SS26 オレオレの俺
痴漢容疑者の妻は大きな勘違いをしているらしい。
「そちらは並木雄樹さんのお宅でしょうか?」私は手帳に控えてあった名前を読み上げた。
「そうですけど……」
「失礼ですが、奥様ですか?」
「はい」
「警察の者なんですが、実はご主人が痴漢をしましてね……」
「夫が?」そこで彼女の美声が途絶えた。
大方、混乱しているんだろう。それは至極一般的な反応だった。
「それでですね、奥様にもこちらに来て……」そう続けた私の言葉を、突然彼女が遮った。
「いくらなら示談できるんです?」妙に芝居掛かった台詞は、なぜか笑いを含んでいた。
「残念ですが、警察ではそういうことは、ちょっと……」
「あら、そう。じゃあ、弁護士から改めて電話がくるパターンかしら?」
「…………」
なるほどな……。私はようやく合点がいった。
手口はテレビなんかで散々報道されている。彼女もきっとピンときたのに違いない。
心外ではあるが、一度思い込まれたら説得するのは骨が折れそうだ。
私は送話口を手で塞ぐと、拘留している夫を電話口まで連れて来るよう依頼した。
彼女を待たせながら、じきにやって来た容疑者に事情を説明した私は、持っていた受話器を差し出しながらこう言った。
「ちょっとあんたから奥さんに説明してよ」
「私が直接ですか?」
「しょうがねぇだろうが」
腰紐が結ばれたままの彼は仕方なく受話器を握り締めると、大きく息を吸い込んだ。
「秋絵、すまん。つい出来心でやっちまったんだ」
「あなた誰?」
「俺だよ、オレオレ」
SS26 オレオレの俺