六月の出来事

しかたのない人だ。
光秀は足利義昭からの手紙を読まずに火鉢で焼く。数日後の和歌の会の歌を作る。今年の安泰を願う歌にした。変に捻ることもないだろう。これでどうだろうかと、長く連れ添った妻に見せる。
「ときはいま天が下なるさつきかな。そうねぇ。最近大変だものね、土岐氏は今年たいへんなんでよろしくお願いしますって歌ね。歌会は愛宕の神様の近くでしょう。神様も歌を聞いてるかもしれないし。いい歌よ。今年は豊作になるかもね。」
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ニコニコした顔で家老と数人の家臣がやってきた。大した用ではない。
「信長さまとご子息が小人数で京にいる」
「これは警戒せんといかん」
そんな話をして家臣たちは帰っていった。
家老が一人残った。
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「信長様は人を試される。遊びもほどほどにして頂かないと」光秀はつぶやくように言った。
「筑前守様の前なら致しますまい。殿の前だから戯れるのでしょう。ほれ討てまい。ほれ討ってみよ。とね。白刃の中を歩くのがお好きなのだ」
「討ってもその先が遠くまで見える。まず、柴田。羽柴。滝川。徳川。逆賊めと周り中から攻懸かられて一族郎党根絶やしだろう。ついでに100年後も200年のちも逆臣の汚名を着る羽目になる。私は筑前のような、思考の跳躍はできない。彼ならやるだろう。謀反人の松永と荒木の後に名を連ねるならまず羽柴。次が徳川。最後まで居る柴田と私で守る事になるだろう。ただ、殿がこの手の遊びをするのは私だからだ。私は跳躍しない。あの徳川様よりもね。討てば天下が一ヶ月回ってくるくらいが関の山だ。全部分かった上での上様の遊びさ」
「まずは安心しました。歌会、つつがのう」
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この割れた茶碗、どうしても一つ嵌らない。細工師がそんなことを言ってきた。要はもっと金を出せという事だ。茶碗というのは割れる。焼き具合なのか、指一本さわっていなくても、ぱかりと割れる事がある。今回もそれだろう。木箱の中で静かに割れていた。それを金とうるしで継ぐ。これが逆にいい味を出す場合ある。黒の茶碗に金色の稲妻がはしる、いい茶碗になるのではないかと思う。
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風呂に入った。湯船に身を横たえて考える。信玄がこの世におり武田氏が隆盛を誇った頃、信長は機嫌をとり続け時を稼ぎ続けた。丹念にぬった漆塗りの箱を雑作もない陶器や布の入れ物として送りつづけた。似ているかな。いや似ては居まい。忠心を重ねに重ねて野心の芽を塗りつぶす。それが良いと思ってひたすら塗込める。誓紙のような文言を家中に、そして自分に見せつけた事があった。もちろん上様もその話を風聞で聞いただろう。丹念に根気よく塗込める。たんたんとした作業だった。織田と言っても筑前と私、それに徳川の支えがあればこそではないか。譜代の家臣だけなら揉むつぶされているだろう。だが、どこの馬の骨とも分からぬ連中を拾って使えるものは大身にしたのも信長か。入れ物と中身と。どっちが偉いのだろうな。そんな思いを塗込めて固めていく。その作業の時の自分の顔はどんなものかと光秀は思った。一度その見るのも良いかな。ざばっと風呂から出る。
「鏡を貸してくれ」
ちょっと待ってねと、妻が奥へ使いをやり。その間に木綿の服を来て帯を締める。
「はい、どうぞ」
「この顔か」
「なにが?」
「自分がどんな顔して考え事をしてるか知りたくなってね」
「ふうん。それ、時々する能面の顔じゃないの。能の事でも考えているのかと思ってたわ」
「能面か、そうかもしれん」
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楽しくはない。この歌会、腹の探り合いのようなものだ。能面に似た顔になっているのかもしれないなと思う。腹から笑い合うのは明智勢だけで良い。他も似たようなものだろう。
これで終わりという事で最後の一首をだしあいましょうとなって、用意してきた歌を詠む。
「ときはいま、天が下しるさつきかな」
座にかるい衝撃がはしった。光秀は最初それが分からなかった。
「これはこれは」
細川藤孝がこちらを計るように見ていた。僧侶たちが笑いで流そうと懸命になっていた。
しまった。そう思った。歌を読み間違えた事に気がついたのだ。これでは明智が今より天下を統べるという宣言ではないか。押さえに押さえた感情が和歌の形で口から出た。口を押さえたくなるのを堪えて、澄まし顔で会話に加わるしかなかった。
場所は愛宕さまの隣、神域だ。主は魔王を嘯く織田信長。
光秀は自らの口から不意に出た歌。これは神示であろうか。歌というのは古来そういうものだとも聞く。割れた器の最後の一片がカチャリと嵌った。その音が聞こえた。
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帰りの馬上。押さえても押さえても、体中から熱と光をもったものが溢れ出てきた。感情というより欲望だ。ついてきた小者にもわかるのだろう、紅潮した頬で大きく肩で息をし続けている。これをわからない人間がいるとも思えないような、熱と光が光秀から湧き出している。戦場なら雄叫びが相応しい。だが、ここで吠えるのもな。俺でもこんなことがあるんだな。佳い女が無造作に寝ていて。周囲には俺しかいなくて。俺は獣で。堪えられんな。天下か。
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半分怒ったようになって家老をかき口説いた、刀をひきよせ抜刀する寸前まで行った。
「殿にも夢がござったか!華々しゅういきましょう」武辺で成らす家老が涙ながらに言い、それが雑兵にまで伝わるのに大して時間はかからなかった。側近にしか伝えてはいないが、要は分かるのだろう。皆戦場往来の者共なのだ。通るだけでさっと横にどくのは何時もの事だが、覇気があった。明智勢は今や一本の巨大な槍になった。
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毛利を攻めている秀吉を助けるべくの援軍か。泣きつくとは珍しいが、それだけ毛利が大きいという事だろう。本願寺との長い戦いにも荒木の謀反にも裏には毛利がいた、別所の翻意も同じく毛利。途中で行き先を本能寺と告げる。真意を計りかねる数瞬の後、うねるような鯨波の声があがる。 反響され増幅されていくのは力だ。今なら数倍の力がでるだろう。
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まるで手足だ。手をあげるだけで陣形が整えられる。前にふれば突進し、手を返せば戻ってくる。のが脳裏にありありと浮かぶ。我が手足、我が身と同じだ。
敵は本能寺にあり。そう叫んだ本能寺はあっけなく燃え崩れた。整えに整えた結果を戦場で拾ってくる。いつもそうありたいと思っていたが。不意に動いて拾えることもあるものだ。いや、ずっと準備はしていたのかもしれない。
信長の首を探しまわらせたが、どこからも出てこない。最後までもて遊ばれた気分もある。本能寺を攻めている最中、建物の奥で火薬の爆発があった。たぶんあれで信長は粉みじんだろう。骨一つ残さず消えるとはさすが上様か 。
「やはり討てなかったな」
得意げな信長の声が聞こえるようだ。 これで死んだかどうかわからない。死んだはずだと思うよりほかはない。

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物見が羽柴勢の近畿来着を知らせた。すさまじい行軍速度でもどってきたものだ。勝てば天下を取れるのだから当然の事だ。しかも逆臣ではなく忠臣として。兵たちとの感じは、この前の俺と同じ感じだろうか。それにしても早すぎる、整えておいたものだろうか。整え尽くして天下を拾いにくる。本来そうありたいが。秀吉が勝てばそうなるのか。まるっきり理想の形になっているではないか。そうすると俺は嵌められたのか。ふむ。裸同然の上様の近くを軍勢を率いた誰かを通らせるだけか。背けば上首尾、駄目ならそれもよし。そんな所だろう。誰も気づかない賭けか。今回が初めてではないな、似たようなことをやっていたのだろう。いつから賭けを始めていたのだ。毒気の多い黒田勘兵衛というのが秀吉の側にいたな。良い家臣を集めたものだ。俺では使えない。その羽柴を倒せても、じきに柴田が到着するだろう。徳川も北条を攻めていた滝川もいまや敵だ。信長から与力として配下に置かれていた細川も筒井も動かない。家中だけではない、織田家と争っていた諸侯も一切動かない。敵だらけではないか。光秀は考えるのをやめた。

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本能寺で割れなかった器が見つけられて運ばれる。炎の中でも割れない器と自然に割れてしまう器。俺はどっちだったのだろう。いや、もともと器は炎の中で作られるものか。そして、いづれは皆割れるものだ。

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軽い熱病の中で明智勢は山崎へ向かった。

六月の出来事

BS歴史館という番組がありまして、それを見て書いてみました。

六月の出来事

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-01-01

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