彼女には敵わない
年上の女性に振り回される柊斗(しゅうと)くんのお話です。
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あの人にはいつだって敵わない。
ひらひらと蝶のように、どこまでも自由な彼女だから。
俺はいつでも振り回されっぱなしなんだ。
「大丈夫?」
心配して声を掛けてくれたって事は解ってるのに。
誰もそれを気に留めない中、唯一声を掛けてくれた人に、俺は思わず、
「大丈夫じゃないっすよ!」
そう吐き捨てて大太鼓を叩く手を止めた。
それだけではまだ足りず、そのまま持っていたバチを投げ捨てたんだ。
あぁ、何をやってるんだ?
俺の身勝手な行動に、一瞬山車の上での演奏が止まる。
「あの…柊斗くん?」
投げられたバチを拾いながら、心配そうな眼差しを向ける彼女。
止まってしまった大太鼓の音に合わせるように、小太鼓の二人も一旦演奏を止めてしまったものの、彼女に問うように眼差しを向けると、彼女が頷き、演奏は再開された。
笛を吹くハズの彼女と、大太鼓の俺。
お囃子の中核ともなる音が二つも消えたそれは、なんとも寂しげな音色を奏でる。
「おい、柊斗!大太鼓」
小太鼓の一人が俺を振り返るけど、
「そんなの知るかよ!」
無責任な言葉を投げ捨てた俺は、居た堪れず山車を降りた。
そうして愚かな事をした自分を恥じるかのように、祭りの喧騒を逃れ、提灯の灯りの届かない、ひと気のない路地へと身を隠す。
その間、別な大太鼓を探す彼女の声が耳に届き、それが苦しくて、俺は足を速めたのだった。
親父が祭り好きであること。
生まれ育った街に、古くから行われている祭りがあること。
きっかけは、たったそれだけだった。
山車の上で笛を吹いている親父に何と無く憧れて、祭りの会の練習に参加した俺は、少し年上の彼女、彩夏さんと出会い、当初の目的を変更した。
親父みたいに笛を吹きたかったはずなのに。
圧倒的だったんだ。
彼女の存在もその笛の音も。
何もかもがただ凄くて、俺は息をする事も忘れていた。
だから大太鼓を必死で憶えた。
彼女の笛に合わせて、俺が太鼓を叩きたくて。
良く親父が言ってたんだ。
大太鼓のリズムは笛の吹きやすさを大きく左右するって。
だから、なりたかった。
大太鼓で、一番に。
俺の太鼓じゃないとダメだって、彼女に言わせたくて。
それが恋だなんて、まだ知らないままに。
必死で頑張った甲斐があり、俺の大太鼓の評判は上々だった。
『すげぇな、柊斗。俺にも教えてくれよ』
先輩達にまでそう言われるようになったけど、それでも何だか物足りなかった。
そう、肝心のあの人が認めてくれなきゃ意味がない。
親父づてに彩夏さんが褒めていたって聞いたけど、それじゃダメなんだ。
あなたの声で、言葉で、俺じゃなきゃダメだって聞かせて欲しい!
そんな欲求が満たされる事のないまま、数年が過ぎ、迎えた今年の夏。
親父の代では親父一人になってしまった笛も、彩夏さんが始めた事で、彼女の人徳なんだろうか?
今では彩夏さんを慕う後輩の女子たちが何人も彼女に笛を教わっている。
大太鼓を教える俺と、笛を教える彼女。
太鼓は男ばかりで、笛は女ばかりだから。
一緒の練習に参加してても、当日まで挨拶程度しか言葉を交わせないことなんでザラで。
満たされないまま祭りの本番を迎えた。
そして祭り開始から二時間。
何度か心配そうな彼女の視線は感じたものの、交代の大太鼓が見つからないのも手伝って、俺は一人太鼓を叩き続け。
その状況に耐えかねて、キレてしまった。
認められたいハズのあの人に向って。
「何やってんだよ、俺」
出てくるのはため息ばかり。
もう山車はだいぶ進んでしまっただろう。
「なぁ、柊斗。機嫌直せよ、な?」
仲間の数人が俺を宥めにやって来たけど、そんな風に言われると、益々情けない気分になってしまい、
「うるせぇ。ほっとけよ!」
だなんて返してしまう。
肩を組んで来た先輩の事も払いのけて、結局一人になってどっぷりと落ち込んでしまった。
そうして、蹲るように座り込んでいると、何かが俺の髪に触れた。
「あっ、柔らかい」
と言う、嬉しそうなその声と共に。
「えっ!?」
驚いて顔を上げると、彼女がニコニコしながらこちらを覗き込む。
「なっ、なんすか?」
予想外に近い彼女に、照れて慌てて顔を背ける。
「なんだろう?何と無く触ってみたくて」
そう言った彼女は、俺の隣に腰を下ろすから、
「笛、いいんすか?」
「うーん、どうなんだろ?困ってるかもね?柊斗くんのお父さん」
って、訊ねた俺にクスクス笑う彼女。
さっきまで気分は最悪だったのに。
現金な俺は、彼女の登場に、その気分を少し上昇させて居た。
「なら、戻った方が…」
「そうだよね?帰ろうか?」
まるで俺と戻る事が当たり前のように、何の躊躇いもないその言葉に、危うく頷いてしまう所だった。
「いや、俺は…」
どんな顔して戻ったらいいのか、分からないんだ。
「柊斗くんの太鼓、評判いいんだよ?笛のみんな、柊斗くんの大太鼓だと合わせやすいって言ってるもの」
そうじゃない。
俺が聞きたいのは、みんなの意見なんかじゃない。
あなたの意見が聞きたいんだ。
「彩夏さんは…」
「ん?」
「彩夏さんは、どうなんですか?」
消え入りそうな声で訊ねる。
ここが祭りの喧騒の中なら、きっとあなたに届かない程の弱気な声。
「結婚したいって思うよ」
「はい?」
予想外過ぎる返答に、思わず立ち上がってしまった俺。
「えっと…うまく言えないんだけどね。柊斗くんが太鼓叩いてくれると、とっても気持ちいいの」
そう言った彼女は、
「どんなに好き勝手自由に吹いても、いつもしっかり合せてくれるでしょ?だから、勘違いしそうになるんだよ。息ピッタリなのかも…って」
恥ずかしそうにそう続ける。
自由奔放、天真爛漫。
いつだって勝手気ままな演奏をする彼女は、その演奏と同じように、ひらひらと自由な蝶のような人だった。
こんな冗談とも本気ともつかぬような言葉だって、いとも容易く口にしてしまう。
だから俺は振り回される。
いつだって彼女に敵わない。
けど嬉しかった。
悔しいけど、嬉しかった。
息がピッタリ…って思って貰える程、ちゃんと彼女に着いていけてないかも知れないけど。
それでも俺なりに努力してきたから。
いつだったろう?
彼女の本当の笛に気づいたのは。
太鼓と合せている時は、決まりきったメロディーを順繰りに奏でる彼女。
けれど、ある時、一人練習している音色を耳にして驚いたんだ。
とても自由に、伸びやかに奏でられるそのメロディーに。
上がるかと思ったら、そこから唐突に低音に移行し、下がるように見せかけて、そのまま高音にと、それはとても自由な彼女そのもののような音色だった。
だから少しでも彼女がその本領を発揮出来るように。
彼女の音に神経を集中して、耳を澄ました。
そうして上がるのか下がるのか?
その直前に合図らしい音はないか?
真剣に耳を傾けながら叩くようになったんだ。
そうしていつからだろう?
彼女は俺の太鼓の時にだけ、好き勝手に俺を振り回す。
どんなにその音に神経を集中した所で、俺では手におえない程に、それはどこまでも自由で伸びやかだった。
「だから…結婚して下さい!って気分になるの」
そう言って立ち上がる彼女。
俺の正面に立ち、真っ直ぐな瞳で俺を見つめるから。
半分冗談であろうその言葉が、本当の愛の告白のように思えてしまう。
きっとまた振り回されてるんだ。
お囃子の時みたいに、好き勝手に振り回してるだけなんだ、この人は。
そう自分に言い聞かせるのに、やっぱりうまくいかなくて。
勝手な期待は、もう止める事が出来なかった。
「一緒に戻ろう。柊斗くんの太鼓じゃないと、あんな風に自由に吹けないよ」
目を逸らす事なく告げられた言葉。
「………して…くれたら戻ります」
調子に乗ったのかも知れない。
あんまり真っ直ぐ見つめるから。
けど、俺一人が悪い訳じゃない。
あなたが悪いんだ。
いつもそうやって俺を振り回すから。
「えっ?」
聞き取れなかった俺の言葉に、首を傾げる彼女。
けれどその視線は未だ俺の目を見つめたまま。
「だから、キスしてくれたら、戻ります」
負けじとまっすぐに彼女を見つめてそう言うと、特に驚いた様子もなく。
彼女はニッコリ微笑むと、俺との距離を縮める。
そうして背伸びをする彼女だったけど、身長差のせいで、その唇は俺のそれに届く事はなくて。
「…はははっ」
それでも必死に背伸びするそれが可愛くて、思わず笑った。
「なっ!笑わないでよ!だって、柊斗くん、背が高いから…」
いつも振り回されているのに。
今日の彼女はなんだか違う。
顔を赤くして困った顔を見せる。
あぁ、そうか。
俺も振り回してみたかったんだ。
あなたの事をこんな風に。
だって、俺は、こんなにもあなたが好きだから。
「もう、いいです」
半分笑いながらそう言うと、彼女を抱きしめてキスをした。
自由な蝶。
その自由に飛び回る様が好きだった。
だから怖かったんだ。
その蝶へと手をのばす事が。
だから俺は気づかなかった。
どんなに自由に飛び回る蝶だって、その羽根を休める場所が必要だと言う事に。
ねぇ、彩夏さん。
俺はなれますか?
あなたと言う自由な蝶が、その羽根を休める場所に。
「じゃあ、戻りますか?」
唇を奪われた事に驚いて固まっている彼女のその手を引いた。
「えっ?あっ、はい」
そうして俺に手を引かれて、その後をおとなしく着いてくる彼女。
「俺も彩夏さんの笛じゃないと、あんな本気で太鼓叩けませんよ」
とぼとぼと歩きながら、隣に並んだ彼女にそう告げる。
次第に祭りの喧騒が戻り、辺りは提灯の灯りに照らされてぼんやりとした明るさが広がっていた。
街灯の灯りと違い、提灯の作り出すそれは、ひどくぼんやりとしていて。
周りの景色の輪郭を曖昧にしてしまう。
その曖昧さに紛れるみたいに、
「好きですよ、俺。彩夏さんの………笛」
本当に好きなのは、あなた自身。
けど、今はまだそうとは言えないから。
曖昧なこの空間の曖昧さに紛れて告げた想い。
「うん、私も好き。柊斗くんの………太鼓」
同じように曖昧に返された言葉。
けれど、その言葉の奥に、同じ想いがある事を感じながら。
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彼女には敵わない
閲覧有難うございました。
また次の作品でもお目にかかれましたら幸いです。