蒼い青春 八話 「あの男」

蒼い青春 八話 「あの男」

◆登場人物
・長澤博子☞白血病と戦い、必死に生きようとする17歳の少女。 蛯原が誘拐犯だと知らずに、良心から介抱してやる。
・河内剛☞博子の恋人で、23歳の若手刑事。 博子の連れ込んだ蛯原を、誘拐犯だと知らずに博子とともに介抱してやる。
・園田康雄☞「横須賀のハリー・キャラハン」と呼ばれる警部補で、剛の先輩。 蛯原の顔に見覚えがあることから、彼が12年前の誘拐犯だという事実を突き止める。
◆八話の登場人物
・蛯原慎吾☞12年前、博子を誘拐した誘拐犯。 刑期を終えて出所したが、何者かに襲われ傷を負い、たまたま道であった博子に介抱してもらう。
・上杉雄太☞剛の同僚刑事。 

前篇

前篇

横浜刑務所を、今日出所する男が一人いた。 刑務官が、スーツをきちっと着こんだ男に声を掛ける。 「今日出所か。 お前さん、なかなかいい男なんだから、髭でも剃って、堅気の仕事に着いて、こんなとこに戻ってこないようにするんだな。」 髭面の大柄な40代後半くらいに見える男・蛯原慎吾は、色眼鏡の奥から刑務官を一睨みすると、吐き捨てる様に言った。 「誰がこんな所に戻って来るかよ。 こんな所でおめえさんの面拝むなんて、死んでもごめんだね。」 鞄を片手に大手を振って行く蛯原を見ながら、刑務官はちっと舌打ちをし、恐ろしい計画を練っていたのだ。
「やっぱり娑婆が一番だ。」 蛯原は一人、あの剛たちが海を見ていた柵に身を乗り出すようにして、海を眺めていた。 そこへ、同じように一人海を見つめる少女を見掛けた。 「俺があのとき誘拐した娘も、今頃はあれくらいの年頃だろ。」 そんな風に回想にふけっていた蛯原を、何者かが呼びとめた。 「蛯原さん」 声に反応して振り返った蛯原に、鋭い痛みが走った。 凶弾が彼を襲ったのだ。 撃った男は目深に帽子をかぶっていたため人相は確認できなかったうえ、逃げ足の速いやつで、気づいたころにはもう姿を消していたのだ。 「くそっ」 蛯原は何とか立ち上がろうとするが、傷が痛んで立ちあがれない。 あいにく急所は外されていたが、このままだとどうなるか、分かったものではない。 そう思った時、彼の元へあの少女が駆け寄って来ていた。
博子は一人、剛と眺めた海を見ていた。 今日は剛は残念ながら園田と会う約束があったのだ。 と、隣に一人の男が来たのに気付く。 髭面のガッチリした中年男性で、色眼鏡を掛けている様は、見るからに悪人と言う感じである。 しかし同じように一人で海を見ているところを見ると、少なからず親しみを感じるのだった。 そう思って海の方を向きかけたとき、「蛯原さん」と言う声とともに、銃声が轟いた。 見れば、あの男が撃たれたようで、地面にうずくまっている。 正直、博子はパニックに陥っていた。 このまま男を放っておくわけにはいかないが、いざ近づこうとすると足が動かないのだ。 病気か、良心か。 博子は葛藤し、さんざん迷った挙句、良心を選んだのだ。
「おう、博子ちゃん。 どうしたの?」 一番面食らったのは、ほかならぬ剛だった。 なんせいきなり何の連絡もなしに、見知らぬ中年男性に肩を貸して、博子が剛のアパートに駆けこんできたからだ。 「剛さん、この人撃たれてけがをしているの。 お願い、少しの間だけ、この人休ませてあげて。」 博子の真剣な顔を目の当たりにした剛は、思わずうんと頷いてしまった。
「ひどい。」 蛯原の足の傷を見て、思わず博子が口を押さえる。 「こりゃひどいな、今すぐ手当てを。」 剛がやってきて、傷の手当てを始める。 「剛さん、何か食材でもある。 私おなかすいちゃった。」 台所に立った博子が、剛に尋ねる。 「えっ、食材? 今日の夕飯にでもしようとして、さっき買ってきたばかりだけど、まあ、使っていいよ。 博子ちゃんって、案外風来坊なんだな。」 手当てをしながら、剛が言う。 「あら、こう見えたって私、料理上手なのよ。」 そう言って博子が髪を束ねた。 
「旨いな。」 博子の特製ランチプレートを食べた蛯原が言う。 「うん、最高だよ。」 剛もそう言って頷く。 「あら、そう。」と博子。 「あんた、よく出来た娘さんだね。」 蛯原がにっこりと笑って、博子の方を向く。 色眼鏡を外して、笑った顔を見ると、到底犯罪を犯した男の顔とは思えないほど優しく見える。
「いいえ、それほどでも。」 博子か照れくさそうに下を向く。 「そうだ、まだ名前を聞いてなかったね。 名前はなんての?」 蛯原が幼稚園くらいの子供に質問するように、優しく問いかける。 「私、博子です。 長澤博子。」 その言葉を聞いて、蛯原が思わず手にしていたフォークを落とす。 この娘こそ、12年前蛯原が誘拐した、あの娘なのだ。 

後篇

後篇

「大丈夫ですか?」 フォークを落とした蛯原を心配して、博子が尋ねる。 「ああ、大丈夫だ。 ちょと昔のことを思い出してね。 じゃあ、そろそろ俺はお暇いするよ。 申し訳なかったね、食事まで。」 そう言って蛯原は色眼鏡を掛けると、すくっと立ちあがって、逃げるように部屋を後にした。
「ここか、あいつの新しいアパートは。 あの野郎、連絡入れろって言ったのに、全く。」 園田は剛に貸した捜査資料を取りに、彼のアパートまで来たのだ。 「運動不足にゃ、丁度いいか。」 園田は延々と続きそうな階段を見上げて、少し屈伸運動をする。 「よし、いくか。」 そう言って、園田は階段を一気に駆け上がった。 と言っても、ここ最近犯人を追いかけるような場面にも遭遇せず、ろくに走って無かった園田のスタミナは三階に辿り着いたところでぷっつり途切れてしまった。 「くそっ。 あと、一階か・・・」 そう言って気を取り直し、園田が剛の部屋のある四階まで行こうとした時だった。 上からダダダっと男がものすごい速さで降りてきて、驚いて端によって避けた園田のことなど眼中にない様子で、さっさと行ってしまった。 「なんだ、このアパートは?」 あっけにとられた園田は、そうつぶやいて、もう消えてしまった男の背中をぼんやりと見つめていた。 
「ああ、先輩。」 インターホンのチャイムに気付いた剛が、玄関に来ていた園田に挨拶をする。 「おめえさん、すっかり連絡忘れてたろ? ここまで来るの何気に大変だったんだぞ。」 そう言って園田が部屋に入る。 「ああ、この前の。」 園田が博子の顔を見て言う。 「ああ、どうも。」 博子も頭を下げる。 「お前さんのガールフレンド、なかなかいい子じゃないか。 ちょっと百恵ちゃん似で。」 園田がコーヒーを持ってきた剛を少しからかう。 「やめてくださいよ。 刑事さんって口が達者ね。」 彼女を褒められ赤くなっている剛の代わりに、博子が言う。 「そうですか、やっぱりこいつも、口は達者で?」 園田の言葉に、一同が笑う。 「そう言えば、さっき階段で男にぶつかりそうになったんだけどな、髭面の大男で、どっかで見たことあるような気がするんだよ。 あっ、どうも。」 園田が剛から資料を受け取りながら、首をかしげる。 「その人、蛯原さんだ。 さっきまでここに居たんです。」 博子がここに蛯原が来たことを話す。 「はあ、蛯原ね。 じゃあ、俺はそろそろ行きます。 コーヒー、ごちそうさん。 博子さんのこと、口で泣かせんなよ。」 そう言って用が済んだ園田は、部屋を後にした。
二日後、横須賀署に出勤した剛は、いつもは自分より早くいるはずの園田の姿がないことを不審に思った。 「キャラハン警部補、お探しかい。」 声を掛けて来たのは、同僚の上杉雄太だ。 「ああ、そうなんだ。」 「あの人なら、取調室に居るさ。」 
話は進んでここは取調室。 マジックミラー越しで園田が容疑者の男を罵倒している。 「だからって撃ったのか? おいっ。」 怒りの頂点に立って容疑者に殴りかからんんばかりの園田を、三人がかりで押さえつけるのを、容疑者の男はあざ笑っている。 「おととい、出所したばかりの男を撃ったんだ。 刑務官がな。 蛯原って言う男でな、12年前の長澤博子さん誘拐事件の犯人だよ。」 上杉の声に、剛ははっとした。 もちろんお互いには気付いてなかったが、博子と蛯原は事件の被害者と加害者と言う禁断の因縁で結ばれていたのだ・・・ つづく

蒼い青春 八話 「あの男」

蒼い青春 八話 「あの男」

五郎とたか子が恐れていたこと、それは12年前、まだ五歳だった博子を誘拐し、彼女を対人恐怖症にするきっかけを作った男・蛯原が出所することだった。 そしてついに出所の日が来て、何も知らない博子は、道で蛯原が傷を受けた現場にたまたま立ちあってしまう。 良心から対人恐怖症を忘れ蛯原を助けた博子は、近場だと言うことから剛の家に彼を連れ込み、介抱する。 やがて傷が良くなった蛯原は博子たちに礼を言って剛のアパートを後にする。 そこへ入れ違いにやって来た園田は、博子たちに蛯原の顔に見覚えがあることを伝える。 翌日署に来た剛は、同僚の上杉から蛯原が博子誘拐事件の犯人だったことを告げられる。 ついに博子の出生の秘密が明らかになり始める第八話。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • アクション
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-08

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  1. 前篇
  2. 後篇