ノストラダムスの空想理論

ノストラダムスの空想理論

眼で見えているモノが全てじゃないと偉い人は言った。
それが誰かは覚えていないけれど、見えない何かこそ本当に大事なモノだったりする。
 
案外、見える事は全て嘘っぱちで、見えない物の方が確実に本物なのかもしれない。
それは、ふとした瞬間に目の前に現れたりする。
そういう空想理論の物語。

1)

眼で見えているモノが全てじゃないと偉い人は言った。
それが誰かは覚えていないけれど、見えない何かこそ本当に大事なモノだったりする。
見えない「ソレ」は見えないからこそ価値があって、大事であって、でも見えてしまったら途端に価値がなくなってしまう。
見えない。
わからないもの。
それは見える必要がないから見えないのだと今では解かる気がする。
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。この諺を発明した人はきっと今の私と同じ気持ちだったのだろうとか図々しいことを思う。
知識欲に溢れた人々は『その世界』に手を伸ばそうとした。
無理な進化を急ぎ、私たちは空に足を伸ばした。いや、この場合は羽か…。
我ながら笑えない冗談だ。
背中に取り付けられた鳥の翼を模した金属製の機械が拉げていた。
神の逆鱗に触れたのだろう、私たちは突然発生した大嵐に吹き飛ばされ全身を強く地面に叩きつけられた。

 
騒がしい毎日だった。生まれてこの方静かだったためしがない。
それでも不幸だと感じた事は一度もなかった。一度も・・・。
明日食べる食事も、夜を過ごす寝床にだって困らなかった。そして、そうじゃない人なんていなかった。
幸福だった。
しかし、人は貪欲で舌も目も心も肥えてしまって、それで満足できなくなってしまった。見えなくなってしまったのだ。
だからこれは天罰なのかもしれない。
降りしきる雨が全身から溢れる鮮血を洗い流していく。
全身が朽ち果てていくのを感じながら、私は幸福だった日常と愚かだった自分へ懺悔しながら泣いていた。
この雨がこの馬鹿な私ごと洗い流していく空想をしながら・・・。

2)

部室がなくなった。
部室。というか私が所属する私立東桜木高等学校美術部はどうやらなくなってしまったらしい。
いや、別に突然キャトルミューティレーションだのバミューダトライアングルだので物理的に部室が校舎から消滅してしまったとか、そういうわけではなく(それならそれでみてみたい)まぁ、生徒会の会議で美術部は人数不足だとか色んな理由で解散という事になったようで、
今年、春から私は帰宅部に生まれ変わった。
生まれ変わったとか大袈裟に語ってみたものの、結局は暇になっただけ。ニートと言ってもいいかも。
部活がなくなってしまい、放課後の用事がなくなってクラスメイトのマユミに腕やら腰やらを摘まれながらほぼ拉致同然で帰宅を共にすることとなった。
「逆に考えてごらんよ。今まで絵に費やしてきた束縛時間。今日からその束縛時間を自由にできるんだって事でさ。羽伸ばそうよ」
「いや、私は別に嫌々美術部だったわけじゃないけど・・・」伸ばすような羽なんてないし。
部長から送られた部活解散を知らせるLineを横目にうな垂れていた。別に野球部やサッカー部みたいに身を削って取り組んでいたわけじゃないけど、こうもあっさり解散とか言われると、やりきれないものがある。
「早く帰って見たいドラマとか積みゲーとかあるじゃん」
「私、ドラマとか見ないし、別にゲームもあんまりやらないからね。」
そして、なぜ勉強というワードが登場しないのだろうと思うも決して口には出さない。
「じゃぁ、本屋行って漫画でも買っていこう!」
アタシのオススメを紹介してあげよう。とマユミ。因みにこの、マユミは「オススメ」の事を「オヌヌメ」と表現する。
「オススメ」だと酸っぱいイメージがあってなんか嫌なんだとか、何故だかわからなくも無い。
「オヌヌメ」はなんだか柔らかそうという理由だった。次世代を担う流行語だそうだ。因みにクラスで使っているのはマユミだけだったりする。
「アンタのオヌヌメは信用できない。」一蹴してやった。
「なんで!?」
「だってアンタのオヌヌメって男の子同士のラブストーリー物でしょ?」
「そんなこと無いよ!女の子と女の子のもちゃんとあるよ!」
「・・・・・・・・・」ちゃんとの意味がわからなくなりそうだ。
「でも、個人的には『ずっと見ていた』シリーズが一番オスス・・・オヌヌメ。」
「流行語が定着しない理由がなんとなくわかった気がするよ」そして、そのシリーズのタイトルからハード差が伝わってくる。
「転校してきた先輩がなんでもそつなくこなすお兄さん系で、そんな彼に憧れる男の娘君。そして、男の娘君の心はライクからラヴへ転生し、天才過ぎるお兄さん先輩と自分とじゃ釣りあわない!でもでもどうしたらいいんだ!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
釣りあう釣りあわない以前に性別の問題があるでしょ。なんてツッコミをしたらややこしい事になりそうだったので取り合えず流した。
「でも、実はお兄さんは男の娘君と生き別れた兄弟でお兄さんは近くで弟を見守るために転校してきたんだ。お兄さん先輩は重い病気を背負っていて、最後死んでしまうんだ。」マユミは語りながら号泣していた。
「そして・・・息を引き取る瞬間・・・ん?あれ?死ぬから『瞬間』じゃなくて『直前』?に男の娘君にこう言ったんだ・・・えーっと、ごめんなんか忘れた。」
「台無しだよ・・・。」
因みに死ぬ直前なら「死に際」とか言うんだと思う。
そして、「取り合えず貸すから読んでみて!」と言われ半ば強引に押し付けられて駅前で別れた。
「バイバイキ~ン♪」と言って走り去る様は雑魚キャラのそれだった。
 

3)

 
マユミから借りた(押し付けられた)『ずっと見ていた』シリーズをさっそく帰りの電車の中で読むには気がひけたので
家に帰ってから読むことにした。
ブックカバーが付けられているような隠蔽工作が施されているわけでもなく、全力で裸の状態であった。
あの状態の本を人前で読むなんて、そんな度胸は私にはない。突き刺さるビームのような視線で死んでしまうだろう。
というか、ほぼネタバレ同然で熱弁していたので読む必要もないかもとか思っていた。
まぁ、でも本というもの自体は苦手ではないし、少しだけかじってみる事にしよう。
案外、読めるものかも知れない。BLというジャンルとして読むのではなくあくまで恋愛小説として読むのだ。
考えて見れば、いつ必要になるのかは不明だけれど後学のための読書という事なのかもしれない。
人は知識欲に満ちている。ファウスト的衝動とまでは言わないけれど、私にだって興味が無いわけではない。
無駄な事なんてない!どんな些細な事だって、ひょっとしたら生きるヒントになるかもしれなのだ。
地球は丸かった!あ、なんか頭よくなったような気がする!
よし、これでかなりこの本を読むモチベーションは底上げできた気がする。
さぁ、夜が楽しみだ!かかって来い!
という無理やり感溢れる自問自答を終えたところで電車がホームに滑り込んできた。
「!?」
電車の扉が開き、列車に乗ろうとしたとき、足元を黒い塊がすり抜けて行った。
普段、あまりこの時間の電車に乗ることはあまり無いので気づかなかったけれど、車内はガラガラだった。
いい具合にラッシュを避けた時間だったようだ。そして、そんな光景が新鮮だと感じた。
「・・・・・・・・」
しかし、座席に堂々と腰掛ける黒い猫は『新鮮』というには、何か違う気がした。
というか、こんな光景どこかで見た気がする。この後、彼(もしくは彼女)を追いかけてヴァイオリンを作る爽やかなイケメンと出くわして
甘い恋愛をしそうな展開になりそうな気がした。
きっと、あの少女もそんな境遇だったのだろう。もちろんそんなはずはないだろうけれど・・・。
そして、私はこのまま図書館にも行かずに真っ直ぐ家に帰り、お風呂に入って、何事も無かったように明日に備えて就寝するんだ。
だから「ねぇ、キミ一人?」と話しかけた自分には心底あきれ返ったものだ。
いやいや、今のは私のセリフじゃない!
「ひょっとして猫君、君今おしゃべりしました?」まさかここからぶっ飛んだ物語が展開されてしまうのだろうか?実はあの続編のルートなのかも知れないじゃないか!そんなデンジャーな!
「ハハハ!猫さんがそんな陽気におしゃべりするわけがないじゃないか!おねぇさんなかなかオシャレさんだね!」
知らない間に金髪で色白の純白ゴスロリ少女は猫君を抱えてそう言った。とても陽気そうにそう言った。
ただ、表情としてはとてものっぺりとした無表情だった。
いやぁ、もう本当に実に美しい無表情さだった。
笑顔で怒ったり、泣きながら喜んでいたり、喜怒哀楽を読まれないようにするポーカーフェイスというのとはまた違った感じで、
金髪色白なのに失礼だけれど『不気味』に感じてしまう。いや、綺麗だからこそだろう。
綺麗故の『不気味さ』だった。
彼女の蒼いビー玉のような瞳は何を・・・どんな感情を指し示しているのだろうか・・・?
「ボクの名前は因果って言うんだ!よろしくね!おねぇさんの名前はなんていうんだい!?教えてデンジャーなおねぇさん!」
・・・酷いあだ名だ。
「私は、柴崎美子。よ、よろしく。」おねぇさんと呼ばれたからには無駄に虚勢を張って、堂々と名乗るつもりが力んでしまった。
「へぇ、神々しいね!」
「・・・巫女じゃなくて、『美しい』に『子』で『美子』だよ・・・。」
「そうなんだぁ!でも神社に遣えたらデンジャーなおねぇさんでも『巫女様』ってあだ名にしてもらえそうだね!」
「せっかく名乗ったんだから『デンジャーなおねぇさん』はやめにしない?」
「ところで『デンジャー』と『ジンジャー』って似てるね!やっぱり神社に遣えるべきだよデンジャーなおねぇさん!」
「・・・・・・・・・・」
どうやら既に彼女の中では私のあだ名は『デンジャーなおねぇさん』に確定されてしまったらしい。
「あ、でも『デンジャー』も『ジンジャー』もスーパー戦隊っぽいね!『八百万戦隊 ジンジャー万』を結成して平和を護る事をそこそこオススメするよ!!」
「それは『八百万』の『万』と『ジンジャー万』の『万』をかけているの?」
そして、『そこそこ』なんだ・・・。わりとどうでもよさそうだ。個人的にはもう少しオススメしてほしいところだ。マユミ風に言えばオヌヌメかな。
 
「ところで因果ちゃん、日本語すごく上手だね。」
「ハハハ!よく言われるよ!そういうデンジャーちゃんもとても上手な日本語だね!」
「・・・まぁ、日本人だからね・・・。」というか、あれ?急に『デンジャーなおねぇさん』からフレンドリーな呼び名になったな。
「ところで、デンちゃん!」
「デンちゃん!?」それはどう考えてもフレンドリー過ぎるでしょ!急接近だ。ズームアップ過ぎるよ!
「人狼ゲームって知ってる?」
「人狼?・・・あぁ、うん知ってるよ?村人に混じってる人狼を、互いに探りを入れあってうまく人狼を処刑していく・・・っていうゲームだよね?」
村人チームと人狼チームで分かれていて互いに会話をしながら相手の正体を見破るゲームだ。
人狼には仲間がいて、人狼だけが自分の仲間を確認する事ができるけれど、他の人はある『役』以外は誰がなんの役なのかはわからない。
夜には人狼によって誰か一人が殺されるけど、夕方には昼にみんなで話し合って多数決で決まった誰かが処刑される。
村人チームは全ての人狼を討伐した場合。人狼チームは、村人チームの人数と人狼が同じになった場合が勝利条件になる。
その時点でゲームマスターによってゲーム終了が知らされる。
村人が夕方にうまく人狼を処刑できているかは、そういう「役」かゲームの全貌を見ていたゲームマスターだけになる。
私も中学生の頃、一時期放課後に何人かで集まってプレイしていた事があった。
どういうわけか一度も人狼になった事がないので人狼の感覚は実はわからなかったりする。
しかしまぁ、仮に人狼になっていたとしてもすぐにバレて処刑されている気がする。
「基本的にはみんな嘘つきこよしって事さ。」という因果ちゃん。
「まぁ、人狼になった場合、疑われたら取り合えず『いえいえ、ワタシは純粋な一般市民ですよ』って言うしかないもんね」
まぁ、『はい、いかにもワタクシ、人肉大好き人狼でございます』なんて言う人はいないだろう。
「というか」因果ちゃんは言う。
「見た目がどうあれ、誰が何者で何物かなんてわからない。にわかには信じられない」という事なのさ。」
そんな風に金髪少女の因果ちゃんは言った。
「そうあるように。ある。っていう焼き付けられた感覚なんかは恐らく・・・末恐らく違うと思うよ。実はデンジャーなおねぇちゃんがボクを女の子だと思っていて、実は実はボクは自分を『ボク』と一人称するに相応しく男の子だったりして、実は実は実はデンジャーなおねぇちゃんが思う通り本当に『ボク』は女の子で『ボク』が『ボク』を男の子だと認識しているのは思い違い、刷りかえられた『空想』である可能性もあるかもしれないしね!ハハハ!」
と陽気に因果ちゃんは言った。
「まぁ、物語なんてものは展開に裏切られるものだったりするんだよね!」
変わらずに陽気な口調で、でものっぺりとした無表情さだけれど、それでもさっきまではそれこそ陽気そのものを感じていたけれど
なんだか今は不思議と迫られている気がした。迫られているけれど圧倒的な距離感を感じた。
いつの間にか隣の座席から向かい側の席に移っているような距離感というか、なんだか数十メートル離れているような気分だった。
ひょっとしたら彼女の言うとおり、『実は』なのかも知れない。
実は、隣にいるようで、車両ごと離れていたり・・・。
でも・・・「でも、そんなことを言い出したらキリがないんじゃないかな?」
「うん?」因果ちゃんは吊革に逆さにぶら下がりながら首を傾げていた。その光景はまるで蝙蝠のようだった。
よくそんな厚着でそんなアクロバティックな事ができるものだと呆気にとられてしまう。
「嘘だって思っててもやっぱり私とはしては何でも信じていたいかな。なんでも疑ってばかりだと苦しくなっちゃうし、騙されてもその一瞬さえ楽しくて開放的だって感じたら、まったく苦しいばかりよりはいいんじゃないかなって・・・」
そう、たとえデンジャーでも・・・。
「ふぅん・・・。」因果ちゃんは猫みたいな平坦な鳴き声を上げて、スタンッと吊革アクロバットから地上に帰ってきた。
「デンジャーだね!」と無表情だけど陽気に、無邪気に言われた。どちらかと言えば因果ちゃんの方がデンジャーな気がする。
「でも、デンジャーなの楽しいよね!」一体その日本語(正確には英語だけど)にどれほどの意味が込められているのかは解からないけれど、でもまぁ・・・。
「嫌いではないね」なんて矛盾したような事を言った。こういうのをツンデレだなんて、よくマユミに言われたものだ。
 
ちょうど目的の駅に到着したようで、因果ちゃんはトテトテと黒猫君を抱えたまま扉に向かって駆け出していった。
振り返って「じゃぁねぇ!デンジャーなおねぇさん!」と手を振る様は無表情無邪気な部分以外はやはりどこにでもいるようなチビっこに変わりは無いのだろう。大声で『デンジャーなおねぇさん』と呼ばれるのには若干に抵抗があったけれど・・・。
ところで、全く気づいていなかったけれどマユミから何通かLINEが送られていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「『ずっと見ていた』どうだった!?」というメッセージとおびただしい数のスタンプの嵐が送られていた。
「家に帰ってからゆっくり読むよ」とだけ打って送信した。
ポケットの中でスマートフォンが2回程震えた気がするけど、今日はなんだかいつもより疲れた気がするので、気づかないふりをすることにした。
なんだか、プチ人狼になったような気分だった。

4)

 
日記を付けることにした。
日記というよりは寧ろ手紙に近いものなのかもしれないし、もしくはただの書き殴りのようなものなのかもしれない。
いやはや全く、文字を書くのは苦手だ。
幼馴染のオリオンの様にうまくは書けないな。
アイツは頭が良いから、こんなのは朝飯前どころかきっと寝ながらでも出来るだろう。
「・・・・・・」いや、想像してみたらそれはそれで心配になるな。
あんなおっちょこちょいが、夢遊病のようにウロウロフラフラしながら何かしているだなんて・・・。
まぁ、私も同じくらい不器用なのだから棚には上げられない。
つい先日も父さんが汗水流して修復した風車を木っ端微塵に吹き飛ばした。大目玉だった。
 
「日記つけてるんだね?」
「勝手に見るなよ」
「ごめんごめん。床に落ちてたから・・・」
「それは落ちていたんじゃない。置いておいたんだ。すぐに片付ける。」
遊びに来ていたオリオンから日記を引っ手繰ると半開きになっていた引き出しに無理やりねじ込む。
「はぁ・・・すこしは片付けるようにしなよ。女の子なんだから・・・。」
「女の子という認識は、とっくに捨てたからこれでいいんだよ。」この方が落ち着くと付け加える。
その様子を困った風に見ながらオリオンはクシャクシャな赤いクセ毛をいじる。羊みたいだ。
「おじさんが、これから木材調達に森に入るらしいからイカロスも呼んで来いってさ」
「女の子を森に連れて行くつもりか?そんな重労働を強いるなんて、なんて父親だ。」
「昨日、風車壊したのイカロスでしょ?僕も行くからさ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
私は自分でドジで不器用だという自覚はある。大いにある。
しかし、オリオンにはその欠片もない。そんな彼が作業に参加するなんて言い出したら、作業が終わらないどころか、大怪我をして・・・大怪我をさせてしまうだろう。
私が風車を壊すなら、彼は家丸ごと崩壊させてしまうだろう。
全くもって神に選ばれし少年だと思うよ。
といっても、この村に神様の信仰は存在しないのだけれど・・・。
「な、なに?」
私が怪訝そうな顔しているのが気になったのかオリオンは不安そうに聞いてきた。
不安なのは私の方なのだが・・・。
「いや、なんでもないよ。わかったわかった。自分の不始末は自分でつけるさ。」
「そう?」
ベットにほったらかしにされた上着を羽織るとキョトンとしたオリオンを押しのけて、いつもどおり窓から飛び降りる。
二階の窓からオリオンが何かを言っている気がするけど聞こえないふりをする。
外で待っていた父さんに先日のお小言を言われながら一緒に森に向かう。
「おーい!イカロス!また父ちゃんに説教くらったのか!」遠くから腰を曲げたおじさんにが声をかけてきた。
それを合図にしてか、ワラワラと人が集まってきていた。
四方八方から「まったく馬鹿だなぁ」とか「しょうがねぇなぁ」とか色々言われた。
「木材取りに行くんだろ?余ったらわけてくれよ!」
「まぁ、任せといてよ」言うが早いか父さんの拳骨が頭上に降ってきた。
鉄仮面のような表情の父さんとは裏腹に「このお調子ものめ!」と賑やかに笑うおじさんたち。
まったく、うるさく平和なものだ。まぁ、私の所為なのだけれど・・・。
 
「これあげるよ。」
「何これ?本?」
夕方になって木材調達から帰ってきて寝ていたらオリオンから青い表紙の本を渡された。
子供向けの童話のようだった。そこそこ分厚くて、また余計な事をしたら父さんにこれでぶたれるんじゃないかという想像をしてしまい、少しばかり不愉快な表情をしてしまった。
「いや、イカロスも一応女の子なんだしさ、なんだかんだ言ってこういうのにも興味あるんじゃないかなって思ってさ。」
「一応は余計だ。」私こそがこの本でオリオンの頭上をぶってやろうかと思った。
否、ぶった。本の角の部分でオリオンの額をゴスっと。
寧ろ私なんかよりも女の子みたいな泣き声をあげていた。
「でも、これ面白いよ?シュヴァルツ・スノードロップって人が書いた本でね。」
センスの無さにビックリする名前だった。
「小さい子に凄く人気があるんだけど、綺麗な言葉遣いで沢山の読書家にも支持されてるんだ。」
「・・・ふぅん」
熱弁するオリオンを横目に生返事をしつつペラペラとページをめくる。
なんだか目次だけで飽きてしまいそうだ。
「まぁ、寝る前の読書とかにはちょうどいいと思うけど・・・」
「よかったら読み終わってからでいいから感想聞かせてよ」
「う、うん。わかったよ。」
「本当に!?絶対だよ!?」熱の入れように少しびっくりしていた。

5)

「ふぅん。でも別にそんな珍しいもんでもないんじゃないか?」
毎週読んでいる週刊誌目当てに、毎週木曜日は少し早めに家を出るのは日課。
マユミ程、漫画好きというわけではないし、実は取り立てて欲しいというわけではないのだけれど、それでもついつい気になってしまった作品がある。
これもまたマユミに薦められて読み始めたものだったりするけれど、今ではマユミよりも私のほうがはまってしまったのだ。
なんだか矛盾した言い方かもしれないけど、これは一種の中毒のようなものなのかもしれない。
取り立てて欲しいわけじゃない。読みたいわけじゃない。
けれど、逆を言えば要らないという事はないし、読みたくない事はない。
まぁ、連載漫画やアニメでよくある『打ち切り』という事態になれば、きっとは私はあっさり諦めてしまうんじゃないかと思い、まぁ納得してしまう。
納得、できてしまう。
そんなこんなで、私は今日も早めに起きて、早めに朝食を済ませ、家を出たのだ。
そして、そのルーチンワークの先、いつものコンビニで目当ての週刊誌を手に取ろうとしたところ、
さながら、ベタな出くわし方をクラスメイト、立花 奏としたのだった。
 
「珍しいね、今日朝練とかだったりするの?」
「軽音部に朝練はないよ。」野暮用さ。とクールなのかドライなのか、二つあわせてドライアイスなのか、奏は言った。
制服でスカートを仕方なく履き、俺口調で全く男らしい姿勢に我が校の女子生徒ほとんどが虜になっているらしい。
「お前こそ今日早いじゃないか?間違えて家を出たんじゃないか?」
「そんなおっこちょこい・・・おっちょこちょいキャラじゃないよ・・・。木曜日はこれの発売日だから少し早めに出てるんだよ。」
「お洒落な噛み方だな」
「・・・・・・・・・・・・・」
世の中には一時間時計を読み間違えたり、日曜日なのに慌てて学校に走る主人公もいたりすると聞くけれど、そんなドジキャラに落ちた覚えはない。
「俺は別にちょっと暇つぶしに立ち読みしようと思ってただけだから、日課だって言うんなら譲るよ。」
一冊しか無かったのを気にして奏は週刊誌を差し出してくれた。
「ありがとう・・・。」
いつもならもっと入荷しているはずなのだけれど、どうやら今週はなかなかに売れ行きがよかったらしい。
まぁ、愛読している週刊誌が人気なのは嬉しい。
「・・・・・・その本、マユミか?俺も一回押し付けられそうになったんだよ」
「本・・・。あぁ、『ずっと見ていた』ね。うん、是非読んでみてくれって押し付けられたんだ。」
コンビニ袋に包まれた週刊誌を丁寧に鞄にしまっていると教科書と教科書の間からちょうど見えてしまったらしい。
結局昨日は疲れて一ページたりとも読めていなかった。
というか、奏に私までそっちの世界に目覚めてしまったとかいう勘違いをされなくて本当によかった。
「俺は本よりも漫画派だから、そういう小説とかはちょっとな・・・。」
「そういう問題じゃないと思うんだけれど・・・」
「うん?」
どうやら奏にはこれがただの活字だからけのどこにでもある小説だと思っているらしい。
まぁ、知らないなら知らない方がいいと思うんだ。
知る必要のない世界だ。
「まぁ、でも私もどちらかと言えば漫画派かなぁ。絵を見るの好きだし。」
「お前、美術部だもんな。」
まぁ、美術と漫画みたいなイラストは同じ畑でも若干違うものがあるけれど。
「まぁ、潰れちゃったみたいだけどね。」苦笑した。
「ふぅん。まぁ、三年だし引退近いんだからあっても無くても一緒だろ」
「なんかそれを言われると、元も子もないというか返す言葉がないね。」
三年生に進級すると受験勉強やら就職活動やらで事実上引退になるのだけれど、きっと奏は奏で引退せずに卒業ギリギリまで背中に背負っているギターを弾き続けるのだろうと思うとなんだか羨ましい。
頭もいいし・・・。
「そして才能の無い私達は、なんの物語も経ていかないままに社会に揉まれ、毎月の貯金通帳に悩まされ、思い出に涙して仕事終わりの居酒屋で泥酔して、トイレで泣くんだろうなぁ・・・」
「演歌みたいだな。」
「そしてどこにでもいる、平々凡々な夫と二人のヘンゼルとグレーテルとパトラッシュに囲まれて平々凡々に余生を満喫するんだろうなぁ・・・」
「お前は自分の子供を捨てるのか?」
「え?ヘンゼルとグレーテルってそんなショッキングな話しなの?」
「グリム童話とか読んだこと無いのか?」
思った以上にブラックで面白いから今度機会が合ったら読んでみろよ。と奏は言った。
漫画ばっか読んでるとか言ってたくせに、奏の裏切り者。なんていう言いがかりを言うのはやめておいた。
「私の中では金髪の女の子を娘に持つのが夢なんだけどなぁ・・・」
「それなら、イギリス男子と結婚するんだな。」
朝からどうしてこんなリアル(でもないけれど)なガールズトークをしているんだろうか・・・。
「でもまぁ、昨日の因果ちゃん程、金髪が似合う女の子はそうそうお目にかかれるようなものじゃないよね」
そして笑顔であれば満点だったろう。
そう、万遍の笑みというやつだ。
「因果ちゃん?」誰?と奏に聞かれた。
ついに声に出していたらしい。恥ずかしい限りだ。
「なんでもないよ。」なんて言えば、まぁいつもどおり「ふぅん。ま、いっか」なんて奏は言ってくれるんだろうけれど、それでも私は昨日帰りの電車の中でしゃべった金髪の白いゴスロリ少女の話を奏にしたのだった。
 
「珍しいもんでもない。」
「今時の小学生って、服に何十万って掛ける親なんていくらでもいるし、日本語が上手だって言ってもこっちで生まれたハーフだって可能性くらいいくらでもあるだろう。普通だよ」
中学から高校に進学して、自転車通学から電車通学になった私と違って、奏は中学も高校も自転車通学だ。
一緒に通学するので、せっかくなので後ろに乗るかと薦めてくれたものの、彼女の背負うギターケースが押し付けられてしまうんじゃないかと心配になったから遠慮しておいた。
というよりは、寧ろ昔友達に自転車の後ろに乗せてもらったことがあるんだけれど、しかしその友達というのがとてつもなく雑な運転をするもんだから、ドブにはまって振り落とされて酷い目に合わされてしまったというトラウマの方が大きかった。
まぁ、それはそれは目も当てられない有様だったのだ。
奏は「まぁ、そっか」と言って、気を使って自転車をひきつつ徒歩になってくれたのだった。
「そういうもんかなぁ・・・」
でもまぁ確かにそう言われてみれば、ちょっと綺麗だったという理由で、知らないという理由で『不気味』と感じたのは言い過ぎだったのかもしれない。
「まぁ、でも確かにこの辺でそんなゴスロリなんて着てる奴がいたら目立つだろうけど、その子にしてみたら、俺たちの方が異質なのかもしれないだろう?あれだ、俺たちが火星人だか土星人だかに対して『宇宙人』と言うのと同じであいつ等も俺達地球人を指して『宇宙人』って呼ぶ見たいな感じだな。まぁ、俺は別に宇宙人の気持ちはわからねぇし、というか見たことも無いけど、俺達があいつらをわからねぇのと一緒で、あいつらも俺達のことを大してわかってねぇみてぇな・・・」
そう考えると案外、宇宙人も地球人も人類はやっぱ馬鹿だな。なんて奏は見もふたもないことを言う。
「馬鹿は言いすぎかもしれないけど、うん、まぁ互いに知りたいから調べる研究者ってのがいるのかも知れないね。宇宙人の事を調べようとしている地球人がいる様に、地球にいる生命体を調べる火星人がいたりね。」
「というか、この際火星人じゃなくてどこかの星のロボットとかでもいい気がするな。木の妖精とかでも、突然変異で人型に進化した鳥人とかでも面白いかもしれないな。」
「面白いからとかの話しじゃないよねそれ。ドラえもんの話しだよね。」メタな話しというか、昨日の今日だけどデンジャーだ。
「生き物ってのは適材適所に応じて進化したがる物だから、更なる進化をしたがる火星人は今こ地球人の力が必要な時なんじゃないかと思うんだ。だから、度々訪れてはキャトルミューティレーションでこっそり牛とか部室とかを拝借していってるんだな。」
「うちの部室は別にキャトルミューティレーションじゃないってば。」
そして、こっそりどころか結構大々的にネット上にも都市伝説的にも広がっている。
「いちいちチキンにこっそり拝借ばかりしてて、ちょっと図に乗りすぎて侵略なんかしちゃってそしたらケネディだかオバマがキレてガンダムだか鉄人28号だかグレンラガンだかを出撃させて宇宙人と戦う映画がどこかになかったか?あれって結局どうなるんだ?地球滅亡するんだっけか?なんだかあれだな地球としては『喧嘩するくらいなら私舌を噛んで死にます!』みたいな気分だったんだろうなぁ」
「一気にボケ倒さないで。取り合えずそんな映画はない。」そして、なにその地球、どこのB級映画のヒロインだよ。
「そうかぁ?自慢じゃないが俺は記憶力はいいほうだぞ。今まで見てきた映画のタイトルは全部覚えているし忘れたことは無い。猿のようだと自負している。」
「・・・そこは自慢するところじゃないね」
忘れたことを忘れてしまっている場合、その自慢は途端に説得力を失ってしまうじゃないか・・・なんていうツッコミはこの際しないことにした。
そして、自慢じゃないと言いつつ、ちゃっかり自負しているといってしまっている。
まぁ、奏の記憶力が良いのは私もしっている。『良い』というよりは『ずば抜けている』と言った方がしっくりくるんだろうけれど、いやまぁそれはまた別の話しだったりする。

というか大分に話しがそれてしまった様な気がするけど、つまり「何も変じゃない。」という事が言いたかったんだと思う。
それから私達はその後も雑談をしながら学校へ向かう。
奏が「因果って子も実は地球を調査しに来た宇宙人だったりしてな」とか真顔で言うものだから、つい笑ってしまった。
奏のファンだっていう女子生徒はクールで男らしい彼女の姿に惚れ込んでいるらしいけれど、実はそんなにクールでもなんでもなくて、みんなと一緒なんだ。
きっと彼女達は信じないだろうし、信じなくてもいいんだろう。
そして、信じなくてもいいから、きっとこの先も知ることはなくこの先もただの奏のファンであり続けるんだろう。
 

6)

マユミから『ずっと見ていた』シリーズを借りてから返却するには結局一週間ほどかかった後だった。
幾度と無く感想の催促をされたので、まるで宿題の締め切りのような感覚で読んでいたため思ったよりも早く読み終わった。
これは勝手なイメージだけど、きっと本物の読書家だったら一日に何冊も読破してしまっているんだろう。
好物を目の前に置かれたら、それがどれだけ膨大な量でも、周りが思った以上に早く平らげてしまうものらしい。
それが人間だという。
好きな仕事だったりすると、ついつい『前倒し』にして平らげるが、嫌いな作業だったらついつい『後倒し』にしてしまう。そういうものらしい。
今回の私はどうだろう・・・?
読書は昔からどちらかと言われれば好きな方だし、周りからも速読な方だと言われてはいた。
先週、奏とコンビニで出くわした時に買った週刊誌も思えば、朝学校に到着して1限目が始まる前にはもう読み終えて、奏に貸し出したものだ。
といっても、気になっていた部分はほんの一部に過ぎないだろうけれど、貸し出した時に奏に言われたのは驚きの表情と
「もういいのか?」の一言だった。
それから一週間後、催促されながらもしっかり読んだマユミからの宿題を無事に返却したのだ。
ただし失敗したのは、感想文句として言った私の一言で、なんと言ったかというと、
「主人公、いい奴だったね。」だ。するとどうだろう。個人的にはただの愛想笑いのつもりで言ったつもりが、何がつぼったのか、
「じゃぁ、今日も本屋に行くから一緒に行こう!」だ。
何が『じゃぁ』なのかはわからないが、とにかくまた波乱が起こる音が聞こえた気がした。
それを見ていた奏は『俺は部活があるから頑張ってくれ』とドライアイスな笑み・・・苦笑いを浮かべ立ち去った。
そんなこんなで現在、私達は放課後、駅の近くの出来たばかりのアニメイトに向かっているのだった。
何もない田舎町のくせに、どうしてそんな物が出来たのかは甚だ謎なのだが、マユミからすればとてもありがたいものだったのだろう。
 
「にゃぁん」
そんな黒い猫の鳴き声を聞いたのは、目的地に伸びる横断歩道で信号機が赤から青信号に変わるのを待っている時だった。
何故、その鳴き声を聞いたときに黒猫だと気づいたのかというと、妄想だか空想だかというわけでもなく、実際に目の前を通り過ぎたからだった。
「あ、美子!黒猫!」横断歩道の先を指差してマユミは言った。
黒い猫を見た瞬間、ついつい自動的に因果ちゃんとを結び付けてしまったが、肝心の彼女はそこにはいなかった。
まぁ、猫だし常に一緒にいるとは限らないよね。
「黒猫って、目の前を通り過ぎると不吉をデリバリーされるっていうよね」
「じゃぁ、マユミがこれから買う予定だったっていう本が売り切れて、後の祭りになるかもね」
「予約してあるから大丈夫だし!」
青信号に変わって二人して横断する。
「でも、『黒猫が通り過ぎると不幸になる』っていうジンクス、あの話にはちゃんとフォローがあるんだよ。」
「ふぅん?どんな話し?」
「確か・・・ヨーロッパのどこかでは幸せの象徴で、ご主人のために幸せを集めているんだって。『不幸を届けている』というよりは、『幸せを奪っている』って事らしいね。どっか前に本でそんな物語を読んだ気がする。」
「じゃぁ、黒猫をいっぱい飼えば幸せを沢山集めてくれるんだね!」ホクホク芋だね!とマユミは言った。新しいマユミ語だろうか?
「そういえば、某デッキブラシの魔女も黒猫連れてるよね!あ、ヤマト宅急便も黒猫か!ん?という事はヤマト宅急便の社長は魔女か魔法使い?」
「そのデッキブラシの魔女がつれている猫の名前がヤマトだったら、その推理は認めてあげるよ・・・。」
そんな会話をしていると例の黒猫は路地裏に姿をくらました。
その光景を見ながらマユミが「あぁあ」とうな垂れた。
「せっかく物語が始まると思ったのに・・・」
先週の私と同じようなセリフを口にする。
「ほら、本屋行くんでしょ?行こ行こ。」と後ろから促す。
 
マユミを連れて、連れられてアニメイトに入店して本を物色しているとマユミは次から次へと本を薦めてくる。
どれもこれも、『ずっと見ていた』シリーズと並ぶジャンルの物だった。
表紙とタイトルで、内容が伺える。
いや、私は別に千里眼を持っているとかじゃないけれど、取り合えず私の第六感だかが「悪いことは言わない。もうやめておけ」といっている気がした。
自問自答するなら「うん、大丈夫だよ。もうこりごりだ」と自分に言い聞かせる。というより、脳内会議で満場一致で「敵前逃亡」を訴えていた。
「やっぱり、まだまだ普通の恋愛物が読みたいかな。私ごときではちょっと刺激が強すぎるしね・・・。」
「そっか、美子まだまだ子供だもんね。」
出来るだけオブラートに包んで下手に出て頭をたれてみたら、無意識な侮辱で返されてしまった。
「しょうがない。美子にはもうちょっとレベルの低い作品を薦めてあげよう」
「・・・・ありがとうございます」
ふんぞり返って位の高い女王様にでもなったかのように振舞い始めた。
まぁ、しかし敢えて私は下人のように、振舞う。
「じゃぁ、これはどうかな?」と言って差し出してきたのは蒼い表紙の童話のようだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
どうして、アニメイトにこんな図書館にあるような本格的な童話が置いてあるのか謎だ。今日は謎が多いな・・・。
まぁ、そういうデザインの表紙の作品なのかもしれない。見た目が全てじゃないもんね。
「まぁ・・・多分、まだ読める・・・かも?」ビックリ箱を受け取る感覚に似ている。
ただし、それがビックリ箱だと既に疑っている状態の感覚だ。疑う・・・。マユミが薦めた本に当たりだったものなど数える程しかない。
というか、あの週刊誌くらいなものだ。
まぁ、薦められたあの週刊誌だって、今ではマユミは読まなくなってしまっているので、もう数えるべきなのか疑わしかったりする。
しかしだ。
恐らく内容なんてまったく理解していなくて、限りなくあてずっぽうであろうこの童話も実はマユミセレクションではないだろうから、ひょっとしたら『正解』なのかもしれない。
「まぁ、アタシは読まないけど、よかったら感想聞かせてよ!」
「う、うん」
返事が曖昧になってしまった。
マユミは両手に数札、私はその蒼い表紙の本を一冊だけ持ってレジへ向かった。
「シュヴァルツ・スノードロップ・・・なんだかお洒落な名前だな・・・」
蒼い表紙に金色に浮かぶその執筆者の名前を私はつぶやいた・・・。

7)

 
「朝っぱらから何してるんだ?」
今度は私から話しかける形になった。
例に倣って、二階の窓からオリオンの自室に侵入し挨拶した。
「やぁ、おはようイカロス。」
最初の頃は行儀が悪いからと言って文句を言っていたけど、知らない間に呆れたのか諦めたのか、何も言わなくなった。
私としては堅苦しくなくて身軽になったと思っている。
そういえば、よく考えたら私が足を踏むはずさないようになのかちょうどいい足場が作られていた。
これは、不器用なオリオンの手際じゃないな。恐らくは彼の父親あたりだろう。
「・・・・鳥の羽みたいだな。」
木で出来た鳥類の羽のような模型が作業台の上に広げられていた。
「かっこいいでしょ。風の力を利用して空を飛んだり出来ないかなって思ってね」
「不器用なくせにそんな頭のよさそうな事考えてるのか・・・」
「不器用は余計だよ」
綺麗に削られた骨組みに、薄く切られた木で鳥の羽根一枚一枚が組み込まれている。面倒くさそうな作業をしているものだ。
「簡単に壊れてしまいそうだな・・・。」
「壊さないでね。お願いだから。」
疫病神みたいないわれようだ。だから、神様の信仰なんてないのだけど。
 
オリオンにコーヒーを淹れて貰った。
こいつは、本当に不器用なのか?幼馴染でずっと見ていたけれど、実はそう思っていたのは私のほうだけでさっきの羽の模型といい本当はものすごく器用なんじゃないだろうか?
彼は真っ黒なコーヒーで巷で流行っているラテ・アートというものを作っていた。
「お前実はとんでもない大嘘つきなんじゃないか?」なんて言うと、急にドギマギした。
まぁ、これはおそらく心当たりがあるとかじゃなく、身に覚えのない疑惑を指摘されて面食らっただけなのだろう。
「いや、なんでもないよ。ごめんごめん。」と私は言った。
オリオンは「ビックリしたぁ」と胸を撫で下ろしていた。ドギマギで彼が作っていたコーヒーに浮かぶ猫の絵はグチャグチャになってしまった。
「昨日、あげたスノードロップさんの本ね。」
「うん?」
「空の上にもうひとつの世界があるって話なんだ。」
「そうなのか?」
「あ、ごめん!まだ読んでなかった?だとしたらネタバレになっちゃったね!」
「いや、いいよ。ゆっくり読むつもりだったし・・・。」
「ダメだなぁ・・・一冊くらい簡単に読み終えちゃうんだと思ってて、ごめんね。」
なんだか腹がたったので握りこぶしを勢いを付けてオリオンの頭上に落としてやった。これを天誅という。
 
「まぁ、ふと思い出してね。」共感しちゃったよ。なんて言った。
オリオンは3杯目のカフェ・アートを描き始めていた。鳥の絵だった。
「自己満足だけどね。」なんて言った。
怪我をするかもしれない。それどころか命を落とすかもしれない。だから、きっと親に言ったら怒られるかもしれない。
だから、内緒ね。
とオリオンは言うのだ。
「それで、私には怒られないと思う理由がわからないけどな。」
「え、イカロス怒るの?」
「まぁ、怒らないけどな」なんで私は怒らないのだろう・・・。
今までに私はオリオンに対して怒った事って一体どれ程あっただろう・・・?
おどけて殴ったりするのとは別に、本気で怒った事なんてあったのだろうか・・・?
オリオンは何杯目かわからないラテ・アートを作っていた。
そして、私にはそのラテ・アートで描かれた彼の空想が解からなかった。
 
オリオンが居なくなったのはそれから一週間後の事だった。

8)

 
そう、あれから一週間後オリオンが村から姿を消した。
一週間後、私がいつもどおり彼の部屋に行ったときにはオリオンは居なかった。
あれだけコーヒーばかり飲んでいたので、買い物にでも行ったのか、遊びにでも行ったのかと思っていた。
普段から、こんな風に一晩帰ってこない事があったから、取り立てて焦ったりなどしていなかった。
しかし、もう何日がたっただろう・・・。
「心配しなくても、そのうちひょっこり帰ってくるだろう」なんて彼の母親も父親も言うのだった。
しかし、そんな事を言う私の目の前の二人の大人はやっぱり力のない笑顔だった。
そうとも、心配じゃないはずがない。
彼らの笑顔も日に日に光を失っていた。
毎日のように、何人かの大人達がオリオンを手分けして探しに行っていた。
私の父さんもそのうちの一人だった。
あるいは森。
あるいは海。
あるいはもっと遠くの村や街。
彼らが帰ってくるたびに部屋の窓から身を乗り出してオリオンの姿を探すも、やっぱりその幼馴染の姿は見当たらなかった。
皆、同じように疲れ果てた顔していた。
 
「父さん・・・」
ある日の朝、村の仲間と一緒にオリオンを探しに行こうとする父さんの背中に向けて私は声をかけた。
そんな私の声は、顔は、父さんにはどんな風に映っていたのだろうか・・・。
彼はいつもどおり黙って振り返った。
「父さん・・・、人は最後、どこに行くんだろうね・・・」
失言だったのかもしれなかった。
失言だった。そして、私自身がきっと絶対に口にしたくなかった失言だった。使ってはならない言葉だった。
村の誰もが言わなかった言葉をたった一人の友達、たった一人の幼馴染のこの私が口にしていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
やっぱり父さんは黙っていた。いつもどおりに・・・。
いつもの無表情の内側に今、どんな表情を浮かべているのだろう。
きっと辛辣に、怒っているんだろう。
父さんがゆっくりと手を上にあげた。ぶたれると思った。
しかし、彼は人差し指を一直線に空を指していた。その視線さえも空をまっすぐに指していた。
朝の日差しでよく見えないけれど、やっぱり父さんは無表情なのだろうなぁ。
「・・・・・・・・空だ。」
低い声でそう言った。
「人の物語の結末は空に向かっている。」
「物語」
彼はそう言った。
「空へと・・・」
復唱するようにそう言った。
「人は死ぬと土に還ると言う。だが、オリオンは空を飛んでいった」
だから、私達はオリオンを捜すのだ。
恐らく無表情で父さんはそう言った。
 
オリオンは空を飛んでいった。
私は彼の自室で大人達が帰ってくるのをやっぱり待つことにした。
ラテ・アートを作りながら待っていた。
「やっぱり、お前みたいにうまくはできないな・・・。しょうがないか、私は不器用だからな・・・。」
変わらないただのなりそこないのカフェオレになった。
「・・・・・・・・・・・・」
パリンっと音をたてて壁に投げつけられたマグカップは割れた。
八つ当たりだ。
「・・・どこいっちゃったんだよ」
へなちょこのくせに・・・。
本棚に並べられた難しそうな本を眺めていると、やっぱり私には読めたものじゃないなと思えてしまう。
そういえば、あいつにもらったあの蒼い本は全然読んでいなかったな・・・。

9)

 
ブラウン管のテレビから地上デジタルになって、我が家のテレビもとても薄っぺらくスレンダーになって数年がたった。
薄型テレビに買い換えた当初、我が家の大黒柱こと柴崎大和は彼ら薄型テレビを「スタイリッシュテレビ」と呼んでいた。
今でこそ、「は?俺そんなこと言った?」なんてしらばっくれるけれど、たまにこっそりそう呼んでいる事を家庭内でみんな知っていたりする。
いやはや、我が家にはプライバシーもへったくれもないのかという程、父さんの秘密は簡単にバレる。
隠しきれていると思っていて、実は実は大して隠蔽スキルは高くなく別に母さんの鷹の眼の実力が発揮される云々以前に日常生活で
バレる。
そんな父さんが「スタイリッシュテレビ」呼んでいた薄型テレビは毎朝朝食にBGMとしてニュースを流す。
それぞれ起床してくる時間は違うのでニュースではないかもしれない。
人によっては占いの時間だったり、もしくはエンターテイメントのコーナーだったり、今日のワンコだか今日のニャンコだったりするかもしれない。
因みに私は早めに起きてゆっくり朝食をとるので、全てのコーナーをじっくり楽しむ。
まぁ、BGMなのだが・・・。
そして、今はニュースの時間だったりする。
『先週学校から帰る途中○○で行方不明になった、○○にお住まいの○○ちゃんが遺体となって発見され・・・・』
そんなニュースばかり報道されていた。
「・・・・・・・・・・」
厳密に考えれば、あまり食事中に聞いていていいようなニュースではなかったかもしれない。穏やかではない。
まぁ、近場に住んでいる人や関係のある人にとっては、もっと穏やかではないのだろうと思う。
いやいや、あまり考えたくはないけれど明日はわが身という事もある。
本当は、「いやいや、心配することはない」なんてたかをくくっていていいものではないのだけれど。
ただ、まだ『無関係』な状態だと「悪い奴がいるもんだ」なんて言って馬鹿みたいに歯を磨いたり朝ごはんを食べていたりするのだ。
まったく穏やかじゃない。
ただし、それは本当に『無関係』ならではの話しだ。
人はいつ居なくなってもおかしくはないのだ。
そんな風に考えるようになったのはいつ頃からだろう・・・。
 
「あれ・・・?」
新着メッセージを知らせるLINEが表示されて確認してみる。慣れた手つきでパスコードを入力してLINEを起動する。
こんなしぐさをすると、当然だけど私も立派な女子高生という感じがする。
いや、今時は中学生も小学生も立派にスマホ端末を使いこなしていたりするので、堂々と無い胸を脹れたものではなかった。
LINEの相手はマユミあたりだと思い、開いてみるも、どこにも新着メッセージはなかった。
「・・・・・・バグ?」
マユミから送られたLINEを見てみても、見覚えのある内容が表示されるだけだった。
『LINEした?』とためしに送ってみたけれど、いつもならすぐに既読がつくはずなのに、今日に限っていくらまってもなにも反応がなかった。
「まぁ、いっか、あとで会ったら聞こう。」
そう思い私は学校に向かうのだった。
はて、この時間なら通勤や通学でもう少しゴミゴミしていてもおかしくないのにやけに静かだ。なんて感じた。
つい先日、奏に言われたみたいに小一時間間違えて家を出てきてしまったのだろうか・・・?
いや、そんなはずは無いだろう。
朝ごはん、朝のニュース番組、そして、スマホ端末に表示された7時半頃を示す時計。
仮に現在が午後で白夜で朝に見えているのだとしても、人っ子一人いないなんてあるはずがない。
そう、ゴーストタウンと化したという感じだった。
上空を漂う白い雲。
丸くて眩いばかりの太陽。
ささやかな春のそよ風。
規則的に揺れる木々。
並ぶ住宅地。
転々と設置された自動販売機とペットボトル入れ。
その私の地元がまるで息をしていない感じだった。ただ存在しているだけといった感じだった。
いや、存在『していた』感じだった。故に『ゴーストタウン』のようだった。
しかし、雨が降っていた。
それはゲリラ豪雨のような土砂降りではなく、明るい霧雨のようなものだった。
「・・・・・・何これ」
そんな言葉しか漏れなかった。
曲がり角を折れたところ、人影を見た気がして駆け出した。
その先に居た少女の姿をしっかり見覚えのある姿をしていた。
ただ、私はその少女の名前を言うことが出来なかった。なぜなら、それはマユミではなく、しかし、限りなくマユミだと感じる
そんな少女だったのだ。
マユミじゃないけれど、マユミである少女だった。
「あ、あの・・・・」
「オリオン・・・どこ行ったんだよ・・・。」
「・・・・え?」
そう言うと彼女の姿は霞のように姿を消してしまった。
 
私が意識を取り戻すと、そこは学校の保健室だった。
やっぱり夢オチだったのだろうか・・・。何故だか私はそういう風には思わなかった。

10)

 
ある日、とても貧しい老夫婦は村はずれで籠に入れられて捨てられている小さな男の赤ん坊を見つけました。
「かわいそうに、まだこんなに小さいのに」
そう言って老夫婦は赤ん坊を自分達の家に連れて帰りました。
貧しいながらも二人はその子供をたいそう可愛がり、育てました。
 
大きくなった少年は二人の畑の仕事を手伝うようになりました。
しかし、ある日空から大きな黒い土の塊が隕石のように降ってきました。
村は一瞬のうちに土に飲み込まれてしまい、村人も土の下に埋まってしまいました。
 
ただ一人、生き残ってしまい途方に暮れた少年は旅に出ました。
寒さに凍えながら、夜を明かしました。
「何を泣いているんだい?」
と、ある日の朝一人の女性と出会いました。
朝の日差しに照らされてサラサラとなびく長い金髪を見て少年は
「・・・・神様?」とたずねました。
しかし、女性は笑って少年にこう言いました。
「そう。私は神様。そして、君も同じ神様だよ。君は私だ。」
少年は彼女の言っている意味がわかりませんでした。
 
「君は空の上には何があると思う?」
「空の上には、もうひとつ同じような世界があるんだよ。」
「けれど、その世界は、互いに干渉することは出来ないけれど、確実に存在していて、同じように人々が住んでいる。」
「そんなの見たこと無いって?それはもちろん見える必要が無いからさ。それはただ存在していたらいい。」
「大地に雨が降るのは何故か考えたことはあるかい?」
「それはね、反対側の世界が泣くからなんだよ。」
「反対側の私達が悲しむから雨が降るんだよ。」
「反対側の世界は互いに知らない。それぞれ見た事のない文明を築いている。」
「反対側同士、同じ世界だけれど、だけどしかし確実に違う命が息をしている。」
「それは誰も知らない。互いに誰も知らない。何故か。知る必要が無いから。知ることは無いし、そして、見たこともないし聞いたこともないし体験したことも無いものだからこそ、そんな不確かなものは誰も知らない。」
「私は君だ。」
「そして君は私だ。」
「でも私達は特別な存在同士だから奇跡が起きた。いや、私達が奇跡を起こした。」
「それは、起こるべくして起こった。知る必要があったから君は知ることになった。」
「忘れるべきだったからこそ、君は忘れていた。」
「その記憶を『消されていた』」
 
女性は笑顔でそう言ったのだった。
「では、なぜ僕たちの世界は滅びたの?それは滅ぶべきだったから滅びたの?」
泣きながら、叫ぶようにして問いかける少年の声に彼女は笑った。
「そうだね。」
と、けれどやさしく笑った。
「君が思い出すべきときが来た。だから滅びたのかもしれない。」
私にはそれはわからない。
真っ黒い雲が晴れて、蒼い空が広がった。
けれど、少年の目にはただただ蒼いばかりの空が広がっていたのだ。
彼女の眼にはきっと広がっている反対側の世界は少年の目には映らなかった。
 
なぜなら、それがあるべきものなのだから。

11)

 
夢を見た。
まぁ、だからなんだという話し。
そんなもの誰でも見るだろうなんて言われるだろう。
誰だって食事もするし、睡眠もする。
少なくとも私はそれくらいに当たり前だと思っている。
しかし、人は『そんなものは見ていない』なんて言う事がある。
果たして本当にそうだろうか・・・?本当は忘れているだけであって、忘れたことにしているだけであって、
本当はみんな夢を見ているんじゃないだろうか・・・?
ただただ不確かで、ただただおぼろげな物だ。
私にとっては常にそれは視界の外の景色と大差なかったのだから、だからきっとこんな言い方が適切なんじゃないかと思う。
だからこそ、わざわざ日記に書くようなことでもない。
外を見ると厚い雲で覆われていて、全く昼なのか夕暮れなのかわからない有様だった。
外に出ると、顔に雫が垂れてきた
「・・・雨か」
雨・・・
これも久しく降ってきてなかった。
ある国や集落では『雨は天の恵み』だと謳っているらしいが、
まぁ、だから私達の村やその周辺には神様とかの信仰がそもそもないので、単純に気象の問題と捉えていた。
しかし、生まれ育ったころから、そういわれてはいたけれど、習慣が違っていれば、やはり解釈は異なっていたんだろうと思う。
実際、オリオンがそうだった。
あの蒼い本の影響だろう。彼は『空の住人の涙』と言っていた。
もうひとつの世界の人々が、大地が悲しんでいたり嘆いていたりしたときに、もうひとつの世界の大地に
雨となって降ってくるんだと・・・。
まったく非科学的も甚だしい。
その度に私はそう思うのだった。しかし、同時に面白そうだと思っていたこともあったのだ。
だから、私は『そうだったらいいな』なんて返していたのだ。
空にもうひとつの世界が、文明が息づいているなんて、非科学、非現実的な事。
そんな面白そうな物。
見てみたくないわけが無いじゃないか。
そんな時、あいつは・・・オリオンは言ったのだ。
『じゃぁ、いつかボクが空を飛ぶ機械を作るから見に行こう』
あの頃、幼かった私は幼かったオリオンに何を言ったのかは覚えていないけれど、まぁ多分
『そうだな』とかそんなことを言ったんだろう。
そんな夢を、
私は見ていた。
 
「・・・ん?なんだこれ・・・」
森を歩いていた私の足元に金属の塊がぶつかった。
拾い上げた真っ黒い工具はずっしりとした重さで、けれど子供でも扱える重さのものだった。
しかし、私はその工具には見覚えがあった。
子供なんて村には私とオリオンしか居ないのだし、それにこのおもちゃのような形状の工具は私がオリオンに誕生日にあげたものだった。
あわてて林道を駆けていくとそこには、同じように金属の部品や工具が散らばった、広いところにでた。
「やぁ。」
「・・・・・・・何が、やぁ。だ!何をしてるんだ!?」
私はそこでいつもみたいに笑うオリオンを怒鳴りつけた。
しかし、彼は困ったように笑いながらその赤いクセ毛をいじるのだ。
「実はね。やっと完成したんだ。『翼』が。」
オリオンは自分の背後に横たえた真っ黒い金属の翼を指し示していた。
その翼は真っ黒だけれど、けれど、とても雄雄しくどっしりしていた。なんの鳥を連想して作ったのかはわからないほどにずっしりしていた。
「そんなことはどうでもいい!今まで何をしていたんだ!?みんな心配してるんだぞ!!お前の父さんや、村の皆も」私も・・・!!
「そんなことなんかじゃないだろう?イカロス。僕たちの長い長い夢だったじゃないか?」
「それは、蒼い本の空想のはずだろう?」
「違うよ・・・」
オリオンは否定した。
空想なんかじゃない。そう否定した。
「イカロス、君は忘れてしまったのか?あの本のことを・・・。」
「覚えてるよ。お前が貸してくれた本だろ」
「そうじゃない。これは、僕と君と彼女の本だ。だからこれは『ボクら』の夢のはずだ」
「彼女・・・」
誰のことだろう・・・?それを私は知らない。もしくは忘れているのかはわからなかった。
「彼女・・・シュヴァルツの事を君は忘れてしまったのか?」
「蒼い本を書いたやつの名前・・・」
「そうだよ。シュバルツは僕らの友達だった。彼女は・・・」
いなくなってしまった。ずっと昔に・・・。
雪みたいに消えてしまった。
オリオンはそう言った。
「イカロス、あの本には続きがあるんだ・・・。」
オリオンは話した。あの本にかかれなかった続きを、シュバルツ・スノードロップの話しを・・・。
 
「あの本の結末は、片方の世界、少年の世界は崩壊してしまう。けれど、絶命じゃない。」
「彼の目の前に現れた女性は反対側の世界の『彼』だった。」
「荒廃した世界で彼女は彼にもう一度『奇跡』を与えたんだ。死んでしまった世界に次の種を与えた。」
「それが、シュバルツだ。」
「けれど、彼女、シュバルツは消えてしまった」
「なんでか・・・。それはわからない。けれど、この世界は滅びていない。寧ろ豊かなままだ。だから彼女は死んだわけじゃない。」
「もしも、死んでいたら、この世界はまた滅びている。今度こそ滅びている。」
「イカロス・・・。君は彼女を覚えているか・・・?」
「思い出してくれ・・・。彼女のことを。どんな髪型をしていて、どんな眼の色をしていて、どんな声をしていて、どんな風に笑っていたのか・・・」
「シュバルツ・・・」
・・・・・・・・
確かに、居た。
真っ黒い髪の毛で真っ赤な瞳をした。やわらかい笑顔をした小さな少女の姿を。私は覚えている。
雪の白さと裏腹に真っ黒の服に長い真っ黒の髪をしていた。
そして、真っ黒の羽をしていた。
「僕たちは迎えに行かなくちゃ行けない。彼女を・・・。」
だから僕は今日までこの黒い羽を作っていた。
シュバルツに会いに行くために・・・。
大切な友達だから・・・。
彼女が一人ぼっちで死んでしまう前に・・・。
オリオンはいつになく真剣な顔でそう言った。
それでも、
「僕は彼女を覚えている。どんな子だったのか、どれだけ不器用で寂しがりやなのかを覚えている。だから今日まで僕は翼を作っていた。」
そう繰り返した。
「そんなの私だって知ってるよ!あいつが不器用なのも、お前が不器用なのも知ってる!あいつがとんでもないさびしがりやだったのも思い出したし、お前がとんでもなくお人よしでアホなのも知ってる!でも、私もお前たちと同じくらいバカなんだよ!!」
確かに忘れていた。
でも今思い出した。
だから、私達は曇天の中、空を飛び出した。
オリオンの作った真っ黒い金属の翼で・・・。

12)

 
春の暖かさとは裏腹に空の上は思いのほか肌寒かった。
空の上というよりも、空の中というか下というか、もはや全体に曖昧の中だ。
実際に、翼を上下に動かし羽ばたくことをしていた私自身が何がなんだかわからなくなっていた。
それはそうだろう。
生まれてこのかた、空を飛んだなんて生まれて初めてなのだから。
いや、そもそも村の誰もがどころか国の誰もが体験したことの無い事を私はしているのだ。
無我夢中だった。
一生懸命だった。
我武者羅だった。
死に物狂いで背中に取り付けられた翼を羽ばたかせた。
全くもって、天使がみたらいい笑いもの、滑稽だったに違いない。
くどい様だが、だから私達は神様の信仰なんて無いのだけれど・・・。
それでも、きっと酷い有様だっただろう。
しかし、それとは裏腹に私はこう思った。
「楽しい!」
そう感じたのだ。それは私の両腕に抱えられたオリオンの言葉だったわけだけれど、共感できた。
「イカロス!大丈夫!?」
オリオンは下から大声で聞いてきた。それは彼なりの気遣いなのかもしれなかった。
「大丈夫だ!」
オリオンとは違って私はそんなに体力がないわけじゃない。
もうどれだけ飛んでいるだろう?
鉛色の空はどこまで行っても全くもって深くて重たい色をしていた。
まるで、本当に上空に島でもあるように空を覆っていた。
「・・・・っ!」
心なしか翼が重く感じられ始めた。
どういう原理で動いているのかはわからなくて、どこが軋んでいるのかわからないくらい全身が痛み出した。
これは、やはりオリオンに任せなくて正解だったと感じた。
風が強くなった。
さっきまで、薄青く町や村が見えていたけれど、いつの間にか雲の中に入って視界全てが鉛色で覆われてしまった。
顔面に直撃する風が冷たくて筋肉が固まりそうだ。
広げられた翼もギシギシと軋んで飛びにくい。
腕の中でオリオンが何かを言っている気がする。
多分、やはり安否を気遣っているんだろうと思った。
だから、私は『心配するな。』と言った。
・・・・・・・・気がした。
だから気づいた。
聞こえなかった。
私の肺を、喉笛を、舌を伝い吐き出された『声』は私の鼓膜を震わせる事は無かった。
首筋に生暖かさを感じた。
それはきっと汗ではなかったのだ。
風で飛び散るそれを、赤黒いそれを私は視界の先で見つめた。
鼓膜が裂けてその血は流れてきたのだ。
はは、道理でさっきから何も聞こえなかったわけだ・・・。
そんな風に思いのほか納得してしまっていた。
 
寒さでもはや全身の感覚が生きてない。
いったいこの真っ暗な雲はどこまで通じているんだろうか・・・。
はっきりいって何も見えない。
はっきりと何も見えない。
翼を上下にばたつかせれているという意識はまだまだあるが、もはやどこへ向かって飛んでいるのか
わからない。
ただ、まっすぐ空へ、上へと飛んでいるんだという願いは生きていた。
なんだかもう、真っ暗すぎて、寒すぎて、私は死んだんじゃないかとさえ思えてきた。
死ぬだなんて、当たり前だけれど体感したことのないことだから、
まぁ、きっとこういう感覚を『死』と呼ぶのだろう。と思った。
真っ暗で、
寒くて、
存在が無くなってしまった感覚を『死』と呼称するんだろう。
しかし、私はまだ両腕にオリオンを抱えているという自覚がある。
その自覚が生きている。
だから、私はまだ生きている。そう自覚する。
『イカロス・・・』
そんな私に誰かが語りかける声を聞いた。
もはや聴覚も視覚も頼りにならない常闇で、細く頼りのない声が聞こえた。
『・・・・・・シュヴァルツ・・・』
『イカロス・・・アタシね、空にはもうひとつ世界があると思うの・・・。』
『アタシたちの知らない、けれど似ている大地がまったく違った文明を築いて楽しく忙しなく、怒ったり笑ったり悲しんだりして生きていると思うの・・・。』
真っ暗になる意識の先でその声は私の記憶から溢れているようだった。
シュヴァルツは小さな腕で私達を抱きしめていた。
『それで、そこには別のアタシ達がいて友達と勉強したり遊んだりしていて・・・』
『でも、そのアタシ達もこっちのアタシ達も互いを意識することは出来なくて、させてもらえなくて、』
『でも、やっぱり気になっちゃうよね。えへへ。』
そんな風に彼女は言った。
言っていた。
それからシュヴァルツは姿を消したのだ・・・。
けれど、誰も彼女を探したりはしなかった。
そう。
彼女は『死』んだのだから・・・。
私や彼ら村の人たちの中では死んでしまったのだ。
記憶から消えたら、人は死んでしまう。それが『死』だ。
そして、私は無意識のうちにシュヴァルツを殺してしまっていたのだ。
けれど、私は今ちゃんと思い出すことができた。
無意識の真っ暗な空の中でシュヴァルツと再開したのだ。
彼女は生きている。
シュヴァルツには家族はいなかった。
だって、そもそもこの『世界』が彼女だったのだから・・・。
神様の信仰は無かったんじゃない。
死んでしまったのだ。
だから、シュヴァルツは消えてしまった。人間として消えてしまった。私達の友達として死んでしまった。
『シュヴァルツ・・・思い出したよ。・・・ごめんな。おかえり』
凍りついた声で私はそう呟いた。
『遅くなって・・・ごめんな・・・。』
 
狙い済ましたような大嵐が私達を包み込み、
押し潰されそうになった。
切り刻むような強い風は、もはや熱いのか寒いのかわからなくなりそうな勢いで神経を根こそぎ抉ろうとした。
懺悔した。
後悔した。
けれど、なんだろうか・・・。
やっと帰ってこれた・・・。
そう思った。
真っ黒で猛々しい機械の翼と一緒に私達は大地に叩きつけられていた・・・。
あぁ、そういえばあの蒼い本の感想をオリオンに教える約束は結局守れなかったな・・・。
けれど、もしどこかで機会があるのならば
そのすぐそばで横たわる彼に、それからシュヴァルにそれを伝えられたらいい。なんて思うのだ。
 
『悪く無かったよ』

13)

 
今回の作品は意外と面白かったなぁ・・・。
内心、はずれだったとは思ってはいたけれど、まぁまぁあたりだった。
そんな事を言っていたりすると、何様だといわれてしまうんだろうなぁ。
こんな薄い本の価値を、アタシの友達はあまり理解してはくれないけれど、
まぁ、本当に好きなものを偉大な人は自分から薦めたりはしないらしいので、偉大なアタシは人にわざわざ薦めたりはしない。
まぁ、これからはそうしよう。
まっすぐ、愛して、愛でて、大事に読む。ただそれだけだ。
うん。これからはまぁそうしよう・・・。
そうして、予想外に面白くて気づいたら日付をまたいでいて、朝おきたらしっかり寝坊していて、
アタシはお母さんに起こされてドタバタと学校に向かったのだ。
それで、食パンを口にくわえることも無く、
まぁ、曲がり角で男の子と激突することもなく、
男の子に手を借りて起き上がったりすることも無く、アタシは真っ直ぐ学校に向かう。
いやいや、それは嘘です。
さすがにバカ正直に学校に向かっていては本当に遅刻してしまうので、最後の切り札として
かなり危険な近道のしかたをして学校へ向かったのだ。
そんな光景を見たらどっかの誰かさんは
『立派な女子高生としてそれはどうなの?』なんて突っ込むのだろうけれど、
申し訳ないけれど、立派に正直に堂々と女子高生といえるようなたまでは、きっとはアタシはないと思う。
そうして、アタシはいつもどおりに学校に向かう。
 
ところで、そんなアタシを女の子扱いするような誰かさんというのは一体全体誰だったのだろう・・・?
まぁ、それが誰でも、どんな夢でもアタシは今日も繰り返していくんだろう・・・。
その空想理論を・・・。

ノストラダムスの空想理論

あとがきです。
まったく何を書いたらいいかわからないし、何を書いたらいけないのかわからないけれど、
まぁまぁ、中途半端なことを書かなければいいのだと思う。
中途半端な事ほど格好悪いことは恐らくないと思うし、実際そんな事を言われたことがある。
ところで、作家さんってわりと一人称を『僕』とか『私』とか丁寧な感じで語るけれど、あれって絶対にそうしなきゃいけないのでしょうか・・・?
まぁ、読者というお客に読んで貰うページなのだし、読んでもらったからこその敬意を表しての口調なのだろうとか勝手に思ってはいるけれど、まぁまぁ、ここは自分のアイデンティティを捨てて、しかしもしも読んでくれた人がいるという前提で『俺』と呼称するのを諦めて『僕』と呼称しましょう。させていただきましょう。
 
因みに、この作品を書いている時、ちょうど夏休み真っ只中だったわけなのだけれど、うっかり作品の中に感覚を取り込まれてしまったのか、ただ阿呆なのか完全に春だと思い込んでいた事がありました。
「あれ?今日はまるで真夏のように暑いな・・・。」なんて、当たり前も当たり前。だって夏だし。
眼からうろこだったですよ。
この作品に関してはシリーズ物にしようと思っていて敢えて矛盾とか穴とかを残しています。
ネタバレですよ。言い訳じゃないですよ~。
というか、本来はちゃんとプロットとかいろいろ作って書いていたりするんですが、今回は細かい設定とかをメモったノートとかだけで完全に行き当たりばったりで書いていました。
まぁ、面倒くさがりなのでプロットを書いた時点で満足してしまう可能性さえあるので、もう敢えて書かなかったしましょう。
作品に関しては何が言いたかったのかとかは特に言いません。
思ったことをそのまま読んでもらって、感じたことをそのまま感じ取ってもらってかまいません。
だってこの空想理論はただの趣味でしかないのだから・・・・。
 
もしも読んで下さった方がいましたら、ありがとうございました。
シリーズ物にすると言っていたので、また機会がありましたら読んでくださいね。

ノストラダムスの空想理論

恋愛物でも青春物でも恐らくないけれど、 もしかしたら見えていないだけで確実に存在していて、 気づかないうちに確実に繋がっているかもしれない空想理論。 絵を描かなくなった女子高生・美子ととある少女の遠くて近い話しです。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-31

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