視力は両目共に1.5と良好だ。そんな響でも、唯一メガネをかけず居られる場所がある。それはGOCだ。もちろんGOCの心の色や形は見えているが、彼らはそれを気持ち悪がったり、悪く言うことはない。お互いが能力者だからこそ分かり合える、理解しあえるのだ。
平日の朝7時。GOCの朝は慌ただしい。紫苑は大学に、響と優斗は高校に向かわなければならない。紫苑は6時には起きてランニングに出かける。優斗は紫苑と同じくらいに起き、学校の制服に着替えコーヒーを飲みながら新聞に目を通す。毎日朝ごはんを作るのは香織の仕事だ。本日のモーニングはバターをたっぷりと使った、香り高いクロワッサンにスクランブルエッグ、サラダに野菜の味が溶け込む優しい味のスープだ。その香りに誘われるように健斗が遅れて起きてくる。そして響と暁は最後まで起きてこないのがGOCの朝の様子だ。原口はスーツに着替え、一階フロアに降りていく。
「おはようございます原口さん。よく眠れましたか?」
降りてきた原口に気付いた香織が声をかけてくる。彼女はパンツスーツにエプロンという何ともちぐはぐな格好をしているが、彼女はそれを着こなしている。
「ああ、おはよう。まあ・・・よく眠れたとは言い難いけど・・。」
と言うのも、原口は昨日、眠りにつく前に吉田からGOCについて遅くまで話を聞いていたからだ。原口が知ったことは。まず一つ、GOCの創立について。GOC創設者は健斗と優斗の父であり警察庁長官の千川義之だ。義之は先に能力を開花させた優斗、そしてその可能性のある健斗を世間から隠したがった。しかしいつまでも隠し通すことは無理だろうと考えた義之は、能力の解明をすべく警察庁内部に専門家チームをつくり、研究をさせた。すると、健斗や優斗以外にも能力者がいることがわかり、その可能性のある子どもを警察庁に集めた。そうして分かったことがいくつかある。能力者の可能性があったのはすべて10代前後の子どもばかりで、なぜ子どもだけが能力を開花させるのかは分かっていないそうだ。そしてもう一つ、彼らには身体のどこかに共通した印があるということだ。印が現れる場所は一人ひとり違うが、兄弟は同じ場所に印が現れるということが分かっている。彼らはいわばモルモットだ。人と違うが故に世間から隔離され、政府のために働く番犬といて飼いならされているのだ。彼らは通常の警察だけでは対処できない犯罪やテロに対応するために存在する。しかし彼らの存在を知れば、民間人はパニックになる。そのため彼らへの出動要請はそうめったにあるものではない。GOCは犯罪組織に立ち向かう対策室をうたい、彼らを閉じ込めるための監獄なのだ。また、外出には制限がないが、任務以外で能力を使うことは禁止されている。彼らが民間人に攻撃的な姿勢をとった場合、どんな理由があろうともそれを反逆行為とみなし抹殺する。その役目を担っているのが特別監察官。吉田を見ていると、そんな役目を担っているとは微塵も感じない接し方をしているのに、その接し方さえも監察官と彼らとの間の壁に感じてしまう。そんなことを聞いてしまったせいかよく眠れなかったのだ。そんなこととも知らない香織。
「ふふ。そのうち慣れますよ。あ、コーヒーそこにあるんで、好きに飲んでください。」
そう言われ、原口は香織が指差すコーヒーメーカーに手を伸ばす。そこには捜査一課で使うような使い捨ての紙コップはなく、陶器のマグカップがいくつかあった。シンプルなものからかわいらしいキャラクターものまで。どれを使っていいのかと迷っていると、突然後ろから手が伸びてくる。驚いて振り向くと、ランニングから帰ってきた紫苑がマグカップを差し出していた。
「これ、寛治さんのコップね。ここ紙コップとかないから、みんな自分専用のがあるんだ。この緑のコップだから覚えといて下さい。」
はい、と渡されたコップには緑のシンプルなマグカップだった。原口はお礼を言いそのコップにコーヒーをなみなみと注ぐ。紫苑はまだ起きてこない響と暁を起こしに二階へと上がっていった。原口はコーヒーをブラックのまま飲みながら、部屋の真ん中にあるソファへと座る。そのすぐ隣では優斗が新聞を読んでいた。原口が高校生のころは新聞なんて読まなかったし、コーヒーもおいしいものだとは思わなかった。遅れて起きてきた健斗もコーヒーを手に、ソファではなく、自分のデスクで新聞を読み始めた。兄弟仲はよくないと吉田から聞いていたが、朝のあいさつもしないほどとは知らず、しかしやるこおとは同じなんだなと感心しつつも少し気まずさを感
じた。男の兄弟なんてそんなもんだと、吉田なら笑ってそういうのだろうか。そんなことを考えていると、ふと膝の上に重みを感じ、原口は思わず声を出して驚いた。いつの間にか膝の上にはまだ10歳にも満たないであろう少女が座っていたからだ。少女には大きいシャツをパジャマの代わりに着て、こげ茶がかった腰まである髪の毛は寝起きのまま、ぼさぼさに絡まったままだ。
「こら、F!どこに座ってるの。朝は何て言うんだっけ?」
出来立ての朝食を大きな机に運びながら香織が言うと、少女は少し考え答える。
「・・・あはよう?かおちゃん」
「おはよう。ほら、F、この人が昨日から来た原口さんだよ。」
香織はFと呼ばれた少女と目線を合わせて言う。Fはじっと原口を眺めて首をかしげる。
「・・・かおちゃん、この人はちがうの?」
原口ははっとする。この少女は自分とGOCの彼らとの区別ができる。この少女はFといい、日本で初めての人口知能生命体だ。こでどのように造られたのかは箝口令とのことでGOCのメンバーさえも知らないが、このGOCが創設した当初から彼女はここのメンバーだったという。
「そうね、原口さんは吉田さんと同じ監察官なの。」
「ふーん。そうなんだー。」
Fは原口にさして興味がないらしい。それを感じた原口は苦笑する。ちょうどそのとき、響と暁を起こしに行った紫苑、制服に着替えまだ眠たそうに目をこする響、そして寝巻のまま煙草をくわえた暁が降りてきた。響も暁もみごとな寝癖がついている。Fは響の姿を確認すると、原口の膝を飛び下りて響のもとに駆け寄り、響の細い腰に抱きつく。自分のときの反応との違いに若干落ち込んでいると、傍にいた香織がくすりと笑う。
「Fは響のことが大好きなんです。私よりも誰よりも響が好きみたいで。あの子のあのシャツも響のお下がり。毎日髪をとかしてあげるのも響。ほんとの兄弟みたいなんですよ、あの二人。」
「だから髪の毛ぼさぼさなままなのか。」
なるほど、と納得したところで吉田が降りてくる。
「昨日はよく眠れたかい原口監察官。」
「おはようございます。さっきも聞かれました。それなりに眠れたので大丈夫です。」
「そりゃよかった。香織ちゃん、朝飯できてるかな?」
できてますよーとキッチンからの返事を聞き、各々自分の席について食事を始めた。
食事が終わると学生三人は学校へと向かう。響と優斗は同じ学校へ通い、優斗は生徒会長を務め、成績も学年トップと優秀である。対する響は良くもないが悪くもない、学力はいたって普通。しかし何故か数学だけは得意で、その成績は優斗と並ぶほどだ。彼らはそれぞれ高校、大学へと通っているが、緊急時には学業より仕事を優先しなくてはならない。GOCのメンバーにはそれぞれデバイスが配布されており、通話や緊急時の呼び出し、そのすべてがホログラムによって表示される。しかし、GOCが出動しなくてはならない事件などめったになく、日本の警察組織はGOCに頼らずとも事件を解決できるだけの力がある。
支度を終えた優斗と響は学校まで車で送迎される。しかし今日の響は違うようだ。朝食を終え着替えた暁にヘルメットを渡されていた。
「なんだ、今日は車で行かないのか?」
「うん。暁の新しいバイク乗ってみたいから。優斗先行って」
「そうか。遅刻だけはするなよ」
はいはいと言う響の返事を聞いた優斗は、響を置いて先に行ってしまった。その後を追いかけるように慌ただしく紫苑が出ていく。
「響!準備出来たら行くぞー。遅刻すると会長様に怒られるぞ」
「わかってるよ。今行く」
そうして暁と響も出かけて行った。残された香織、健斗、吉田、原口は各々のペースで朝食を終え、各業務に取り掛かる。緊急の出動がない限り、GOCの業務はパソコンをいじるだけの退屈な仕事だ。原口はまだ片付かない自分のデスクを整頓しながら、しかしGOCが出動しないということはそれだけ日本が平和なのだと、自己満足をしたのである。くいくいとスーツの裾を引っ張られ、そちらを向くと、クマの人形を抱えたFが立っていた。どうしたのと聞く原口にFはウサギの人形を差し出した。これはどういう意味なんのかと困っていると、それを察した香織が言った。
「それで遊んでほしいんですよ。ね、F」
その問いかけにこくりとうなずくと、ずいとウサギを差し出してくる。それを見た吉田はそれは愉快そうに笑い、原口は仕方なく人形を受けとった。どうやら今日も平和らしい。
深紅の大型バイクが道路を高速で走り抜けていく。そのスピード感といったらたまらなく爽快なのだが、11月の空気は肌を切るように冷たい。暁の後ろに乗っていた響は、今度バイクに乗るときはもっと暖かいコートを着ようと決めた。間もなくしてバイクは響の通う高校の前で停止する。その轟音と派手さに、登校途中の生徒たちが何事かと歩みを止める。響はそんなことは気にも留めず、ヘルメットを脱いで暁の胸に押し付ける。
「やっぱ車で来ればよかった。寒い、死ぬ」
「自分で言い出したんだろうが。死ぬなアホ。」
冷たい手をすり合わせていると、響の名前を呼ぶ声に振り向いた。そこには小学校から今日までいっしょの幼馴染、藤沢紫帆と星谷洋平の姿があった。
「おっはよー響!今日もかっこいいお兄様と一緒とは憎いねこのこのー。あ、兄貴、おはようございます!」
洋平はいつもテンションが高い。響と暁の関係は、詳しく説明するとややこしいことになるため、周りには兄弟ということにしてある。
「おはよ、洋平君。紫帆ちゃんもおはよー」
「おはようございます。響、おはよう」
「おはよ」
紫帆はショーットカットがよく似合う背の高い少女だ。響が小学校の時に転校してきてから紫帆と洋平と、いつも3人で一緒にいた。記憶のない響を変な目で見る同級生からいつも守ってくれたのはこの2人だった。特に紫帆は気が強く、男子にも喧嘩で負けない強さ、正義感を持っていた。
「じゃ、いってくるわ。迎えはいらないから」
「はいはい。優斗と仲良くな」
はいはいと生返事をして、響は紫帆、洋平とともに行ってしまった。その後ろ姿を暁はしばらく眺めた後、バイクのハンドルを握った。
file.2
学校生活は楽しいと思う。勉強は正直好きではないが、紫帆や洋平とたわいない話をしているとき、自分が彼らと違うということを忘れられる。学校には伊達メガネをかけて登校するため紫帆や洋平、もちろんその他の生徒の心は見えないようにブロックしている。そのため学校生活は何の不自由もなく普通に過ごせる。同い年の彼らと机を並べ授業を受ける。休み時間には紫帆や洋平ら友達と最近流行のファッションやテレビ番組の話題で盛り上がる。そんな日常が現実なのか、それともGOCという閉鎖的な場所に閉じ込められている時間が空想なのか・・・。学校にいる間にも世間では絶えず事件は起きている。しかしそのほとんどが捜査一課だけで事足りる事件である。もしこの先GOCが出る幕があるならば、もし響の能力を彼らが知ることになるならば、響はこの現実に留まっていられるのか怖くなる。いつこの腕のデバイスが鳴るのか。デバイスが鳴れば響はどんな理由があろうとも現場に行かねばならない。その時が来るまで、この日常を満喫するのだ。
通常の授業を終え、響は紫帆、洋平と共にファーストフード店にいた。ポテトをつまみながら、洋平が最近はまっているというアイドルについて熱く語っている。紫帆は呆れながらも相槌をうち、決して話をさえぎるようなことはしない。響はそんな紫帆の横顔を眺めていた。
「おい響、聞いてんのかよ!」
「・・・一応」
「お前なぁ。だから清美ちゃんがすげーかわいいって話!てわけで、こんど3人でライブ行こうぜー」
「何がてわけでよ。あたしも響もそんなのに興味ないんですけど」
そんなこと言うなよという洋平に紫帆が鞄の中からプリントを取り出し洋平に押し付ける。
「これ!今日の数学の宿題。これ1人で全部解けたら考えてあげる。全部よ全部!」
えーと不満そうな声を上げるも、洋平はよっぽどライブに行きたいのかしぶしぶと宿題に取り掛かった。紫帆はちらりと響を見て、早くやれと目で投げかけてくる。それを見て響もしぶしぶと取り掛かるのであった。
響がGOCに戻ったのは夜の7時を回ったころだった。各々食事を済ませ、リラックスムードである。
「おかえりなさい。夕飯は食べてきたの?」
キッチンで洗い物をしながら香織が聞く。響は外で食べてきたとだけ返して自分の部屋に向かう。その途中、風呂から上がったばかりであろう、スウェットの半ズボンに上半身裸の暁に遭遇した。
「おう、響。紫帆ちゃんとのデートはたのしかったか?」
「デートじゃねぇよ。勉強してたの勉強。服くらい着ろよな、風邪ひくぞ」
へいへいと生返事をした暁は、服を着ることなく冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、コップに移すことなくそのまま口をつける。
「あ、そうだ響、この後どうせ暇だろ。スパーリング付き合えよ」
「別にいいけど」
「あ、それ僕も参加していい?」
テレビを見ていた紫苑が言い、暁がもちろんと返事を返す。着替えてくるという紫苑に続き、響も着替えに向かった。
トレーニングウェアに着替えた三人は、敷地内にあるジムにいた。GOCのジムには、基本的な機械はもちろん、護身術やこれから行われるスパーリングに備えた大きな格闘場が完備されている。床や壁は、衝突の衝撃を和らげるため、柔らかい特殊な素材でできている。
「さてさて、どっちが先に相手してくれるんかな?」
暁は腰に手を当て、挑発するように言う。この挑発には暁の余裕が見受けられる。それもそのはず。暁は柔道や空手、テコンドーやボクシングなど、ありとあらゆる格闘技をマスターしており、その実力はプロにも及ぶ。GOCの中で暁にかなうもの今のところはいない。
「はい!俺が先!」
勢いよく手を挙げ、響の許可を得ずに場内に飛び入る紫苑。響は仕方なく紫苑に先を譲ることにし、自分は壁際に移動し見物することにした。
「今日こそ暁から一本取ってやる!覚悟しろ!」
「やらせるかよ。」
そういって2人はスポーツメガネに似たゴーグルを装着する。このゴーグルには、装着した本人にしか見えないホログラムを映し出し、タイマーや心拍数などを映し出す。そして、ホログラムには100の数字が映し出されるが、身体にダメージを受けると数字が減っていき、最終的に0になった方が敗者ということになる。準備が整った2人を見て、響は「始め~」と間延びした合図をする。その瞬間、紫苑が暁の視界から消え、次の瞬間には暁の左脇を狙い、蹴り込む。暁は体制を崩すもすぐに立て直し、紫苑の姿を探す。暁ポイント85。
紫苑は一般人に比べて身体能力が異常に高い。瞬発力や足の速さ、ジャンプの高さ、どれをとっても紫苑に敵うものはいないであろう。そして、これが紫苑がGOCにいる理由でもある。紫苑はごくごく一般の家庭に生まれ、高校2年生まで普通に暮らしてきた。小学校から始めたバスケットボール部に入り、レギュラーの座を守り続けていた。物心ついた時から運動神経が良く、運動会やマラソン大会では常に優勝していた紫苑。小学生にしては足が速すぎる。中学生にしては高く飛びすぎる。周りから様々なことを言われたことはあるが、紫苑も、両親もそれを気に留めることはなかった。確かに自分は人より身体能力が高い。そう思ったこともあるが、スポーツをしている以上、それを疎む理由が無かったからだ。しかし、高校3年生最後の大会前日に事は起きた。いつもより少し軽めの練習をこなし、最後にゲーム形式の試合をしていた時のことだ。ボールが響に渡り、響の腕前を良く知っているチームメイトはぐっと距離をつめて行く手を塞ぐ。この位置なら3ポイントも狙える。しかしリスクが高い。右から走り込んでくる仲間がいるが、相手はそれに気づいて体制を整えている。ちらりとタイマーを視界の隅に置く。残り3秒。ならば、自分で行くのが賢明。狙うはブザービートだ。そう判断した紫苑がシュートと見せかけたフェイクで、相手の左脇をかすめてのシュート。普段ならチームメイトとハイタッチをし、勝利を喜ぶ・・・そのはずだった。しかし、仲間はおろか、他のチームメイトすら信じられないといった表情で紫苑を見ていた。
「え?どうした・・・」
どうしたのと聞こうとしたとき、時間を知らせるタイマーが体育館に響く。紫苑ははっとしてタイマーを振り返る。残り3秒でブザービートを狙ったはずなのに、なぜ今タイマーが鳴るのか。
「今、お前・・・何したんだ?」
「何って、何がだよ。」
紫苑はできるだけ慎重に言葉を選んだ。自分がしてしまったことに震える声を抑え、緊張が表情に出ないように。しかし、チームメイトから告げられたのは、耳をふさぎたくなる言葉だった。
「・・・今消えたよな。」
暁が体制を整えたのを見計らい、今度は右足をひっかけすくい上げる。足を取られた暁は背中から床に落ちる。馬乗りになりもう一発、そう思ったところで視界が反転する。紫苑の行動を読んでいた暁が仕掛けたのだ。暁ポイント60、紫苑ポイント90.
「いくらお前のほうが速くても、次動けなくしちまえばこっちのもんだ。」
「なっ!とったとおもったのっ・・・わ!」
上を取られた紫苑はそのまま暁に投げ飛ばされ、一気に距離を縮めた暁に左脇を蹴られる。瞬時にガードしたものの、衝撃で壁に打ち付けられる。紫苑ポイント38。しばらく動けない紫苑に暁はとどめを刺そうと拳を振り上げる。次ぎ取られたら負ける。迫る拳に目を瞑った瞬間、ゴーグルのタイマーが音を上げた。時間切れだ。紫苑はずるずると壁にもたれかかり、肩で大きく息をする。対する暁はゴーグルを首に下げ、涼しい顔をしていた。
「くっそー。今日こそはと思ったのに!」
「まだまだ甘いな紫苑。スタートと同時に飛び出すのはお前の悪い癖だ。」
「てことは・・・最初の1発は読んでたってこと!?」
「残念ながら2発目もな。やられたふりをして相手の隙を伺う。これも作戦の1つだ。覚えとけー。」
そんなーと情けない声を出す紫苑を横目に、響は水を一口飲み、ゴーグルを装着する。
「何だよ響、少しくらい休ませろよな。」
「そんな余裕の顔して休憩なんていらないだろ。」
「そーだそーだ!やっちゃえ響!」
レプリカ