君の手を 第3章

 どこにいるのかは、すぐにわかった。屋上から見下ろした景色に見覚えがあったから。もちろん角度は違うけど。

 地元で一番大きな病院。事故の後、ここに運ばれた。で、そのまま死んだ。だからここにいる。そういうことだろう。実に簡単な事だ。推理するまでもない。

 いつまでもここに座っていても仕方がないので、とりあえず僕は立ち上がった。その時、自分の着ているものに目が止まった。白いシャツに黒いズボン。学校の制服。死んだとき、僕はTシャツとハーフパンツだったはずなのに。

 まあ、死神がいるような世界だから、服装が変わってたって驚きはしないけど、よりによってなんで制服?

 ……まあ、いいや。別に。それより、どうすりゃいいんだ、これ。

 僕は改めて周囲を見た。そこには、出入口らしきものがなかった。元々人が出入りできるように造られてはいないんだろう。四方に柵もない。5、6階くらいの高さがあり、当然飛び降りることもできない。

(……いや、できるのかな?)

 死神が言ってたことを真に受ければ、僕は誰からも見えないし、建物はすり抜けられるし、空も飛べる。

(空、ねえ……)

 バカみたいだと思う。でも、ま、ものは試し、てな軽い気持ちで目を閉じ、意識を集中し、自分の体が浮くイメージを思い浮かべた。

 思わず笑みが浮かんだ。子供の頃、アニメを真似してそうやって飛ぼうとしていたっけ。今考えるとありえないんだけど、あの頃は何かのキッカケで飛べるんじゃないかって、本気で思ってたな。

(うわぁ……)

 思い出に浸り、目を開けた僕の体は、僕のイメージした通りに浮いていた。地面から約30センチ。そのまま前に進め、と念じると、スーっと体が動いた。そのまま端まで進み、さすがにちょっと躊躇したけど、でも、目をつぶって、そっとその先へと進んでみた。

 目を開けた。下を向く。

(浮いてる。浮いてるよ、おい)

「……マジかよ」

 ホントに、飛べる。ちょっと嬉しくなって、ひとしきりその辺りを飛んでみた。向きも、スピートも自由自在。急上昇急旋回思いのまま。ただ思い浮かべればいい。風の抵抗も感じない。初めて自転車を買ってもらった時みたいに、ワクワクして、ニヤニヤしながら飛んだ。でもこれ、高所恐怖症の人だったら絶対できないな。

 ひとしきり飛び回って屋上に戻った後、急にそれまでの興奮が冷めてしまった。思い出したから。これからどうするのかってこと。

(葬式、か……)

 別に死神に言われたからじゃない。ただ単に他に行くべき場所が思いつかなかっただけだ。覗き、とか、無理だし。 
 葬式をやるとしたらあそこだろう。昔、ばあちゃんの葬式をやったあそこ。あれは、何歳のころだったっけ。たぶん、3歳くらいだったと思う。正直、ばあちゃんのことはあんまり覚えていない。いっつもバナナを買ってくれたって、そんな記憶しかない。僕が好きだったから。

 だから葬式のときの記憶はない。でも、その後のことは覚えている。みんなで僕の家に集まって、寿司を食べて、酒を飲んで、笑ってた。

 今思えば不思議な光景だ。なんでみんな、ばあちゃんが、身内が死んだのにあんなに楽しげに、まるで宴会みたいに笑っていたのか。ちゃんと、寿命で死んだから? わからない。

 ……僕のときも、あんなふうに笑うんだろうか。

 おおよその場所はわかっていたが、なにせ10年前の曖昧な記憶だ。ちゃんとたどり着けるか自信はなかった。でも、そんな心配は御無用で、行く先々に立て看板があった。たまに見かける、誰かの葬式を告げるアレ。


   ○○家葬儀場
   この先200m


 みたいな。今回は○○のところに有沢が入る。僕の苗字。でも、それが僕の葬式のことを示してるんだってことが、全然ピンとこない。

 とにかく、その看板のせいで全然迷わなかった。迷っているうちに、時間が過ぎて葬式は終わりました、なんてことになってもそれはそれでよかったのに。まあ、葬式がいつからなのかはもちろん、今が何時なのかもわからないから、その可能性はまだ否定できないんだけど。ただ、太陽の位置が高すぎるから、正午からそんなに経っているとは思えない。たぶん、葬式って昼からだろうし。

 ……あーあ。やっぱ、なんかやだな。

 それなら、行かなければいいのに。

 ……僕だって、そう思う。ただ、男子中学生の心と体の神経は複雑に絡み合っていて、思ってる事とやってる事が真逆になっちゃう、なんてことも少なくない。

 だから僕は嫌だ嫌だと思いながらも葬式に向かっていた。二学期の始業式の次の日の心境。始業式は昼までだからそれほど嫌でもない。だからその次の日。

 嫌だけど、仕方なし。

 人生これの繰り返し。

 なんだか悟ったようなことを心の中でつぶやき始めたとき、そこに着いた。縁起がよくないからだろうか。周囲には他の建物が見当たらない。静かで、なだらかな丘の頂にぽつんと建っているような印象だった。

 一度来ているはずなのだが、見覚えはなかった。広い駐車場の向こうに白い壁の建物がある。それほど大きくはない。ここは式場だけで、火葬場は無かったはずだ。火葬場はまた別のところにあったと思う。

 駐車場には、そこそこの数の車が止まっていた。建物の近くには開店祝いなんかでよく見る大きな花がある。もちろんアレみたいに派手じゃない。意味もまあ、真逆なんだろうけど。

 十中八九、僕の葬式がここで行われているのは間違い無い。

 ここに来て、僕は迷っていた。いや、迷いがぶり返したというべきか。

 もっと簡単に、正直に言うなら、怖気付いたんだ。

 本当に僕の葬式をやってたらどうしよう、って。嘘じゃなんだって、知るのか怖かったから。
でも、そんな気持ちを認めてしまうのもしゃくだった。

 だから僕はそんな気持ちを隠すように出入り口に近づいていった。誰からも見られていないのに。扉はガラスの、おそらく自動ドアだ。外からでも中の様子が確認できる。

 他の人からは姿は見えない、はず。僕が幽霊という存在であるならば。死神が言ったことが本当ならば。でも、僕はなるべく中から見えないような位置を進んだ。だって、本当に僕の姿が見えないのか確信が持てなかったから。この姿になってから会ったのは死神だけで、他の人には会っていない。こんなことならここに来るまでに確認しておけばよかったかな。そうすればもう少し大胆になれたのに。

 どうにかドアのすぐ側まで来て、そっと中を覗いた。正面には受付カウンターがあり、そこに女の人が一人座っていた。一人か……。

 やはり、一度確認してみたほうがいいだろう。一人だけならたとえ見られたとしても、どうにかなるだろうし。それに僕は制服だから、案外不信には思われないかもしれない。でも、それはそれで困る、のか……?

 とにかく僕は、ドアの前を歩いてみることにした。向こうからは当然ここが見えるはずだし、そこを誰かが横切れば気付くはずだ。何かしらの反応はあるだろう。

 ただ、問題がないわけじゃない。それは、自動ドアが反応した場合だ。心霊特番なんかで、勝手に開く自動ドアの映像を見たことがある。本当かどうかはかなり疑わしいが、ヤラセだという確証はない。もし本当に自動ドアが幽霊にも反応するんなら、僕がそこを通れば当然ドアが開き、僕の姿が見えている、見えていないにかかわらずあの人は反応する。そうなると僕が見えるのか見えないのかを判断するのは不可能だ。

 ……まあ、こんなことうだうだ考えてたって、仕方ないんだけど。どうせどうなるかはやってみるまでわからない。だから、やってみるしかない。もしドアが開いたら、またそのとき考えればいい。

 もう一度中の様子を確認してみた。先ほどと変わらない光景。ただ、女の人は下を向いていた。どうする? 今行って、気付くのか? これじゃあ、見えるんだとしても気付かないんじゃないのか? じゃあ、どうするんだ? 諦めるか? それとも確認もせずに突入するか? それで姿が見えてたら、どうするんだ?

 心臓がバクバク暴れている気がした。今すぐ飛び出したい気持ちと、今すぐ逃げ出したい気持ちがせめぎ合う。それをどうにか押さえつけ、その時を待った。
あの人がこちらを向いたときが勝負だ。

 ゴクリ、と喉が鳴る音がした気がした。


 ――見た! 今だっ!!

 
 パァン、と頭の中でピストルの音が鳴り響く。それに弾かれるように僕は飛び出した。ドアの端から端まで約2.5m。そこを走り抜けるのに1秒もいらない。陸上部も真っ青な見事なスタートダッシュだった。


 ……バカかっ!!

 
 見られないとダメなのに、そんな抜群のスタートダッシュ決めてどうするんだよっ!
 ……いや、でも、何かが通った、くらいはわかったはずだ。もしそうなら、何かしらリアクションがあるはず。僕は突入前の特殊部隊員のような緊張感で、壁を背にし、そっと中の様子を確認した。

 女の人には特に変わった様子がなかった。それどころかこちらを見てもいない。これでは僕の姿を見たのか、それ以前に、本当にこちらを見ていたのかも怪しい。

 ドアの上を見た。赤い点が見える。僕はあの下を通った。ドアは開かなかった。やっぱり、開かないのか? でも、早すぎて開かなかった可能性もある。まだ、わからない。

 僕は再びその時を待った。今度はしっかりと相手がこちらを見ているのを確認しながら通りすぎなければ。焦らず、ゆっくりと、確実に。

 女の人が顔を上げた。よし。ちゃんとこちらを見ている。ひとつ、息を吐いて僕は一歩を踏み出した。僕の左半身が完全にさらされた。女の人はこちらを見ている。ちゃんと見ている。その視線を感じながら、ゆっくりと前に進んだ。妙にギクシャクして、ゆっくりにしか進むことができなかった。

 そろそろ赤い点の下を通る。開くか? 開くか? 開くか? でも、自動ドアは動かない。完全に僕を無視していた。よし。

 3分の2くらいまで行ったとき、女の人の視線が下がった。その瞬間、反射的に飛んでしまった。しまった、と思った時には既に体は壁に隠れていた。

「んはーっ」

 壁に背中を付けて息を大きく吐く。ズルズルとそのままずり落ち、その場に座り込んだ。
時間にすれば5秒未満の出来事。でも、本当の時間なんて何の意味も無い。長い、長い時間だった。何より、たった2.5m歩いただけなのに、考えられないくらい疲れた。それこそ一試合終えた感じ。

 でも、これでハッキリした。あの人は確実にこちらを向いていた。それなのに何のリアクションも見せなかった。表情一つ変わらなかった。

 あの人には、僕が見えていない。

 そのときの僕の心境をなんと例えればいいのか。複雑で、とにかく、複雑だった。逆転シュートを決めたのになぜか全然嬉しくない。それくらい複雑だった。たぶん、誰かが蹴ったボールがポストに当たって跳ね返り、それがたまたま僕のお尻に当たって入ったんだ。そういう感じの複雑さだ。

 あの人だけが特殊ケースということも考えられるが、まあ、僕の姿は見えないと思っていいだろう。
さて、次に問題になるのは……。

 僕は目の前の白い壁を眺めた。死神は何でもすり抜けられると言っていた。何でも。

 目の前にあるのは壁。間違いなく壁。たぶん、コンクリートの壁。その壁を、僕は睨んだ。意味はそれほど無い。何かとてつもなく難しいことにチャレンジしようとしている雰囲気を演出しただけだ。

 ……誰も見てないとか、いいんだよ、別に。自分の気持ちを盛り上げるためだから。

 そっと右手を伸ばし、近づけてみる。未知のものに触るようにゆっくりと、慎重に。

 触れた! と思った瞬間、急いで手を引っ込めた。激しい静電気に襲われたみたいに。でも、実際はそんな感触は無くて、感触なんてまったく無くて、だからこそ僕はそれ以上いけなかった。何がいるかわからない真っ暗な夜の水面に手を突っ込む気分。だが、ここを抜けないと中には入れない。

 少し左側を見た。自動ドアがある。ガラス張りだ。向こう側が見えるから、こっちのほうがやり易い気がする。

 一歩、二歩と横にずれた。あ、やばい。受付のお姉さんから僕が丸見えだ。お姉さんが、顔を上げた。視線が合いそうになって、思わず僕はうつむいた。でも、すぐにチラッと顔を上げた。お姉さんは視線を戻していた。

 あっ。通り過ぎなくても、こうすればよかったんじゃ……。

 うん、と咳払い。気を取り直して。

 そこに、そっ、と手を伸ばす。そのまま伸ばし続けると、一番長い中指の先がまずそこにたどり着いた。やはり感触は無い。感触が無いから、正確には触れたのかどうかさえ定かではない。まるで、かなり精巧な立体映像に触れているみたいだ。

 僕は勝手に、たとえすり抜けられるんだとしても、触ったら何かしらの感触はするんだと思っていた。まったく温度の違う部屋へ移動する瞬間みたいな。でも、やっぱり何も無い。気のせいなんかじゃ、ないんだ。

 掌全体を押し付けた。押し付けることができた。感触は無いのに、それ以上いけない。常識が邪魔するんだ。たぶん。ここをすり抜けられるわけない、って今までの常識。

 だから、目を閉じた。

 少し、怖かった。初めてはいつも何でも少し怖い。覚悟がいる。深呼吸するように深く息を吸い、吐くあいだに覚悟を決める。……よし。一度手を下ろし、そして無造作に伸ばした。目の前にある何かを押すように。

 目を開ける。そう決めた後、実行しようとすると瞼が震えた。ふっ、息を吐いて、パッと開けた。
思わず、息を呑んだ。僕の右手首より先が、透明なガラスの向こう側にあった。一瞬、そのまま手首の先が切れてしまうような錯覚がしてぞっとしたが、手首はいつまで経っても落ちなかった。

 そのまま、ゆっくりと手を握った。指は何の違和感も無く曲がっていき、やがてグーの形になった。今度はゆっくりとそれを開いた。やはり指は滞りなく伸びていき、五本の指それぞれの爪が見えた。パー。それをひっくり返し、掌を上にして、また閉じてみた。開いた。やはり、何の違和感も無い。

 僕は手首から先をこちら側に戻した。戻す際に引っかかるなんてことは無く、すんなりと抜けた。その抜けた手首をじっくり観察してみたが、おかしなところは何も無かった。怪我も無い。触れていたところに跡も付いていない。戻すときもやはり、感触はなかった。

 もう一度、今度は目を開いたまま自動ドアを押してみた。一瞬の躊躇い。でも、今度はそこで止まることはなく、向こう側へ抜けた。やはり感触は無い。ただ、過去の常識と現実の食い違いについていけないのか、妙な気持ち悪さを感じた。でも、何度か手首や、腕、肩なんかをすり抜けさせているうちに、その気持ち悪さは消えていった。慣れた、ってことなのかな。たぶん。

 僕はいつの間にか笑っていた。楽しくなっていたんだ。初めて空を飛んだ時みたいに。

 腕を出したり引っ込めたり、出したままグーチョキパーをしてみたり、手を振ってみたりした後、いよいよ僕は向こうに行こうと決めた。

 まず、すっと右手を肘まで突っ込む。それから、狭いところを通るみたいに右肩まで入れて目を閉じ、一気に通り抜けた。目を開けたまま抜けられればそれはそれで面白そうだったが、さすがにそれをする勇気は無かった。だって僕は水中メガネ無しじゃ水の中でも目を開けられないんだから。

 左肩が抜けた頃に体を正面に向け、目を開けた。

 目の前には何もなかった。振り返ればすぐ後ろに自動ドア。その向こうは外。

(すり抜けたっ)

 少しずつ、少しずつ沸騰し、湧き出す泡のようにこみ上げてきたものが僕の頬を緩ませた。ニヤニヤする。サッ、と手を伸ばし、その勢いに任せて外へ出た。足元が絨毯からコンクリートに変わる。

 サッ、サッ、サッ。

 何度かそうやって反復横飛びのように行ったり来たりした。 

 何度目かの後、受付の女の人の人がこちらを見ていたので、ちょっと恥ずかしくなって死角になる位置まで移動し、身をかがめた。そうして小さくなってもニヤニヤは止まらない。

(すり抜ける。すり抜けられる……!!)

 試しに、側の壁に無造作に手を突っ込んだ。手首と肘の真ん中くらいまであっけなく壁の中へ消えた。引き抜く。ガラスの自動ドアと同じ。なんともない。

 確かに、死神の言ったとおりだった。姿は見えない。何でもすり抜けられる。嬉しくなって、こんなところにいないで何処かへ行って何かしようか。そう思ってちょと後ろを振り返った時。

 ちょうどホールの反対側。受付の向こう、僕の位置のほぼ対角線上に大きな部屋への入口が見えた。部屋はドアが開いていて、そのドアの横に立て看板があった。

 有沢家式場。

 スッ、と熱が冷めていく。素に戻るっていうか。

 もし、同じ日に同じ苗字の人の葬式が同じ場所で行われているなんて偶然でもない限り、あそこでは僕の葬式をやっているって事だ。

 受付の上、壁に時計がある。午後一時半過ぎ。午後からだとしても、もう、始まっていてもおかしくない。考えてみれば、このホールに誰もいないのはもう、始まってるからなんじゃないのか?

 脳裏に部屋の中の様子が浮かんだ。黒い服を着た大勢の人が、真面目な顔してうつむいて座っている。泣いている。悲しんでいる。

 でも、本当にそんなにいるかな? 泣いてるかな? 悲しんでいるかな?
 
 普通に考えれば、ありえない。ありえないけど、その向こうにいるのは家族だけ、なんて気もしてきた。いや、まさか。少なくとも中野とか香川とかサッカー部の連中はいるだろ。あとクラス担任とか、竹本とか。……いるよな?

 ここまで来て、帰るなんてやっぱりできない。負けた感があるし。

 僕は立ち上がり、歩き出した。そしたら、受付の女の人があくびをした。それを見た瞬間、僕はなんだか泣きたくなって、それからムカついてきて、怒りに任せて、いろんなことを忘れてズンズン進んで行った。

 入口が近づいてくるにつれて、何か聞こえてきた。何だ、これは? 

 ……お経か!

 やっぱり、始まってるんだな。そうなんだ。

 低く、単調だかよく通る声。でも、なんて言ってるのかはよくわからない。僕はすぐに部屋の中には入らず、入口の側の壁の寄りかかってその声を聞いた。

 これを聞いていれば、もしかしたらそのままあの世に行けるんじゃないか、そう思ったんだ。

 でも、ダメだった。僕の信仰心が足りないのか、坊主の修行が足りないのか、それとも他に原因があるのか知らないけど、眠くなるだけだった。
 はっ! もしかしたら、このまま寝てしまえば、次に起きた時はあの世――なんてことにはならないんだろうな、きっと。そんなことになるなら、死神が何か言っただろうし。何より死神なんてものが僕の前に姿を現して宣言していった意味がなくなる。

 でも、たとえそういうのが無くても、これを聴いたからあの世行き、っていうのはなんか嫌だな。こんな意味のわからない呪文みたいなもの、ありがたくもなんとも無い。

 ふいに、お経が止まった。どうしたんだろう。そのまま、何も考えずに中を見ようとした。見ようとして、止まった。いいのか? 見ても。後悔するぞ。絶対、後悔する。

 ……まあ、いいよ。それでも。別に。

 そこには誰もいなかった、なんてことはもちろん無い。それどころか、思っていたよりもずっと人がいた。出入口から一番近い場所、後列左側に背広の集団がいて、この集団は僕の予想には入ってなかった。おそらく、父さんの会社の人達だろう。

 後列右側には見慣れた制服の集団がいた。だが、ここからではその一人一人の顔までは見えない。それを確認するにはもっと近くで、前から見る必要があった。

 前方左側には司会者みたいな人がいて、中央には坊さんが偉そうに、豪華で、妙に高い位置にある椅子に座っていた。両脇に弟子か跡継ぎか知らないが二人、やはり偉そうに座っていた。

 その向こう、前方右側にあるのがおそらく親族の席だろう。父さん、母さん、姉ちゃんがいるから。後列が正面に向かっているのに対して、こちらは坊さんに向かって座っている。だから、なんとなく顔がわかる。うつむいている感じとか。

 なんか、違和感があった。自分の気持ちと、目の前の雰囲気との違いに。

 正面には僕の写真があった。もちろん白黒だ。花に囲まれている。そういうのを見ると、やっぱり、あまりいい気はしない。タチの悪いイタズラをされている気分。それにそれ、何の時の写真だ? あまり写りがよくない気がするんだけど。

 司会が何か喋り、焼香が始まった。まず、父さんが立ち上がった。僕は、もう少しちゃんと顔を見たくなって、身を低くして中に入った。見えないから意味ないんだけど、ついやってしまうんだから仕方がない。それにもしかしたら、霊感の強い人がいて、見えてしまうかもしれないし。それに、坊主がいる。腐っても坊主だ。見える可能性はある。用心するに越したことはない。
 どうにかあまり目立たない場所に移動した。それでも僕の姿が見えていればバレるだろうけど。位置的には前列と後列の間の一番左端。親族の席は正面からはっきり見えるし、学校側もなんとか横顔くらいは確認できる。

 焼香は、姉ちゃんの次の人まで終わっていた。誰だっけ、あれ。叔父さんかな? 姉ちゃんは、もう、アホみたいに泣いちゃって。母さんも、ハンカチで目を押さえたりしている。まあ、この二人は仕方がないか。予想通りだしな。父さんはさすがに泣いてない。これも予想通りだから。気にしない。

 親族がある程度進むと、今度は後列の人達も焼香が始まった。後列は焼香の場所が二箇所あって、左と右で同時に進んでいく。合計3箇所。合理的だな、と苦笑する。まあこんなところに長時間座ってられないよな。

 遠いサイド、学校側の先頭は、教頭か。次が学年主任。そして担任。その次は――。

 (長谷川?)

 やっぱり、長谷川だ。何で、と思ったがすぐにわかった。クラス委員だからだ。そうでなければ彼女が来るわけがない。ほら。いかにも嫌々来ましたって顔してる。

 その次は――。

(……誰?)

 知らない娘だった。知らない、よな? 少なくとも、クラスメイトではないはずだ。誰だ? 結構かわいいし、会ってたら、たぶん覚えてるはずだけど。長谷川の次ってことは、もしかして彼女の知り合いか? 一人で行くのは嫌だから、来てもらったとか。

 でも、何でそんなに、思いつめたような、険しい顔で、僕の写真を見てるんだ……?

 僕が彼女について考えていると、視界に別の人が映った。竹本だ。さすがに真面目な、鎮痛な? 顔をしている。いつもなんとなく何かを企んでいるような顔をしているのに。あ、あの死神とちょっと似てるかも。顔とかじゃなく、表情、雰囲気が。竹本の顔はただの冴えないメガネのおっさんだから。それに続いて出てきたのは香川だった。香川の顔はいつもと変わらないように見えた。ちょっと大人びたところがあるし、もともとそれほど本心を表に出すタイプじゃないしな。でも、本当は、どう思っているんだろう。それを見透かそうとじっと見つめてみても、やっぱりわからなかった。

 次は中野だった。中野は、わかりやすく沈んでいた。思わず吹き出しそうになったくらいだ。でも、すぐに笑えなくなった。明らかに背中に僕の影を背負っていて、そのせいで肩は重く、視線は落ち、雰囲気は真っ暗。うつろな顔で焼香をし、一度僕の写真を見て、またうつろな顔で戻っていった。涙は無い。でも、いっそ泣いていてくれた方がまだマシだったかもしれない。

 やめろよ、そんな顔するの。本人そんなに気にしちゃいないんだから。そっちも、気にしなくていいよ。

 その後はサッカー部の連中で、それが終わってからクラスメイト(教室で話す程度で、遊びに行くほどではない連中)が続いた。単純に同じクラスだから、という理由で来ている奴らもいるんだろう。ほとんど話したこともない人もいるから。もしかしたら、誰かの付き添いとか、できる限り行くように学校とかから言われているのかもしれない。

 うん。やっぱり、そういうことだろう。

 だから彼女も、そうなんだろう。表情に大した意味は無くて、場に当てられたとか、そういうのだろう。見たこともない人がいたから僕が変に気にしちゃっただけだ。

 あまり深く考えるのは、やめよう。


 焼香が終わると喪主の挨拶が始まった。父さんが立ち上がり、弔辞だっけ? を読み始める。

「本日は、お忙しいところを、息子、悠生の葬儀にご会葬くださいまして、誠にありがとうございます。
このように大勢の方々にお見送りいただきさぞかし悠生も喜んでおることと存じます」

 型通り、の挨拶から始まり、言葉が並べられていく。僕がどういう性格で、サッカーがスキで、突然の死で。
たぶん、真面目に考えたんだと思う。本か何かを参考にして。こういう挨拶にオリジナリティーなんて求めたって仕方がないのかもしれないけど、まあ、なんていうか。模範解答って感じで、面白味とか新鮮味とかが無くって、正直ガッカリした。もっとこう、僕の本音というか、本質に迫るような言葉があれば父さんのこと、見直したのに。安心、安定。冒険はせず、コツコツと。悪いことではないんだけどね。

 それでも、ところどころ言葉に詰まり、声が震えたり、ああ、やっぱり悲しいのかなーって、思えて、なんだか申し訳なくなっ
た。

 こんなことなら、嫌われていたほうがよかったかな、なんて。

「本日は誠にありがとうございました」

 そう言って父さんが座ると、葬式の終わりが告げられた。司会に促され、後列の人達が出て行く。僕はそれを眺めていた。誰も彼も未練など何も無いようにスタスタと出て行く。それは、クラスメイトも、サッカー部の連中も大体そうで、香川や、
中野でさえも、一度振り返ったりしたけれど、足を止めることはなかった。

 だからこそ、彼女が振り返り、足を停めて僕の、か、棺桶がある方を見たとき、ドキッとした。ビックリしたんだ。だって彼女がここに来たのは長谷川さんの付き添いだって結論を出したのに。

 ……それなのに、何でそんなことするんだよ。

 混乱する僕を尻目に、彼女は長谷川さんに連れられそこから出て行った。前のほうでは、棺桶の周りに親戚家族が集まって何かやっていた。最後のお別れってやつか。

 どちらも気になって、どうしようか迷っているうちに彼女は行ってしまったから、とりあえず残った人達を見た。今はたぶん、中に花を入れている。最後の別れを惜しむように中を見ている。それなのに、何故か姉ちゃんは一度花を入れた後すぐにそこから離れた。うつむいて、なるべく中を見ないようにしているみたいだった。

(何でだよ。そんなに、見たくないのかよ)

 その時、ようやく僕はそこに僕の体があるんだってことに気付いた。そうか。あそこに僕の体があるんだ。今なら、それが見れる。

 でも、僕は見に行かなかった。だって、事故にあったんだから、どんな状態かわからないし。

……姉ちゃんが見ないのは、そのせいかもしれない。

 そうじゃなくても、自分の死体なんて、やっぱり見たくはない。

 棺桶の蓋が閉められ、運び出されていく。その後ろをぞろぞろと付いていく人々。僕の前を通り過ぎて出て行った。最後の一人が出て行った後、僕もその後に続いた。

 出入り口のところに人が集まっていた。そっと近づいてみると、棺桶が霊柩車に乗せられているところだった。たぶん、これから火葬場に向かうんだ。

 そのまま火葬場に向かうんだと思っていたら、父さんが何か話し始めた。僕は建物の内側、他の人達は外側にいたし、少し距離もあったので声は聞こえない。もう少し近づいてみるか、

 とも思ったが、そうすると姿を完全にさらさなければならない。大勢の人の前に出るのはまだ躊躇いがあった。だから僕はそれ以上近づけなかった。

 少ししてから、父さんの様子がおかしくなった。泣いているのかもしれない。声も、涙も確認できないけど、たぶん、泣いてる。泣いてると思う。

 父さんも、泣くんだ。


 父さんが深々と頭を下げると、霊柩車は去っていった。それを合図にしたように、人々が動き始めた。終わった、ということだろう。父さんは霊柩車に乗らなくてよかったんだろうか?

 人の姿がまばらになった中に、あの娘を見つけた。霊柩車の去った方を見ていた。唇をかみ締めていた彼女の瞳から、涙がひとすじ流れた。隣にいた長谷川さんが彼女の頭に手を乗せた。すると彼女は長谷川さんに抱きついた。抱きついたからだが小さく震えていた。長谷川さんは少しビックリしたような、困ったような顔をした後、彼女を慰めるようにその頭をなでた。辺りに人気がなくなった後も、しばらくそうしていた。

君の手を 第3章

≪第3章 完≫

君の手を 第3章

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-28

Copyrighted
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