マジで恋する5秒前

マジで恋する5秒前

水泳部のマネージャーの悪い癖。
きっと彼女は『かわいいもの』だけで生きていける…だろうと誰もが思ってた。
…本人も。

部活の夏

夏休みがやって来た。
私はいつものように、プールの中にある温度計に手を伸ばした。
水温は26度。寒がりな1年の春太君もきっと、大丈夫…なはず。
水泳部のマネージャーとして働く私は、もう水泳選手じゃない。
中学生のときは、泳いでいた。そんな速くない選手であって、練習もあまり好きじゃなくて。サボったりしていたから、きっと速くなんてなれなかったのだろう。
水泳は練習あるのみ。1日泳がなかっただけで、筋肉が劣ってしまう。全身運動である水泳は、そんなキツイスポーツだ。
中3のとき、引退して…。もう水泳に関わるなんてないと思ってた。
でも、無事に、花波(はななみ)高校に、合格して、春休みに入ってから、近所の市立プールにいつの間にか通ってた。
あ、水泳が好きだったんだなって、気づいた。
だから、もう泳がなくてもいい。
水泳と関わるために、マネージャーになろうと、泳いでいる時、気づいた。
「北原せんぱ〜い! おはようございますっ!」
と声をかけてきたのは、1年生のさくらと、葵。二人とも、顔が可愛いのだ!
「キャーっ‼︎ きたきたー! おっはよ!」
私はいつものように2人に抱きついた。
私は可愛いものが大好き! だから、後輩と同級生の女子と先輩の女子の可愛さをいつも、吸収している。だって、だって可愛いんだもん♡
…そう。
私はかわいいものには目がなくて、きっと、可愛いものがある世界でならどこでも住めるだろうと自分でも思う。
長袖のトレーナーに、学校指定の短パンを履いた後輩2人。きっと、下に水着を着ているだろう。そんな彼女たちも私を抱きしめてくれていた。

先輩の男子とと同級生の男子は、『かっこいい』であり、流石に、抱きついたりとか、頭を撫でたりはしない。でも、女の子や、後輩(男女)は、可愛いため、つい、抱きしめてしまう。かわいいと思える人たちが犬に見えてくるのだ。
ツンツンとした後輩も、シベリアンハスキーのように見えるし、小さくて可愛い後輩もチワワに見えてくるのだ。
後輩たちも、私の性格を理解してくれているのか、文句を言わずに、受け入れてくれる。ま、本心は嫌がっているのだろうけど。

ビート板を出したり、選手がサイクルを見るためのタイマーを出したりして、仕事をこなしているうちに、プールサイドにも部員が集まってきた。
主将の吉田 透がプールサイドの部員達に声をかけた。
「部活、始めるぞ」
日焼け止めを塗ったり、プールの周りで話していた部員達が一斉に吉田を見た。
今日の部活が始まろうとしている。

部活

「はーい! 次のメニューは…。50を20本、泳いできてくださーい。サイクルは、1分で、IMOで1本ずつ、種目を変えてきてください。じゃあ…30からー!」
選手達に、メニューの内容を伝える。
このメニューの内容は、50メートルを20本、泳ぐ。この学校のプールは、25メートルだから、往復して来なければ行けない。サイクル…というのは、この時間に間に合わせて泳いで来いという時間である。
IMとは、個人メドレーのことであり、IMOというのは、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールを一本ずつ泳ぐというメニューである。
サイクルのタイマーの針が30を指したところで、各コースの先頭の選手がスタートし始めた。私は10秒おきで合図を出す。
寒がりの春太君は、ブルブルと、肩を震わせながら、出番を待っていた。
「春太君、無理しないでね」
「あ、ありがとうございます。でも、頑張りますー!」
彼は私に笑顔を向けると、スタートして行った。
部活の10分間の休憩時間。
私は飛び込み台の上に座って、足を水面の中に入れて、涼しんでいた。
選手のみんなは、飲み物を飲んだり、部室に戻って、温まってきたり…。
そんな中で声をかけて来る人がいた。
「里沙先輩」
「ん? あー! 空くーん♪」
空君は、1年生の男の子。専門種目は、自由形。私が1番、後輩の中で(男子で)可愛いと思う男の子。顔は、垂れ目で童顔。性格も甘えん坊さん♡
そんな彼がキャラクターとして大好きなのだ。
「先輩、俺、寒いです」
「部室は? 毛布あるよ?」
「嫌です。先輩達が使ってて、濡れてます」
「うーん…。あ、じゃあ、私が抱きしめてあげるぅ!」
私のTシャツが濡れても大丈夫。大好きな彼を抱きしめられるのだから、嬉しい限りで。
彼も嬉しそうに笑ってくれた。
立ち上がって、彼を抱きしめる。彼は後輩だが、身長が174センチと高く、私と20センチの差がある。
私が抱きついている形で、彼を温めた。
「里沙! そろそろ…」
吉田が、声をかけてきた。でも、私たち、2人の姿を見て、少し驚いているに違いない。
「あれ? 時間?」
「そっ。お前もほどほどにな。特に空は甘やかすな」
「大丈夫♪ 空君は、風子(ふうこ)ちゃんがいるから。ねー?」
「……はい」
私は、彼を放すと声をかけた。
「練習、再開するよ!」
私はみんなにメニューの指示をし、声を出した。
考え事をしながら。

風子ちゃんとは、水泳部の1年生。
専門種目は自由形で、なぜか、空君をライバル視する。男女で体格の差があると思うのだが、彼らは、好敵手として、泳いで競争をしている。
だから、水泳部では、彼らはカップルなのではないかと、噂されている。2人は否定するものの、怪しい。
私も噂を信じて、彼をいじっているが…。
よくわからない。
彼のことが気になる。
キャラクターとしては好きだけど…。気になるものなのかな。
そんな考え事をしていくうちに、メニューが終わった。
練習が終わるのもあと少しだ。

恋する後輩

元々は、選手として、泳いでいた私。
クラブに所属し、部活とクラブの練習を両立していた。
花波高校には、中学生の時に、同じクラブだった人も多くて、話せる人が多い。後輩から、相談を受けたこともあった。
今日も、相談を受けていた。
部活が終わるのは昼前。
後片付けをして、ミーティングが終わってから、後輩の瑠奈に、声をかけられた。
『相談…、乗ってくれませんか?』
どうしたことだろうと思い、一緒に帰ることになった。
昼ごはんは、どこかで食べよう。
彼女と一緒に、高校の近くのハンバーガーショップに入った。
それぞれ、食べ物を購入し、席についた。
「どうした? 瑠奈が相談なんて、珍しいじゃん」
「はい…。あの、私…。好きな人が、いるんです」
彼女は、頬を染めながら、話してくれた。
お相手は、2年の橘 楓君。同じ水泳部である。
彼はいつも笑ってて、後輩からの信頼も厚い、ムードメーカーである。
好きになる理由もわかる気がする。
でも、同じ水泳部だ。
「想いは? 伝えるの?」
「いいえ…。だって、先輩、誰か好きな人とかいるんでしょう?」
彼女は不安そうに私を見つめた。アイツの恋バナは、聞いたことがない。
「いや、聞いたことないけど…。聞いてみよっか?」
「はい! お願いします」
恋って大変だな。相手のこともわかってないといけないし、切ないし、苦しいし。
ま、私にはそういう機会は、きっとないだろう。
私は、彼女の依頼を引き受けて、チーズバーガーを口にした。

休日

高校の部活。
土日しか、休みがない水泳部。
八月のある土曜日。
泳ぎたいなという気持ちになった。なんでだろう。みんなが泳いでいるからかな。
市立のプールに自転車で向かった。
久しぶりに着る、練習用の水着。海とかに行くような可愛らしいフリルのついた水着…なんて私の家にはない。だからと言って、不満ではないんだ。
水着を着て、以前使っていた、プルブイと、キャップとゴーグルと飲み物を持ってプールサイドに向かった。
久しぶりのプールの中。
水がひんやりしてて、気持ちよかった。
アップ程度に、自由形を50メートル。でも、久しぶりすぎて、一本を泳いだだけで息が少しあがってしまった。
泳げるかなと、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライを泳いでみる。でも、バタフライは、腕が上がらなくてもどきになっていた。
泳いでいなかったから、こりゃ、明日は筋肉痛だなと、悟った。
キックをしたり、プルブイを両足の間に挟めて、手だけを動かして泳いだりした。でも、疲れやすいから、きっと、合計しても1キロには、及ばないだろう。
1時間ほど泳いで、あがった。
シャワーを浴びて、着替える。
中学校のときは、ほぼ毎日、泳いでいたからな…。髪の毛が塩素のせいで脱色して、茶色に近い色になってしまったが、今は違う。もう、黒くなった。
市立のプールは、以前の中学校に近い。
なんとなく、ヨネスケさんのように、友達の家に突撃したくなった。
自転車を漕いで、あるアパートに着いた。
102号室の扉の前に立ち、ドアのチャイムを鳴らした。

突撃

「はーい」という声と共に出てきたのは、こげ茶のセミロングの髪をした、女の子。
「久しぶり、梨子(りこ)」
「あ、里沙! どうしたの、突然」
彼女は笑って迎えてくれた。
梨子は、中学校のときに出会った、親友である。
彼女はいつも、金髪のカツラをかぶって、学校生活を過ごしていた。だから、彼女の周りには友達がいなかった。
最初はこの人とは関わらないだろうと思ってた。でも、彼女は喧嘩が強かった。
中1のとき、他校の不良に声をかけられ、ナンパされ、嫌がっていたところで彼女がやってきた。彼女は彼らをボコボコにしてくれた。
だから、知ってる。彼女は表面は悪い娘のように見えるけど、内面は全然かっこ良くて。
私は彼女のかっこよさに惚れて、仲良くなったのだ。
家に入ると、涼しい風が来た。クーラーをつけているのだろう。
リビングのソファに座って待っていると、彼女は麦茶を差し出してくれた。
「どう、高校。楽しい?」
「うん、楽しいよ。水泳部ね、かわいい子がた〜くさんいるのっ」
私は嬉しそうに話すと、彼女も微笑んだ。
「ほどほどにね。いくら、後輩が可愛いからって、積極的になりすぎると、嫌がっちゃうからね」
と、梨子は私をたしなめる。
そう言う彼女も後輩に好かれている。
「わかってるって。…あれ? いつもの後輩達は?」
「あー…。なんか、私の部屋でゲームしてる。なんか、お客さんが来て、三人で遊んでるよ。ほんと、ガキみたいで微笑ましいよ」
彼女は苦笑いしながら、話してくれた。
梨子の後輩も可愛いのだ! なんか、二人とも、梨子のように、表面は悪い子のように振舞っているけど、全然いい子たちなのだ。
「ねぇ、会って来ていい?」
「いいけど…」
私はルンルンとスキップしながら、彼女の部屋の扉をノックした。
返事がした。
中を開けると…。
ベッドに横になるピアスをつけた男の子、優未(うみ)君と、茶髪で今日は黒縁メガネをかけた男の子、麗虹(りく)君と…。もう一人は、顔が見えなくて、わからなかった。でも、かわいい後輩二人にいつものように私は感動の再会のように抱きついた。
「いやぁー、優未くん、麗虹くん、久しぶり〜♪ 相変わらず可愛いね♡」
「り、里沙さん…。お久しぶりっス」
「もう、変わってないねぇ♪ 麗虹くんなんて、メガネ、似合ってるし♪」
「どうも」
二人は反応してくれた。すると、もう一人の男の子がゲームに夢中だったのだが、顔を上げて、私を見た。あ‼︎
「空くんだぁ♪」
「里沙先輩、お疲れ様です! どうしてここに?」
「空くんこそー!」
私は二人を放してから、空君に抱きついた。
彼は驚いているようだった。
「空のこと、知ってんスか?」
「うん! だって、後輩だもの」
「いやー、麗虹が顔広くて、中学が違うんだけど、空のこと、知ってたんスよ」
「へえー、三人でゲームしてたの?」
「そうっス。マリ●カートっス」
「そっか…、じゃあね、空くん、また月曜日ね」
「はーい」
部屋を出て、リビングに戻った。
それから、梨子と他愛のない話をした。
彼女も恋なんて関係ない女の子。恋人なんか、いらないんだって。だから、二人で、高校の話をした。
やっぱ、梨子は変わってなかった。
そろそろ帰ろうと、私は立ち上がった。
「帰るね」
「うん。アンタ、可愛いんだから、気をつけなよ」
「ありがとね」
アパートを出て、空を見た。まだ、午前中だしな…。外食しようと思った。

双子のSWIMMER

泳いだ帰り…というか、お昼ご飯に、また、いつものように、ハンバーガーショップへと向かった。
別に、お気に入りというわけではないのだけれども、お昼時に甘いものはあまり食べたくなくて。店に入って、今日はハンバーガーに、Sサイズのポテトがついたセットを買った。
お持ち帰りが面倒臭くて、ここで食べて行くことにした。
空いている席に座って、ハンバーガーを頬張った。
泳いだ後だから、やっぱりお腹がすごい減る。
むしゃむしゃと青虫のように食べていると、頭が、ぽんと触れられた。違和感を感じて、手の方向を向くと、橘 咲哉(さくや)と、楓君がいた。
きっと、私の頭に触れたのは、咲哉の方だ。

咲哉は、楓君と双子の兄弟で、弟。彼とは対照的で性格は悪い。素直じゃないというか、天邪鬼な性格である。でも、専門種目である自由形は、兄より速くて何より…。綺麗。
二人とは同じクラブに通っていたけど、彼らは速いコースで泳いでいた。中学が違っていたのだが、高校で同じになって、彼らと同じ部活に入って…。
マネージャーとして働いていた私だったが、咲哉の泳ぎが綺麗で、クイックターンが豪快だけど、水しぶきが華麗に舞ってて。
つい、泳ぎに見とれて、動きを止めてしまった。
彼に注意されるまで、正気に戻ることができなかった。
『か…かっこいいね』
同じクラブに通ってはいたものの、間近で見たことはなかった。
つい、正直に伝えてしまって、そのあとに後悔した。こいつに言ったら、きっとからかうだろうと。でも、違った。
『…ありがと。お前も泳げばいいじゃん』
『…もう、やめたんだ、私』
『でも、俺、見たい。久しぶりに…というか、一緒に泳ご?』
『水着…、ないよ』
『はぁ? …わかったよ。んー…。明日さ部活休みだし、一緒に、プール行かない?』
『え? ……いいけど…。バカにしないでね』
『しないって』
あの時はよかったな。次の日、本当にプールに行って、泳いだけど、やっぱり綺麗だった。私は恥ずかしくて泳げなかった。
別に、太って、水着姿が見られるの恥ずかしい…っていうわけじゃないからね? 勘違いしないでくださいね。

「なんだよ、食べてるのに…」
「ごめん、ごめん。ひとりかなーって思ってさ」
楓君は、いつものようににこりと笑った。やっぱり、彼の笑顔は癒されるなぁと思った。
彼らも外食のために来たのだとか。
後輩の頼みをそろそろ叶えなければ。
「ねぇ、楓君」
「ん? どうしたの?」
「…好きな人…、いる⁇」
言った途端にすぐ後悔した。そういえば、あの天邪鬼モンスターがいたんだった!
そのモンスターは、やはり、顔をニヤつかせた。
「まさか、里沙、楓のこと…」
「違うよ! あの…。頼まれたの」
「…誰に?」
「それは言えないけどっ!」
私は全力で疑いを晴らした…つもり。
楓君はニコニコした表情を変えずに、答えた。
「いないけど…。そっかぁ、誰だろうな」
「里沙でしょ?」
「違うってば!」
私は彼の塩素で少し抜けてしまった、茶髪の髪を軽く叩いた。
「俺、ちょっと、トイレに行ってくるね」
と楓君が席を立った。…ヤバイ。モンスターと一緒だ。
「ねぇ…。誰なの?」
「へ?」
「だから、楓のことが好きな奴は誰?」
「…。 うちの学年の女子って可愛いよね」
「は?」
私はもうその話題は避けようと、頑張って話題を変えた。よし。咲哉、頼むから話題をそらしてくれ!
「話題、変えたな」
「まぁね。もう、私、からかわれるのやだし」
「わかってるよ、お前じゃないことくらい。…でも、お前、かわいいもの全てに対して”かわいい”って言うからなぁ。信用できない」
「え? いやー、私の思っていることは正しいことばかりだよ?」
「女の”かわいい”は、信用できないの。特に、お前」
「ひどっ! 可愛いものは正義なの!」
「…意味わかんねぇし」
彼は苦笑いした。ほんと、性格、悪いなぁ。そう思いながら、ハンバーガーの最後の一口を食べ切った。
「じゃあさ」
と、彼は提案する。何だろうと首を傾げると、彼は私の前に、マスコットを差し出してきた。
羊というべきかわからないけど、めっちゃゆるい顔をしてた。あの、栽培できるな●このような顔をしていた。
「これは可愛いと思う?」
じーっと見つめると…。かわいいじゃん。
「かわいいよ? このゆるい顔…。うん、めっちゃ、かわいい♡」
「視覚、おかしいんじゃねぇの?」
という彼だって、これを持っていたということはお気に入りなのではないだろうか。
「これ、どこで買ったの?」
「クレーンゲームでとった。…あげる」
と言って渡されたから、嬉しかった。お礼を言って、マスコットをまた、見つめた。
ラベンダーカラーの羊毛をした二足歩行の羊さん。うん、かわいい。
通学用のリュックに、つけようと思った。
天邪鬼な弟と、ニコニコ笑顔の兄。
なんだかんだで、橘兄弟が好きだ。

夏の地獄

八月に突入した夏休み。
やっぱり、あの方達が溜まっていくのだ。
「うわぁぁぁぁ」
もう、叫ぶことしかできないや。
夏休みの課題なんて、いらないと思う。来年は…受験勉強というものがあるのだけれども。溜まっていくばかりでやっと、取り組まなければという意欲…というか、焦りが生じてきた。
水泳部(二年生)のグループのLINEで、誰かが「課題、終わってねぇ」という人がいた。
これはチャンスだと、グループの会話を見ると…。
ため息が出た。
咲哉だった。うわわわわわわ。
個人のチャットで、彼と会話しよう。
最初はからかってやろうと思った。自分は終わってますよーと、装うように。
『課題、終わってないんだ?』
そう打って、装ったつもり。でも、バレる人にはバレるんだ。
『お前もだろ』
図星で少し、腹が立った。
『私、咲哉の前で、このことを言ったっけ?』
『言ってないけど、なんか、なんとなく、言ってみた。図星だろ?』
『…ノーコメントで』
『じゃあ、一緒に図書館、行かない?』
『え? あ、でも、集中できるかも』
咲哉とあまり話さないから、彼とお話しすることなく、勉強…というか、答えを課題に写すことができるだろう。
『じゃあ、明日の午後でいい? 部活終わったら、直行しよう』
『うん、了解した』
お勉強会かー。女子の友達とそういうのしたかったけど、みんな、終わってそうだな。
ま、仕方ないか。
いつものリュックに、勉強の道具を入れた。
咲哉からもらった、ストラップをつけてみた。…うん、可愛いじゃん。
今日は部活が休みだから、少し、勉強しようと、机に向かった。
今日は、数学の課題を終わらせ、明日の勉強会では、物理の課題をしなければ。
机に向かって、数学の課題と答えを開いた。
回答をスラスラと写していく。
早く、終わらないかなー。

図書館より

今日は猛暑日。
プールに入っている選手が羨ましいが、そんなこと、言っていたら、私が逆に羨ましがられる。練習なんてものがなくて、ただ、応援することくらいしかできないのだから。
お互い、自分にないものを羨ましいと思うのだ。
メニューを読み上げて、指示を出す。
そういえば、昨日の数学は、終わらなかったな。
いろいろ、難しい問題も出てきて、回答の解説を写さなければいけなくて、面倒臭かった。
咲哉は、昨日のこと、覚えているだろうか。
『なんか、忘れてた』とか言って、ヘラヘラと笑ってそう。
ま、一人でも、勉強できるんだけどね。


部活が終わった。
タイマーやら、ビート板やら片付けていると、手伝ってくれる人がいた。
1年生の、太陽君だ。彼は名前の通り、元気いっぱいで、部活の太陽のような存在である。だから、楓君と一緒にいると、最高の組み合わせである。通称、太陽コンビである。
私が片付けている間に、みんなが水着からジャージに着替えるのだ。
太陽君は、早くも着替え終わったらしい。
「お、太陽くんっ♪ ありがとね」
「いえいえ! 先輩こそ、お疲れ様です」
「お疲れ様っ。 練習、きつかった?」
「ここで、平気ですって言ったら、もっときつくなるっぽいんで、やめときます」
「へへっ、明日はじゃあ、この倍にしとくか」
「ひぇー」
彼の苦しそうな顔に笑えた。明日のメニュー…。どうしようかなと考えながら、部室の倉庫にビート板を運んだ。

軽めのミーティングが終わって、解散となった。
咲哉と目があった。何秒か目をそらさずにじーっと見つめていたけど、彼が変顔をするから吹いてしまった。
彼の変顔が最近の笑いのツボである。
学校の近くに、図書館と、コンビニがあるため、コンビニで昼ごはんを買った。
梅干しの入ったおにぎりと、お茶と、野菜スティック。
咲哉は、ナスがたくさん入ったナポリタンを購入していた。
二人で並んで歩いて、図書館へと向かった。
「何の課題、持ってきた?」
「物理。あ、あと、数学」
「…同じだな」
「ほんと? 咲哉も、物理、やってないの?」
物理の課題は、問題集に載っているまとめの部分の模写と、問題を解くこと。
大雑把な私は、すぐにその課題のことを聞いたとき、やる気が急激に下がった。やりたくないなぁと。でも、課題だから、やるしかないんだ。
「だって、面倒臭いじゃん」
彼からの返答がおなじだったから、また、笑った。
図書館に入って、先にご飯を食べた。図書館の中に、ご飯を食べられるスペースがあるため、そこに向かった。
やっぱり、泳いだ人は食べるのが早い。お腹が空いているものねと、理解する。
彼を待たせないようにと、急いで食べたつもりなのに、やっぱり待たせてしまう。
「先、行ってていいよ?」
「待ってる。お茶、一口、もらっていい?」
「私の、飲みかけだよ? いいの?」
そう聞くと、答えは言葉ではなく、行動で返ってきた。
お茶の入ったペットボトルのキャップを開けて、ごくごくと飲んでいた。
……一口って言ったじゃん。
そう思ったけど、口にしなかった。
食べ終わって、図書館の自学室へと入った。
机が規則的に並んでいる、自学室。空いている、二人が座れる席を彼が探してくれた。
夏休み、ということもあって、やっぱり、中学生や高校生が多いなと感じる。
ようやく、席を見つけて、座った。
二人で並んで、物理の課題のテキストを開いた。
二人で愚痴をこぼしながら、取り組む。
彼とあまり話さないだろうと思っていたけど、よく喋ったな。
真面目に取り組んだのは、ほんの10分くらい。
私たちの向かいの席に、誰かが座った。
ちょうど、集中力が切れていた私だったから、向かいに座っている人は誰だろうと、前を見ると…。 あれ!?
空君と、風子ちゃんがいた。
やっぱり、二人……。
「…ラブラブね」
目の前の二人にニヤニヤしながら、声をかけた。
前の二人も私の視線に気づいて、驚きつつも、声を揃えた。
『ラブラブじゃ、ありませんー!』
声が揃っていて、笑うと、ようやく、咲哉も気づいた。
「あ…。咲哉先輩…。お二人だって、仲がいいんですか?」
空君がそんなことを聞いてくるから、腹が立って、返答する。
『んなわけ、ねーだろ』
気づけば、咲哉とも声が揃っていた。なんだろ、このシンクロ感。
我慢しきれずに、私が声を出さずに笑うと、彼も笑った。
二人も課題を終わらせるためにここへ来たのだとか。
お互い、目的が同じだとわかると、もう、会話することがなくなった。
「なぁ、里沙」
「ん?」
小声で声をかけて来たから、小声で返事をする。
「俺、寝てたら、起こして」
「あ、いいよ。私も起こしてね」
「おう。ぶん殴るわ」
「は? だったら、私、飛び蹴りするから」
「冗談だって」
涼しい図書館。しかも、静かすぎて、逆に集中ができないというのが現状。
その会話が終わって、わずか、5分後。
隣で首をカクカクと揺らしている。
……疲れているんだよね。
私は起こさずに、彼の課題のノートにウサギの絵を描いてセリフを喋らせた。『俺のこと、起こすんじゃねーぞ』と。ウサギの顔は可愛いくせに、怖いセリフ…というギャップがあった。
彼はなんて言うだろうか。
そう思いつつ、課題に取り組んだ。
瞳を閉じれば、きっと寝れるだろう。
なんとなく、瞳を閉じた。 ……あ。

先輩と後輩

……。
いつの間にか、やはり、私も寝ていた。
机に伏せて寝ていたため、課題のノートがぐしゃぐしゃになっていた。
…怒られるな、こりゃ。
隣には、もう、咲哉の姿がない。ノートには、きっと、彼が描いたのであろう、猫の落書きがあった。『先、帰るねー。寝顔、可愛かったよ(笑)』と、話す猫。
セリフがムカつく。寝顔が見られた…。写真、撮ってそうだなと心配になった。
向かいの後輩たち…というか、空君一人で勉強をしていた。
「あ、先輩、起きたんですね」
彼はニコッと笑いながら、声をかけてくれた。
「う、うん。どのくらい、寝てた?」
「うーん…、30分くらいですかね」
「あ、そう…。風子ちゃんは?」
「あいつ、飽き性なので、咲哉先輩が帰ってから5分後に、帰りました」
ま、まさか、二人…、できてるのか?
と、疑問に思ったが、首を横に振った。風子ちゃんには、空君がいるではないかと、すぐに納得する。
「そっか…。いいの? 帰らなくて」
「え?」
「いや、だって…。風子ちゃん、先、帰っちゃったんでしょ?一緒に帰らなくて、よかったの?」
そう尋ねると、彼は頬を膨らませた。やっぱり、何しても可愛いものは変わらないな。
「だーかーらー、付き合ってないって言ってるでしょうがぁ! …俺、実は嫌いなんですよ、あいつのこと」
「嘘だね」
「事実です。ライバルとして、俺を見てるけど、タイム的には俺の方が勝ってるし、比べること自体、おかしいんですよ」
「まぁ…ね」
そう言われると。彼女と空君のタイムの差は離れすぎている。
「だから、これ以上、俺のこと、そのことでからかわないでくださいよぉ」
「…ごめんね。これからは、しないよ」
「…そういう先輩だって、咲哉先輩と帰らなくていいんですか?」
お返しをするかのように、彼はニヤニヤしながら言った。
「いいんですぅ! 私も彼とはそういう関係じゃないから、からかわないで」
「…わかりました」
「よしっ」
もう、課題をやる気にはなれなくて、時刻はもう五時前になっていた。
なんか、本、読みたいなぁ。
課題のものをしまった。
「ちょっと、本、読んでくるね」
「はーい」
彼はまだ、課題を続けるみたい。関心の意を示しつつ、なんとなく、絵本コーナーへと向かった。
子供の頃見た、絵本たち。
ある本を手にとってペラペラとめくる。
可愛い絵と、優しい文体の本文。次第に心が癒されていく。
最後のページを見て、ふふっと笑った。
本を元の位置に戻していると、後ろから、声をかけられた。
「先輩」
きっと、空君だ。
本棚を背にして、彼の方に向き直った。
すると、彼は、本棚に右手を伸ばし、まるで、私の逃げ場をなくしたかのように、塞いだ。
…こ、これは…。
壁ドンじゃない⁇

壁ドン

ちょ、ちょちょちょ!
いや、人生初の壁ドンですよ。しかも、相手は後輩ですよ?
かっこいい先輩がやれば、キュンとするんだろうな。
空君がやると、可愛すぎて、逆に違う意味でキュンキュンするなぁ。
「あ、あの、空君? 相手、間違えてない?」
「…間違えてないです。俺のこと、見くびらないでください」
み、みくびる⁉︎ いやいや、してないよぉぉぉぉ。
私は、首を横に振った。
「みくびって、ないよ。ほんと、相手、間違えてるって。私、先輩だよ?」
「先輩だからって、恋しちゃ、ダメなんですか? スキっていう感情を持っちゃいけないんですか?」
おぉぉぉぉぉ。なんて、キュンとする言葉を言ってくれるのだろうか。
でも、でもね。
嬉しいんだ。でもね。
いくら、可愛いさとかっこよさのギャップを見せてくれた、空君でも、ダメなんだ。




だって、部内恋愛じゃん。




「先輩は…、俺のこと、嫌い…ですか?」
彼の顔が近くて、ドキドキする。恋か?
いや、こんなの恋とは言わないよ。
「ううん、嫌いじゃないよ」
「でも、俺のこと、恋愛対象として、見てないですよね?」
そんなこと、考えたことなかったよ。可愛い、可愛い後輩として見てきたからさ。
答えられなくて、黙っていると、彼は突き出していた手を戻した。
その場を去ろうとしているのだろう。
まだ、彼はわかってない。
もう、わかんないや。
私は彼の胸に顔をうずめるように近寄った。顔が見られないように。
「…せんぱ…い?」
彼も動揺しているだろう。
私も動揺している。なんで?
なんで、私は…泣いているのだろう。
また、思い出しちゃったからかな。

ラムネの失恋

悲しい思い出。


実は、私。
部内恋愛したことがあるのだ。
相手の名前は…。後で、わかると思う。今は言わない。
高校一年生の夏から冬まで。半年間の付き合いだった。
彼は、背泳ぎの速い選手だった。
彼も、咲哉みたいに、クイックターンが上手くて、綺麗で。
彼とは違うクラブだったから、高校で初めて会った。
彼は、速いからと一年生ながら、メドレーリレーの第一泳者として、泳いでいた。
それは、一年生たちは、誇りに思った。
彼の性格も、よかった。
どんな人にも声をかけて、ポジティブなことを言って…。しかも、顔がイケメンだからと、モテていた。
そんな彼は、ある夏の部活のとき。
先輩たちが練習で休憩をしていたときのことだった。
みんなが泳いでないからと、私も日陰で座って休んでいたときだった。
彼が急に、私のところに来て、急に後ろから抱きついてきた。
別に、好きだったんじゃないのに。急すぎて、心臓がバックバクで。
『な…な、なに? どうしたの?』
『ううん、なんでもない。へへっ、可愛いね』
『か、か、可愛いく…ないよ』
『そう? 俺は好きだよ』
…それが告白だったのか、わからない。でも、先輩とか同い年の人たちがたくさんいる中で、どうしてそういうことをしたのか、わからなかった。
それからも…。人がいる中で、そうやって、私をバカにするようなことが多かった。
でも、でもね。
「嫌だ」と思ってるはずなのに、その想いがだんだんと、「好き」に変わっていくのが不思議だと思うくらい、私は彼に恋をしてしまった。
そして…。
学園祭があって、友達がたまたま、仕事があると言って私が一人で行動をしていたときだ。
『一緒に、まわんない?』
と誘われた。迷ったけど、一緒にまわることにした。
彼は二年生の出し物の、お化け屋敷に行きたいと言い出した。
『む、無理だよぉ』
私はお化けが苦手で。いくら、作り物だとわかっていても、怖いものは変わらなくて。
でも、彼はその教室に入ってしまった。
私は目を閉じて、彼の背中に回って、ワイシャツの後ろの生地をずっと掴んでいた。
抜け出したら、もう、私が掴んでいた部分がもう、伸びてしまった。
『あ……。ごめん、なさい』
『ううん、俺こそ、ごめんね』
そう言って、彼は私にラムネをおごってくれた。
『俺にも、一口、ちょうだい』
『え? 飲みかけ…』
言い終わらないうちに、彼はごくっとラムネを飲んだ。
『うめっ! サンキュー』
『私こそ、サンキュー♪』
笑いあって、私たちは校内のベンチに座って、人の流れを見ていた。
『ねぇ、里沙』
『なぁに』
『これからさ…。一緒に帰らない? 俺ね、里沙のこと、好きになっちゃった』
こんな恥ずかしい言葉を、よく口にできるなと思いつつ、私は頬を赤く染めた。
『……いいよ』
私は彼を見つめて、笑いかけると、彼は人がいるのにも関わらず、誰が見てるかわからないのに、唇にキスをしてくれた。初めてのキスはラムネの味がした。
それから、付き合っていることがばれないようにと、部活内では普通どうりに過ごした。学校が終わってからは一緒に帰った。
冬までずーっと。
でもね、彼はイケメンで、性格も優男で。
モテるわけで。

私がフったんだ、彼のこと。
二日に一回、告白される彼は、いつも、私に愚痴をこぼしていた。
もう、付き合っていることを公言した方がいいのではないかと提案された。
初めて付き合った彼。
初めてのことばかりだったけど。
初めてのことばかりだったから、「付き合う」ことの難しさがわからなかったんだ。
電話でね、フったんだ。
『もう、別れよう』
『なんで?』
『………ごめん、ごめんなさい』
もう、わからなくなって。もう、謝ることしかできなくて。
別れた方が彼は私から解放されると、思ったんだ。
でも。なんで、泣けてくるのかな?
泣いたんだ。好きだったんだなってやっぱり思った。でも、言葉を消すことはできないわけで。
彼とは、別れた。
それからは……。
みんな…というか、水泳部のみんなはわかってるけど、他のみんなは付き合っていたことすら、わからないから。
私たちの気まずさをわかってくれる人があまりいなかった。


そんなとき、相談に乗ってくれたのが、咲哉だった。
彼は私の話を聞いてくれて、叱ってくれて。でも、励ましてくれた。
『もう、付き合うことはなくても、お互いの幸せを祈ることくらい、できるだろ?』
彼はそう言ってくれて、励まされた。
だから、もう決めたんだ。
恋は…もう、しないって。
恋したら、相手を傷つけてしまうから。もう、怖くなったよ。
ラムネもね、もう、飲めなくなっちゃった。

ヤキモチ

「せ…先輩? 泣いてるんですか?」
「え、ち…違う、違うからっ」
本当は泣いてた。こんな顔、見られたくないよ。
でも、わかられることがオチである。
「……夕の、ことですか?」
夕…。そっか、空君、あいつの弟だったこと、すっかり忘れてた。
……そう。私の元彼は、空君のお兄さん。彼らは年子の兄弟なのだ。
「ううん、ち、違うから。ごめんね…」
「…兄は、ずっと心配してました、里沙先輩のこと」
「あの人はもう、私のこと、忘れてるよね? 私のこと、引きずってないよね?」
「……わからないです。恋の話、兄からあれから聞いたことがありませんから」
空君は私の背中に腕を回した。抱きしめてくれてるのかな。
…匂いがやっぱり、あの人にそっくりだなぁ。
「こんなこと、言ったら…、怒られちゃうよね」
「……なんですか?」
「未ださ、もう、半年も経ったのにさ、彼のことで泣いてる私って…。まだあの人のこと、好きなのかな」
なんで、弟にこんなこと、言っているんだろう。すると、彼はこう言った。
「…好き…なんだと、思います。兄もたぶん…。先輩の前では言いませんけど、俺によく、言います。先輩の、存在が大きかったって」
「…へっ、よく言うよ」
私は涙を拭って、彼から離れた。
涙で腫れてしまったが、仕方ない。彼に顔を見られないように、俯いた。
「先輩、咲哉先輩の匂いがします」
「へ? なんで…」
すると、彼はこう続けた。
「里沙先輩が寝てるとき、その5分後に咲哉先輩が起きて…。先輩の落書きを見てから、クスッと笑って、先輩のノートにお返しして。先輩の頭をずっと撫でてました。先輩、気づいてなかったかもしれないけど…。まるで、妹を見守る、お兄さんのように見えました」
ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ⁉︎
嘘でしょ、それ。なに、お兄さんみたいって。あいつ、そういう趣味を持ってたのかと、驚いてしまう。でも、気づかなかったな。
「そ…そう…なんだぁ。…ははっ、全然、わかんなかった」
「だから……。優しい先輩は好きだけど、嫌いです」
「……へ? どっちなの、それ」
「曖昧ですけど、そういう想いです」
「理由は…?」
「言いません」
なんだろうね。よくわからないけど、彼もいろいろ抱えているのかな。



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


先輩は…、わかってない。
俺は、兄にも、咲哉先輩にも、ヤキモチを焼いているということ。

先輩たちの同い年に生まれてきたかったな。

本音と嘘

送っていくと彼に言われたけど、断って一人で帰ることにした。
「ごめんなさい。突然、あんなこと、して…」
「あ……。大丈夫だよ、気にしないで。もしかして、夕のこと…」
もしかして、あの人のために、私に声をかけたのかと、疑ってしまったが、彼は首を横に振った。
「俺、そんなにいいやつじゃないです。それに、俺は先輩に嘘をついてないですから」
にこりと笑った彼。やっぱり、恋愛対象…としては…な。
可愛い後輩としか、見えないもの。



家に帰ってから……。
気づけば、スマホを手にとって、ある人に電話をかけていた。
何回のコールかのうちに、電話の向こうの世界から声が聞こえた。
「もしもし」
『もしもし、里沙? …どした?』
つい、この人に相談したくなるんだ。もう、頼れる存在になってて。
「ごめん、声が聞きたくて」
『バカだろ、お前』
向こうから、笑い声が聞こえた。別に、嘘じゃないもん。心の中で頬をリスのように膨らませた。
「ひどいな、もう」
そう言うと、彼は急に声を変えた。まるで、ミッ●ーマウスのようだった。
『……無理すんなよ?』
その声のくせに、真面目なセリフだから、つい吹いてしまった。
「どうしたの、急に」
『それは、お前だろ。…なんか、あった?』
核心をつかれた気がして、急に怖くなった。…なんで、わかっちゃうのかな。
「な…何も、ないよ。ただ…声が聞きたかっただけだし…」
『嘘、つかなくていい。なぁに、夕のことだろ、どうせ』
もう、嫌になるな、本当に。
「もう、咲哉はひどいよ」
『なんでや。お前が相談するからだろうが。もう、わかってきたよ』
「ひどいよ、ひどい。だって、私は……、咲哉に相談して、私の本音を咲哉はわかっているけど…。私、咲哉のこと、何も知らないよ?」
『なんだよ、俺の本音、知りたいの?』
「うん…」
私が頼ってばっかりで…。なんだかんだ、彼に相談しているけれど、本当に彼のことはわからないんだ。…別に、好きじゃないよ? 咲哉のこと。…でも、でもね。やっぱり気になるんだよね。
『ふー。俺ね、ほんとはさ、お前のこと、好きなんだ』
「は? 今、なんて?」
『好きだよ』
声の音を変えず、そんなことを言う。は?
へぇぇぇぇ⁉︎ いや、あの咲哉が‼︎? 普通、そういう告白って、緊張感を感じる気がするのだが…。あいつの声からは全然、伝わってこない。
もう、やっぱり、私に本当のことを言ってくれないんだよね。
「嘘でしょ? そう言っちゃってさ」
『ご想像にお任せしまーす』
彼の声はふざけていた。やっぱり、嘘じゃん。
「はいはいさー」
『いいですね、里沙さんは、選択肢がたくさんあって』
「へ?」
急に話が変わったと思ったら、なんの話だろうか。
『俺が嘘の告白をしなくても、お前の選択肢は複数あるだろ?』
「やっぱり、嘘かいっ。 何の選択肢?」
『恋愛…かな? この夏で、お前はいろいろなことに巻き込まれてるからなー。俺はてっきり、可愛いものだけがあれば生きていけるだろうと思ってたよ。でも、里沙は、今、なぜか、恋愛で悩んでいるらしいから。選択肢がたくさんあるんだ。その分、悩んでいいと思う。それで、筋を通せばいい』
…………。
何、このマンガみたいなセリフ。
カッコつけちゃってさ、ほんと、敵わないな。
「ま、ありがとう。電話してよかった」
『そりゃ、どうも』
「ほんと、ありがとね。今日もありがとう」
『おう。じゃあ、また明日な』
「うん、バイバイ」
ため息を吐いた。このため息は、疲労のせいじゃない。これから頑張ろうっていうため息である。
机に向かって、明日の練習メニューを考える。
少し、キツくしてみようかな。
ふふっと笑って、ノートに書き出した。



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

嘘か…。
俺は、本音を言ったつもりなんだけどな。
この言葉をあいつにもう一回、伝えるチャンスなんて、ないんだ。
彼女は、俺のことなんて、視界の中に入ってなくて。
きっと、あのときから、あいつのことしか想ってないんだろう。
それでも、いいんだ。
彼女が笑ってくれるだけで、いいから。

ペアネックレス

課題が終わらない。
あと一週間で、夏休みが終わるというのに、課題を進めず、部活のメニューを作り、参加していたからだ。
あの、図書館での出来事から、一週間ほど経とうとしている。
空君とは、気まずさはなく、普通に話せていたと思う。でも、私はマネージャーである。マネージャーということは、選手一人一人と関わらなくてはいけない。もちろん、夕とだって。
普通に話せてるかな。敬語なんか使って、他人行儀のように接していないかな。
いつも、心配になる。
彼は、私と接すると、みんなに向ける笑顔を見せてくれる。きっと、彼は意識してい…ないと思う。
それなら、安心なのだが。
空君が言っていた言葉が本当だったら……と考えると、また、頭を悩ませてしまう。
仲直りってできるの? 復縁…は、しなくてもいいけど。
でも、なんでも言い合える関係になら、なれるかな?
なーんて、甘ったるい考えが頭の中を循環していて、もう、課題なんて忘れていた。
残り一週間。
答えと友達になって、協力して頑張るしかなさそうだ。


午前の部活が終わってから、私は梨子の家に向かった。
梨子は、私が突然、突撃しても、怒らない。笑って許してくれるから、大丈夫だろう。
部活のリュックに、部活のものと今回は、日本史の課題を入れて、直行。
彼女の家は、花波高校から徒歩5分で着く。
どうして、花波高校に来なかったのかと尋ねると、「私のような悪い子が行っちゃダメな学校だから」と返ってきた。
彼女は、金髪のカツラをかぶっていて、地毛はこげ茶なのだが、決して、仲のいい人たち以外にはその地毛を見せたことがない。
だから…かな。彼女は喧嘩もするし。
そんなこんな、歩いているうちに、見慣れたアパートが見えてきた。
102号室の扉を探し、ドアのチャイムを鳴らす。
梨子は、起きているだろうか。
生活サイクルがずれていないだろうか。
そう考えていると、男性の声が返ってきた。…彼女のお父さんだろうか?
でも、こんなに、少し高かっただろうか。
扉を開けて、出てきたのは………。
優未君だった。
髪の毛は黒くて、左耳にピアスをしている。なぜ、ピアスをしているか、わからないけど、イルカをあしらったピアスをよくつけている。…今日もだ。
「あ、里沙さんじゃないっスか!」
「優未君っ! 今日も可愛いね」
出会って早々、抱きつく私。彼も梨子と同じように、喧嘩が強い。でも、その力の強さは、不良の人たちにしか見せない。
彼はネックレスをしていた。きっと、ペアネックレスだろう。彼女が…いるのかな。
後で、それを聞こうとして、梨子の不在確認をした。
「梨子、いる?」
「あー、今、お買い物に行ったっス。んで、俺はお留守ばんっス〜♪」
なぜか、嬉しそうに話してくれた。とにかくあがって、彼女の帰りを彼と待つことにした。
答え写し……、できないかも。
彼の恋愛事情が気になった。

高嶺の華子さん

あがると、彼はまるで、お母さんのように、私にお茶を出してくれた。女子力があるなと、関心した。
単刀直入に聞いてみた。
「優未君って、付き合ってるの?」
たまたま、お茶を飲んでいた彼は吹き出しそうだった。それを堪え、ゴクンと飲み込む。
「いきなり、何スか、その質問! なんで、その話に…」
「ネックレス。それ、ペアネックレスでしょ?」
彼のネックレスは、ハートが割れたような形で、きっと、彼女のネックレスをとなりに並べると、ハートの形になると思う。
「…そうっス。やっぱり、これ付けてると、そういうことになるっスよね」
「え? もしかして、麗虹君と、お揃いで?」
「それはないっス!」
即答で答えたため、笑った。
彼は一息ついてから、話してくれた。
「そうっスよ。俺、彼女ができたんスよ! その人、すっっっっごい、可愛いんスよね〜♪」
ニコニコとつい、笑ってしまう。いいなぁ、恋してて。
「今度、彼女に会わせてね。でも、彼女がいるっていうのに、梨子の家にいていいの? 大丈夫なの?」
「それは大丈夫っス。彼女は、尊敬している人だったら、しょうがないでしょって、わかってくれてたっス。よかったっス、俺のこと、わかってくれてるんで」
…そういえば…。 私は彼のこと、わかっていたかな。考えて、想っていたかな。
彼の言葉で、また、頭を悩ませてしまった。
「恋」って、難しいなぁ。
「いいね、彼女さん。 …梨子は、恋してる?」
「急に、話、変わったっスね」
「あはは、ごめん、ごめん」
「どうなんだろう…。なんか、りーちゃんは、恋とか友情とか無関心に見えるんスよね」
「……りーちゃん?」
『誰?』と思ったが、すぐに答えがわかった。
「りーちゃんって、もしかして梨子のこと?」
「そうっス! ごめんなさい。麗虹と一緒にいるときは、”姉貴”って呼ぶんスけど、なんか、姉貴って、性格も外見も可愛いじゃないっスか。だから、そう呼ぼうってなったっス」
「…本人の前で、そう呼んでるの?」
「そうっスよ? 最初は顔真っ赤にしてたっスけど、今は大丈夫っス」
大胆だなと、感心した。
梨子はいい後輩を持ったような気がする。
「そっか、そっか。なんか、安心した。梨子って、どんな人がタイプだと思う?」
長年、彼女と一緒にいそうな優未君なら、わかるような気がした。
「……そうっスね…。背が高くて、モデルみたいで、日に焼けてて、洋楽好きな人じゃないっスか?」
「………”いや、待てよそいつ誰だ”でしょ?」
「あ、ばれたっス」
大声で笑ってしまった。あの有名な歌手さんの歌をパクっているではないか。
久しぶりにこんなに笑った気がする。
「ダメじゃん、嘘言ったら」
「すいませんっス。…なんか、わかんないんスよ、りーちゃんの恋愛事情が」
一緒にいても、わかることと、わからないことがあるらしい。
だから、お互いを知りたいと思うのかな。
「ありがとね。ほんとに彼女さんに会わせてよ?」
「わかってるっスよ。でも、彼女さん、ほんとに可愛いっス。キレると殴ってくるっスけど、力を加減してるんで、痛くないっスよ」
「…殴る? 加減?」
この単語たちを聞いて、私はもしやと、直感した。
もしかして……。
そのとき、ちょうど、金髪少女が帰ってきた。

to finish.

「ただいまー」
の声と共に、彼女が帰宅した。もちろん、金髪のカツラをかぶっていた。
金髪も、似合っているのだが、やはり、地毛の方が可愛いと思う。
ありのままの姿が一番だ。
玄関から、リビングに来て、私と目があった。
「里沙、またー?」
「エヘヘ、来ちゃった。課題、やりたくて」
「…そうだったんスかぁ? もう、恋バナしに来たのかと思ってたっス」
「……恋バナ?」
彼女が首を傾げた。それもそうだろう。私たち二人の会話の内容を理解していないのだから。
「あ、ううん、違う、違う。梨子と話しながら、課題をやりたくて…。いい?」
「…来ちゃったんだから、別に、いいよ」
彼女は、笑って許してくれた。
優未君は、気をつかって、なぜか、梨子の部屋に行ってしまった。
もしや、彼女の部屋でお昼寝でもするのだろうか。
「ご飯、食べた?」
「ううん、まだ」
「…しょうがないなぁ」
そう言って約2分後に、お茶漬けが差し出された。
夏だというのに、熱いお湯でご飯が浸されていた。
「いただきま〜す」
おなかが空いていると、なんでも、美味しく感じる訳で。梅茶漬けが美味しかった。
約5分後に食べ終わった。
「…何の課題?」
「夏休みの課題で、日本史の問題集をやらなくちゃいけなくて。…ま、答え、見るけどね」
「それもそうだろね。……それより、優未と何、話してたの?」
「ええっとね…。恋バナ」
「恋? アンタ…もしかして…。やっぱり、Y君が好きだったりするの?」
Y君とは、夕のこと。彼女にもよく、なんでも話すため、私のことをわかってくれている。
「…もう、わかんないんだわ。彼の話をして、悲しくなったら、まだ未練があるのかなーって。もう、嫌になる」
「モテ女は大変ですね」
少しバカにしているように聞こえた。そういう梨子だって、喧嘩をしなければ、外見も可愛いし、性格もいいし、モテ女になれるのである。
「…梨子もでしょ?」
「私は恋なんて、しないの。そんな人、いなくたって、生きていけるんだから」
じゃあ、優未君は? と、聞きたくなった。
彼の存在は、梨子にとって、なんなのだろう。優未君は、その彼女の名前を言ってくれなかったけど、私は梨子なんじゃないかと確信した。
……本当に聞きたくなった。
「じゃあ、優未君は?」
「……ん?」
彼女の反応に確信していたことが的外れだったのではないかと思ってしまった。
本当に違う…のかな?
「梨子にとって、優未君はどんな存在なの?」
「…可愛い後輩。だって、後輩だろ?」
まるで、年下は恋人にしないとでも、言っているようだった。
優未君の予想どうり、年上の人がタイプなのだろうか。
「じゃあ、麗虹君は?」
「可愛い後輩。…なんだよ…。二人は後輩のままなの。…だって、アイツらにはアイツらの世界があるでしょ? 私みたいな年上がアイツらの世界に入っちゃ、ダメなんだって」
そう言って、立ち上がって、私の食器を片付ける梨子。
そのまま、台所に姿を消してしまった。
でもね、見たんだ。
彼女の首元に光るネックレス。
見たことのあるネックレスだった。

彼女が台所から帰って来てから、私はまた尋ねた。
「それって、優未君がくれたの?」
「へ?」
彼女の反応は早くて、頬を少し赤く染めていた。やっぱり、梨子はわかりやすかった。
「それ、優未君もつけてたから…。その、ペアネックレス」
「ち…違うよ。あの…あれ。う、優未とかぶったんだよ、これ。センスが…同じ…でさ…」
嘘もわかりやすかった。確率が低くなっていた予想が右肩上がりに、確信できるようになった。
「…梨子」
「…………はい、ごめん」
「当たったね」
私が笑うと、彼女は顔を俯かせた。顔を見られないようにするためだろう。
「うーん…。わかるもん?」
「いや、わかんなかったけど、優未君がたくさん、ヒント、くれたよ」
「……あのバカ」
彼女の声が低くなった。後でおふざけで彼を叩くのだろう。
「いやいや、前から仲がいいなぁって思ってたんだ」
「…仲良くないよ」
私がずっとニコニコしてたから、彼女は目を鋭くした。
「…アンタだって、ちゃんと、ケリつけなよ? Y君のこととか。心、スッキリさせた方がいいと思う。…もう、アンタが悲しい想いをしないように」
梨子は、そう言ってくれた。
「うん、ありがとう。答え写し、してもいい?」
「…いいよ。私も答え写し、しなくちゃいけないんだった」
二人で笑いあって、勉強がスタートした。

梨子の太陽のような笑顔、初めて見た。
彼女はあまり、笑わない人だったから。
優未君といて、楽しいのだろうと思った。麗虹君もいるだろうけど、心の支えは、きっと彼だと思う。
私もケリつけなきゃな。
課題も、初恋も。

自己ベスト

夏休み最後の大会。
次の日が最後の夏休み。課題は明日で仕上げようと思う。今日まで間に合わなかったが、悔いはない。
天気予報では、雨が降るらしい。だから、傘を持っていこう。
玄関でスニーカーを履いて、傘をかけているところを見ると、透き通った水色の傘しかなかった。それは、妹の傘だ。
「お母さん、私の傘は?」
「あー、あの子が持って行ったよ」
あの子とは、妹のこと。妹は中2で、今日は友達と出かけたらしい。
どうやら、私の白地で桃色の星柄の傘はさらわれてしまったらしい。
「もう…。これ、あまり、好きじゃないんだよね」
ラムネっぽくて、この傘が嫌いだ。
昔は好きだったんだよ? ラムネ。
でもね、今は……。



今日は隣町で大会があり、マネージャーとして、みんなの大会での結果を記録しなければいけないのだ。
電車に揺られて、大会が行われている、プールに着いた。
そのプールは、いつも行く市営プールと違って、大きい。
もう、選手の人たちは集まっていて、私の存在に気づくと、同い年の仲間が笑ってくれた。
高2になると、この大会から、「最後の○○」になってしまう。
私にとってもだ。嫌だな、最後って。
大会会場が開場すると、選手はアップを始める。ウォーミングアップだ。
プールに行って、泳ぐ人もいれば、ストレッチをしてから、泳ぐ人もいる。
私は座れる席を探して場所取りをしてから、受付に行って、選手用のプログラムをもらった。
それから、選手がゆっくりと過ごせるようにと、学校ごとに区切られたスペースにマットや、ブルーシートをしいた。
アップの時間が終わった。それからはいよいよ、競技である。
競技が始まると、みんなは捕食をしたり、ストレッチをしてゆっくりと過ごしている。
その間、私は他の選手の泳ぎを研究する。
速い人の泳ぎを見て、泳ぎ方を観察する。
自分の学校の選手が出たら、応援し、タイムを記録する。
みんな、前の大会から、タイムがあがっている。
速くなってて、感動した。練習を頑張っているもの。速くならないときもあるかもしれない。でも、日々、積み重ねてきたのだから、いずれ、結果は出る。
お昼が過ぎ、そろそろ終盤になってきた。
終盤になると、会場が熱気に包まれる。
なぜなら、リレーがあるからだ。
フリーリレーと、メドレーリレー。
フリーリレーは、一年の男子四人で、挑んだ。女子は二年の女子三人に一年生一人。
それぞれ、結果は男子が2位で、女子は3位。一人一人、前の大会から一秒ほど縮めている。
メドレーリレーは、女子、男子それぞれ、二年生でメンバーを構成した。
女子はまた、3位だった。
でも、男子は…。
夕、楓君、主将の吉田、咲哉の四人。
それぞれ、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、自由形を泳ぐ。みんな、得意種目を泳ぐため、速いわけで。夕が1番で、楓君に引き継ぐと、そのまま逃げきって、堂々の1位。
彼らは2位と10秒ほど差を離していた。
応援していたみんなで、笑いあった。
やっぱり、この四人は無敵だ。


「大会、お疲れ様でしたー」
大会が終わると、ミーティングをして解散となる。
解散をしてからは、すぐ駅に向かった。
早く帰って、寝ようとしていたからだ。
ちょうど、私の帰る駅に着く電車に乗って、眠気と戦いながら、帰ってきた。
駅に着いて、電車から降りると、ちょうど、ポツリポツリと雨が降り出してきた。
改札をくぐり抜けて、嫌いな傘を開いて、歩き出した。
電車は空いていて、私が降りたとき、同じく降りる人は数人ほどしかいなかった。
歩いていると、どこかで見たことのある背中があった。
……………あれは。

傘を忘れたのであろう、夕だった。
濡れながら、歩いていた。
そういえば、帰る方向が同じだった……。
振り向かれたくないなと、即座に思った。

ラムネ色の傘

彼に追いつかないようにとゆっくり歩き出す。
振り向くな、振り向くなと、心の中でつぶやきながら。

でも………。
今がチャンスなのではないかと思った。
もう、前に進まなきゃ。立ち止まってばかりじゃ、私は前に進めない。


彼に追いついて、傘を彼の上に差し出した。
夕は後ろを振り返って私の存在に気づく。
「雨…、降ってるから。べ、別に…」
「…大丈夫。ありがと」
久しぶりの相合傘である。よりにもよって、夕との相合傘とは……。
「傘…、ラムネみたいな色だな」
傘の話をし始めた夕。彼も同じなのだろう、私といる気まずさを感じているのは。
「この傘…、嫌いなんだ。ラムネみたいだし」
「ははっ、自分のじゃないの?」
「うん、妹の。……ラムネ、嫌いなんだ」
まっすぐと前を見て私は言った。
「……夕のせいで……。ラムネが嫌いになったって、言ってみてもいい?」
思いきって、言った。
もう、終わらせたいから。でも、この言葉を言ったからといって、決着がつくわけじゃないけど。
彼は私の発言に、なぜか、ふふっと笑っていた。
「言ってもいいよ。…俺もだし」
へ? 今、なんて?
俺も、ということは夕も、嫌いになったのかな。ラムネ。
「俺もさ……。まだ…、お前のことが好きだとか、言ってみてもいい?」
彼の発言に驚く。
別れたというのに、考えが同じだとは思わなかった。
私もふふっと笑った。
「言ってもいいよ。…私もだし」
「マジか」
笑いあって、横断歩道の前で立ち止まった。信号が赤色になった。
「でも…、でもさ」
「もう付き合えないよ」
「わかってる」
わかってた。私も彼も。
「もっと…、言いたいこと、言えばよかった」
「もっと…、『俺を信じて』とか、くさい言葉を言っておけばよかった」
後悔が募るばかりで。でも…、これからやり直せる気がした。
恋人同士ではなく、仲間として、友達として。
「…喉、乾いてない?」
「乾いた。…ラムネ、飲みたい。おごってよ」
「…俺が?」
私が頷くと、彼は、ため息を吐いた。
信号が青になった。また、歩き出して、ラムネが売られているコンビニに立ち寄った。
彼は本当にラムネを買ってきてくれた。
2本のラムネ。
1年前とは、ちがうんだ。「今」というこのときは。
「どうぞ」
「ありがとう」
受けとったのは、いいものの、開けられない。
「ちょっと、開けてくれない?」
「…マジか、待って」
開けてもらって、また受けとった。今なら、飲めるような気がする。
「…じゃあ、乾杯な」
「うん」
カンと音を鳴らして、ラムネの瓶を軽くぶつけた。
一口飲んで、味わった。
久しぶりのラムネ。口の中がシュワシュワしていて、味はさっぱりしている。久しぶりだな。
「うまっ、久しぶりだわ」
「…私も。美味しいね」
「うん」
また、笑いあって、飲みながら、歩き出す。
しばらく歩いて、ここでいいと、彼は小さな十字路で立ち止まった。
「今日は…、ありがとう」
「ううん、こちらこそ。これからも…よろしくね」
「うん、本当にありがとう」
手を振って、別れた。
これで、いいんだ。
空になった、ラムネの瓶。
瓶の中に入っている、綺麗なビー玉。
昔は、どうせ、手に入れることができないのだからと、諦めていた。
でも、今はね。
その、ビー玉が、強く欲しいと思った。
諦めの気持ちもあるけど、それに勝っていた。
「欲しいな」という気持ちが。

ハッピーエンド

本当に…、あの人のこと、好きだったのかな。


ふいに、そんな疑問が浮かび上がった。
俺は、本当に…………。


花波高校に入学して、俺は水泳部に入部した。
中学校とは違い、マネージャーがいる水泳部。そのマネージャーさんはとても可愛くて、少し癖のある人だった。でも、いい人で。
部活に入部して、校外のプールで泳いで。
春や冬は学校のプールで泳ぐことができないため、市立のプールを借りて泳ぐのだとか。
その中で、やっぱり、マネージャーは、選手たち一人一人を考えて、支えていた。
俺の兄も支えられている選手の一人だった。

マネージャーと兄は昔、付き合っていた。
兄の重い口から、その話を聞いたとき、驚いた。
兄はたくさんの人から「好き」だと、想いを伝えられたが、全て、断った。
だけど、彼女は………。
兄のことをわかっていなかったのだ。
兄はマネージャーと別れて。
その恋を忘れるために、他の人と付き合うことだってできたはずなのに、兄は付き合おうとしなかった。
マネージャーの彼女はひどい。兄はきっと、彼女への恋心を引きずっているのだろう。
一瞬で彼女のことが嫌いになった。
でも、そんなことを知らずに、彼女は「可愛い」という言葉で近づき、抱きついたり、頭を撫でたり…。
最初は、嫌だった。俺は男の子だぜ? なぜ「可愛い」と言われなければいけないのだ。
でも、可愛がられているなと感じるのと共に、もしかして、兄と別れた理由は、別にあるのではないのかと思った。
彼女のことを知らずに疑っていた俺だったが、次第に疑問を抱くようになった。
疑問を抱いてからは、俺から彼女に近づいた。
甘えるようになった。
先輩は、可愛いものだけが大好きなのだと思っていたから。
きっと、兄のことなんて、忘れて今の日常に逃げているのだろう。
でも、不思議だった。
彼女は、ときどき、悲しそうな顔をしていた。
兄と別れたとはいえ、マネージャーとして接しなければならない彼女は、兄と接した後、なぜか悲しそうな顔をしていた。
申し訳ないなと、思っているのだろうか。
そんな顔をする理由が知りたかった。
人を好きになるきっかけって、ないものなのだろうか。
いつの間にか、好きになってた。自然にだった。
彼女のことを毎日、考えていくうちに、この気持ちは、「好き」なのではないかと思ってしまった。
疑いから始まり、恋心に発展する。
不思議なものだ。
もう、彼女のことが好きなのだと気づくと、もう、積極的に動いていた。
だから、彼女に強引に近づいた。
強引に想いを伝えた。
やっぱり、彼女は驚いていた。それもそうだろう。俺になんか、好意を持ってないだろうと予想はしていたから。
でも……。
予想外にも、俺の前で泣き出した。
なんでだろう?
そう考えたとき、ふと、思った。
もしかして、まだ、彼女は兄のことが好きなのではないかと。
話を聞いているうちに、その考えが俺の頭の中で肯定されていく。
そうか。
そうか。

彼女は兄のことを考えて、別れたのか。
兄の幸せを考えて、別れたのか。

そうわかると、なぜか、俺の今までの日常が馬鹿馬鹿しく感じられた。
今まで、なにをやっていたんだろう。
後悔ばかりが俺に返ってきた。

本当に…、あの人のこと、好きだったのかな。

そして、今、目の前で、彼らが笑いあっている。
彼らはハッピーエンドへと、近づいているのだろう。
久しぶりに、兄の嬉しそうな笑顔をみた。
今まで、どこか、作り笑いのように見えたのだが、今の笑顔はちがう。
自分のことのように、嬉しかった。
兄が…、また、笑っている。
彼女も、悲しそうな顔をせずに、笑っている。
ハッピーエンドだ。

じゃあ、俺も。
ハッピーエンドでいいかな。
俺は彼女への恋心を忘れよう。これからは、歩き出せるだろう。
笑いあっている二人に、気づかれないように、家へと帰る道を遠回りして帰った。

俺は一人で笑った。
ハッピーエンドは、笑って、終わらなければ。
俺の片思いも、笑って終わらせよう。

購買のプリン

夏休みが終わった。


課題…も頑張って、終わらせた。
これから、また平日は学校で教科書たちと向き合わなければならない。
日々が辛い。

始業式が終わってからは課題テスト。テストの勉強なんてしていなかった私は、もともと、わかっていたことを答えて、後は机に伏せて寝ていた。
別に、テストで、いい点を取らなくたって、生きていけるじゃないか。そう開き直るしか、私にこの学校生活を生きていく手段はない。

午前の日程が終わって、友達とお昼ご飯。
一緒に食べている、夏奈(なな)と、遥。この二人とは、高校で会った。活発な夏奈と、勉強ができる優等生の遥。バラバラな性格だけど、気が良く合うんだ。
弁当を食べ終わったというのに、まだ、お腹が空いたと呟く夏奈と一緒に、購買へと向かった。
遥は、美術部の友達に呼ばれて、お話中だった。だから、置いてきた。
購買は、お菓子や飲み物、パンなどが売られている。
夏奈は、カレーパンを買っていた。
私も買おうかなと、選んでいると、プリンに目が惹かれた。
この頃、食べていなかったなぁ。最後の一個のプリンである。
『これ、ください』
声が揃ってしまった。誰だろうと、声の主を探せば、少し癖のある髪をベリーショートにしている、美術部の同級生の男の子。
目が合うと、彼はおどおどとした態度をとった。
「ど、どうぞ。僕、いいですから」
「いや、でも……」
「いいですって、僕、大丈夫ですから」
そう言って、彼は教室の方へと帰ってしまった。…悪いこと、しちゃったな。
「いいんだよ、気にしなくて。ああいう系の男の子はほっとけばいいの」
と、夏奈も言う。最後の一個のプリンを購入し、教室へと移動した。
プリンの味は変わらない。甘くて、美味しい。
でも、今日のプリンは、一味違った。罪悪感というか、なんというか…。
美術部である、遥に聞いてみた。
「同じ学年でさ、美術部の男の子いるでしょ? 名前、なんていうの?」
「あー。木下 葉(よう)君だよ。すっごい、優しいよ」
遥は、ニコニコと笑いながら、答えてくれた。
でも、夏奈は、顔をしかめた。
「ダメよー、ダメダメ。遥ったら、馬鹿ね。ああいう系の男の子はジメジメしてるから、好きになっちゃ、ダメだよ?」
「わかってるよー、もうっ。私には、楓くんしか、見えてないから〜」
と遥は言った。
遥は、ファンとして、あのいつも笑っている楓君が好きだ。恋愛としてではないと思うけど…。楓君は、どんな人にも、優しく接しているため、恋愛感情がわからない。
楓君と、咲哉は双子で、顔がそっくりだけど、性格が似ていないため、違いがわかる。
ニコニコしてる方が、楓君である。
でも、木下 葉って、どこかで聞いたことのある名前だと思った。………誰だっけ?
「里沙も、悪いことしたなぁとか、思っちゃ、ダメだよ?」
「はいよー」
プリンをあまり味わうことなく、急いで食べて、返事をした。
…お礼をしなきゃなと、考えながら。

雨系男子

次の日。
学校への登校途中に、コンビニへと立ち寄った。
コンビニで、学校の購買のプリンより、少し大きめのプリンを買った。
夏休みが終わるのは、八月の下旬くらいで、涼しくなるのかなと思いきや、まだ暑さはおさまらない。
保冷バッグに、買ったプリンを入れて、また、学校への道のりを歩き出した。
教室に着いてから、いつも使っている、メモ帳を一枚破って、黒色のボールペンでメッセージを書いた。
『昨日は、プリン、ありがとうございました! お礼です。本当にありがとうございました‼︎』
と書いて、保冷バッグの中の、プリンの上に置いた。
私のクラスは、A組で、彼のクラスはD組らしい。
D組といえば、先日、仲直りをすることができた、夕のクラスだ。
もう、吹っ切れたから、気軽に話しかけることができるようになった。大会の次の日の部活では、なぜか、空君に謝られた。不思議だったなぁ。
D組に向かって、夕を見つける。
「ゆうー! お願いがあるんだけど」
「何?」
近づいてくる夕に、保冷バックを渡した。
「…何、これ」
「これ、木下君に渡してもらえる? お願い」
「わかったけど……。何か、あった?」
「ううん、大丈夫。お願いね」
「おう」
おつかいを頼んで、またA組に戻った。
喜んでくれればいいなぁ。一人でふふっと笑った。



その次の日の朝。
A組に夕の姿があった。誰に用があるのかなと思えば、私だった。
「…これ、葉から」
「何?」
そう言って、渡されたのは、昨日プリンを入れていた保冷バックと、折り畳まれた無地のルーズリーフ。
ルーズリーフを広げると、イラストが描かれていた。
淡い紫色のショートボブの髪型をした女の子。ニコニコと笑っていて、首には、桃色っぽいゴーグルをかけていた。
全体的に暖かさが伝わる、優しい絵だった。
『ありがとう』と一言、書かれていた。
か、可愛いっ‼︎
「これ、すごくない⁉︎」
「絵? 里沙が好みそうな絵だけどな。でも、この女の子が誰なのかわかんねぇな」
彼は首を傾げたけど、私には誰だかわかった。
きっと、私がいつも背負っている、リュックについている、咲哉からもらったあの、羊のストラップだ。
あのストラップの羊の毛が紫色だし、緩い顔をしているし。
根拠はないけど、そんな気がした。
「いやー、可愛いわぁっ。これ、葉君、描いたのかな?」
「…たぶん」
「いや、ありがとうって、言っといて」
「お、おう…。ってかさ、俺を中継役にしないでもらいたいんだけど」
「いいから、いいからっ。 よろしくね」
彼はため息を吐きつつ、教室を出て行った。きっと、言ってくれるだろう。
もらったルーズリーフを何度も広げて、眺めた。
何回、見ただろうか。何度見ても、飽きない。
女の子である私だが、こんな絵は描けない。関心する。
休み時間中に、遥に話しかけた。
「あのさ、葉君って、こういう絵を描くの?」
もらったルーズリーフを彼女にも見せた。彼女の反応は早くて、何度も首を縦に振った。
「描く描く! いいなぁ、もらってて…。レアものなんだよ、葉君のイラスト」
「そうなの?」
「そう、レアものなの。美術部だし、『欲しい』って言っても何も話してくれないし…。本当に、よかったねぇ」
そう言って、彼女は悔しがらずに笑っていた。
「…なんで、笑ってるの?」
「いやー…。あの、夏奈にはこのこと、言わないでね」
急に小声になった遥の声を聞き漏らさないように、よく耳をすませた。
「うん、どうしたの?」
「実はね、昨日、里沙がプリンあげたでしょ? 葉君に。そしたら、彼が部活のときにそのプリンを食べてて、ずっと笑ってたの。意外だったよ、笑ってて。よっぽど嬉しかったんだと思うよ」
「それは、良かったぁ…。今日、部活、見ていってもいい?」
「いいよ」
二人で笑いあって、私は席に戻った。
彼の笑う顔…。昨日、初めて顔を見たから、もう、どんな顔をしていたか忘れてしまったけれど、なんとなく、笑う顔を想像できた。
早く、残りの授業が終わらないかなと思った。


放課後になって…。
たまたま、今日が部活がお休みだった為、美術室にお邪魔した。
遥についていった。
美術室は、静かで様々な作品が並べてあった。
ファンタジーな作品もあれば、風景画など。
個性的な作品があって、正直、驚いた。
まだ、葉君は来ていないらしい。
美術室に来た理由は、なんとなく、来たかったわけじゃなくて、ちゃんと、本人にお礼を言いたくて。この、ルーズリーフのこと。
遥の隣に座って、待つことにした。
遥は、私がいても集中できるようで、彼女は黙々と作品製作に集中していた。
彼女の作品も初めて見た。
彼女の作品はどこか、日本らしさがあるというか…。「和」を感じさせる絵だった。
彼女の作品製作の様子を見ているうちに、眠くなってきた。
早く、来ないかなーっと思っていると、ちょうど、美術室の引き戸が開いた。
そこには、ベリーショートヘアーの男の子がいた。
きっと、葉君だ。
遥は、彼の存在に気づくと、声をかけていた。
「葉君、お客さんだよ」
彼女の声を聞いて、彼は一瞬、驚いた様子だったけど、私たちのところに近づいてきた。
「……何?」
彼の声は、どこか、細くて、透き通るような声だった。一昨日、聞いた声だった。
「里沙が、お礼、言いたいんだって。ね?」
私は頷いて、立ち上がった。彼からもらったルーズリーフを見せながら言った。
「あの、これ…。本当にありがとう!」
私が微笑むと、彼は照れたように、下を向いた。
…恥ずかしがり屋なのかな。
「………。プリン、美味しかった。…僕の方こそ…、ありがとう」
「いいえー。可愛いイラスト、描くんだねっ」
「……悪く思わないんですね」
「へ?」
どういう意味なんだろうと、思ったけど、あえて尋ねなかった。
「いや、なんでもないです。僕、そろそろ…」
「うん、本当にありがとね」
「今度は私にも、イラスト、描いてねぇ」
遥のお願いの言葉を最後に彼は、早足にこの場を去ってしまった。
なんと言うか……。気まずそうな人だなぁと思った。ジメジメしているというか…。
私はそんな彼を雨系男子と名付けようと、思った。
でも、雨系男子の描く絵は繊細で、可愛くて…。
夏奈は、嫌いそうだとは思うけど、私は嫌いにはなれないだろう。
この、雨系男子のことを。

彼の絵を描いている姿を遠くから眺めた。
彼は黒縁のメガネをして、集中していた。彼の絵は、風景画が多くて、特に、空の絵が多かった。
空君じゃないよ? 雨空や、夕日に包まれた空を描くことが多かった。
綺麗だと、思った。

今日はいい一日だったなぁと、嬉しく思った。
こんな日も悪くない。

夏の矛盾

今週も終わろうとしていた。
今は9月の第二金曜日の朝である。
この日は、夏奈のお楽しみである、プリントが配布される。
この学校の文芸部が発行する、「文芸だより」。毎週金曜日に発行されるが、第二金曜日は、文芸部二年生の、坂田 明月(あつき)君が書いている。
文芸部なのだから、このプリントはもちろん、彼らの作品集である。
明月君の作品は、恋愛ものが多い。
夏奈は、サバサバした性格で、弱々しい性格の人が嫌いなのだが、この時だけは矛盾している。
彼もきっと、男の子のくせに、弱々しい性格の人だと思う。
会ったことはないけど。
でも、彼の作品だけ、夏奈は集めているのだ。
「キタキター! 明月の、連載だよー!」
「今、どんな感じなの?」
遥も興味津々に尋ねる。第二金曜日しか、彼の作品を見ることはできないから、月一回のお楽しみである。
「今ね、主人公がさ……」
夏奈は嬉しそうに語りだす。
夏奈も夢中になるのだから、きっと、誰が読んだって面白いのだろう。あまり、読んだことはなかったのだが、急に、興味を持ってしまった。
「ねー、夏奈ー。話してるとこ、悪いんだけどさ」
「ん? 何?」
「そのプリント、見せてくれない?」
「えぇー? みんなに渡るでしょ? それ、見ればいいじゃん」
「でも、夏奈は集めてるんでしょ? 見せてよー」
しつこく頼むと、彼女は渋々した顔で頷いた。
「わかったよー。今日、部活、あるんでしょ? 濡らさないでね」
「わかってるよ」
彼女から、作品をもらった。
みんなが泳いでる時、読もうかな。
彼女は明月君の作品全部が入った、ファイルを渡してくれた。
受けとって、私は鞄にしまった。
今日も頑張ろっと。


放課後になって、部活に。
そろそろ、9月の中旬で、だんだんと寒くなっていく。
外のプールもそろそろ、店じまいだ。
みんなが肩を震わせながら、泳いでいる中、私は飛び込み台の上に座って、彼女から借りたファイルを開いた。
今日、配布されたプリントも、ファイルにはもう、保存されていた。
プリントが古くなるにつれて、紙がだんだんと、しわくちゃになっていく。
読みこんでいるのが伝わった。
一番最初のプリントからどんどん読んでいくと、読み手を誘い込むような文体で物語が描かれていた。
風が強くなってきたなぁ。
きっと、プールの中の選手たちも寒いだろう。
ファイルを飛び込み台の上に置いて、立ち上がった。また、後で読もう。今は、彼らを支えなければ。
「みんなー! そろそろ、あがろっか」
私が声をかけると、みんなの顔が笑顔になりかけてきた。
寒いのだから、温めなければ。
まず、選手たちをプールからあがらせて部室内の、毛布で温まらせた。
私はその間に、やかんに、水を入れて、ストーブで温めた。
「みんな、着替えておいでー!」
声をかけて、ぞろぞろと人が部室にこもっていく。
よし。私も、プールの忘れ物点検をして、部室に帰ろう。
飛び込み台の上に置いていた、ファイル………。あれ?
なくなってる⁉︎
辺りを見渡すと、風に吹かれてしまったのだろう。プールの岸に、ファイルが浸かっていた。やばい! 濡れてる…かも!
急いで、取り出すと…。
真ん中の部分は濡れていなかったが、逆さにプールに浮いていた為、今日、もらったプリントがブヨブヨになっていた。
………殺される。やばい。
私は急いで、忘れ物点検をすると、部室内に入って行き、ドライヤーで乾かした。
間に合わない…。全然、乾く気配がなかった。
「…先輩?」
空君が、声をかけてきた。いつもと変わらない可愛さだが、今はそれどころじゃない。
「やっちまったよぉ。友達からもらった、やつがぁ…」
「俺の、あげますか?」
「…読んでないの?」
「大丈夫です。兄のがあるから。一家に2枚はいらないです」
そう言って、鞄からその新しいプリントを取り出してくれた、空君。彼が神様に一瞬、見えた。
「あ、ありがとう!」
嬉しさのあまり、彼に抱きついた。
これで、殺されなくて、済む!
…………。


考えが甘かったようで。
部活は無事に終わったものの、私の失敗は、まだ終わっていなかった。
みんなが帰ってから、2年A組の教室に入って、残りを見ようとしたら、先月の、プリントも濡れていたのだ。
今月のはまだ取り返せる。でも、先月の分は……。
どうしよう…。
本当に、殺されるぅ! 夏奈に!

花とミツバチ

まだ、遥がいるかもと、美術室へと向かった。
急いで階段を駆け上がり、勢い良く、美術室の引き戸を開けた。
そこには……。
葉君しか、いなかった。
プリンの一件から、月日が流れたが、あれからときどき、美術室によく、お邪魔していた。遥に会いに行くため…と、言いたいところだが、実は違う。
彼の作品を見るためであった。
彼の描く、空の絵は、偉大だが、繊細で…。
心の小さな悩み事もまるで、海に行くと、その悩み事を忘れてしまうような現象が彼の作品で起こるのだ。
よく行くから、常連さんになっていた。
「里沙さん…。どうしました?」
「…あ…、あの…。はる…、遥は?」
「帰りましたけど…。どうしました?」
彼は優しく、声をかけ、私の元へ近づいた。
彼に今まであったことを話すと、彼は優しくこう言った。
「まだ、明月がいるはずだと思います。…たぶんですが、2年B組にいるはずです。きっと、まだ作品を書いているはずです。行ってみては?」
彼の言葉通りに、B組へと向かった。
B組の教室の明かりが灯っていたため、まだ、誰かがいるはず。
引き戸を開けると、メガネをかけた、男子生徒が机に向かって何かを書いていた。話しかけづらいなぁと思いつつ、思いきって、声をかけた。
「あ、あの!」
すると、彼は突然の来客に驚いて、ビクッと顔を上げた。
私の顔を確認すると、安心したように、一息をついていた。
「ゆ…幽霊かと思ったぁ…」
「…ごめんなさい、突然で」
「いえいえ。こちらこそ、幽霊だと勘違いして、ごめんなさいな」
独特の口調だなぁと思いつつ、彼に打ち明けた。すると、彼は驚いていた。
「え! 俺の作品、待っててくれてる人、いるの⁇ 初めて知ったぁ」
「そりゃあ、いるでしょ! 自分の作品に自信持ってくださいよ!」
彼は嬉しそうに笑った。
すると、先月の分の原稿と、謎の紙を持って、教室を出てしまった。
きっと、印刷に行ったのだろう。
約5分後…。
彼が帰ってきた。
印刷した2枚はファイルに入れられた。
先月のと…。もう一枚は…なんだろう?
「もう一枚は、なんですか?」
「あー、これ、新しいやつ。来月のプリントの分なんだけど、読者の方のことを考えたら、嬉しくて…。おまけだよ」
彼の嬉しそうな笑顔が印象的だった。
きっと、夏奈も喜ぶはずだ。
「ありがとうございます! これからも、頑張ってくださいね」
「ありがとう。いつも、マネージャーのお仕事、お疲れ様」
「いえいえ。失礼しましたー」
教室を出て、お礼を言いに美術室に向かった。
ちょうど、彼も帰るところだった。
「あ、里沙さん。大丈夫でした?」
「うん! ありがとう」
「もう、こんな時間だし、家まで送っていきますね」
「え、大丈夫だよ!」
「いや、送っていきますね」
優しそうな笑顔に甘えて、送ってもらうことにした。
初めて、雨系男子の葉君と、一緒に帰るから、お礼を言いたかったのに、思うように言えなかった。
外は真っ暗になっていた。だんだんと冬が近づいている証拠だなぁ。
ずっと、黙ったまま、家へと近づいていく。
後、100メートルほどで家だというところで、やっと、自覚した。
お礼を言わなきゃ。
「あの、ありがとね。…助けてくれて」
「いいえー。お互い様です。困った時こそ、助けあって、支え合わないと」
支え合うっていいなぁと思った。でも、私って…。誰を支えているのだろう。
彼の優しい笑顔を見て、当たり前の日常の成り立ちに気づいた。彼の笑顔のおかげかな。
「本当に…、ありがとう。私の家、ここだから…。本当にありがとね」
「いいえ。こちらこそ、ありがとうございます。また…明日」
「うん。バイバイ」
彼の背中に手を振った。
……お礼を言われた。
…私、彼のために何か、してあげているだろうか。
いつも、助けてもらってばかりだけど。
彼のことを、支えていると言えるのだろうか。
なぜか、そんなことを考えてしまった。今日はきっと、疲れているのだろう。
今日は、ゆっくり寝ようと思った。

橘兄弟の照れ隠し

秋も深まる、9月の下旬。
私は部活を休んだ。
何でって? それは、毎月、起こる腹痛のせい。
二日間くらい続く、イライラする戦いでは、マネージャー業なんて、できないのだ。
夏休み中は、土日が休みだったけど、休みが終わり、通常通りの登校となると、毎週日曜日と水曜日が休みになる。
明日は水曜日だから、いいけど、今日は仕事なんてできない。
顧問の先生に無理を言って、休ませてもらい、お腹を抱えながら、リュックを背負って、歩く。
早く、帰って寝よう。
そう思ったら、後ろから、頭を軽く叩かれた。
「マネージャー! 今日は休み? 部活」
この声は…。咲哉だ。きっと、サボりだろう。なぜか、彼も帰る気満々だった。
「あんたは、休みじゃないでしょ…。ちょっと、私は無理だけど…」
「なんかした?」
様子をみて、気づきませんか!? そう聞き返したかったけど、ズキズキと痛むお腹のせいで、言えなかった。
「……あ。了解した。ねー、今日、暇?」
「へ? これから帰るけど…。あんたね……。部活は?」
「顧問に言えば、仮病だって気づかれないから、サボりでやんす。ねー、これから、市立のプール、行かない?」
「は? 歩けないし…。バス? ってか、なんで、私を誘うのですか。楓君は?」
そういえば、彼の姿がない。ニコニコ笑顔の楓君。彼がこの会話の流れにいることによって、ホワホワとした雰囲気になるのだが。
「え? あー、あいつもサボり。ほら、橘兄弟は、あなた様がいなければサボりまっせ。里沙がいると、仮病が通じないから、黙って泳いでるけどー」
「何それ」
笑いながら、彼の横でゆっくりと歩く。彼も私の歩幅に合わせて歩いてくれていた。
「ほんとだって。今頃、楓は、女子とお茶会です。呑気ですなぁ」
「そうでんなー。よし、バス代、奢ってね。ついていくから」
「マジ? やったー! メニュー、考えてね」
そう言って、嬉しそうに笑う彼は子供のようだった。



それから約30分後。
本当に市立プールに来ていた。
気づけば、プールサイドに来ていて、隣には水着姿の彼の姿が。
「…ほんとに、来るとは思わなかった」
「大丈夫? 無理すんなよ。今より、腹痛くなったらあがるから」
「う、うん…。アップ、自分で考えてやって」
「えぇー⁉︎ 俺、考えられないから、誘ったんだよー?」
「アップぐらい、頑張れよ」
「…ちぇっ」
残念そうにしつつも、ちゃんと一人でプールの中に入っていく咲哉。
ガキだな、本当に。
私は彼が入ったコースの付近のベンチに座って、お腹を温めていた。
私の腹痛は、薬と温めていれば、和らぐ。
彼の泳ぎば相変わらず、綺麗だった。
たまには、この立場もいいかも。ベンチに座って、他の泳いでる人の泳ぎを観察する。違う意味で人間観察だ。
ときどき、メニューを尋ねてくる咲哉に応えるとき以外はずっと、泳いでる人を眺めていた。彼が泳いでいるのは4コースで、このプールは、全部で10コースある。
6コースで泳ぐ青年たちの泳ぎに夢中だった。
1人は背泳ぎで、1人は平泳ぎで。
背泳ぎは、どこかで見たことのある泳ぎで、平泳ぎは、楓君の泳ぎ方にそっくりだった。そっくり……?
私は頑張って、立ち上がって、6コースに近づいた。
このプールは、50メートルプールで、彼らはターンして、帰ってきている途中だった。背泳ぎは綺麗に進んでて、夕の泳ぎの方が綺麗だけど、負けていない気がする。それに追いついて、のびのびと泳ぐ平泳ぎ。
背泳ぎの人はクイックターンして、また、行ってしまったけど、平泳ぎの人は止まって、ゴーグルを外した。
「か、楓くん!」
やっぱり、そうだった。私の目に狂いはなかったのだ。
「あ、里沙ちゃん。どうして…。帰ったんじゃ…なかったの?」
ちょっと、驚いている様子の楓君。やっぱり、咲哉の言っていた通りなのかな。
「いや…。ちょっとね…。それより、お茶会は?」
「お茶会…………? 里沙ちゃん、もしかして、咲哉と来てるの?」
「…そうだけど」
そう聞くと、彼はため息をついた。
彼らはお互い、嘘をついてここに来たのかな。
やっぱり、双子だから、考え方もそっくりなのだろう。
「嘘だったの? お茶会」
「そう。だって、別に…。練習するなんて、言いたくなかったし、あいつに」
「咲哉は、楓君になんて、言ってたの?」
「…女子と、カラオケ」
「バカだね」
「お互い様だろ」
笑いあっていると、もう1人の背泳ぎの方が止まった。帰って来たらしい。ゴーグルを外すと…。あ!
「葉君だぁ」
「あ、里沙さん…。お疲れ様です」
なるほどと、やっと思い出す。
木下 葉という名前。この頃、聞いて、どこかで聞いたことのある名前だなぁと思っていたら、彼も元は水泳選手だったのだ。
私と同じように、きっと…。
彼の話は後で、聞いてみよう。
「里沙? 次のメニューは?」
4コースから、叫ぶ声がした。メニューを終わらせるのが早いなぁと思いつつ、そろそろ戻らないなぁと思った。
「あ、そろそろ行くね」
「うん、咲哉にも、嘘だったんだねって、伝えておいて」
「わかった。頑張ってね、二人とも」
「うん、バイバイ〜」
「またねぇ〜」
二人は、もともと、仲が良かったのかなぁ。
咲哉のいるコースに戻ると、彼は6コースの方向を目を細めて見ていた。
「あ…。楓だ」
「今頃? いたよ、前から」
「…あいつも嘘だったのかよ」
「お互い様だね。なんか、可愛いね、お二人さん」
「…うるせぇ」
と、目を逸らす咲哉。
やっぱり、子供みたい。そんな彼も好きだ。
メニューの続きを言って、彼の背中を見送る。
彼らの照れ隠しが可愛いなぁ。

REASON

今日は念願の水曜日。
部活が休みだ。昨日の腹痛を引きずる私には嬉しい限りで。
お腹の痛みは、波があって、痛いときと痛くないときがある。
今は放課後で、痛くないから、まだ学校にいようと思った。遥のいる美術部に遊びに行こうと思っていた。彼の作品なら、腹痛のストレスを消してくれるのではないかと思ったから。
夏奈は、バレーボール部できっと、部活中。
遥の移動について行った。
「本当に、いいの? 帰らなくて、大丈夫なの?」
心配そうに私の顔を覗く遥。一つ一つの仕草が可愛い。
「うん! 大丈夫だから。遥は、作品作りに集中してて。話しかけるけど、気にしないで」
微笑みながら「大丈夫だよぉ」と笑う遥。ふわふわしている遥は、わたあめのようだ。
美術室に到着し、彼女は、作業の準備をしていた。葉君の姿がまだない。…いないのかな。
彼女がいつも座っている席も、わかってきた。だから、私はその隣に座った。
「でも、今日の体育の時間、びっくりしちゃった」
「なんで?」
「だって、里沙って、水泳部の男の子たちとは仲がいいじゃない? でも、バスケ部の男の子に、今日、体調の心配されて、オドオドしてる里沙を見てびっくりしちゃったよ」
「そりゃあ…。水泳部の男の子は、全然いいんだよ? マネージャーとして、話さないといけないからさ。でも…。他の男子とはそうはいかないんだよね」
「ふーん…。なんか、意外だったなぁってさ」
彼女は話しながら、パレットの絵の具の色を綺麗に混ぜていた。
それから、他愛のない話をした。恋の話とか、クラスの話とか。
遥は、楓君をファンとしては好きだと言っているが、そこのところがイマイチである。もしかしたら、本命なのでは…など、聞きたくなるようなことを思い切って聞いてみた。
やっぱり、彼女は照れながら、エヘヘと笑う。
いつも、曖昧だから、わからなくなる。
作業の手は止まることがなかった。だから、彼女の作業もすぐ終わるわけで。
「よーし! で〜きたっ♪ じゃあ、これから、先生に作品の悪いところを聞いてくるから、ちょっと待っててね」
「うん。行ってらっしゃい」
笑顔で見送って、彼女の背中が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。
いいなぁ、夢中になれることがあって。
私は、ここに来た、お目当てのものを探す。
いつの間にか、来ていたのだろう。彼の姿があって、今日もまた、不規則な雲の形が印象的な夕方の空を描いていた。
彼のところに、椅子を移動させて、気づかれないように、チョコンと座った。
「…また、来てたんですね」
彼は私に気づいて、ニコッと笑ってくれた。相変わらず、敬語である。
「うん、癒されに来た。…敬語じゃなくてもいいのに」
「もう、慣れちゃって…」
照れ臭そうに笑った。それにしても、彼の絵は心を空っぽにしてくれる。
いつの間にか、ずっと、ぼんやりと眺めていた。
さっきは笑いあったりと、お腹の運動があったのだが、彼と無言で過ごす…となると、お腹もまた、ズキズキと痛みだしてきた。薬を飲んだのに…と、また、腹が立ってくる。
「……お腹、大丈夫?」
「え?」
そう尋ねてきた彼は私に、使っていない体育着の長袖のトレーナーを渡してくれた。
ふんわりと、洗剤の匂いがした。
「楓が、言ってたから…。里沙ちゃんのこと」
「ありがとう。…なんか、ごめんね。迷惑かけて…」
「ううん、大丈夫…です」
彼はまた、作業に取りかかっていた。
彼の名をどこかで聞いたことがあると思ったら、彼は元水泳選手…らしかった。同じコースで泳いでいなかったから、わからなかったけど、実は彼も中学生のときは、私と同じクラブに通っていたのだ。楓君が知っているということは、つまり、そういうことなのだろう。
「ねぇ、聞いてもいい?」
「…なんですか?」
「なんで、水泳、やめたの?」
「それなら、里沙ちゃんも。なんで、やめた?」
お互い、黙り込んでしまった。…なんか、自分自身の辞めた理由は、言えないんだよね。恥ずかしくて。矛盾を抱えているから。
「…私と同じクラブだって、覚えてたんだ?」
「…まぁね。あまり、話さなかったけど」
彼はそう言って、笑った。それもそうだ。彼と中学生のとき、話したことなかった。彼はきっと、咲哉たちと同じように、速いコースにいたのだろう。
だから、話せなかったんだ。
「僕は…、言えないよ。言ったら、笑われる」
「…私も」
……もしかして、同じ理由なのかな、と、妄想した。
んなわけ、ないか。
「僕の話、聞いてくれる?」
「うん、いいよ」
彼は私の目をみて、話してくれた。何を話してくれるのだろうか。

ひだまり

「実は、明月とは、いとこ同士でさ。高校生対象として、絵本コンクールが開かれてて。僕が絵を描いて、明月が、文を書いて……。絵本を共同で作ろうって話になってるんだ」
「すごいね。…いいなぁ、夢があって。夢中になれるものがあって。私には……ないから」
本当に憧れる。マネージャー業は、好きだからやっているけど、それ以外に何が私の取り柄としてあるかと尋ねられると、答えられないと思う。好きなもの………か。
「そう? 僕は、マネージャーとして水泳に関わっている里沙ちゃんの方がすごいと思うよ。関心します」
彼はまた、絵の作業に取りかかっていた。
私に、夢の話をしてくれた。なんか、嬉しかった。大切なことを打ち明けてくれたような気がした。
「そんなことない。いいね、明月君が文を書くってさ、みんなを夢中にしてくれるよね」
「そうなんだ。だから、僕も頑張らないと」
そう意気込む彼は誇らしかった。
「じゃあ、入賞したら、プリン、おごってあげる」
「ほんと?」
彼は目を輝かせて、私を見た。本当に、プリンが好きなのかな。
私も嬉しくなって、笑った。
でも、彼はすぐに目を逸らして、絵と向かい合った。
「買ってあげる。大きいのがいいよね」
「うん…。でも…」
彼は絵に色を塗りながら、こう言った。
「僕は…。プリンじゃなくて、里沙ちゃんが欲しいなぁ」
へ?なんて?
私はきっと、変な顔をしているだろう。だって、意外だったもん。
「なーんてね。…ごめんな、言ってみたかったんだ。明月が、よく、そういう台詞を使った、小説を書くから…。よく読むんだけど、よく、こんなカッコいい台詞を喋るなぁと思ってさ。……ほんとにごめんなさい」
照れたように、笑う葉君。くしゃくしゃになった笑顔。なんか、いいなぁ。
「いいよ、いいよ。……ありがと、そんなこと、言ってくれて。なんか、嬉しい」
「お礼、言うんですね」
「え? いや、言うでしょ、そりゃあ」
「………いつも、明るいですね、里沙ちゃん。だから、好きです。いつも、元気をもらってます。……ずっと、紙と向かい合っていたから…。あまり、人とは、話せないけど…」
いやいや。何を言っているんだろうか。
彼からたくさん、私は助けてもらっているのに。私は何も彼にしてあげていないのに。
「僕にとって、君は陽だまりのような…。暖かい存在なんだ。………僕も、そんな存在になってたらなぁ…なーんてね。気にしないで」
また彼は照れ隠しのように、笑った。
なってるよ、そんなの。
「里沙ー! 先生のダメ出し、終わったからぁ………。あれ?」
ちょうど、遥が帰ってきた。そろそろ、帰ろうかな。
「遥、おかえりなさい」
「うん。あ、片付け、早く済ませるから、一緒に帰ろ?」
「うん!」
私は彼女に笑いかけると、彼から離れた。
彼には、小声で、「ありがとね」と言った。早く、二人で帰れるように、私も片付けの手伝いをした。
ありがとう、葉君。
あなたの…、笑顔が大好きです。


「葉君と、なに話してたの?」
「んー? 絵、うまいねぇって話」
「何それ」
彼女は面白そうに笑った。…嘘だけどね。
私と彼の二人だけの秘密にならないかなぁと思った。
彼は私にとって、ひだまりだ。

紅葉と桜

腹痛がおさまった、次の日。
久しぶりに部活に参加した。心配して声をかけてくれる、部員もいて、なんだか、嬉しかった。
もう、学校のプールで泳ぐのは終わり。火曜日と木曜日は、陸トレを学校でして、それ以外の曜日(部活休みの曜日以外)は、市立のプールに行き、2コースを借りて泳ぐ。
今日は木曜日だし、陸トレの日だった。
メニューの内容は透が考えてくれるから、ある意味、楽である。
陸トレだから、長くても、1時間くらいで終わる。
4時から部活が始まって、5時を過ぎるくらいには、終わっていた。
あっという間である。その後、明日の練習のミーティングを軽めにした後、解散となる。
今日は一人で帰ることになった。いつも、部活が終わって、一緒に帰るのは同い年の水泳部、日向(ひなた)なのだけれど、今日はまだ学校でやらなければいけないことがあるらしい。一人は慣れてはいるものの、帰り道となると…。
秋が深まるにつれ、日が沈む時間も早くなっていく。
歩いていると、聞き慣れた声が聞こえた。
「里沙、一緒に、帰ろ」
咲哉だった。気づけば一緒にいる気がする。
「…いいよ。楓君は?」
「うーん、居残り」
「そっか。なら、仕方ないね」
二人で並んで歩く。街灯の明かりが灯り出して、私たちの影が伸びた。やっぱり彼の影の方が長かった。
「ねぇ、咲哉の名前の由来って…何?」
「…唐突だな、その質問」
「ごめん。気になったんだ」
「…別に、謝ることじゃない」
彼はそう言った後に、打ち明けてくれた。
「…………実はさ、俺も自分の名前の由来、わかんねぇんだ」
「へ? そうだったの?」
「わりぃ。答えてあげられないわ」
「いいよ。ありがと」
すると、彼から逆に質問された。
「じゃあ、桜と紅葉、どっちが好き?」
「…あんたも唐突だね」
「うん。でも、答えて」
うーん………。比べる対象が違うと思うけど……。桜は桃色で花びらが綺麗だし。紅葉は、赤とか黄色とかカラフルで綺麗だし…。うーん……。
迷った末に、こう答えた。
「…桜かな。私は」
「ふーん…。じゃあ、俺と楓、どっちが好き?」
「は? いや、比べる対象が違う気がするんだけど…」
「…そんな、細かいことは気にすんなって」
彼はヘラッと笑った。別に、俺は悪くないよと言っているようだった。
彼の血液型は知らないけど、きっと、O型だ。
「…答えられないよ。二人とも、比べられないし」
「ちぇっ」
彼は機嫌悪そうに顔をそらした。
でも、でもね。
強いて言うなら、楓君…。


じゃなくて、咲哉が好きかな。相談に乗ってくれるし、頼り甲斐があるし。
言わないけどね、本人には。

「…そういう変な質問にはお答えできないの。…事務所NGだから」
「事務所って何だよ」
そう言いながら、笑ってくれた横顔。
……なんか、青春って感じがした。
彼には家まで送ってもらった。いつも、悪いなぁ。男の子っていつも女の子のことを送らなければいけないから。それでも、一緒にいたいって、思うからかな。
「また明日ね」
「うん、バイバイ」
彼はまた、来た道を折り返して帰って行った。
咲哉は、きっと、いい恋ができると思う。仲良くなれば、きっといい人だよ。
……私は頼ってばっかりだったから…。
彼に何かあったら、助けてあげよう。

素直なハリネズミ

金曜日の放課後。
私はバスに乗って、市立プールへと向かっていた。
練習メニューは私が決めているから、練習ノートを忘れてはいけない。私はノートを腕の中で守っていた。

練習は午後5時から7時までの2時間。
選手にとっては大変だと思うけど、私にとっては短いようで長い2時間である。
私は彼らに指示を出す。指示をしていると視線が選手たちとぶつかる。
その中で、何回も目が合うのは、空君である。
何か、視線を感じるなぁと思えば、空君で。
何かあったのかな。
メインのメニューを終わらせて、彼らは達成感を感じさせる笑顔を見せてくれる。
私も自分のことのように嬉しくて笑った。
残り時間、あと、10分弱。
彼らには自主練させよう。
「これから、自主練ねー!」
「はーい」
ターン練習や、飛び込み練習などをし始めた。
隣には、いつの間にか空君が座っていた。
バスタオルにくるまる、空君。その姿は小動物のようで、可愛らしいなぁ。
「今日は何回も目があったね」
「だって、先輩、ため息ばっかり吐いてるから」
「そう?」
「…そうですよ。…恋ですか?」
「もう、してないよ」
そう、他人には見えているのかな。ため息を吐いている覚えがないんだけど、そうしてる…かな。
「兄とは、仲直りしてるんですね」
「うん。…だから、今は平気だよ」
彼は安心したように、笑った。
…心配してくれているのかな。兄のこともあると思うし、いろいろ大変だなぁ、空君。
「…何の話、してぇんの」
そう言って、風子ちゃんがあがってきて、私の隣に座った。
「…お前には関係ないよ」
「うっさいなぁ。私は先輩と、お話がしたいの! 先輩、恋してるんですか?」
目を輝かせて尋ねてくる風子ちゃん。恋してないってば。
「…あの、恋してる前提で、話しかけないでくれる?」
「えぇぇ? してないんですか? でも、先輩、いつも恋しているような気がするから…。なぁんだ、してるかと思ってました」
「あはは、ごめんね」
謝ると、彼女は残念そうにまた、プールの中に入っていった。
「里沙先輩」
「ん?」
「また、恋するときがあったら………。ハリネズミになってください」
「へ? は、ハリネズミ?」
いきなり、どうしたんだろう、空君。
ハリネズミって…あの、ハリがたくさんあるネズミ…だよね。
「先輩、人を傷つけたくないのは、わかるんです。でも、人を傷つけないための方法はたった一つです。それが、ハリネズミになることです」
「うーん…。どうして、ハリネズミ?」
「ハリネズミは…。お腹以外には、全て、針があります。だから……………。うまく、言えないけど、傷つけたくないからって、その人とちゃんと向き合わなければ、相手にハリネズミの針が刺さってしまいます。だから、前を向いて、しっかりと向き合うんです。………すいません、後輩のくせに、生意気なことを言って。…でも、先輩も兄も、また傷ついて欲しくないから…」
………やっぱり、心配してくれているのかな。
夕は楓君と、咲哉と一緒に、じゃれあっていた。キラキラと笑っていた。あの笑顔を壊しちゃいけないよね。
「ありがとう。それ、夕にも言ったの?」
「言ってみたら、夕は、納得してくれました」
そっか。
それもそうだね。
気を遣い合うだけが大切な人と過ごすときの手段ではない。自分の本音を言うことも大切なんだなぁ。
可愛い後輩から学ぶことができた。
「そっか……。本当に、ありがとう」
時計を見たら、もう7時になりそうだった。
「はーい! みんな、あがってくださーい!」
なぜか、心が軽かった。
スッキリした気がする。私も頑張ろう。






………部活も。
恋も。

マジで恋する5秒前

バスの中、一人で座って考え事。


実は…。
空君が言っていたとおり、自覚はしていたんだ。
私は、あの人のことが好きなんだって。あの人の笑顔がすき。
だから、今度は本当の恋をする。

スマホを弄って、私は思い切って、LINEの友達から一人の男の子をタップしていた。
もう、想いを伝えよう。
当たって砕けろ、だ。
通話ボタンを押して、彼の返答を待つ。
『もしもし?』
「もしもし。突然、電話してごめんね。あのね………。伝えたいことがあって」
『何? どうしたの?』
「あのね、私ね…………」
想いを伝えたら、彼はなんて言うかな。
わからないけど、待ってみる。緊張したけど、言ってしまえば、心が軽くなった。


それから、5秒後。
私は彼に本気(マジ)で恋をする。

マジで恋する5秒前

ついに、完結しました!
見てくださったみなさん、ありがとうございました♡
続編は…書きません。
里沙の次の恋模様は、ご想像にお任せします。
誰を好きになったのか。
誰に恋をしたのか。
本当に応援、ありがとうございました‼︎


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ありがとうございます。

マジで恋する5秒前

水泳部のマネージャーさんの悪い癖。 趣味でかわいいものも集めるけど、やっぱり可愛いのは後輩たち! 後輩萌えのマネージャーさんのお話です。 読んでくれると、ありがたいです♡

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-13

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 部活の夏
  2. 部活
  3. 恋する後輩
  4. 休日
  5. 突撃
  6. 双子のSWIMMER
  7. 夏の地獄
  8. 図書館より
  9. 先輩と後輩
  10. 壁ドン
  11. ラムネの失恋
  12. ヤキモチ
  13. 本音と嘘
  14. ペアネックレス
  15. 高嶺の華子さん
  16. to finish.
  17. 自己ベスト
  18. ラムネ色の傘
  19. ハッピーエンド
  20. 購買のプリン
  21. 雨系男子
  22. 夏の矛盾
  23. 花とミツバチ
  24. 橘兄弟の照れ隠し
  25. REASON
  26. ひだまり
  27. 紅葉と桜
  28. 素直なハリネズミ
  29. マジで恋する5秒前