夕映えの丘病院...序章

柳坂工業団地入口の交差点は、右折待ちの大型車であふれかえっていた。
バイクショップに並んでいる、色あざやかなガソリンタンクが、
朝日をうけてキラキラとキャンディーボールのように輝いている。

渋滞中の車内は、ようやく暖房が効き始めてきたようだ。
ラジオから流れてくる派手なギターは、スティーブ・ルカサーだろうか?
喧しさに苦笑しつつ、ボリュームに手を伸ばしたときに信号が変り
、そろそろと車列が動き出した。

国道をしばらく北にはしり、駅入り口の交差点を左折する。
右手に大きくカーブする緩やかな上り坂を一気に駆けあがると、
市立図書館の特徴的な屋根が見えてくる。
この先のY字路を道なりに走ると、「サルビア通り」に出る。

市内を南北に走るこの道がなぜ「サルビア通り」と命名されたのかは、知らない。

この通り沿いの、つぶれたファミレスの花壇にひっそりと赤い花を咲かせていると、
君から教えられたのは、一昨年の夏のことだったか..

市役所の栄町分所前交差点を右折すると海岸通りに出る。
この道を左手に海を見ながら走ると、小高い丘に建つ、君の病院が見えてくる。

たそがれ時は、真っ赤にそまる、通称「夕映えの丘病院」である。


今日は、二人の結婚記念日だった。
私は、小さなルビーのネックレスと霧島珈琲店のシフォンケーキを手に
二階の病室に続く、リノリウム貼りの、青灰色の廊下を歩いていく。

小児病棟から遊びに来ていた、顔見知りの女の子に軽く手を振り、ドアをノックする。

君は、ゆっくり振り返り、いつものように「あら」と、顎を少し引いて
ほほ笑んだ。

「それ、霧島のケーキでしょ?」

君はいたずらっ子のような顔をして、目ざとく私の左手に見つけると、
懐かしそうに目を細める。

霧島珈琲店のシフォンケーキは、霧島夫人手造りのケーキで、君の好物だった。

「結婚記念日」には、これをプレゼントに添えて君に渡すことがいつの間にか、恒例となっていた。
ベッドから半身をおこした君に、藍色のカーディガンをかけてやりながら、
ネックレスを首にまわす。

「ねえ、鏡を取って」

最近は、あまり見たがらなくなった、鏡をのぞきこむと、

「かわいいルビー」と君がかすれた声で呟く。

「良く似合うよ」

私は、透けそうな君の頬にかるく触れてみる。

その肌は、思っていたよりずっと冷たかった。

病室にあった、ままごとみたいな小さなナイフで、ケーキを切り分ける。
君は、フォークを持つ手に力が入らず、小刻みに震えるのを見られるのが
いやだったのか、
「ごめん、朝ごはん、たくさん食べちゃったから..」
と、うっすら笑って、手をひっこめた。


「天気がいいからさ、風にあたりに行こうか?」

私は、いたたまれずに君を散歩に誘う。
少々風は強く、君の髪をいたずらしたが、陽光は柔らかく降り注ぎ
、海は穏やかに凪いでいた。



「あの橋、まだあるかしら?」


車椅子を押す私を振り返って、唐突に君が呟く。

「え、橋って?」

「あの吊り橋、いつか二人でホタルを見たじゃない」

「ああ、あの橋、どうかな、ずいぶん前だからね」

「もう一度行きたいわ、あの橋に」

山村の人々が生活用に手造りした小さな、吊り橋だった。

ひんやりと湿ったコンパネの床に二人で寝転んで星を見たこと、

息をひそめてホタルをみたこと、

あの夏の日の景色.....



「きっと、無理よね...」


君は、それきりだまりこんで海をみている。

青が一層濃くなった冬の海をただ、呆けたように見ていた。



蒸し暑いアパートの部屋で、二人でスイカを食べていた。

北向きの窓に腰かけて、青黒く暮れて行く街を眺めながら..

「あんまり、甘くないね」

種を盛大に窓の外に吐き出しながら、君は不満顔だ。

「八百辰もこんなもの売りつけてるようじゃ、もうだめね」

君は、また窓から種を飛ばしながら、叫んでいる。

「こらー八百辰!もう買ってやらないぞー」

下の道を歩く人が、驚いた顔をして振り向いたから、
二人は、しゃがみ込んでかくれる。

「あれ、角のはんこ屋さんだよね、恥ずかしい」

「そうだよ、あの人八百辰と親しいらしいぞ、きっと言いつけるよ」

「えー、商店街歩けなくなっちゃう」

本気で心配して、困った顔の君がおかしくて、

そして

たまらなく愛しかった。

夕映えの丘病院...序章

夕映えの丘病院...序章

神様は私から、これ以上なにを引きはがそうというのか?運命は、いつだって不条理なのです。

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-01-04

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