カランコロン

【朝露・リグレット・銀河】

 一際強い風が吹いて、制服のスカートが大きくはためいた。急に足が竦んで決意が揺らぐ。頭の中であれこれ言い訳を並べながら、朝露に濡れたフェンスを離れた。
 死ぬ方法なら、ほかにいくらでもある。
 屋上からビルの中に入って、微かに震える小さな膝小僧を力一杯叩いた。業務用のエレベーターに乗ってショッピングフロアまで下りてから、エスカレーターで一階まで下る。エスカレーターを降りたところに催事の告知ポスターが貼られていた。
 「学生美術展」どうやら近隣中高の美術部の作品展のようだ。私は何の気なしにポスターに記された催事フロアへ向かった。
 人も疎らな催事会場に、静かなクラシック音楽が流れている。入り口付近には造形物が並べられていた。ランプシェードや彫刻や焼き物。授業で作る物よりは少しは完成度が高いが、どれも必死に個性を出そうとして空回っているようなサムい出来だ。
 あぁ。
 こんな時、どうしようもなく思ってしまう。空っぽの心を満たすものが何もなくて、放り込まれた小さな感情がカランコロンと虚しい音を立てて消えていく。こんな時、どうしようもなく、死にたくなってしまうのだ。
 早足に造形物コーナーを抜けると、次は写真コーナーだった。何も見ずにそこを過ぎると絵画コーナーが広がっている。一組の老夫婦と制服姿の女の子が真剣に絵を眺めて回っている。
 水墨画、水彩画、油絵。造形物や写真よりも、技術の差が明らかになる。奥に行くにつれ学年が上がるように並べられているようで、入り口付近の風景画は平衡感覚が狂っているような物さえあった。
 制服姿の女の子が一つの絵の前でずっと立ち止まっている。その隣に並んで同じ絵を見た。慈しむような表情で大きなお腹に手を当てる妊婦の姿が描かれていた。
 横目で隣の女の子の表情を盗み見る。自分の心臓がドキリと音を立てるのを、私は初めて聞いた。女の子は目の前の絵を真っ直ぐに見つめたまま、静かに涙を流していた。
 「銀河のリグレット」とタイトルが書かれた紙が貼りつけられている。
 リグレットの意味はよくわからなかったが、おそらく奇跡とか恵とか、きれいな言葉なのだろう。そう考えると、一瞬はドキリとして急上昇した心拍数がすっと落ち着いた。カランコロンと音がする。
 なんだかシラケてしまって、足早に催事場を出た。
 みんなが当たり前のように、命は素晴らしいという。生きていることは喜びだという。そんなことを愚直に信じて一様に唱える姿が、何よりも滑稽に見えた。バカバカしくて、下らない。毎日同じことを繰り返しているだけの命の、何が素晴らしいのか。誰も頼んでいないのに、産み落とされた命は生きていくことを強いられる。
 どうして誰も異を唱えないのかわからない。
 鞄からスマホを取り出して検索バーに「リグレット」と打ち込んだ。綺麗な言葉が出てくるのを確認して、今度こそ死のうと思った。しかし、検索結果に表示された文字は想像とは真逆の物だった。
 「後悔」
 絵のタイトルは、「銀河の後悔」
 毛並みを逆なでられたように心の中がざわめく。慈しみの表情で大きなお腹を抱える母親の絵の、タイトルが銀河の後悔。後悔。
 それはまるで。
 空っぽの心が急に満たされ破裂する寸前まで膨れ上がるような感覚。
 高校三年生の作者は、なにを思ってあの絵を描いたのだろう。柔らかなタッチで、温かな色彩で、あの絵を描きながら何を想ったのだろう。
 ビルを出て家までの道を駆け抜けながら、次々にあふれる涙を乱暴に拭った。
 死ぬ方法は、いくらでもある。
 生きる方法は、いくらでもある。

カランコロン

カランコロン

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-31

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