素生月南

明日、いや今日、
次の瞬間、
私の命がなくなる可能性は、
ゼロではない。
次の瞬間、
地震が起きる可能性も、
日本だったら他の国よりも高い。
だけど人はそうでないと思って生きている。
そうでないと生きていけないから。
自分だけは助かると思って生きている。
そして「そう」なった時に、
多分色々なことを思うのだろう。
なったことがわからないからよくわからないけど。
69年前の昨日、
広島に原子爆弾が落ちた。
人はその日だけに注目しがちだけれど、
「そう」なってしまった人たちは
多分69年前の今日だって、
たくさんの人が苦しんでいただろうし
48年前の今日だって、
10年前の今日だって、
今、だって、原子爆弾投下により苦しんでいる人はいる。
考えすぎだと思われるかもしれないけれど。
もう済んだことだからとか、
いつまで死んだ奴のこと引きずってるのとか、
思う人がいるのも事実だし、
その人のことを責めたりするつもりはない。
ただ思慮深さに欠ける人だな、とは思うけれど。
何事も済んでしまったで片づけられたらどんなに楽だろう。
私に関して言えば、
自分の身体を傷つけたことも、
過食嘔吐で苦しんだことも、
この病気になったことも、
長く長くそして今も苦しんでいることも、
全部、
済んでしまったからいいじゃん。
そう言ってしまえたらどんなにいいだろう。
本人からしてみれば必死で、
本当に必死で、
そんなことを言われてしまうことさえにも
涙してしまう今なのに。

人が殺される。
人が自殺する。
人の命が、なくなる。
人の命は確かにいつかなくなるけれど、
もう話を絞って話すけど、
戦争によって人が死ぬことはただの悪でしかない。
絶対悪でしかない。
広島の人も、長崎の人も、いや、
日本であの時代死んでいった人だって、
家族がいて、愛する人がいて、友達がいて、
エッチな話をしたりやったりして、
普通に生きていたはずだ。
それが一瞬で奪われる。
国に翻弄され、大切な家族の命を、奪われる。
自分の祖父の兄は中国で戦死しているが、
祖父はその話を私にしてくれたことはない。
大地震で祖父は2人兄弟を亡くしているが、
そのことも話をしてくれたことはない。
彼の心の闇を私は知らずにここまで大きくなった。
今冷静に考えるとわざとそうしていたんだなと
感じることがある。
それと同じで、決して戦争のことを語らない方も
日本にはまだたくさんいらっしゃると思う。
それはその方達のご意志なので
私みたいなちょこざいな女がああだこうだ言う資格はない。

戦争は砂のようなものだ。
掴んでも掴んでもさらさらとその手をすり抜けてしまう。
色々な形に変貌するけれど、
結局はただの砂、いや、悪でしかない。
人類が繁栄を続ける限り戦争はなくならないだろう。
だけどそうならないように努めることは、できる。
多分私にだってできる。
そうならないように過去の事を伝え続けることは、
できる。
日本が今変わろうとしている。
憲法の解釈を変えるというのは、
あの人たちの独断的な考え方によるものであり、
私たち日本人の多くはそれを決して望んではいない。
だけどそうしてしまう。
まるでいつだかの戦争の時みたいではないか。
歴史は繰り返す。
これから先、日本が戦争に巻き込まれることがあったら、
皆が、2014年、今年がこうだったからだと
悔やむのだろう。
そして死んだ我が子を抱きしめながら、
あの人を、敵国をただひたすら憎むのだろう。
2014年8月7日。
あの日から69年と、1日。
まだ、踏みとどまるという選択肢が、
私はあると思うのだが。


  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-07

CC BY-NC-ND
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