蒼い青春 六話 「野獣死すべし」
◆登場人物
・長澤博子☞白血病に犯された17歳の少女。 強請に掛けられた剛を心配する内に、精神ダメージから入院の事態に。
・河内剛☞博子の恋人。 23歳の刑事で、強請のストレスから博子に辛く当たってしまう。
・長澤五郎☞博子の父親。 様態が悪化する博子を心配する。
・野村たか子☞博子の実の母。 困惑する博子に、優しく声を掛ける。
・園田康雄☞剛の先輩警部補。 「横須賀のハリー・キャラハン」の異名をとる。
◆六話の登場人物
・遠藤刑事☞剛の旧友。 警視庁捜査一課の刑事。
・脅迫者・ヒットラー☞剛たちの交際の写真を種に、剛に強請を掛ける男。
前篇
「おい、博子。 起きるんだ。」 遠くから聞こえる父の声に、博子はゆっくりと目を開けた。 「あっ、気づいたか。」 上から覗き込む五郎とたか子の顔が、にっこりほほ笑む。 「父さん、お前に謝らんといかんな。 あの時、お前はすべて聞いていたんだね?」 父の声に、博子はこっくりとうなずき、尋ねる。 「あの話、本当のことなの?」 五郎は少し声を詰まらせ、ちらっとたか子の方を見て、また博子の方を見てゆっくりと口を開く。 「そうだよ。 あの話は、本当だよ。」 「じゃあ、この人は・・・。」 博子がそう言って、たか子をじっと見つめる。 「そうよ、私があなたの母親。 今まで黙っていて、ごめんなさい。」
たか子がそう言って、博子の手をぎゅっと握る。 「お母さん、あったかい。」 にっこりと笑った博子は、そう言ってたか子の手をぎゅっと握り返した。
それからもう一カ月近くたったころ、アパートの一室で剛は預金通帳を片手に、頭を抱えていた。 脅迫者・ヒットラーに金を払い続けて、預金さえも底を尽こうとしていた。 もうこれ以上、奴に金は払えない。 しかし写真がばらまかれれば、愛する博子にも迷惑がかかる。 そう考えていたその時、インターホーンのチャイムが鳴った。 見れば、博子からである。 剛は急いで通帳をしまい込むと、ドアを開けて博子を迎え入れた。
「どうしたの、剛さん。 なんか元気ないわ。」 居間に通された博子は、剛に出された紅茶を飲みながら、剛の異変に気づいていた。 一方、異変に気付かれた剛は、はっとしたがすぐに「そうかい?」と取り繕う。 しかしちょっとした相手の変化も見逃さない博子は、もちろん取り繕う剛の動作も見逃さなかった。 博子は剛の手を強く握り、まっすぐに彼の目を見て言った。 「剛さん、私に隠し事なんてしないで、なにか心配事があるなら正直に打ち明けてほしいの。」 しかし剛はその手を乱暴にふりほどき、突き放すように言った。 「なんでもないったら何でもないんだ。 ちょっと疲れているだけだよ。 わざわざ世話なんて焼かなくてもいいんだよ。」 剛の驚くような言葉が胸に刺さった博子は、にぎり拳に力を込めたが、その衝動をぐっと抑え静かに「ごめんなさい」とだけ言うと、しんと静まり返った部屋を後にした。
外へ出た博子は、しんとした暗闇の中を走りだした。 こぼれる涙を必死にこらえ、やっと家にたどり着くまでの道のりは、博子にとっていつも以上に遠く、寂しい道のりだった。 玄関のドアを開けた彼女は、心配そうに出迎えたたか子の顔を見るや、その場に崩れてしまった。
後篇
剛があの夜博子が救急搬送されたことを知ったのは、翌日署で園田から聞いてからのことだった。 いつものように椅子に座って禁煙ガムを噛んでいた園田は、挨拶をして入って来た剛を確認すると、新聞を持ったままぼそっと「昨日の夜、サイレンの音が聞こえただろ?」と聞いた。 「ええ、8時くらいですよね。」 剛が荷物を置きながら答える。 また園田は新聞をペラリとめくりながら言った。 「あのとき運ばれたの、お前さんのガールフレンドらしいぜ。」 「ええっ。」 園田の言葉に、剛が言葉を失う。 「玄関先で倒れてな。 ちょうど夜中に俺も具合が悪くなって病院に行ったんだが、そこに救急搬送されて来たのがあの博子さんだったんだよ。」 そう言って園田は新聞紙を畳んで、剛の方を向き直って言った。 「お前さん、また今日も事件がなきゃ非番みたいなもんだから、見舞い、行ってやんなよ。」 彼の言葉に、剛はこくりとうなずいた。
病院に着いた剛は、博子の病室を見つけるのにそう時間はかからなかった。 幸い博子は面会ができるまでにまで回復し、個室で横になっていたが剛の顔を見て、ぱっと顔が明るくなった。 「剛さん、わざわざ来てくれたの?」 剛の持ってきた花束を抱え、博子が尋ねる。 「ああ、その前に君には謝らなくちゃね。」 剛が少し声を落とす。 「いいの、昨日のことなら。 私も具合はそんなに悪くないから、心配しないで。」 博子がそう言い終えたとき、剛の携帯電話が鳴った。 「ちょっと待ってて。」 そう言って剛が外に出て携帯を見る。 あの脅迫者・ヒットラーからだ。 「もしもし。」 恐る恐る電話に出た剛に、あのボイスチェンジャーの無表情な声が話しかける。 「やあ、河内刑事。 確か今月の支払日は今日だけどまだ支払ってくれていないね。 早く払ってくれないと、手遅れになるよ。 いいのかな?」 「待て、もう正直限界なんだ。 どうだ、ここはひとつ、会って話しでもしないか?」 焦った剛が言う。 「話し? 俺がほしいのは金なんだ。 払えないならばらまく、それだけだ。 覚悟しておくことだな。」 残忍な脅迫者は、そうとだけ言うととっとと電話を切ってしまった。 こうしてついに剛は、窮地に立たされたのであった。
翌日、恐る恐る署に足を運んだ剛は、署内の慌ただしい様子に驚いた。 そこへスーツを羽織りながら園田がやって来る。 「おい、急げ。 緊急出動要請だ。 どうやら殺しらしいぞ。」と剛に言うと、園田はさっさと車に乗り込んでしまった。 剛も急いで車に乗り込み、パトカーは現場の雑木林に直行した。
現場に着いた二人は、黄色いテ-プをくぐり、いよいよ死体と対面する。 「ひでえもんだぜ。」 園田が思わず目を覆う。 それもそのはず、顔は硫酸のような化学薬品で焼けただれ、人相も分からないのだ。 「おい、本庁の刑事さんがお見えだぜ。 ありゃエリートだ。」 園田の同僚の川島が二人に言う。 確かに死体の近くに賢そうな若いスマートな刑事が立っている。 その顔を見て、剛の顔がぱっと明るくなる。 「おお、剛じゃないか。」 その若手刑事が剛を見つけ、駆け寄って来る。 「久しぶりだな、遠藤。」 剛も堅い握手を交わす。 「紹介します、同期の遠藤。 こちらは俺の先輩の園田さん。」 剛が説明する。 「これは、これは、ご紹介いただきました、園田です。 宜しく。」 「こちらこそ。」 園田と遠藤が握手を交わす。 「ガイシャは田沼志郎。免許証がったので身元が割れましたが、脅迫の常習、あのヒットラーですな。」 鑑識係の話を聞いて、一番驚いたのは、ほかならぬ剛だった。 あの脅迫者が、何者かに殺害されていたからだ。 しかしこれは、これから始まる第二の悪夢の、ほんの序章に過ぎなかった・・・ つづく
蒼い青春 六話 「野獣死すべし」