ゴースとらいあんぐる
1 幽霊がきた
夢を見ているんだな……。
俺は目の前の光景を見てそう思った。何故ならば目の前には小さいころの俺自身がいるからだ。
坂崎和也。
今年、高校2年生になったばかりの16歳だ。その俺自身がいて、10年位前の子供の俺がいる。現実ではありえないから、これは夢なんだ。
子供の俺は一人ではなかった。俺を中心に右側に女の子が、左にはもう一人の男の子がいた。どちらも知っている人物だ。
女の子は瀬川日向。男の子が青井涼。どちらも俺の幼馴染だった。俺たち三人は家も近く親同士の仲も良かったので小さな頃からよく遊んでいた。
真っ赤な夕日が三人を照らし、子供の影は長く道路に伸びている。三人は仲良くてを繋いで近所の公園に向かっているようだった。
覚えのある光景だった。確かこの日は小学校の入学を控えていて、日向が「あしたから、きょうしつがべつべつになっちゃうかもしれないから、さんにんでいっしょにあそぼう」と言い出して、俺と涼を連れ出したのだった。
日向はこの頃からいっつもにこにこと笑っている女の子だった。まさしくその名のとおりひなたのような暖かい気持ちにさせてくれる、そんな性格をしていた。
「でも、もうくらくなっちゃうよ。そんなにあそべないよ」
気弱そうな顔で、ちょっと泣きそうになりながら言ったのは涼だった。今の姿からは想像できないが、そうだった。コイツは子供の頃はひどく泣き虫でいつも俺や日向の後ろに隠れているような引っ込み思案な男だったんだ。
「いえなんか、すぐそこだろ。たいようがしずんだら、かえればいいんだよ」
ちょっと強がって言ったのは子供の俺だ。涼とは対照的でやんちゃそうな顔をしている。
ふっー。
ちょっとおかしくなって16歳の俺は笑った。覚えていた。この時俺は内心、紅く沈んでいく夕陽が怖くって、強がっていたのだ。
子供の頃の俺は日向や涼に、自分の弱いところを見せたくはなかったのだ。それは今もそうかもしれないけれど。
「もーふたりともうるさいよ!とにかくいくったら、いくの!」
日向が焦れた様に俺と涼の手を取ってトタトタと走り出した。三人は公園にたどり着き、中央にあるジャングルジムの前まで来た。
遅れて16歳の俺も到着した。さすがに夢だけあって三人とも高校生の俺は認識していないようだった。
胸の奥がむずむずしてきた。情景と共に俺の記憶が呼び覚まされてきて、俺は次に何がおこるかを理解し始めていた。
「けっこんしきをします!」
日向が宣言した。住宅街の狭間にひっそりと佇む公園は、この時間には誰もいなかったのでその言葉を聞いたのは俺と涼と、砂場で何かをしている野良猫しかいなかった。
「「けっこんしき?」」
俺と涼は異口同音に言葉を発し、互いの顔を見てから、えへんとどこか誇らしげな日向を見た。
日向は右手で俺の、左手で涼の手を取って言った。
「さんにんがこれからもいっしょにいられるように、けっこんするの、パパとママがいってたもん、おとこのひとがおんなのひととずっといっしょにいるためにけっこんするんだ、って」
力説する日向の手に力が入って、子供の俺はドギマギしている。
俺はこの時初めて女の子の手の暖かさと柔らかさを意識した。そして、なにより日向は飛び切り可愛らしい女の子だった。
「でも、けっこんしきってどうやるの?」
涼の疑問にも日向はすぐ応えた。
「キスをするの!ずっといっしょにいますって、ちかいのキス!!」
「「キス……」」
また、俺と涼は顔を見合わせた。涼は困ったような戸惑ったような顔をしている。でも、それは俺も同じだった。
日向の発想は突拍子もなく、二人はどうしていいのかわからない。しばしばあることだったが、この日の日向はいつも以上にはじけていた。
「じゃあ、ふたりともちかいのキスね!」
ぐいっと手が引っ張られて二人は日向に寄り添うようにたった。
「んー」
日向が突然のことに硬直している涼の唇に、その小さくさくらんぼのような唇を重ねた。涼が目を白黒させているのがわかった。
10秒ほどだろうか、日向は涼から唇を離すと、今度は俺に向けて唇を近づけてきた。早鐘の様に心臓が高鳴っていたのを、16歳の俺は思い出し、そして、ちくりとした胸の痛みも思い出していた。
俺と日向はキスしなかった。
唇と唇が触れ合う瞬間、俺は日向を突き飛ばし、その場から走り去ったのだった。16歳の俺の横を子供の俺が走り抜けていき、直後に日向の泣き声が公園に響いた。
これは夢だ……。
だから、泣きじゃくる日向とその横でオロオロしている涼の姿は、あの時の、10年前に日向の泣き声を背に聞いていた俺の記憶の補完であり、現実はちがったのかもしれない。
ただ間違いないのは俺はその場から逃げ出し、二人の間に誓いはなされなかったということだった。
目が覚めた。
見慣れた自分の部屋の天井に驚く事はなかったが、別の事に驚いた。両方の目じりが濡れていたのだ。俺は夢を見ながら泣いていたのだと理解した。
重たい気分で上体だけ起こし、ベッドの枕元にある写真を手に取る。
そこには夢に見た子供の頃から約十年後、高校の入学式に記念で撮った三人の姿が写っている。
真ん中の日向は子供の頃のように、全開の笑顔を見せている。違うところは髪が腰まで伸びていることと、年相応の美少女になっていたことだ。
右の涼はほっそりとしているが背が高くモデルの様な端正な顔つきで、薄い微笑をたたえている。女の子がみたら卒倒しそうなくらいだ。小さい頃の面影は殆どない。
左に写る俺だけが子供の頃の面影を残していた。やんちゃ小僧がそのまま大きくなった様に、どこかひねた様な顔をしている。
そう、三人はキスなどしなくてもあれからも、ずっと一緒だったのだ。小学校、中学校、高校と三人の進路は誰に言われるでもなく同じだった。
クラスがちがったりなどはあったが、時間があれば三人はよくつるんで一緒にいたのだ。
他人から見たら三人はどう映っていたのだろう。お姫様に付き従う従者に見えたのか、それとも彼女を奪い合うため虎視眈々と狙うため一緒にいる男二人と、その想い人と見られていたのか。
いや、それももうどうでもいいことだった。
全ては失われたのだから…。
瀬川日向は死んだ。
三日前、交通事故だった。ほぼ即死だったという。昨日の通夜で日向の両親は言った。「死に顔が綺麗だったのが救いだった」と。
俺は何が何やらわからなくて、ただ呆然とここ三日間すごしていた。泣くことはなかったが、やはり十年来の友達が死んだのはショックだった。
「だから、あんな夢を見たんだな……。」
俺は一人ごちて、写真たてを手にしながらベッドに腰掛けるように座った。それから涙をぬぐって少し鼻をすすった。
「ゆっくり休めよ、日向」
「え?何が?」
声が聞こえた。すぐ横からだった。
「あ、これ去年の入学式の写真じゃなーい、わーなっつかしーい」
そ ん な バ カ な
そう思いつつも俺はギ・ギ・ギと油の切れた機械人形のように右を見た。
そこには見慣れた顔があった。誰が見ても美少女と形容するであろう、容姿に腰まで伸びた日本人形のような黒い髪。
服装は何故か俺たちが通っている。城北高校のブレザーだった。
そいつはくりんとしたぱっちり二重の瞳をキラキラさせながら……、俺の横にぷかぷかと浮いていたのだった。
そいつは確かに瀬川日向だった。
「あ、カズお早う。日曜だからって寝坊はダメだよ。もう11時じゃない」
日向はまるで何事も無いかのように言った。
「うわああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
日曜の坂崎家に俺の絶叫が響き渡った。
それでも瀬川日向はにこにこしていた。
今日その日幼馴染の幽霊が俺の家にやってきたのであった。
ゴースとらいあんぐる