仕方なく、ナツメ

僕が後ろにまたがったのが早かったか、それとも、バイクが走り出したのが早かったか。SUZUKIと大きくボディに書かれたバイクが、男三人を乗せて走り出す。しばらく、この地方には雨が降っていないのか、中国とはそもそもこういうところなのか、地面の砂が舞う。後ろを振り返ると、埃っぽさが、僕らの後ろについてきている。
「ちょっ?これ、どこに足かけたらいいんやっけ?」
三人乗りをしたことのない僕は、前に乗っているコウくんに声をかける。
「え?」
「だからさ、足!どこに置けばいいん?」
八月中旬だというのに、ここ、中国の来風は、標高が高いからか、大阪と違って涼しい。少し生ぬるい風が、すーっと、耳横を通り抜けていく。耳の中に、恋人にベッドの上で、耳元でささやかれているように官能的に風が入り込んでくる。僕は目を細める。
「どこでも…足おけるなら、マフラーでもどこでもええやん」
妙にこなれた関西弁でそう言い、あっという間にコウくんは、弟さんとの会話に戻る。
「マフラーって?」と言った僕の声は届かない。彼らの会話は、現地の方言だし、街の喧騒の中では途切れ途切れにしか聞こえてこないから、僕には、ほとんどわからない。
恐る恐る、右足は、パイプのようなものの上に置くことにした。左足は、コウくんがタンデムステップにもうおいているから、置き場所がない。仕方なくぶらぶらさせてみる。バイクはスピードをぐんぐんあげている。町並みが移り変わっていく。僕らの滞在しているホテルは、少し地味な路地にあるのだが、そこをずっと直進して、今や、バイクは大きな通りに出ようとしている。角を曲がるだけで、これが中国の喧騒なんですね、というようなそういう音ががやがやと聞こえる。クラクションの音、人の足音、工事の音。埃。桃やブドウ、スイカなどのフルーツの香り。鍋で炒める音と傷んだ油のにおい。下水の臭い。コウくんの弟さんのバイクも、確実にその中の一つの役割を担っている。僕は、日本から買ってきたお土産用の赤ワインを四本、落とさないようにバランスをとりながら、バイクで姿勢を維持する。
コウくんが親戚巡りを、今回の帰省でするということを聞いていたし、誰もが酒好きらしかったから、お土産はワインにしようと即決した。そこまで決めたのは早かったのだが、どれを買うかで、非常に困った。「中国では、赤が縁起がいい色だよ、だから国旗も赤なんだって、だから赤ワインにするべきだ」、という嘘か本当かわからない情報を、行ったこともない父親が繰り返していたし、ワイン好きの姉が、「中国ではとにかくフランス産だとかヨーロッパのワインがもてはやされているんだから、あんたも日本のワインだとか、変なこだわり捨てなアカンよ」、とこれまた中国に行ったことのないくせに言っていた。さらにコウくんが、「俺はジュースみたいな甘いワインがいいよねー」、なんて言うものだから、「赤くて甘くて、ヨーロッパのワインってありますかねぇ」と地元の百貨店で尋ねたら、ああ、それなら、ともってきてくれたのがパッシートというイタリアの甘口赤ワインだった。「その三つの条件を兼ね備えているワインなんて、これぐらいしかないわよ」、きらきら光るブドウのバッチをつけたおばさんは、選び甲斐があったのか、嬉しそうだった。私ぐらいしか、すぐ思いつかないわよ!と言いたげな感はあったが、実際、ブルゴーニュの葡萄畑に年に一回訪れることが唯一の楽しみであるような、ワイン好きの姉も思いつかなかったのだから、そうなのかもしれない。
お会計のときに「中国の恋人の実家へもっていくプレゼントなんです」、というと、嬉しそうに、ラッピングのリボンは何色がいいかしらねぇ、と土曜日の夕方の忙しい時間帯にも関わらず一本一本吟味して、選んでくれた。

「コウくんのおじさんの家って近いの?」
僕は、また、一年半ぶりに再開した兄弟の会話を遮って尋ねた。コウくんの、おばさん三人とおじさんの顔を見に行こうということになり、まずは、おじさんの家に行くことになっていた。コウくんには、お母さんもお父さんももういないから、おじさんが、昔からお父さんのかわりのようになっているらしかった。
「すぐ。十分ぐらい」
コウくんの声が彼の背中から返ってくる。少しずつ、町の中心部から離れていくせいか、クラクションの音だけが、トラックやバイクのスピードの中に埋め込まれていく。
「木村さんは、中国はじめてですか?」
一番前に乗っている、コウくんの弟さんが、僕にたどたどしい標準語で尋ねた。弟さんはコウくんに非常に顔つきが似ている。話し方や話す速度もそっくりで、違うのは、日本の室内で勉強しているコウくんの肌の色と比べて、弟さんのそれは、明らかに健康的に日焼け―健康的な日焼けなんてものがあれば、だけど―をしている点だ。
「いえ、前に北京と上海にきています。でも、ちょっとだけしか滞在できなくて」
 不慣れな中国語で、知っている単語を並べた。
中国にきたのは、これが三回目だ。けれども、過去二回は、北京と上海で、それもトランジットで空港をうろうろしていたり、ちょっと冷やかし程度に市内まで、上海で話題になっていたリニアモーターカーでお昼ご飯を食べに半日観光したぐらいだから、中国に来たというには、少し厚かましい気がする。関西空港に着いて、たこ焼きを食べに難波に出てきて、それだけで帰ったのに、「あぁ、大阪ね、去年行ったよ」と言われるのは、ちょっと嫌だ。そう考えると、堂々と中国に来ましたよ、と言えるのは、今回がはじめてかもしれない。
そんなことをコウくんに伝えると、現地の言葉で適当に要約して伝えてくれた。
「大都市に比べたら、何もない、田舎ですけど」
 コウくんの弟さんは、楽しそうにそういう。何もないよ、ここ、と笑って言えるぐらいのところなんだと、僕は安心して、ワインを抱えなおす。
「恩施から来たんだっけ?」
 弟さんがそう尋ねる。
「そう」
 コウくんが、来年完成予定の、空港からこの町を結ぶ高速道路の話をはじめる。
最寄りの恩施空港は、聞いたこともなかった。上海で乗り継いで、武漢という町を経由して、恩施という町に降り立った。そこからさらにバスで、四時間かかるのだから、どんな僻地なのかな、と覚悟はしていたし、たとえば、その覚悟は、持ってくるポケットティッシュの数だったり、ペットボトルの水の数だったり、胃薬や風邪薬の数に表れていたと思う。ただ、実際に、町に着いてみると、大きなデパートのようなスーパーはあるし、電機屋もある。ホテルも五件ぐらいはある。日本の地方の県庁所在地ぐらいには、にぎわっていて驚いた。
僕はコウくんの実家に泊まる気できていたのだが、妊娠している弟さんのお嫁さんに迷惑がかかってもいけないから、という理由で、ホテルに滞在することにした。
「今、日本も夏休みですか?」
「そう」
 僕とコウくんが同時に返事をする。
まとまった時間は、この夏休みぐらいしか取れそうになかった。コウくんに実家帰りに誘われたのは、付き合いはじめて、二か月目の誕生日だった。「僕の田舎に遊びにくる?」とコウくんに尋ねられて、いや、さすがにそれは早いんじゃないか、と思った。けれど、「結婚のあいさつに行くわけでもないし、恋人ですと紹介しに行くわけではないのだから」、というコウくんの説得に、なるほど確かにそうだと思って、OKした。大学四年の人生最後の夏休みだというのも大きかった。それなりに行きたかった会社からは五月のはじめに内定はもらい、僕としては順調に進んでいる人生なのだが、逆に言えば、来年からは、社会人というものになるわけで、そういう通知をいただけただけで、人生の四分の一ぐらいは決まってしまったのだし、終わったのだと思う。ともあれ、僕にはこの夏は、貯めておけない時間があるわけで、コウくんも実家に帰ってしまうとなれば、僕にできることは、バイトをして使うあてのない小銭を稼ぐぐらいだ。それならばいっそ、と思って、ようやく重い腰をあげた。それにコウくんが、どんな環境で育ってきたのか、知りたかった。

「もうすぐ着くからねー」
 コウくんが少し振り向きながら、僕に教えてくれる。急に、狭い道にバイクで入っていき、弟さんは速度を緩めた。白いコンクリート造りの三階建ての家だった。
玄関の両開きの扉はかなり立派なもので、大きく開くことができる。先日、中国建築と地域別生活空間という本を読んでいたから、なるほどこれか、とすぐに納得できた。中国の家では、日中、人がいるときには、大きくドアを解放していることが多い。扉をあけると大きな部屋があり、そこで来客をもてなしたり、食事をしたりする。もっとも、十畳ほどのたっぷりとスペースをとった部屋そのものが、外部とそんなに利用方法はかわらないようで、ここでタバコの灰を落としたり、ブドウの種を落としたりする。唾だって吐いてしまう人もある。
大型マンションの建設がどこの都市でも見られるから、中国の家のどの程度の割合が、今でもこういう作りになっているのか僕にはわからないのが、コウくんの田舎では、建物はコンクリートでも、少なくとも空間自体は、そんなに昔から変わらないらしい。僕らが家の玄関の方へ低速度のバイクで進んでいくと、おじさんや、おばさんや、コウくんのいとこたちが、玄関から外へとなめらかに続くその空間の中で日本であれば子どもが座るような低めの木製イスに腰掛けていた。
「こんにちは」
僕らは、バイクを順に降りた。
「いらっしゃい。帰ってきてたんだ?」
五十代ぐらいの男性が、まぁ、座れ、とイスをもって僕らの前においてくれる。僕は、みんなのイスが揃うのを待って、ゆっくりと腰かけた。玄関の正面の壁には、毛沢東のポスターが大きく飾られている。
「今日、着いたばかり。あぁ、こっちが僕のおじ」
コウくんが、そう言う。
「こちらは?」
コウくんのおじさんは、僕の方をちらちらと見ながら、現地の言葉でコウくんにそう尋ねる。
「あぁ、僕の友達。大学の友達だよ」
「あぁ、お友達か。日本人?」
「はい、日本人です。ムーツンと言います。よろしくお願いします」
 木村は、中国語では、ムーツンという発音になる。僕は、なるべく背筋を伸ばして、はっきりとそう発音した。コウくんの甥っ子が、僕の標準語を聞いて、くすくす笑っている。
これは、お土産です、とワインも手渡した。
「ありがとう」
 おじさんより先におばさんがそう言って、受け取った。
「コウくんとは、大学のサークルで出会いました」
 僕はそう付け加える。大学院の留学生として去年の四月に来たコウくんと僕は、英語サークルで知り合った。友人に対して広くオープンリーにしている僕に対して、コウくんは、こっそり「俺も実はそうなんだよ」と教えてくれた。もちろん、それだけではなかった。彼は、他の多くの留学生と違って、親から援助を受けるわけでもなく、自分で働いて、稼いだお金で日本に来たようだった。そのスタンスが、僕は、ただ好きだった。そうして、僕たちは、少しずつ仲良くなった。

「最近どうだ?彼氏連れてこないで、彼女連れてこいよ」
おじさんがコウくんに向かって、そう言う。カラっとした夏の空のような笑いがあたりを包んだ。
「えっ?」
僕は思わず声をあげた。
コウくんが慌てて、「動揺しないで、だいじょうぶ、冗談だから」と日本語で僕に言う。
「俺だって、そうしたいんだけどね」
コウくんは、どうしようもないんだ、というそぶりをして、そう言った。彼はニコニコ笑っていた。彼の表情からは、どういう感情なのか、何もわからなかった。
「結婚しないの?彼女は?」
コウくんのおばさんが、竹でできたザルに緑色の大きな青梅のようなものをたっぷり入れてもってくる。おばさんは、僕の方へ手を伸ばし、取りなさいよ、という仕草をする。謝謝(シェシェ)といって、僕はきれいな緑色ものを一つ受け取る。もっと取りなさいよ、というそぶりをおばさんが見せるから、僕はもう二つとって、謝謝と軽くお辞儀をした。
「これ何?」
きらきらと輝く緑色の粒を空に掲げて、僕は、不慣れな中国語で尋ねた。
「ナツメだよ、ナツメ」
おばさんが、中国語で何か―おそらくその果物の名前を―言うのと同時に、コウくんが日本語で教えてくれる。
ナツメ――初めてみたはずなのに、名前に、どこかしら懐かしいエキゾチックで由緒正しい響きがした。ナツメグ。懐メロ。夏みかん。夏目漱石。それらは、どれも、どこか懐かしい。
「彼女?いないよ。付き合ってないよ」
コウくんは、傷がついたナツメを避けることなく、むしろ、少し赤みを帯びたナツメを中心に、五つほど左手で鷲掴みにする。
「友達の方も?」
おばさんが、僕の方を見て、たぶん、そんなことを言っている。おばさんは本当に早口だし、方言しかしゃべられないから、僕には、何を言っているか、はっきりとわからないのだけれど。僕は、とりあえず首をふる。
「あぁ、ムーツンもね。でも、彼は、まだ二十三歳だから結婚なんて考えてないよ、日本ではそれはふつうだよ。ムーツンだって俺だって、まだ学生だし、結婚しないよ」
コウくんは、庭の方へ、ナツメの種を投げ捨てた。
「それにしたって、ねぇ。お見合いする?いつまで滞在するんだっけ?」
今度は、コウくんに聞いているようだった。コウくんは、一瞬、困ったような顔をして、僕をみる。僕は、どうしていいかわからないから、微笑み返すし、何も言えないから、ナツメをかじってみる。
コウくんは、「まぁ、いいじゃない」という風なことを現地の言葉で返す。
ナツメは薄い緑色の皮のしたに、白い果肉が詰まっている。乾いたリンゴやナシのような味がして、それらのどのフルーツよりも味がない。乾いた味のない果実を、僕は、味わう。水分が奪われるようにさえ感じる。これはこれでおいしいのだけど、ミネラルウォーターも欲しい。喜んで食べるかと言われればNOだが、手持無沙汰な僕は、齧るほかない。
「おいしいし、おもしろいね。はじめてたべた」
僕はそんなことを、簡単な中国語で伝える。できれば、彼の家族や親戚には、良い印象を残しておきたいと思う。
「大したものじゃないのに、おもしろい子ね。日本にはないのかしら。ここでとれたのよ」
僕がずいぶんと関心していると、おばさんは少し照れくさそうに笑う。
「でも、珍しいわね、外国人がくるなんて。あぁ、せっかくだからワインを開けましょう。なんでわざわざここまで来たのだっけ?」
 たぶんそんなことを、おばさんは聞く。
 コウくんは、これまで上海をみてきたこと、これから、張家界を見に行くこと、彼にとっては、ここは、ついでなんだよ、と説明した。
「ついでなんかじゃないですよ、すごくおもしろいです」
 僕はそう付け加えた。本当にそうだった。ここにくるために、来たのだから。おばさんは、ニコニコ笑いながら、薄いビニールの使い捨てカップにワインをたっぷりそそいで僕に手渡した。手で強く握ると簡単に破れてしまうんじゃないか、と思うほど、薄いカップだった。少し褐色がかった赤色をしたワインを口に含むと、濃縮された甘味が、口の中を満たす。残ったワインは三本。僕は、わきに置いてあるワインの本数を確認する。この本数だけ、同じような会話をするのか、と思うと、どうしようもなくコウくんを抱きしめたくなった。コウくんは、笑っておじさんと話しているから、僕は、仕方なくワインを飲む。
ナツメに奪われた水分と、ナツメには、なかった甘味を補うように、ワインはストンと体の中に落ちていく。


「木村くんのことが好き、結婚しよう」
親戚めぐりを一通り終えて、コウくんは、ホテルの部屋に戻るなり僕に抱き付く。そうして、五分は離れようとしない。いつもそうだ。僕のことを、二人きりになっても、いまだに上の名前で呼ぶ。僕だって、コウくん、と呼んでいるわけだから、やはり苗字で呼んでいるのだけど。
「結婚とか、できへんやろ?日本も中国も。制度的に」
「だからー、そうじゃなくて。一緒に住もうってこと」
 抱き付いてくる手が、少し強くなる。
「あぁ、うん」
「『あぁ』で誤魔化すなよぉ」
コウくんは、僕に目を合わせてくる。いつも、「あぁ」と返事をしているから、煮え切らないやつだな、と思われているのかも知れない。僕はコウくんと結婚したくないわけではない。ただ、結婚といわれても、僕にはいまいちピンとこないだけなのだ。結婚という仕組み自体が、人間が作ったものなのに、その制度の枠に当てはまらない僕らが、なぜ結婚するのか、どうやったら結婚した、ということになるのか、がいまいちわからないからだ。おそらく、それは、僕がまだ働きはじめていなくて、日本のどこに配属がなるのかも決まらず、遠距離になる可能性もあるから、不安だということも影響しているのだと思う。制度がない分余計、どこかでその制度分を上回る論理や愛情や哲学がないとダメな気がする。僕らにそれがあるか?と聞かれれば自信がないけれど、「どうせないんじゃない?」と言われれば、そんなことはない、と否定できそうなぐらいにはある。
「考えとく」
「大阪人の『考えとく』は、考えるだけやろ?」
 コウくんは不満そうに、僕を見つめる。
「じゃぁさ、僕らが一緒に住んだら、弟さんとか、おじさんに、一緒に住んでるって言うわけ?」
 僕はホテルの照明をつけながら、そうたずねる。
「友達には言っているよ。昨日会った中学校のときの同級生にも言ったやんー?」
 昨日、上海で会ったコウくんの友人には、僕たちが付き合っていることをもう言っている。彼女は一日観光に付き合ってくれて、とても親切だった。僕に対して、コウくんの彼氏として、もてなしてくれた。
「やっぱり、家族とかには言えへんよな?」
「うーん、まぁね」
「うん」
「でも、木村くんのこと、親戚みんなに紹介できてよかった」
コウくんは、抱き付いたまま、部屋に置いてあったミネラルウォーターを少しだけ飲んで、僕に手渡す。
「彼氏でーす、という風に紹介すればいいやん?」
「こちらは僕の彼氏です、って?」
「うん」
「あはは。言えるわけないやん。殺されるって」
コウくんは笑った。笑うと目が細くなる。それに、三十一歳の顔には、笑うと少し皺ができる。
「そうだよね」
僕は、おばさんに「持って帰りなさい」と言われて、ポケットに入れていたナツメを取り出した。少し口に含む。サクサクとリンゴをかじるような音がする。ナツメはどれも味気ない。
「仕方ないよね」
 ナツメをコウくんに手渡しながら、そう言う。
「うん」
「でも、コウくんの親戚、みんなやさしい人やったねぇ」
「うん」
今度は、コウくんがうなずく。
「仕方ないよ」
「うん」
 クーラーをつけていない少し湿っぽい部屋の中で、僕はコウくんの体温を感じる。抱き付いてくる力が今日は、強い。日中、仕方なく笑っていた分だけ、抱きしめる力が強いのかもしれない。
「木村くんが好き、愛してる」
そう耳元でささやく声は、三人で駆け抜けたバイクの風の音と似ていた。
「うん、うん」
 僕はうなずくことしかできないし、結婚の約束もできない。何も言ってあげられないから、強く強く抱きしめて、本当に仕方なく、ナツメをかじる。

         完

仕方なく、ナツメ

仕方なく、ナツメ

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-03

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