黄昏れの使者 〜ロング・ショット〜
1
エアタクシーが、山並みを背景に飛行している。
高度を上げ続けているところを見ると、長距離移動の上客でも拾ったようだ。
西日を浴びて、ボディが輝いている。
現場では、いつも一人。
冬の冷たいコンクリートや夏の焼けたティンルーフの上で、じっとその時を待つ。
今もライフルを抱きかかえたままパラペットに背中を預け、煙草を燻らせている。
あの人と同じ。悪い癖。
こうやってじっと時を待つのは好きじゃない。
考えなくてもいい事が頭の中をグルグル回るからだ。
今回の依頼は、この街の裏社会の権力闘争の片棒担ぎ。
街のボスに対してチンピラ共が身の丈に合わない勝負を挑んだ。力量の差は明らか。そこで、チンピラ共はボスが一番大切にしているものを天秤に載せることを思いつく。無理矢理ボスをテーブルにつける為だ。
プロの殺し屋は、血吹雪をみて初めて仕事になる。
だから、ターゲットが子どもだろうが年寄りだろうが関係ない。
善人でも悪人でもだ。
ただ、狙って撃つだけ。
その命と引き換えに私たち親子は生きている。
しかし人の心まで売り払ったつもりはない。
私が初めて人を撃ったのは、14の時だった。
その日も親父が家に戻ったのは、深夜だった。
リビングのドアを力任せに閉じる音に継いで、母の金切り声が響いた。
私はベッドの中でお気に入りのぬいぐるみを抱きしめながら、ただジッと堪えていた。
毎晩の事だった。
ひとしきり母の叫声と親父の地鳴りのような怒声が飛び交った後、殊更に大きな足音をたてながら、父が2階へと上がってきた。
足音は両親が使っているベッドルームで止まらずに、どんどん近づき、私の部屋のドアが開けられた。
父は私が潜りこんでいた布団を剥がすと、強引に腕に掴みかかり、私をベッドルームへと引きずっていった。
固く固く抱きしめていたはずのぬいぐるみが廊下に転がった。
クイーンサイズのベッドに私は放り出され、おもむろにズボンを脱いだ親父は私の上に被いかぶさった。
酒と煙草の臭い。
ワイシャツの襟からは、嗅いだことのない甘ったるいコロンの香り。
親父は真っ白な顔。
ただ怒りとも哀しみとも憤りともとれないようなドス黒い感情だけが私の中に流れ込んだ。
吐き気がした。
母が部屋の入り口に立っている。
その頃、母は毎晩泥酔するまで酒を飲んだ。
そして親父が帰ってくればヒステリーを起こし、親父が帰ってこなければリビングのソファーでそのまま朝を迎えた。
したたかに酔ったまま私の部屋のやってきては、横になっている私の胸ぐらを掴み、打つこともあった。
なぜ殴るのか、理由を聞いた事はない。
パジャマが引き裂ける音がした。
だけど、母は親父を止めようともしないで、ドアの横にへたり込んでいた。
私はただ無我夢中で手足を振り回した。
その中の1発が偶然、どこか急所に当ったらしい。
私は手に鈍い痛みを感じ、親父は顔を抱えてベッドから転げ落ちた。
無我夢中でベッドサイドの引き出しから銃を取り出した。
私の頭も真っ白だった。
ベッドに這い上がろうとする親父に銃を向けた。
手は震えている。
親父は貿易商で、当時はかなり羽振りが良かった。
毎晩飲み歩き、愛人を何人も抱えていた。
家政婦も2人雇い、週末には仕事関係者を招いてパーティの真似事をしてみたりした。
母は貴金属と不釣り合いなドレスで飾り、私もドレスを着せられた。
溜まらなく嫌だった。
外からみれば立派な御殿も、たった3人の家族は憎しみと不審と悲しみに満ちていた。
父が引き出しにまとまった現金と金庫の鍵、そしてコルトパイソンのリボルバーを隠している事は前から知っていた。両親の目を盗んで、時々金をくすねていたからだ。
親父は鼻血を垂れ流しながら、一方の手を私へ、銃へと伸ばす。
私は引き金を力一杯握った。
火薬が破裂する乾いた音と硝煙の香りがした。
そう、私が初めて撃ったのは親父だ。
返り血は生暖かく、そして堪え難い程に気持ち悪かった。
パジャマは前がはだけ、小さなブラジャーもずれ上がっていた。
その間も惚けたように座っていた母を無視して、私は部屋を出て、シャワーを浴びた。
血と一緒に穢れを落とす様に必死になって体を擦った。
浴室を出ると裸のまま自分の部屋に戻り、クローゼットの中から普段着をまとめて放り出した。
Tシャツとジーパンを着て、残りはリュックに詰められるだけ詰めた。
大切にしていた物もいくつかあったが、それはみんな捨てていく事にした。
リュックを持ったまま再びベッドルームに戻ると、ドアの所で母が失禁していた。
ひょっとしたら何が起こったのかわかっていないのかもしれない。ただ一瞥し、軽蔑した。
私はベッドサイドの引き出しを漁り、そこにあった現金を掴み、財布へと押し込む。
クイックローダーに装填されてあった弾丸もすべてリュックへと押し込む。
最後に、ベッドの上に放り出されたままのリボルバーもリュックへとねじ込んで、家を出た。
家を出て数年は、本当に野良犬のような暮らしだった。
何人かの男とも知り合った。
そのうちの何人かは、親父と同じ様に殺した。
私は社会の裏側で息を潜めて震えていた。
そんな時、たまたまもらった裏の仕事であの人と出合った。
背の高いアメリカ人。
ホームドラマに出てくるようなお父さんの姿をしていた。
だけど、彼も社会の裏側で生きる人間。
約1ヶ月限定のパートナー。
彼は片言の日本語で、私はインチキな英語で会話をした。不可思議なやりとり。それでも通じ合えた。
仕事を終えると、彼は私をアメリカに連れて帰りたいと言ってくれた。
偽造パスポートを作り、渡米した。
アメリカでは常にあの人と一緒に行動した。
仕事にもついていった。私はスポッターを引き受けた。
彼は時間を見つけては私に銃の扱いや格闘術を教えてくれた。誰かを傷つける為ではなく、私が自身を守る為の術。
親子程ほど歳の離れた相棒、子弟、恋人。いや、本当に親子だったのかもしれない。
あの人は本当に腕のいいスナイパーだった。
警官や軍人も今ではみな電子制御付きのライフルを使う。銃身以外は殆どが樹脂製で、反動軽減装置内蔵という代物だ。
しかし、あの人は昔ながらのボトルアクションの狙撃銃を使った。至る所が鉄でできたずっしりとしたやつだ。
それが、とてもあの人に似合っていた。
仕事中にもスコープを覗きながら「あいつの持ってるショットグラスを粉々にしてやろうか? 」なんて軽口を叩いたりしていた。
実際にあの人は、雨の日でも強風の日でも外したことがなかった。
「風は肌で感じろ。」いつもそう言っていた。
そして、まるで自分にかけたジンクスかのように仕事の前後に1本ずつ煙草を吸っていた。
ある日の夕方、あの人が珍しく一人で外出した。
「昔なじみに会って来る。」
彼は仕事の時以外は大概が丸腰だったが、私は親父を撃ったパイソンをお守りだと言って渡した。
「ちゃんと帰って来てね、パパ。」
あの人はニコリと笑って、ドアを締めた。
だけど、あの人は帰ってこなかった。
数日後、いつも仕事を回してくれる馴染みの仲介人が家を訪ねてきた。
彼は黙って、コルトパイソンを差し出した。私の銃だ。
リボルバーの中には弾丸が6発。
「あいつに嫉妬したんだよ。」と言った。
そして帯のかかった紙幣を差し出して、
「復讐なんて考えるんじゃないよ。」と言った。
簡単な葬儀のあと、私はあの人と2人で暮らした町を出た。
あのボトルアクションは、今も土の中であの人と一緒に眠っている。
それからはいくつかの町を点々とした。
お腹が気になり、裏の仕事はできなかった。
日に日に膨らんでいくお腹。
私は片田舎の小さな病院で娘を産んだ。
10代で子持ち、片言の英語。珍しい事ではないが、奇異の目からは逃れられなかった。
娘が2歳の誕生日を迎える頃、例の仲介人から電話をもらった。
あの人を殺した男が死体で発見された、と。
それを聞いて、アメリカに留まる理由もなくなったような気がした。
同じ電話で、すぐに2人分の偽造パスポートと、今後の生活費を稼ぐ為の仕事を回してくれるように頼んだ。
私たち親子は再び、あの人と過ごした町に戻った。
私はあの人と同じ様に煙草を吸う様になった。
日系アメリカ人の親子として日本に入国したのは、娘が8歳の時だった。
手には小さなボストンバッグが1つ。逃げ出した夜と何も変わっていない気がした。
まず、10年前に世話になった人のところに顔を出した。
あの人との縁を作ってくれた人だ。
あの人が死んだこと、今では私一人でも仕事ができる様になったことを話した。
その人は、私たち親子が住む場所と、仕事を提供してくれた。
そんな娘も17になり、今では立派なパートナーだ。
私がこの屋上に着いてから、警察のエアパトロールが何度も眼下を飛んでいる。
だが、この高さまで上ってくるヤツはいない。
それは同時にこんな所で「悪さ」をしようとする輩もいないってことだ。
しかし、それも今日まで。明日からは巡回ルートが増えることになる。
悪いね。
今では私もトップスナイパーと呼ばれる様になった。
使っているライフルは、あの人とは違い最新式の物を使っている。
センサーを外付けすることができ、悪天候でも照準を自動補正してくれる。
複数個のセンサーを上手く設置すれば、引き金を引くだけで1キロ先の標的に命中させることができるという代物だが、センサーから出る電波は私のような「仕事」の時にはリスクになる。
あの人が言ってた。
「風は肌で感じろ。」
今ではスポッター代わりに有線接続されたセンサーを1つ、手元に置けば十分になった。
耳に嵌めたレシーバーから声が聞こえた。
「時間だ。」
「了解。」
交渉決裂。タイムオーバーということか。
ライフルの足をタワーのパラペットに押しあてる。
スコープを覗き、ターゲットの出現場所を確認する。
その間もスコープ内部ではセンサーが風を読んで照準を微調整している。
私はスコープに意識を集中する。
校門から女子高生が3人出てきた。
その真ん中にいるのがターゲット。
アルファベットで、YUKARIと書いてあるテニスバッグを背負っている。親バカが作ってやった特注のテニスバッグか。格好の目印だ。
顔をみれば、まだ幼さの残る顔。
左右を友達に挟まれて、楽しそうに会話をしている。
私は彼女の頭部に狙いをつけて、引き金をゆっくりと引いた。
ライフルの銃身が冷えるまでの間、一服つける。
暗がりで吸う煙草は私の居場所を示す目印なる。
殺し屋には、致命的な癖だ。
それが理由ではないが、私が仕事をするのは大抵夕暮れ時。
西日を背にして標的と向かい合う。
誰が付けたか知らないが、「トワイライト・シューター」というあの人の二ツ名が今では私の物になっている。
黄昏れの使者 〜ロング・ショット〜
※スマホ小説サイトから転載
体裁についてはざっくりと直しただけです。