本当の願いごと
昔、昔のお話です。
ヴィファンゴと言う、それはそれは大きな国がありました。
この国を築いたのは、ヴィファンゴの王であるエンサムートです。
エンサムートは若い頃に貧しい故郷を離れて、たったひとりで荒れ地だったこの土地を訪れ、地面を耕し、木々を植え、海に続く川を造り、ついには人々が住める豊かな大地にしたのです。
何十年とかかったその苦労はそうそうたるものでした。
やがてその大地には、次第に人が集まり、王国ヴィファンゴが誕生し、エンサムートはこのヴィファンゴの王となりました。
そしてエンサムートが40歳になった時、国でいちばん美しい娘と結婚し、その後、3人の元気な子供に恵まれました。
それからヴィファンゴは、エンサムートの素晴らしい働きにより、みるみるうちに世界でも有数の大国になりました。
ですが、国民は皆、エンサムートのことを好いてはいませんでした。
そしてそれは、エンサムートの子供たちも同じだったのです。
なぜならばエンサムートは、国民のことよりも、どうすれば国が栄えるか、もっと大きくなるかと言うことしか考えておらず、周囲の意見にはちっとも耳を貸さない、頑固で自分勝手な王様だったからです。
子供たちは、幼い頃からどれだけ温もりを求めても、父であり王であるエンサムートに可愛がってもらった記憶など、これっぽっちもありませんでした。
父に愛情をもらえなかった子供たちは、大きくなるにつれて、次第にエンサムートから離れて行きました。
そしてついには、3人とも結婚をして、国から出て行ってしまったのです。
エンサムートの住むヴィファンゴの城は、エンサムートと、そのお妃さまだけになってしまいました。
お妃さまはこれを嘆き、悲しみました。家族の心が離れ離れになることが、
お妃さまには耐えられませんでした。
そこでお妃さまは、国いちばんの物知り屋を城へ呼び寄せました。
「そなたは、この国いちばんの物知りだと聞きました。確かですか?」
「はい、お妃さま。確かにオイラはこの国いちばんの物知りで、神様の次にオイラの知らないことなどない、と、自分ではこう思っております。」
「よろしい。それではぜひそなたに聞きたいことがあります。この世界で、どんな願いも叶えられる方法を、そなたは知っていますか?」
お妃さまの問いに、物知り屋は少々首をかしげ、ううん、とうなりました。
「そんな虫のいい話は、風の噂でしか聞いたことがねぇもんで、確かかどうかはわかりませんけども・・・。」
「噂でもかまいません。教えてください。」
「・・・はい、それでは・・・。ここからずっと北へ行くと、シュレイバと言う気高い崖があります。
その崖の最果てに立って、お月さんがちょうど空のてっぺんに来るのを待っていると、月の妖精が目の前に現れて、願いをひとつだけ叶えてくれると、こう言うこってす。だけどもなにぶん高い崖で、若いもんの足でやっと辿り着ける険しい道のりです。お妃さまはとてもじゃねぇですがおやめになった方がいい。」
お妃さまは目を閉じて物知り屋の話を黙って聞いていましたが、やがて目を開けると、言いました。
「この国の王、エンサムートの命は、そう長くはありません。あの人は年老いてしまいました。少しでも時間を無駄にはしたくないのです・・・。私は参ります、ひとりでも。その崖の最果てへ行って、私の願いを叶えてもらいます。」
お妃さまはそう固く決心をすると、数人の家来を引き連れ、日があるうちに崖へと向かいました。
なるほど、物知り屋の行った通り、崖への道のりは険しいものでした。
たくさんの大きな岩が目の前に立ち塞がり、上空からは強い向かい風が吹き荒れます。
お妃さまは馬車を降りて、大きな岩を避け、一歩一歩、崖へ向かって行きました。途中で何度も転びましたが、それでも、懸命に前へ進み、ついに、崖の最果てに辿り着いたのです。
お月さまはちょうど崖の真上にいました。
お妃さまはゆっくりと目を閉じ、深く息を吸って吐くと、再び目を開けました。するとどうでしょう。
月の妖精が、お妃さまの目の前に浮かんでいたのです。
「・・・あなたは、月の妖精ですか?」
「ええ、そうです。そなたの望みを叶えにきました、エンサムート王の妻よ。さぁ、教えてください、そなたの願いを。」
月の妖精は、その姿にふさわしい凛としたきれいな声で言いました。
「・・・では、聞いてください、私の願いを。私の夫、エンサムートは、実の子供たちと長い間不仲なのです。夫の先は長くはありません。どうか、私の夫と子供たちを仲直りさせてくださいませんか。」
お妃さまの願いを聞くと、月の妖精はなにかを探るように、しばらく目を閉じました。そして目を開けると、お妃さまに言いました。
「残念ですが、そなたのその願いは叶えることができません。」
その言葉に、お妃さまは大変驚きました。
「なぜです、あなたはどんな願いも叶えてくれるのではないのですか?」
「そのわけは、あなたの夫にあります。あなたの夫は、子供たちと仲良くなることを望んではいません。
たとえ妻のあなたの願いであっても、本人が望んでいないことを叶えることはできません。」
「・・・そんな。」
お妃さまは嘆きました。
エンサムートと子供たちが仲良くなれないのと、エンサムートが子供たちと仲良くなりたくないこと、
お妃さまはどちらも大変悲しかったのです。
「・・・では・・・私は・・・私の願いは、一体どうすれば・・・。」
懸命にここまで来たお妃さまは、その場に崩れ落ちてしまいました。そして涙を流し悲しんでいると、ふと、お妃さまの頭にある思いが浮かびました。お妃さまは顔をあげて、再び月の妖精に言いました。
「・・・では、私の夫・・・、エンサムートの願いを叶えてやってはくださいませんか。あの人はずっと孤独で、この国を支えてきてくれました。あの人が望めば、若返ることだってできるはずですね?」
そうすれば、エンサムートにまた時間が与えられる、お妃さまはそう考えました。
月の妖精は、ゆっくりとうなずきました。
「では、それを私の願いとします。」
「わかりました。では、今宵あなたの夫の願いを聞くとしましょう。優しい妻よ、そなたを城まで返してあげましょう。」
月の妖精がそう言うと、お妃さまの体は優しい光に包まれ、ふわりと浮かび上がり、どんどん空へと昇って行きました。
そしてその夜、エンサムートの夢の中に、月の妖精が現れました。
「そなたの願いを叶えましょう。若返り、永遠の命、なんでもそなたに差し上げましょう。」
エンサムートの答えはこうでした。
「若返りも、永遠の命もいらん。わしは十分に生きた。成すべきこともすべてやった。
もはや思い残すことはない。この命、持っていってもらっても構わん。」
「命を奪うことは、できません。」
「ならば、わしを不治の病にしてくれ。そうすればすぐにでも死にいたる。」
月の妖精は、このような願いを初めて聞きました。
「そなたの願いは、ほんとうにそれでよろしいのですか?」
「無論。」
エンサムートがこう願ったために、エンサムートは本当に不治の病にかかってしまいました。
エンサムートの体は、みるみる衰えていきます。
お妃さまの心にあるのは、悲しみ以外はなにもありません。衰えて行く夫を、黙って見守ることしかできませんでした。
とうとう、エンサムートは、目を開けることも、喋ることも難しくなりました。
「・・・死が、死が、もうすぐこの人を迎えにくる・・・。」
お妃さまが大粒の涙をこぼし、嘆いたその時です。
大きな足音とともに、城から離れたはずの3人の子供たちが、ふたりの元へ現れたのです。
「あ・・・あなたたち・・・。」
「・・・母上・・・!・・・父上・・!!」
3人はエンサムートのそばに駆け寄りました。
床に伏していたエンサムートは、子供たちの方へゆっくりと顔を動かし、子供たちに手を伸ばしました。
「・・・父上・・・!」
3人の子供は、エンサムートの手を取ると、涙を流しました。
「・・・私の可愛い子供たちよ・・・。」
最後の力を振り絞り、エンサムートは子供たちの顔を見て、しっかりと語りかけました。
「・・・父上・・・!」
「・・・子供たちよ・・・、すまなかった・・・。私は本当は、心からお前たちを愛していた・・・。
しかし、お前たちのために国を豊かにすることばかり考えてしまって、お前たちをほったらかしにしてしまった・・・。今さらわしの願いを口にするなど・・・。
この父を・・・許してくれるか・・・。」
エンサムートの長男は、涙をポロポロと流しながら答えました。
「・・・父上・・・、病に倒れたと聞いて、私たち兄弟は真っ先にあなたに会いに帰ってきました・・・。弟も、妹も同じ気持ちです。私たち兄弟も、父上のことを・・・愛しております・・・!幼かったゆえ、父上の愛情を感じることができず・・・、申し訳ありませんでした・・・父上・・・!」
長男のその言葉を聞いて、どのくらい久しいのか、エンサムートの顔に、笑顔が宿りました。
そしてエンサムートは、たったひとすじの涙を流したのです。
「ありがとう・・・子供たちよ・・・。お前たちは、自分の子供を、精一杯愛してあげなさい・・・。」
「・・・父上・・・。お約束します・・・、必ず・・・!!」
子供たちのその言葉を聞くと、エンサムートは安心したように、ゆっくりと永遠の眠りにつきました。
「・・・あなたは知っていたのかしら・・・。自分が病にかかれば、子供たちに会えると・・・。
だってこうして、あなたの、本当の願いが叶ったんですもの・・・。」
お妃さまは涙を流しながらも、心から喜びました。
それから、エンサムートのいなくなったヴィファンゴ王国は、彼の子供たちが後を継ぎ、
その後も、立派な国として、世界に名をはせたとのことです。
おしまい
本当の願いごと