恋心スノーボール

ずいぶん前にTwitter上で「落下」をお題にした企画に参加した時に書いたものを書き直しました。

 はあ、と吐いた息が、じんわりと景色を滲ませる。悴む指を擦りあわせながら、僕はすん、と鼻を啜った。隣りの君は虚空を睨みつけたまま、じっと動かない。もう暫く、君の周りの景色は滲まないでいる。
 呼吸を、忘れてしまうのよと、そう言って笑う君を思い出した。あれは、確か夏だっただろうか。向日葵をスケッチしていた君の腕がぴたりと止まって、かなり時間が経ったからと、声をかけた時のセリフだった。
 よく呼吸を、忘れてしまうのよ。
 きっと私は、生きるのに向いていないんだわ。
 そのとき僕は何と返したのだったか……。ポストイットを彼女に手渡しながら、見えるところに書いておけば? と言ったのだったか。それこそ、忘れてしまったが。
 君は、また呼吸を忘れているのだろうか。
 呼吸を忘れてただそこにいる君は、まるでスノーボールの中にいる人形のようだ。そのまま、もう一生動きやしないのではないだろうか。
 そう考えた途端、なんだか不安になって「ねえ、」と君の周りに張られた空気の膜に、爪を立ててみた。膜は案外脆くて、僕が爪を立てたところから、ぱりぱりと崩れた。
 けれど君は動かない。
「ねえ!」
 もう一度。君の肩に手を置いて、強く呼んでみる。
 今度は君の大きな瞳から、ほろりと、涙が零れた。一粒落ちた途端、ほろほろと溢れて止まらないそれに、戸惑う。ごめんね、どうしたの、泣かないで。
 どれが正解なのかわからなくて、ぎゅっと唇を結んだ。かわりに君の唇が解かれて、僕は涙を一時忘れて、そっと安堵の息を吐いた。
 呼吸を思い出した君は、景色を滲ませながら、けれどまだ虚空を睨みつけて言葉を紡ぐ。

◇◇◇

 僕の背後で、何か大事なものが落ちて割れた音がした。何なのかはわからなかったけれど、もう治ることはないだろうということだけは、はっきりと分かった。

恋心スノーボール

恋心スノーボール

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-01

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