Reward of the life

Reward of the life

夏川 楓

#1 「日曜日」

日曜日

6月初旬の海岸線。
海水浴シーズンにはまだ早く人影はない。
優子は帰省先の祖母の家からほど近い海岸へ散歩に来た。

空は青く、雲はひと足早く夏のものとなっていた。
子供の頃、家族で海水浴に来た思い出がよみがえる。
思い出の中の自分は笑顔で輝いている。

でも今はその思い出も心を晴らすことはない。
あの人のことが世の中のすべてのように思えた。
そのすべてが自分の前から消えていった。
追いかけても戻ってこない。

歩を進める少し先に大きくて黒っぽい何かが打ち上げられているのが目に入った。
『大きな袋か流木か』その何かを何となく見つめながらゆっくりと歩いていた。

『あの人のこと』『思い出』頭の中の世界にあった自分の意識が、いつしかその先に近づいてくる『何か』に向いていた。

『人のように見える』
『でもまさか』
『水死体』
『そんなのニュースの中の世界』
『・・・』

明らかに人であるとわかる距離になった。
東洋人の男性であることも見て取れる。
後頭部をこちらに向けた形で下半身までは押し寄せる波に洗われている。
『死んでいる?』
『気を失っているだけ?』
『怖い人?』
『良い人?』

勇気を出して近づいてみる。

『めちゃくちゃ怖い』
心臓の鼓動はかなり早くなっている。
『辺りに人はいない』
『見捨てるわけにはいかない』
『助けを呼んでいる間に死んでしまうかも』

手の届く距離まで来た。
ここまで後頭部しか見えていなかった。
顔が見える側に回り込む。
20代後半くらいだろうか。
邦画全盛の頃のムービースターを彷彿させる端正な顔。
時代のトレンドから言うと少し濃い顔かもしれない。

死んだ人の顔を見るのはお葬式の最後のお別れとして棺桶の中の顔を見ることくらいであった。
でも顔に生気があることはなんとなく見て取れた。
怖いながらも気づいたときには声をかけていた。
「あの、大丈夫ですか?」

反応がない。
思い切って肩を揺すってみた。
「大丈夫ですか?」

かすかに眉間にシワが寄った。
『間違いなく生きている!』

6月になったとはいえ海の水はまだまだ冷たい。
『このままでは死んでしまう』
怖さを忘れて声を掛け続けていた。
「あの、大丈夫ですか?大丈夫ですか?」

男の目が少しずつ開いた。
そして視線が合った。

男はまだ事情が飲み込めない様子。
優子が先に口を開いた。
「よかった。でも大丈夫ですか?起き上がれますか?」

・・・
数秒の沈黙の後、男が口を開いた。
「ここは?なんでここに?」

「ここは湯山海岸ですよ。海で遭難されたんですか?」

「湯山海岸?海で遭難?はて?」
「記憶がつながりませんのですわ。ここで目を覚ます前の記憶は・・・いつものように晩ご飯の後、風呂に入って少しテレビを見ながら涼んでました。見ていたテレビがずいぶん面白くて大笑いしました。そして10時ごろ床についた。そして目が覚めたらこの状態ですわ」

『この人、記憶喪失ってやつ?でもとにかく体の無事を確保してあげなければ』
そう思って次の言葉を掛けようとした優子の後方から、かすかに声が届いた。
「優子ちゃん。優子ちゃん」
海岸際に沿って走る国道におばあちゃんのキミが立っていた。

おばあちゃんが早足でこちらに駆け寄ってきた。
「優子ちゃん、どうしたの?その方」

優子より先に男が口を開いた。
「ここに倒れていた私を助けてくれはったんですわ」
「ほんまにありがとうございます」
男は向き直って優子に頭を下げた。

「それは大変。立てますか?早く体を暖めないと」
そう言っておばあちゃんは男に手を差し伸べた。
得体のしれない男に躊躇していた優子も、
『大の男をおばあちゃんでは潰れてしまう』
そう思い、手を貸そうとした。

その時、男がゆっくりと立ち上がった。
そして少し自分の体が動くことを確認したあと、両手を軽く上げて笑顔でおどけてみせた。
「このとおり大丈夫。自分で歩けます」
しかし男は立ち上がるときに少し不可解そうな顔をした。
『何か体に変調があったのだろうか』

優子が考える暇も無く、おばあちゃんが男に声をかける。
「歩けますか?こちらへいらっしゃい。まずは体を暖めましょう」

「えらいすんません」
男は少し申し訳なさそうにおばあちゃんに続いた。
優子もその後ろに続いた。

おばあちゃんの家は海岸から遠くない。
海岸の防波堤を上がって国道に出れば5分とない距離だ。

優子は男の体を心配しながらも、どこの誰とも知らない男であることも心配した。
その心配をよそにおばあちゃんは見ず知らずの男に話しかけながら家に向かっている。

男は海岸で倒れていて記憶喪失らしきこと、そして手荷物もなく家着のようなグレーのスエットを着ていること以外は、至極まともに見えた。
背は180cmくらいだろうか、そしてスラリとした体型、浅黒く健康的な肌色、顔も少し濃いが端正である。
話す言葉も声質のせいか、話し方のせいかどことなく安心感があった。

優子はこれまで必死で気がつかなかったが、目の前でおばあちゃんと話す男の言葉はコテコテの大阪弁である。
優子は生まれも育ちも大阪で違和感なく聞いていたが、少し落ち着いて聞いてみるとコテコテ大阪弁というやつである。

しかもそのイントネーションや言葉遣いは優子やその友達が話す大阪弁とも少し違う。
時々立ち寄る本屋のおじいさんや、テレビでたまにでてくる落語の大師匠と言われる人のそれに似ている。
『きっとこの人はおじいちゃんやおばあちゃんに育てられたとか、お年寄りのいる環境で育ったのだろう』
優子はそう考えながら前を歩く男の背中を見つめた。

年を取ってはいるがしっかりもののおばあちゃん、どことなく好感が持てるみずしらずの男、笑顔を交えて話をしながら自分の前を歩く2人を見ていると、なぜだか優子の中から不信感が消えていく。
おばあちゃんも明るい性格だが、この男もかなり明るい正確のようだ。
どんどんと会話のラリーが続いていく。

おばあちゃんに「警察に連絡したほうが良くない?」と何度も言おうと思ったがその必要がないように思えてくる。
それでもポケットの中に携帯電話があることを確認して『いざという時は110番』と心の中で唱えていた言葉もいつの間にか消えていく。

そうこうしている間におばあちゃんの家に着いた。
「こっちの裏口から入ったところにお風呂がありますから暖かいシャワーでも浴びてきなさい」
おばあちゃんはそう男に勧めた。

男は深々と頭を下げ、
「ほんまに恩にきます」
そう言って風呂場へ向かった。

「優子ちゃん、佐藤さんのバスタオルや着替えを用意するから一緒に来て頂戴」
いつの間にか自己紹介も終わっていたようだ。

おばあちゃんについていく途中、風呂場から佐藤の大きな声がした。
「うわっ!」

『シャワーのコックを間違えて冷水を被ったのかな。意外とそそっかしい人やな』
そう思いながらおばあちゃんについて行った。

そして歩きながらそれまで胸の中で溜まっていたものが少し男と距離を置いたこともあり、ついに出てしまった。
「おばあちゃん!知らない人を家に入れちゃ危ないじゃない」

「あの人は大丈夫。それに困ってる人は助けてあげないと」
そう言ってにっこり笑った。
「それよりこの押入れの上にある収納ケースをとってちょうだいな」

「うん」
優子は椅子を踏み台にして収納ケースをとっておばあちゃんに渡した。

「この中に公雄(きみお)が帰ってきたときに着る服を置いてあるのよ」
そう言っておばあちゃんは公雄叔父さんの服が入った収納ケースから服を取り出しながら佐藤さんの着替えの用意を始めた。
「記憶は曖昧みたいだけど、受け答えはしっかりしているから佐藤さん自分でどうするかちゃんと考えるでしょう。それより優子ちゃん熱いお茶を入れといて」
そう言っておばあちゃんは風呂場へ男の着替えを持っていった。

確かに自分も大丈夫な感覚はあった。でもホントのところなんてわからない!
『もう知らんからね!』
そう思いながら優子は台所へ向かった。

おばあちゃんの名前はキミ。
おばあちゃんの家は古い平屋一戸建てで、広くはないがどこかしら居心地のいい家だった。

優子の母親の絵里とその弟の公雄がここで生まれ育ったが姉弟共に都会に就職して行き、そこに定着してしまった。
おじいちゃんは去年の暮れに亡くなって、おばあちゃんは1人になってしまった。
優子の母も公雄叔父さんも今の場所を離れる訳にはいかず、おばあちゃんに同居を求めているのだが、『もう少しここに居たい』とおばあちゃんは拒んでいた。

「おばあちゃん、お客さん用のお湯飲みどこぉ?」
おばあちゃんに「お茶のいれ方が下手だ」「絵里は何を教えているんだ」などと小言を言われながらお茶の用意をしていたところに佐藤がやってきた。
「いやあ、生き返りました。よお温もりましたぁ。ありがとうございます」

「なんだったらお湯も張ってあげるのに遠慮なさって」
そう言うおばあちゃんの言葉が終わらないうちに佐藤は、
「いやいやいやいや、そんなもったいない。もう充分ですわ。よお温もりました」
そう言って遮った。

「まあ汚いところですけど、ゆっくりしてください。今お茶が入りますから。着ていた服もじきに乾くでしょう」
そう言っておばあちゃんは居間のちゃぶ台の前に置かれた座布団に佐藤を座らせた。

「こないに何から何まで」
佐藤は更に申し訳なさそうにしていた。

お茶を飲みながらおばあちゃんが佐藤に問いかけた。
「これからどうなさるおつもりで?」

『警察か?病院か?この近くに記憶喪失なんて看れる病院あったかな』
優子はそんなことを考えていた。

「うーん・・・。こんなことが起きるのか、それとも私の記憶が曖昧なのか。警察や病院に行っても多分、頭がおかしくなってしもうたと思われるだけやと思いますのや。いや、実際そうなのかとも思いました。そやけど去年の大地震もニュースで見ましたし、戦時中のことも記憶にあるんですわ」

『佐藤さんはやっぱり脳に何らかの支障をきたしている。せめてどこかいい病院に連れて行ってあげなきゃ。ううん、家族が居るなら早く家族に知らせてあげなきゃ』
家族のことを聞こうとした優子よりも先におばあちゃんが佐藤さんに聞いた。

「先ほど歩いてここまで来る途中に冗談交じりにいろいろお聞きになっておられたのはそういうことだったのですね。佐藤さんが小学生の頃にいたずらをして先生に殴られた話は自分の頃の先生を思い出しました。もう少しお話を聞かせて頂いてよろしいですか?」

『おいおい、おばあちゃんまで何を言っているの???』
心の中でそうつぶやいた優子は危うく佐藤さんの前で「おばあちゃんまで頭がおかしくなっちゃったの?」と言いそうになった。

佐藤さんは大真面目な顔で話し始めた。
「お聞きした今日の日付からすると、私の記憶はちょうど一週間前までです。一週間前に寝て次に起きたらあの海岸でした。それより何よりも風呂場の鏡を見てびっくりしたんは、私えらい若返ってしもてるんですわ」

『もう訳が分からない』
優子はそう思いながら、その思いに反して妙に真実味のある佐藤の話をただ呆然と聞いていた

「一週間前まで私は85才でした。海岸で起き上がる時、歩いてこちらのお宅に来るまで、その間にお話する自分の発声、耳の聞こえ方、全部がとても鮮明に感じておりました。それが鏡を見てわかりました。今の私の姿はそう20代の頃の私です。そやけども頭の中の記憶ははっきりと85才の時までありますねんわ」

「ご家族は?」
おばあちゃんが聞いた。おばあちゃんは大真面目な顔で聞いている。

「ひとりです。仲良うしてもろとった友達たちも先に逝ってしまいました。それでも町会の人とは老人会でようしてもろてます。ご近所の人とは挨拶をするくらいのもんです」

「では親族の方はお一人もいないのですか?」
おばあちゃんは少し寂しそうに聞いた。

「ええ。いろいろありまして」
佐藤さんは苦笑いをしながら言った。優子には少し寂しそうな表情にも見えた。

「ところでご自宅はどちらなんですか?」
おばあちゃんが聞いた。

「大阪です」

「あら、優子ちゃんと同じじゃない。そうだ、ご自宅に電話してみられたらいかが?」
それには優子も大賛成だった。
もし佐藤さんがボケているのなら、きっと他所の人か、もしかしたら家族の人が出てくるかもしれない。

「そうさせてもらいますわ。でも自宅に電話して年寄りの私が出てきたらなんて話をしたらいいか困りますなあ」
そう言って佐藤は冗談なのか本当なのか困っていた。

「優子ちゃん、その携帯電話貸してあげなさい」
おばあちゃんはそう言って机の上に置いていた優子の携帯電話を指さした。

優子は携帯電話を開けて佐藤に渡した。

「これはこのまま番号を押したらいいんですかな?携帯電話は使こたことがあらしまへんねん」

「あっはい。番号を押して最後にこの通話ボタンを押したらつながります」

「すんません」
そう言って佐藤さんは携帯電話のダイヤルボタンを押し始めた。

「通話ボタンを押すと」
佐藤さんはひとりごとのようにつぶやいて通話ボタンを押した。

周りが静かなせいもあり、携帯電話からの音声がかすかに漏れ聞こえていた。
「この電話番号は現在使われておりません。この電話番号は・・・」
事務的なアナウンスが繰り返されていた

「電話番号が使われてないと言うたはりますなあ。これどうやって切ったらいいんでっか?」
電話の切り方がわからない佐藤さんがアナウンスのなったままの携帯電話を持って聞いてきたので、大丈夫ですと言って受け取った。

ほんの一瞬の沈黙の後、おばあちゃんが聞いた
「あとはどこかお知り合いの方で電話番号がわかる方はいらっしゃらないの?」

「豆腐屋のとこの町会長やったらいくらか付き合いもあるんで話を聞いてもらえると思うんですが、電話番号は覚えてませんわ」

「それ、ネットでならわかるかも」
優子は携帯電話を操作し始めた。

おおよその住所と豆腐屋の名前を聞いて入力する。
便利な時代である電話番号がHITした。

「では、ここの住所に電話つなぎますね」
そう言った優子を遮るように佐藤が言った。
「すいませんがその電話、優子さんがかけてもらえんでしょうか?」

「えっ私?」
思わぬ展開に驚いている優子に佐藤が言った。
「図々しくもお願いするんですが、恐らく若返った私が町会長に電話で話をしたところで声も若返っとるんで不審に思うばかりやと思います。本人が信じられん話なんですから。大変申し訳ありませんのですが、町会長に佐藤建造という男が町会におることと、年寄りの私の近況がわかったら聞いてみてほしいんですわ。暦からゆうて私が一週間前に眠りについた翌日、つまり記憶にない一週間の一日目は町会の集会がある日でしたから何か知ってると思います。えらい迷惑ばっかりすいません」
佐藤は深々と頭を下げた。

それを見てとったおばあちゃんが佐藤さんの肩に手をやり頭を起こすようにしながら言った
「電話をするだけのことです。大したことはありません。頭をお上げになって」

「じゃあ、電話してみますね」
とは言ってもまだまだ半信半疑だったが恐らくこれでこの状況が少しはハッキリしてくることだろうと思った。

『なんだかドキドキするなあ』
そう思いながら発信ボタンを押した。

発信音が5回ほど鳴ったあと男性が電話に出た
「毎度ありがとうございます。雪村豆腐店です」
少ししゃがれたお年寄りっぽい声に恐らくこの人が町会長さんだと思った。
「あの、私、夏川と申します。堀越町の町会長様いらっしゃいますでしょうか?」

「私ですが」
しゃがれた声が落ち着いた調子で返ってきた。

「突然のお電話で失礼します。そちらの町会の佐藤建造さんご存知でしょうか?」

「ああ、佐藤さん。存じ上げとります。佐藤さんのご遺族か、お知り合いの方ですか?」

『!?。ご遺族!』
優子は口に出して言いそうになったが必死で言葉を飲み込んだ。
佐藤さんを横目に見ながら少し話しにくかったが聞いてみた。

「あの佐藤さんはいつ?」

「先週の日曜日なんで、ちょうど一週間前ですな。町会の集会に来はらへんので、ご自宅に電話してみたんですが連絡がつきませんでな。何せ老人の一人暮らしやさかいに気になって、若いもんに見に行かせたんですわ。そしたら鍵が締まってて中からは何の返事もないゆうことやったんでな。町会の皆と巡査さんにもきてもろて玄関扉壊して中へ入ったんですわ。そしたらもう冷たあなってました。布団の中で眠ったまま亡くなってました。喪主は娘さんがされて葬儀も無事終わりました。何せ身寄りがないてゆうたはったから、町会で葬式あげたろかあゆうてましたんやけどな、遺品の中から娘さんの連絡先やらでてきたもんやさかいにそちらへ連絡させてもろた次第ですわ。ご遺骨はそのまま娘さんが持って帰らはったんで、線香上げはるんでしたらそちら訪ねはったらよろしい。何せ身寄りがない言うてたもんやから、うちへ問い合わせがきますねん。まぁわしはかまへんのですがな、娘さんは『いちいち問い合わせの度にご迷惑おかけする』ゆうて電話番号置いていかはった。ご遺族か何かのお知り合いでしたら電話番号教えましょか?」
しゃがれた声だが流暢によくしゃべる。
イントネーションは佐藤さんと同じでお年寄りが話す大阪弁だった。

驚きと状況の整理がつかないままに、何の知り合いとも言いにくく、とりあえずは、

「ありがとうございます。お願いします。」
とだけ言った。声が少し引きつっていたかもしれない。

「では・・・」
と町会長は娘の携帯番号を教えてくれた
メモ用紙とペンがなかったので居間の隅にある固定電話の横にあるメモ用紙のところまで走った
「はい、ありがとうございました。はい。はい。では失礼します」

電話をおいた優子は何から話したらよいものか混乱したまま振り返っておばあちゃんと佐藤を見やった。

2人共、なんとなく話の内容は伺い知れた感じでありながら電話の内容が尋常でないことは自分をみて察していただろう。

優子はどう説明したものか言葉を選んでいた。
『あなたはもう死んでいるようですね。』
なんてデリカシーなく言えるほど図太い神経ではない。
しかし、この沈黙にも耐え難かった。
とにかくは電話の内容を説明しなければ。
「えっと、何から話したらいいのかな・・・」

「私は死んでると言われたんですかな?」
困っている優子に助け船を出すように佐藤が言った。

「はい・・・そうなんです。」

「今、控えたはったんは娘の電話番号ですかな?」

「はい・・・そうです。」

「身寄り、いらしたんですね?」
おばあちゃんが佐藤に優しく聞いた。

「はい。嘘をつくつもりはあらしませんでしたんですが、娘がいてます。でも、いろいろありまして長いこと会うてません。親族と旧友しか知らんことで、町会長さんをはじめ周りの方々には身寄りはおらんと話しとりました。話をややこしいしてしもてえらいすいません」
佐藤は神妙に頭を下げた。

「人生いろいろあったと思います。佐藤さんがよかったらもう少し話を聞かせていただきたいわ。でもその前に優子、こっちへ来て電話の内容を聞かせてちょうだい」

優子は電話で町会長さんに聞いた話を2人に説明した。

「それで、娘さんの連絡先は?」
おばあちゃんが優子に聞いた

「あっ、書いたメモ取ってくるね」
優子は居間の隅にある固定電話の横のメモを取りに行った。

「これがその娘さんの携帯番号だって。あっ!名前聞くの忘れてた」

佐藤は淡々と話し始めた。
「良美。今田良美です。ずいぶん古い話になりますが私には慶子という嫁がおりました。その間に生まれたのが娘の良美です。良美とは良美が10才になるころから会うてません。その頃から私は嫁の慶子と娘の良美を残して他の女性のところに転がり込んで家には帰らんようになったからです。そして収入の一切なくなった慶子は働きながら良美を育てました。その後、良美は22才の時に結婚することになりましたが慶子はその時の無理が祟ったのでしょう。良美が結婚式を挙げるひと月ほど前に急死してしまいました。このことを周り回って旧来の友人から聞いた私は線香を上げられる立場でもなく、しかし居ても立っても居られず良美合いに行きました。しかしインターフォンの向こうで会うことを拒まれました」

そのような人には見えなかったが、佐藤が話す言葉に優子は憤りを感じていた。
しかしおばあちゃんは穏やかなままに佐藤に訪ねた。
「その後、どうなさったんですか?」

「その後、私はいたたまれない気持ちになり付き合っておった女性とも別れて1人で暮らすことにしました。良美とその家族を遠くで見守ることにしました。幸いにも良美は良い旦那と環境にも恵まれたようで何不自由なく暮らしておるようでした。しかし、また最後にそんな形で迷惑をかけることになるとは・・・なんとも不甲斐ない・・・」
佐藤は本当に悔しそうにうつむいた。

「話しを聞かせてほしいと言ったのですが、そのようなことまで言わせてしまいすいません」
おばあちゃんは佐藤に頭を下げた。

「いえ、本当のことですし、自分がしたことです」
佐藤のその言葉には苦い過去に逃げることなく対峙して、それでいて前向きに進んでいこうとする気概が感じられた。
確かに悪いことは悪い。しかしその悪いことのあとにどのように考えて行動するのか、そのことが具現化された事のように感じられた。
憤りを感じていた優子は憤りが完全に消えることはなかったが、そのことよりも自分に置き換えることで自分の生きる姿勢を正すことを考えさせられた。

「電話、私がしてみようか?」
優子はこれまでこの件に消極的だった自分が積極的になってゆくのが不思議に感じられた。

しばらくの沈黙の間、恐らく3人とも同じことを考えていたと思う。
『何と電話をしたらいいのだろう』

佐藤さんが口を開こうとしたときに、おばあちゃんが一瞬早く言った。
「もうすぐ日も暮れます。夕ご飯にしましょう。佐藤さん今日は泊まっていきなさい。ね!」

佐藤さんは「これ以上ご迷惑をかけれないから」と必死に断ろうとしていたが、おばあちゃんの「もし、私どもに恩を感じておられるのなら、今日は私の言うことを聞いて泊まっていきなさい」その一言で佐藤さんも折れた。

優子とおばあちゃんが夕飯の準備をしている間、佐藤さんは庭の草をむしってくれた。
夕飯の準備が整う頃には随分ときれいになっていた。
おばぁちゃんが「おつかれさまでした」といってお茶を差し出していた。
その冷たいお茶を清々しく飲む姿に愛した伴侶と最愛の娘を捨て去って駆け落ちするような人にはとても見えなかった。

いつしか優子はずいぶん前におばあちゃんが言っていた言葉を思い出していた。
「自分の過去も十分に把握できないのに他人の過去なんてとてもじゃないけど計り知れない。今見えていることはその人のほんの一部分であり、広く見れば世の中のほとんどはそうなのだ」と「だから今、自分に見えていることだけを全てだと思い込むのは間違いであり危険である」と

きっと今、自分の全てだと思っているあの人のこともそうなのだろうか。
でも、そう思わないでどうやって人を愛するのだろうか。

ひとつだけ、わかることがある。物事は全て変わっていく。それぞれの時間でそれぞれの形に。もちろん自分も変わっていく。いや、変わっていかなければならない。良くも悪くも。いや、できる限り良い方に。
分かってはいても実行は難しい。時間がかかることも多い。しかし時間をかけてできる。それを忘れずに毎日を過ごしていこう。そう思ったとき少しだけ気持ちが軽くなった気がした。

夕飯の時に佐藤さんとおばあちゃんは若い時代のいわゆる『あるあるネタ』でずいぶん盛り上がっていた。
そんなおばあちゃんを見るのは初めてかもしれない。
そこにあるのは容姿こそ年老いたおばあちゃんであり、話の内容やリアクションが時代相応のものであること以外は今の若者たちと同じ空気に感じられた。

いつしか、その時代のリアルな会話に興味を惹かれて優子も質問をしたり今の時代の考え方を話したり会話に夢中になっていた。

「とにかく、大阪に行って様子を見てくるのはどうかしら?」
おばあちゃんが提案した。

佐藤1人でと言うわけにもいかないので優子が一緒に行くことになった。
佐藤はまたもや申し訳なさそうな顔になったが選択肢が他になかった。

#2 月曜日

月曜日

翌日、早々と朝食を済まして駅に向かうことになった。
駅に向かうバス停は海岸沿いの国道にある。
おばあちゃんの家から歩いて10分もかからない。
バスが来るまで30分ほど時間があったが散歩もかねて少し早めに家を出た。
佐藤さんはおばあちゃんに丁寧にお礼を言っておばあちゃんの家を後にした。

バス停に向かって国道を歩いていると海岸の砂浜で白い道着を着て稽古をしている一団がいた。
どうやら空手道場の人たちらしい。
師範らしき人が前に立ち、その師範に向き合って生徒たちが20名ほど型稽古をしていた。
生徒といっても大人から子供までまちまちである。
朝の出勤や通学前に朝稽古をしているのだろう。
もうバス停までは目と鼻の先ほどであるが佐藤さんが立ち止まった。
「すいませんが少し見学さしてもらえませんやろか?」
佐藤さんは空手の一団を指さして言った。

「まだバスが来るまで少しありますし、バス停もそこですから全然大丈夫ですよ。空手が好きなんですか?」

「ええまぁ。武道全般に好きです。最初は軍の訓練で習ったのが始まりなんですが、戦争が終わったあとも武道に興味を持ちましてな。色々とやりました。ああやって頑張ってる姿を見るとしばらく見学させてもらいたくなるんですわ」
と満面の笑みで言い残し海岸への階段を降りていって、階段の一番下の段に腰掛けて見学し始めた。

優子はその階段の一番上の段に腰掛けて、念のためバスの到着を気にしながら同じように見学した。

5分ほど見学していただろうか、一団の前で型の手本を見せていた師範らしき人が佐藤さんに声をかけた。

「興味がありましたら一緒にしてみませんか?体験入学は無料ですよ」
その男は笑顔で冗談交じりに言った。
年は30代くらい背が高くガッシリした体格だ。短髪でいかにも体育会系といった感じの人だ。

断るだろうと思って見ていたのだが、
「よろしいんでっか?」
言うのが早いか、腰を浮かせるのが早いか、という勢いで佐藤さんはいそいそと空手の一団に向かっていった。

「やるんかい!」
優子は微笑ましくなり無意識に独り言のようにツッコミを入れていた。

佐藤さんは師範らしき男と何やら話しをしていたが、軽く柔軟体操をした後それまで師範がいた立ち位置に立って型の演舞を始めた。

「えっ。なんで?」
優子はまた独り言をつぶやいていた。

他の生徒たちはその場に座ってその演舞を見学していた。

その演舞は空手の事を知らない優子にも綺麗に見えるもので、まるで流麗で力強いダンスを見ているようだった。

ひとしきり拍手が沸き起こった後、佐藤さんと師範を真ん中にして生徒たちは円形なって座った。
もしやとは思ったが、どうやらテレビで見たことのある組手というやつをするつもりらしい。
師範の男は佐藤さんよりも体格が良く、心配であったが佐藤さんも経験者ということだし、何より随分と和やかに話した後に始めたので問題ないだろうと思った。

両者丁寧に礼をした後、組手が始まった。
一瞬にして両者の手足が3回ほどぶつかり合い、佐藤さんのパンチが師範の喉元に決まって動きが止まった。
『めちゃくちゃ痛そう』
優子は心の中でつぶやいたが師範は何事もなかったかのように佐藤さんと一言二言交わして次の組手を始めた。

次もその次も決着が着くまで3秒とかからずに佐藤さんが勝った。
見ているとどうやら相手に決まりの一手が当たる寸前で攻撃を止めているようだった。

そのとき国道に目をやると遠くから向かって来るバスの赤い屋根が見えた。
「佐藤さーん!バスが来ますよー!」
優子は大声で呼びかけた。

佐藤さんは慌てて師範を始めとして一団に挨拶をしてこちらに走ってきた。
「すいません。ずいぶんと夢中になってしもて」
佐藤さんは一段と晴れやかな笑顔で戻って来た。

佐藤さんとバス停に着くと間もなくバスが到着した。

バスは海岸沿いの国道を走って駅へ向い走り出した。
「佐藤さん空手ずいぶん強いんですね」
横並びに2人掛けの席に座って佐藤さんに話しかけた。

「いやあ、まだまだです。あの師範代の山本さんもお若いのにいい筋をしておられた。経験の差があるだけでしょう」
佐藤さんは組手の勝敗ではなく、空手をしたことがずいぶん楽しかったようで爽やかな笑顔を見せていた。
「それに体が若いので良く動くんです。懐かしい感覚です。ほんまに楽しかった」
佐藤さんは本当に楽しそうだった。

バスは30分ほどかけて駅に着いた。
このまま電車を乗り継いで昼過ぎには大阪に着くことだろう。

電車の中ではいろんなことを話した。
いや、厳密に言うといろんなことを話したのは特急電車が出発して最初の10分くらいで、そのあとはずっとおばあちゃんのところへ行くきっかけとなった失恋の話しをいっぱい聞いてもらっていた。

失恋の相手は3年前に合コンで知り合って付き合い始めた人だった。
生まれて初めての感情が溢れ出した相手だった。
ずっと大事にしてくれた。
もちろん彼が辛いときには彼の支えになった。
きっとこの彼と生涯を共にするのだろうなと漠然と思い。
彼と生涯を共にしたいと切に願った。
でもその時は突然だった。
いつものように会社帰りに待ち合わせをして食事に行く約束をしていた。
彼の車に乗り込んだとき、いつもよりも雰囲気の暗い彼に会社で何かあったのかなと思い心配した。
ほどなくして彼が路肩に車を止めて切り出した。
「別れてほしいねん」

そのあとのことはほとんど記憶に残っていない。
必死につなぎとめようとした。
でも彼は取り合ってくれなかった。
友達にはずいぶんと慰めてもらった。
でも気持ちの整理と切り替えがつかないでいた。
仕事も手につかなかった。
上司に無理を言って翌週に1週間の休暇をもらった。
そしておばあちゃんのところに行った。
おばあちゃんには失恋のことはまだ何も話してはいなかった。
おばあちゃんはいつものように優しかった。
そして海岸で佐藤さんと出会った。

大阪に着いた。
ここから佐藤さんの住んでいた町までは、更に電車で30分も行けば着くだろう。
「もうお昼過ぎちゃった。お腹空いたし何か食べましょ。佐藤さん何がいい?」
「私は何でも食べますから大丈夫です」
「じゃあ、ラーメンは?」
「よろしいなあ。そうしましょ」

駅の構内にあるラーメン屋さんに入った。
豚骨醤油のラーメンが自慢の店らしい。
オーダーをしてラーメンを待つ間、電車の中でずいぶんと自分の話しばかりしてしまったことに気が咎められた。
佐藤さんも大変だろうに。
「あの、佐藤さん。電車では私、変な話してしまってごめんなさい。それも自分の話ばっかり」

「全然かまいまへん。若いときにはいろいろあります。ほんで優子さんが早く乗り越えてくれることを願います。本気で悩むときに人は大きくなります。今はどうか心がけるだけでいいから夢や希望や仲間のこと、自分を取り巻く世界の素晴らしいところを考えることを忘れんようにしてください。それに迷惑ばっかりかけてるのはわしの方ですさかいに」
佐藤さんは笑顔で答えて、最後はいつものように申し訳なさそうな表情をした。

2人ともお腹が空いていたので出されたラーメンを無言で食べた。
ここしばらくは食欲がなかったのだが、佐藤さんにいっぱい話して少し気分もスッキリした気がしてチャーシューとスープ以外は全部食べれた。
佐藤さんはラーメンのスープ一滴も残さなかった。

食べ終わった佐藤さんは手を合わせて言った。
「ごちそうさまでした。ほんまに美味しかった。ここ何年もラーメンなんて食べることがありませんでした。医者から塩分と油分を制限されてるのもありましたが、歳をとるとあっさりしたものがほしゅうなりますからな。そやけど体が若くなると昨日の夕飯の時もそうなんですが、油もんやしっかりした味がうまく感じる。何でも食べれて何でも美味しく感じる。これは大変な幸せであり財産ですな」

「そういうもんなんですかね」
なんとなく理解は出来たがあまりピンとはこなかった。

「アッハッハ。そんなもんです。わしも若い頃は同じようなこと言われても、『このじいさんは何をゆうとんねん』くらいにしか思っとりませんでした」

ラーメン屋を後にした私たちは佐藤さんの住んでいた町へ向かった。

電車のホームへ向かう途中、佐藤さんに帽子をプレゼントすることにした。
一応、若返っているようだが死んだ事になってる人だ。
またもや佐藤さんは非常に恐縮して、断っていたが、『念のため。あからさまに若い佐藤さんを見せびらかして住んでた町を歩くのはどうかと思うよ』と言って納得させた。
帽子のデザインは目立ちすぎずにオジサン臭くないもので選んだつもりだ。
白地のメッシュにデザインが入ったもので、更につばのところにワンポイント綺麗な石をデザインカットしたものが付いている。
その帽子は想像以上に佐藤さんにマッチした。
それに佐藤さん自身も帽子が映えるタイプだ。

30分ほど電車に揺られて到着した駅を出た。
駅前は商店街になっていて、人家に混ざって古い寺院が点在する地域だ。
佐藤さんの住んでいた家は商店街を抜けた先にあるらしい。

商店街を歩いていると佐藤さんが小声で
「あっ。町会長さんや」
そうつぶやくように言った。

佐藤さんの視線の先を見ると背はそれほど高くないがでっぷりと肥えた大きなおじいさんが杖を片手にこちら方向に歩いてきた。
なんだか電話で話した人が自分の想像どうりで、思わず笑いそうになった。
見るでも見ないでもなく町会長さんとすれ違った。
少なくとも佐藤さんのことは全く気づいてはいなかったようだ。

「さすがに気付きませんでしたな」
少しいたずら坊主のような表情を浮かべて佐藤さんが言った。

「私も町会長さんが想像どうりの人で笑っちゃいそうになりました」
2人で顔を見合わせて少し笑いあった。

「ほんまは礼を言うて話しをしたいとこですが今は逆に迷惑がかかるかもしれませんよってに」
そう小声でつぶやきながら佐藤さんは後ろを振り向いて町会長さんに頭を下げた。

町会長さんの雪村豆腐店を左手に通り過ぎて30mほど歩くと商店街が終わり交差点に出た
その角にあるのが佐藤さんの家だった。
木造で築年数は古そうだがこじんまりと整った家だった。
もちろん中に人の気配はなく窓のカーテンも閉められていた。

「ちょっと裏手に回りましょか。」
そう言って佐藤さんはスリムな人が1人横向きに通れるような家と家の隙間を入って行った。
あとをついてそこを抜けると少しだけ広くなった路地に隣の家のクーラーの室外機やほうきなどが置いてある佐藤さんの家の裏に出た。
佐藤さんは家の裏口の入り口に踏み台として置いてあるブロックをどかした。
ブロックをどけるとコンクリートがひび割れておりそのひび割れの欠片の一つを取り去るとその下から鍵が出てきた。
「あったあった。さぁひと目に着く前にさっさと中に入りましょ」
そう言って佐藤さんは裏口の鍵を開けて家の中に招き入れてくれた。

家の中はいかにも老人の一人暮らしといった感じで質素なものだった。
散らかってはおらず整理もされていた。
「まだ粗方の家財は残ってますな」
そう言って佐藤さんはガスコンロに火が灯ることを確認していた。

「まだガスは止まってませんな。お茶でもいれますんで、汚いとこですけどそこにでも座ってください」
佐藤さんは台所にあるテーブルの椅子に腰掛けるようすすめてくれた。

「あの、こんなにのんびりしてて大丈夫なんですか?不法侵入者に間違えられたり」

「大声で騒がんかったら大丈夫でしょう」
そう微笑んで佐藤さんは椅子を持って台所の隣にある居間に行き、押入れ上の天袋を開けて中をのぞき込んだ。
座っている位置からよく見えたのでしばらく見ていると、天井にある屋根裏へ上がるための進入口に、置いてあるだけの板を外して押入れによじ登り、その中に上半身まで入った。
すぐに出てきた佐藤さんの手には贈答用のお菓子などに使われるお菓子の絵が入ったブリキの缶箱があった。

佐藤さんは椅子とブリキの缶箱を持って台所に戻ってきた。
『この中から何が出てくるのだろう』
昨日からこれまで想像もつかないことの連続であった優子にはその中が宇宙につながっていてもおかしくないとさえ思えた。

ちょうどその時にお湯が湧いた。
佐藤さんは慣れた手つきで緑茶を入れて差し出してくれた。
「安もんの茶ですがどうぞ」

「あっ。ありがとうございます。それであの、これは?」
ブリキの缶箱を指さして聞いてみた。

「ああこれね。まあゆうたら私の金庫みたいなもんですわ。頼りない金庫ですねんけどな」
佐藤さんは笑いながらそう言って缶箱を開けて見せてくれた。

中には現金の札束が1つと金貨が10枚ほど、それと封筒が3つ入っていた。
思いもしない大金がしかも現金と金貨で出てきたので少し驚いた。
「これは?」
指さして聞いてみた。

「私は戦争やらの時代を過ごした世代ですやろ。そやから銀行やらよりやっぱり最後は現金とか金やと思うてしまうんですわ。そやさかい、いざというときのためにこうしてこの頼りない金庫に入れて置いてあるんですわ。実際こうして役に立つ日が来るとは正直思うてませんでしたがな」
佐藤さんは苦笑いしながら言った。

「この札束って100万円くらいですか?」

「ええ。きっちり100万円と10万円相当の金貨が10枚あります。あとこれはわしみたいなもんでも死ぬまでは持っていたい思い出ですわ」
そう言って封筒の1つから写真を1枚取り出して見せてくれた。

そこに写っていたのは家族の写真だった。
モノトーンの写真に家族3人が写っていた。

「これはわしも確かめたかったんですわ。確かに若いときの、いや今の姿と同じ私が写ってますやろ?あの浜辺で優子さんに助けてもろて私の記憶が確かなのかどうか確かめたかったんですわ」
そこには確かに今この目の前に居る佐藤さんと全く同じ人がこの家の玄関先らしきところに立っている。
そしてその横には小さな女の子と更にその横に女の人が立っていた。
みんな笑顔で写真から幸せが滲み出ているように感じた。

「そやけどこうなると、こうやって不思議なことも起こるんもんやなあと改めて驚きますなあ」

「はい」
全く同感だった。

「この横に立ってる女の子が良美さんですか?」

「そうです。まだ5才の頃です」
そう言って写真を見る佐藤さんの表情は複雑そうだった。

「それとこれは忘れんうちに。これまで面倒見ていただいてありがとうございます」
そう言って佐藤さんは100万円の札束から10万円を抜き出して差し出した。
「こんなに。多すぎますしそんなつもりも。それに『これまで』ってこれでお別れみたいじゃないですか!」
言葉に力が入った。
「これ以上ご迷惑はかけれま・・」
「乗りかかった船です。それにここで帰ったらおばあちゃんに怒られます。それに決して面白がって言うわけではないんですが、佐藤さんと一緒にいるのも楽しいですし」
佐藤さんの言葉を遮り、そう言って佐藤さんに微笑みかけた。
「・・・わかりました。ほんだらもう少しだけお世話になります。ただこれだけは受け取っといてください」
そう言って佐藤さんは10万円を差し出した。
「わかりました。これは預かっておきます」
丁寧に受け取ったあと続けた、
「私ね。運命って特に気にかけたことは今までなかったんですけどね。失恋してどん底になって、佐藤さんに出会って、とんでもないことがあって、いろんな話もして楽になったのもあるんですけどね、いっぱい気付かされることもあって、今回の失恋に対する考え方も少しづつポジティブに変わってきてるんです。なんかうまく言葉に出来てないと思うんですけどね。これは運命でこの先にきっと何か見つかることがあると思えるんです。だからしばらくご一緒させてもらいたいのは、もちろん佐藤さんの助けになりたい気持ちもあるんですけど、自分のためでもあるんです。それにほんとに楽しいです」
少し舌を出しておどけてみせた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
佐藤さんは笑顔で頭を下げた。
「こちらこそ」
同じように頭を下げた。

「そしたら私は簡単に荷物をまとめてきますさかいに、もう少しだけお茶でも飲んで待っててください」
そう言って佐藤さんは居間で荷物をまとめ始めた。

そして5分もしないうちにカバンを抱えた佐藤さんが戻ってきた。
「ほんなら行きましょか?」

「私、お湯のみ洗います」
「いやいや。それくらいしますがな」

そんなことを言い合いながら2人でかたずけてしまった。
念のため茶殻など痕跡が残るようなものは持って出た。

「これからどこへ行くんですか?」
再び商店街を通って駅に向いながら佐藤さんに聞いた。

「ええ。昨日に話した嫁の慶子の墓へ参りに行こうと思います」

「お墓、どこにあるんですか?」

「嫁の実家のある奈良にあります。奈良ゆうても鶴橋から近鉄電車で1時間も走らんとこにありますから夕方までには着きます」

「わかりました」
昼下がりののんびりした商店街を駅に向かった。

電車で移動の途中奥さんのことを聞いてみた。
特別気になるわけではなかったのだが、佐藤さんにどんな出来事があったのか知りたくなった。
「あの。奥さんとの馴れ初めって聞いてもいいですか?」

「ああ。全然構いませんよ」
和かに答えてくれた。

「どうやって知り合ったんですか?」

「就職先の会社で知り合いました」

「社内恋愛ってやつですか?」

「まぁ、今風に言うとそうなんでしょうかな。そやけど時代が時代やから地味なもんでしたわ。私も慶子もそれまでまともに異性とお付き合いなんてしたことがなかったもんですから、特に付き合いを始めた頃は恥ずかしさと高揚感と気まずさが入り交じってずいぶんとギクシャクしておりました」

「奥さん綺麗だし、佐藤さんもかっこいいから美男美女でお似合いだったんでしょうね?」
佐藤さんにいたずらっぽく言ってみた。

「いやいや、顔は3日ほどで馴れるもんです」
佐藤さんは軽く笑いながら答えて話しを続けた。
「しかし顔は馴れてもいいけど、心は馴れすぎたらアカン。私が言うのもなんですが、ほんまによう出来た嫁でしてな。それをいいことにわしは調子に乗り過ぎたんです。ある意味では同じようにメシを作ってくれたり、身の回りの世話をしてくれたりと関係性で母親と似たような部分もあります。特にあの時代ですから『男は働きに出て金を稼ぐ』『女は家で家事や子供の面倒をみる』ええように言うたら分業がハッキリしておりました。『嫁さんが家を守ってくれているから男が外で思い切り働ける』それくらいはわかってるつもりでした。しかし母親でも家政婦でもなく嫁なんです。そこには男と女の感情があらなあかんのです。それを調子に乗った私は慶子の気持ちを心を蔑ろにしてもたんです。そして挙句に他所の女の人とかけ落ちまでしてしもたんです」

「佐藤さんはきっと、私がふられた彼とのことを考えるヒントをくれたんですね?」

「いやいや、そんなたいそうに考えんでください。でも自分のことはよおお考えてください」

「今の佐藤さんを見てると、とてもそんな人には見えなくて。そのことがきっかけで変わったんですか?」

「確かにあのことは私の考え方を大きく変えました。そやけど人は別人にはなれません。本質は本質です。浮気をしてる時も決して心が鬼になってたわけやない。しかし弱くはなってたかもしれん。逆に今が仏様のような心やとはとてもおこがましくて言えるはずもない。そやけど自分の気持ちや考え方はある程度、変えていくことができる。今の私を見てそう言ってもらえるなら、それは長い間かかって変わってきたことかもしれません。結果的に家族の者を非常に苦しめてしまって、ほんまに不甲斐ない自分です」
佐藤さんが話しをしている途中に駅の方からこちらにすれ違う方向へ、とても大きな男の人が歩いて来た。
年齢的には今の佐藤さんと同い年くらいだろうか。
その男の人を見つけた瞬間に佐藤さんは話すのを止めた。
そしてすれ違った瞬間に少し微笑んでいた。

「どうしたんですか?佐藤さん。さっきの大きい人はお知り合いですか?」

「ええ。私、駅向こうの空手道場で不定期に臨時師範みたいなことさせてもろてましてな。さっきの子は今村君言うて、そこの道場の道場生なんですわ。全国大会で決勝まで行くほどの実力者でしてな。私のこと全然気付かないのも面白かったんですが、今この若い体で今村君と試合したら楽しいねやろなあと考えたら思わずニヤけてしまいました。それに今村君はさっきも言いました通りで全国大会で決勝まで進出するような実力者なんですが、今一歩及ばないライバルが1人いてるんですわ。体格も技も負けてない。考え方もしっかりしてる。あとは勝ちたいという気持ちの強さの問題だけなんです。そこをなんとか今村君に克服してもらいたい。今の私ならなんとか出来るんと違うかと思いましてな」

「『今の私ならなんとか』って、もしかしてさっきの人と試合とかしながら稽古をつけようと考えてます?それってヤバくないですか?いくら佐藤さんが強くてもあのデカさは尋常じゃないでしょ?」

「ハハハ。確かにあのガタイと馬力は恐ろしいもんがありますな。でもそやからええんです」
佐藤さんは本当に嬉しそうだった。

駅に着いた。
佐藤さんは目的地までの切符を2人分買って1枚を私に手渡してくれた。

何度か電車を乗り換えて墓地に着いた。

途中で佐藤さんは花と線香を買って奥さんの、いや元奥さんの墓に向かった。
奥さんのお墓は姓が違っていた。
墓石には旧姓であろう名前が刻まれていた。
佐藤さんは墓地に着いた時から黙っていて、お墓の掃除を済ますと買ってきた花を活け、線香に火を着けた。
そしてお墓の前で手を合わせた。
時間にすると1分くらいだと思うが随分長く手を合わせているように感じられた。
そして何か圧倒されるものを感じた。
恐らく佐藤さんがお墓の中の慶子さんに話しかける気持ちが非常に強いからだろうと思った。

「えらい遠いところまで、同行してもろてすいません。ここに近付くにほどに慶子のことが頭の中を埋めていって、他のことが入らんようになってました。今、墓の前で言っても言い尽くせないことをたくさん慶子に言いました。勝手な解釈かもしれませんが、私が今ここにこのような姿で存在しているのは何かの使命があってのことではないかと思います。その使命が良美のことなのか他にあるのかわかりませんが。とにかくはせっかく頂いた時間を大切に使いたいと思います」

「これからどうします?」
優子はいつもの様子に戻った佐藤さんに聞いてみた。

「今、良美に急いて会うことが良いとは思えません。そやから今日のところは大阪に戻ってどこかの宿にでも一泊しようと思います。」

少しの間だけ考えて優子は言った
「もしよろしければ私のところで泊まります?」

佐藤さんは和かに言った
「ありがとうございます。私のことを信頼して言うてもろてるのは重々承知の上ですがお気持ちだけで。考えが古いのかもしれませんがそうさせてもらいます。少し考え事とかもしたいですから。ほんまにありがとう。」

「わかりました。じゃあ、これ」
と言って優子はメモ帳に自分の携帯電話番号を書いてページを破りとって佐藤に手渡した
「何かあったらいつでも連絡してください。それとホテルに着いたら必ずホテルの連絡先を連絡してください」

「わかりました。そうします。ところで優子さんは大阪のどこでしたかな?その近くに宿をとりますわ」

「私は中央区。大阪城の近くです」

「いいとこですなあ。近くにも宿は沢山ありそうですな」

2人は再び同じ電車に乗車して大阪に戻った。
優子の家の最寄駅に到着して優子が声をかけた。
「佐藤さん。お酒は飲みます?」

「ええ。人並みには」

「食事もかねて、少しどうですか?」

「お供させてもらいます」

「すぐそこに小料理屋さんみたいなのがあって、いい感じな店構えなんでいつも前を通る時に気にはなってたんですけど、なかなか機会がなくて」

「よろしいなあ。行ってみましょ」

その小料理屋は店構えからして決して敷居が高そうなわけではなく、しかしどことなく品のようなものを感じさせるものがあった。
開き戸を開けて中に入ると30代後半位の女性がカウンターの内側に立って料理をこしらえていた。
嫌味なく上品でそれが店構えに表れているように思えた。
それより何より驚くほど美人だった。
この女性が1人で店をきりもみしているようだ。

店に入ると「いらっしゃいませ」と軽く微笑んで迎えてくれた。
店の中はカウンター席が8席とその後ろに2人掛けのテーブル席が2つあるだけのこじんまりしたものだった。
客はカウンター席に50代くらいのサラリーマン風の男が2名とテーブル席にはこれも50前くらいの夫婦らしき男女が2名の計4名がいた。

優子と佐藤がカウンター席に座ると美人女将がおしぼりをスッと差し出して涼しげな笑顔を向けて言った。
「いらっしゃいませ。ずいぶんと暑くなってきましたねえ。お飲み物は何になさいます?」

「生ビールをもらいましょかな」
「私も」
優子も佐藤に続いた。

「はい。生中のジョッキでよろしいですか?ただいま」
そう言って女将さんはビールを用意した。

「お待ちどう様」
ビールはすぐに運ばれてきた。
「煮物が中心で大した料理はありませんがどうぞ。」
女将さんはお品書きを開けて見せてくれた。

そのお品書きも品の良いもので、綺麗な台紙に恐らく女将さんが毛筆を使って自筆で書いたであろうお品書きが挟まれていた。
「これって自分で書かれたんですか?すっごい字が綺麗ですねえ」
優子は注文よりもそっちに気が行ってしまい思わず聞いてしまった。

「ええ。恐縮です。なにせこれくらいの小さなお店を1人でしているものですから、毎日決まったメニューをお出しすることが難しくて。それに私が気まぐれで旬のものを買ってくるものですから、店が始まる前にその日のお品書きをかくようにしております。わがままな店主にお優しいお客さんが合わせて頂いております」
女将がそう答えるとカンター席の横にいたサラリーマンの1人が明るい調子で口を挟んだ。
「そのわがままが美代子ちゃんの魅力やんな?」

と、すかさずもう1人の男も明るく言った。
「アホ!なにゆーてんねん。美代子ちゃんはその日に一番うまいもんを作ってくれとんねん。おにーちゃんらも食うたらわかるわ、ほんまに何でもうまいよってに。嫌いな食材でも美代子ちゃんが料理してくれたら食べれるようになんねん。おにーちゃんらも騙された思って食うてみ」

「こらこら、若いカップルに野暮なチャチャ入れんな。ごめんなあ。おねーちゃん」

「ってゆーか、お前が先に口挟んだんやろが!」
もうなんだか、漫才のようになってしまっていて、次の瞬間にはまた二人で次の話題をあーでもないこーでもないと話している。

そのやりとりを見て少し笑いながら佐藤さんは言った。
「アオリイカのお造りとおすすめの惣菜を2つ3つもらえますか」

優子も漫才おじさんの余韻で笑いながら、
「今のおっちゃんの話しを聞いたら、苦手なもの頼みたくなったな。パプリカ頼んじゃおうかな。鳥肉とパプリカのベーコン巻きオレンジソース掛けください」

女将も笑いながら言った。
「保証はできませんよ」
しかし女将さんからは美味しさを保証するような雰囲気が感じられ、嫌いな食材を食べる不安はなかった

優子は続けて注文した。
「それと今度は好きなもので、アジのお造りと揚出し豆腐をお願いします」

「はい。ありがとうございます」
女将さんはにこりと会釈して用意を始めた。

「佐藤さんおつかれさまです」
優子は乾杯を即した。

「いやいや、ほんまにありがとうございます。助かってます」

「何ゆーてるんですか、もうお礼の言葉は十分に聞きました。もう今日はそういうのはなしです。乾杯!」
優子は佐藤のジョッキに乾杯した。

「でも、なんかカップルとか言われちゃいましたね」

「恐縮ですわ。自分がほんまに若者になったように錯覚してしまいそうですわ」

「いいんじゃないですか。若者とゆうことで」
優子は笑ってみせた。

「優子さんほんまに会社の方はいいんですか?」

「大阪に帰る電車でも言ったとおりで今週いっぱいはお休み取ってますから、次の日曜日までお休みでーす。あっ!何か私、お休みでーすとか。いつの間にか結構立ち直ってるみたい。昨日の朝、佐藤さんを見かけるまではほんとに元彼のことでヘコんでたんですよ」

それを聞いて佐藤さんは穏やかにゆっくりと言った。
「これだけいろいろなことがあったら、そらあ前のことも忘れますわ。しかし、今みたいにフッと一息ついたときにそのことを思い出す。そしてそのことに頭の中を占領されたり、ヘコんでないといけないように錯覚したりしてしまう。でも、そのことを反省したり糧にするのは良いことですが、そのことで気分が沈んでいるのは良くないことです。『恋人にふられたのに能天気にしている』『きっとその恋人のことは遊びで大して好きではなかった。だから自分が今沈んだ気持ちでないのは間違っている』または『人にどう見られてるのかな』それらは単なる自己満足や世間体であって、その時の気持ちが本物だったか真剣に取り組んだ結果なのかということとは全く関係ない。まして、そのことを気にするあまりに本当にそのことに支配されてそこから抜け出せなくなる。そのことは他人に対しても迷惑をかけるし、頑張ってきた自分に失礼です。なんかまた、長々とお説教みたいなことを言ってしまいましたが言いたいのは、今、気分が持ち直して前向きになってきているのであればその気分をもっといつもの健全な自分に近付けるようにするべきであって、決して悪い方向へ足を引っ張るものではないということです。どうも年を取ると話が長くなってあきません。ということで今夜は楽しく食事を楽しみましょう」

「そっか。そして次のステップに踏み出していかないといけないってことですよね?・・・佐藤さんもね」

「いやあ。こりゃあ一本取られましたな」
そう言って佐藤さんは笑った。

「あの、余計なことかもしれませんが話に入らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
女将さんが声を掛けてきた

「あっ。大丈夫ですけど」
と言って優子は佐藤さんを見た。
佐藤さんも大丈夫というように頷いた。

「申し訳ございません。ここに立って仕事をしておりますと、どうしてもお客様の会話が耳に飛び込んでまいります。普段はお客様からお声掛け頂かない限りは全く聞こえない振りをして給仕させていただいておりますのですが、実は私、時々・・・。優子さんとお呼びしてもよろしいですか?」

「あっはい。全然。」

「優子さんと恐らくお別れになった元彼さんがこの店の前を通り過ぎてゆくのをお見かけすることがありまして」

「そうなんですか。確かに一緒に私の部屋に行くときは駅からここの前を通りましたから」

「差し出がましいようですが、水商売の世界で長く身をおいておりまして、なんとゆうかその率直に申し上げまして元彼さんとはお別れになって正解ではと。私の感覚だけで申し上げて大変申し訳ありません」

「そう言われると思い当たる節がないこともないような」

「古い言い回しですが恋は盲目ですから」

「こちらの・・・佐藤さんでよろしいですか?」

「はい」

「佐藤さんのおっしゃるように今のような笑顔で前を向いて進まれるのが良いと思います。それと佐藤さんはお若いのにお話を聞いておりますと、そこに老練な紳士様がおられるように感じます。いえ、失礼に聞こえましたら申し訳ないのですが、ご来店頂いた時にご年配の方と思ったのですがよく見るとずいぶんとお若い方で私も年をとって鈍ったのかなと。軽くショックを受けております」

優子は心の中で『なんなんだこの人は!鋭すぎる!』と叫んだ。
そして半分興味を持って聞いてみた。
「一目見て、人の様子がそこまでつかめるもんなんですか?」

「自分で言うのもなんですが、一種の特技かもしれません。元々小さな頃からそのような傾向は人よりもあったのですが、成長するにつれて研ぎ澄まされていったように思います。そして水商売に身を置くようになってからは更にでした」

「それって、占いとかも出来るんじゃないですか?」

「やったことがないのでわかりませんが出来るかもしれません。私はこの感性が人と余りにも違うので思春期の頃までは悩んでおりました。それは例えば危険が分かっていたら忠告をすると思うのですが、そうすると予言だの霊感だのと大方の人は気味悪がります。中には商売にしようとする方もいました。そして9才のころには危険が分かってもそれを口にするのはやめました。しかし、解っているのに黙っていることはとても辛く、今で言う『引きこもり状態』になっていたこともありました。それに人の嫌な部分が人よりも見えすぎてしまいます」

優子は大きな興味を持って質問した。
「それって、頭の中にパッと浮かぶんですか?」
「いえ、そうではありません。誰しも経験則ということは日常的にあると思います」

「例えば、熱湯を触ればヤケドするとか?」

「そうです。私は更にその先が見えているだけのこと。どうやら私には普通でも皆様方には周囲の要因が複雑に絡み合っていて見えてこないようですね」

佐藤さんが聞いた。
「即ち、囲碁や将棋の名人と呼ばれる方のように何手先も見えてしまう。そういうことですな?」

「そうです。私は何かの変異でその部分の能力が人様よりも発達しているようです。なので佐藤さんがご来店頂いた時も本来ならばお顔を拝見せずとも、雰囲気で年齢や性別位は認識出来るのですけども、違えたのはこれが初めてです」

しばらくの沈黙の後、佐藤さんが言った
「今はお話できませんが、女将さんが年齢のせいで鈍った訳ではありません。自信を持っていただいて結構です」

「わかりました。実は今も佐藤さんとお話をさせていただきながらも違和感を覚えております。すいません私、変な話しをしちゃって。お気を悪くなさらないでください」

「いえいえ、大丈夫です」

「美代子ちゃん、ビールおかわり」
カウンター席のサラリーマンの一人が女将さんを呼んだ。
「はい。只今」
女将さんはビールサーバーへ向かった。

「しかし、鋭い方ですな」

「ですよねえ。びっくりしちゃいました。ああゆう人ってやっぱり居るんですね」

「一見、異次元のものを見たようでものすごい違和感を覚えますが得てしてそんなもの。人よりも優れたものをもって生まれた人や1つの道を極めた人は人の想像を超えることがある。その時に人は違和感を覚えるのでしょう」

「そうだ、もしかしたら佐藤さんの今起きていることもあの女将さんなら何かわかるかもしれないですよ」

「そうかもしれませんな。しかしその前にやりたいことが3つありましてな」

「そのうちの2つは奥さんと良美さんのことですか?」

「そうです。私が今ここにあるのは一種のボーナスみたいなもんか、何か使命を帯びているように思っております。1つは慶子の墓に参って挨拶をしたい。2つ目は良美が幸せに暮らしているのかもう一度確かめたい。そして3つ目は今村君に空手道の気持ちを渡したい。それでもまだ私が存在して居たらあの女将さんに相談させてもらいたいですな」
そう言って佐藤さんは微笑んだ。

「私、お手伝いしますよ。でも3つとも叶っても急に消えたりしないでくださいよ」
「大丈夫。黙って消えたりはしません。優子さんには大きな御恩がある。そんな失礼なことはできません。ただ、不可抗力でまた寝てる間に消えたりするやもしれません。その時はすいません」
佐藤さんは頭を下げながら言った。

「もう、やめてくださいよ~。それより良美さんの件なんですけど。手紙を書くってゆうのはどうですかね?」

「手紙を?」

「はい。手紙だったら今の佐藤さんの容姿に驚くこともないし、一方的になりますけど思いを伝えられるんじゃないかと思います」

「そうですな。今晩、上手く書けたら明日出してみます」

その後はお互いのこれまで歩んできたことを話し合った。
時代が変わるとこれほどまでに環境や考え方や取り組みが変わるものかと思った。
人間の本質は変わらなくとも取り巻く環境は大きく変化している。
戦争のない時代に生まれた自分は時代に甘えることなく大切にこの時代を生きていこうと思った。

その日はコンビニで翌朝の朝食を買い込むと佐藤さんはホテルへ、私は自宅へ帰った。

静まり返った暗い部屋に明かりを灯すと先週の土曜日に打ちひしがれた自分が部屋を後にした時のことを一瞬思い出した
でもなぜか心が満ち足りているようでその時とは違うような気がした。
お酒のせいもあって歯を磨いたらそのまま寝てしまった。
シャワーは翌朝に浴びよう。

Reward of the life

Reward of the life

大失恋。。。優子は悲しみの真っただ中。癒すために訪れた祖母の住む町。そこから考えもしなかった展開に巻き込まれて人間の奥深さに触れてゆく。【小説家になろう!でも掲載してます】

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-07

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