結婚前夜

結婚前夜

当たっただけかもしれない。
だけど故意にそうしたのかもしれない。
やや痛む右頬を右手で軽く包みながら、
さっきからあたしは、
ああでもない。
こうでもない。
と思いを巡らせる。
深夜のビーチには誰もいない。
ただ静かに波音だけが耳の中に響いてくる。
ビーチに照明器具はなにもないので、
本当にただ真っ暗の中、
懐中電灯の灯りだけで今私は生きている。
波が寄せては返す。
駿くんはもう寝ているんだろう。
私を探しにも来ない。
親族一同の食事会の時から、
思えば駿くんは機嫌が悪かった。
あまり人付き合いが上手い人ではない。
無理をさせているのはわかるけど、
でも明日は私たちの結婚式だ。
こんな時くらいは無理してほしい。
宴の後、些細な事で言い争いになった。
マツエクが思ったよりよくないと私が
駿くんに当たったのだ。
「そんなこと俺に言われてもわかんないよ」
「今ここに駿くんしかいないんだから聞いてくれたっていいじゃない」
「俺疲れてんだよ」
「飲み過ぎなんだよ」
「お前その言葉遣いどうにかなんない?本当やめて」
「どうにかなんないからこうなんじゃん」
「もういい。俺飲み直すわ」
「もうやめなって」
「うるせーよ。指図すんな」
駿くんの持っていたウイスキーの瓶がはずみで私の右頬骨にごつんと当たる。
「あ・・・ごめん・・・」
「もういい」
そう言ったまま駿くんを残して私は出てきてしまった。
異国の地ではこんな時間に出歩いていたら何をされても文句は言えない。
でも外にいないとむしゃくしゃして冷静になれない。
瞳を閉じる。
そう。あれははずみで当たっただけ。
右頬を優しく右手で包み込む。
そう。駿くんはあんなことする人じゃない。
私のパパみたいなこと、
する人じゃない。
パパは酔うと人が変わっていつもママを殴っていた。
殴るというより、はたくというか。
髪の毛を引っ張って引きずり回されるママを見たこともある。
幼い私と弟は怖くてなにもできなかった。
ただ、怖くて怖くて、
パパの暴力の対象がいつ自分になるのか、
それが本当に怖かった。
結局パパは3年前に胃ガンで亡くなったんだけど、
それでもママは最期までパパを見放さなかった。
「パパはこう見えて、とっても弱い人なのよ」
静かに寝息を立てるパパの隣でリンゴをむきながら
静かにママはそう話した。
「ママがいないとなんにもできない人なの。
本当に、困った人だよね」
そう言って静かにママは泣いた。

右頬がまだ痛む。
いや、痛みはもうないけれど痛みの芯のようなものが頬から抜けない。
「大丈夫」
1人呟く。
「大丈夫」
もう1度、呟く。
駿くんはパパみたいな人じゃない。
大丈夫。
大丈夫。
・・・・。
本当に、大丈夫なんだろうか。
スマートフォンの液晶に目をやる。
午前4時。
こんな時間まで私が帰ってこなくて、
私を探しにも来ないで、
本当に、
本当にあの人で大丈夫なんだろうか。
煙草に火を点ける。
「大丈夫」
こんな些細なことよりも、もっとひどいことをされている人が、
世界にはたくさんいる。
「大丈夫」
私は明日駿くんの隣で、
世界一幸せです。
そんな顔をして笑っていればいい。
その後のことはその時考えればいい。
波音は繰り返し繰り返し、
寄せては返り、寄せては返りを繰り返す。
その度に私の頬は低く鈍く疼く。

大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。


結婚前夜

結婚前夜

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-01

CC BY-NC-ND
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