待ってくれと君の手を掴む

はじめまして。
「待ってくれと君の手を掴む」は長編です。
拙い分ですがよろしくお願いします。

サスペンスと青春を描きたいと思います。

日常の一片

ざわざわと賑やかなのが目を瞑っていても伝わってきて、限られた人数しか集められていないのに、どうしてこうも騒がしくできるのか不思議だ。
形は高校生でも中身は小学生なのではないのか、とたまに疑う。
寝不足の頭は朦朧としていて、遠くで聞こえるような教室のざわめきが夢の中のようだった。
窓側の席は外の冷たい空気が風ではなく窓ガラスを冷やして伝わり、天気の良い日は日差しの暖かさと反比例して空気はキンッと音がしそうな程の冷たい。
冬休み初日の補習授業。
俺・高橋美彦は補修を受けるためではなく、補修を受けさせるためにここにいる。
その原因たる幼馴染・河村藍蔵はまだ教室に来ていない。
勉強が苦手な幼馴染は早起きも身支度も不得手だ。
得意な事と言えば…。
不意に女子が発した色めいた声に思考を遮断され、外の窓枠に積もった雪の反射に目が眩みそうになりながらうっすらと瞼を持ち上げた。
太陽の日を受けて一層明るく見える髪とマフラーをハタハタとなびかせ、校門までの道をゆっくりと移動する生徒が二階の教室からもよく見える。
「誰のために冬休みだってのに朝っぱらから来てると思ってるんだ、あの馬鹿」
うんざりするよ、ほんと。
人の多い場所は苦手だ。教室にだって毎日入るのに勇気を振り絞り、ドアに手をかけて深呼吸。三秒カウントして零と同時に勢いに任せて押し入る。
それなのに「オレ、今度の簿記検定の合格ラインに届いてないから冬休みびっちり補修だって!!ジーザスッッ!ヨシお願い、マンツーマンでオレに簿記教えて~」と縋りついてきた幼馴染は涙目で、正直俺は藍蔵の泣き顔に弱いせいもあり頼みを断わり切れることは少ないんだ。
「おはよう! っッぶ!?」
教室のドアを強く開け過ぎた反動で、元の位置に戻ろうとしたドアに鼻を持って行かれそうになり、情けない表情でガラス越しに悶絶している藍蔵に、人を引き摺り出しておいて遅れてきた罰だと俺はほくそ笑んだ。
明るい栗毛に緑色の瞳、整った顔はクラスの女子よりも美少女らしく身長は残念な事に165cmそこそこだが、負けん気が強く男らしい。
しかし、三人兄弟の末っ子で上の二人が構い過ぎたせいもあり、高校生になっても少々甘え癖が抜けないきらいがある。
「お"あ"よ~」
「おそよう、随分と重役出勤じゃないか? アイ」
「ごめ"ん"。あ、オレ鼻血出てない?」
「残念だけど鼻血は出てない。鼻先が擦り切れた程度だろ。そんなもので俺の同情を買えると思うな。と言うか人の時間を奪って置いて遅刻とは…いい度胸だな、おい」
「ごめんごめん。早く起きたは起きたんだけど、ご飯食べてのんびりしてたらアッと言う間に時間過ぎてて」
「じゃあせめて急いで来いよ。見てたぞ。ノロノロ歩いて来るの。」
「なに言ってんの、めちゃ強歩で来たって!あ~ここからだと判んないよね。オレの急いでた気持ちっ」
藍蔵は窓にペタっと顔をくっつけて、自分が歩いてきた路を見ながら残念そうに首を振った。
その様子からは遠くからだろうが、間近であろうが焦りというものが一切感じられない。
「アイ、」
「お前、反省の色ってのが全然ねぇな」
そう言った大石凛は藍蔵の後頭部をグワッと掴むと窓に押し付けた。
「だ!?」
「高橋、コイツにはこれっくらいしねぇと」
「いだい!いだい!」
「オラオラさっさと反省しねぇと窓突き破るぞ~」
凛が言っているのは大袈裟ではないようで、窓枠がミシミシと悲鳴を上げる。
「ごべんなだーい!!」
ついでに藍蔵も悲鳴を上げ、いつも天真爛漫で美しい顔が無様にも歪んでいる哀れな姿に溜飲が下がった。
「大石、もういいよ。アイのその顔はかなり見苦しい」
「ひ、酷い!普通可哀想とか言うもんでしょ!」
解放された藍蔵が窓の冷気ですっかり冷たくなった頬を摩りながら抗議するが、俺はそれをスルーした。
「朝から騒がっしいね~、お前さん達」
「委員長」
「もう少しで先生来るよ。少しは静かにしようねっ。俺が北沢センセに怒られるんだから」
「悪いな。頭の悪い犬の躾してたもんでよ」
凛が藍蔵の頭をバシバシと叩き、常に在るのではと思われる眉間の皺に力を込めた。
「お前らだってオレと同んなじ補修組だろッ。オレだけ特別頭悪いみたいに言うなーー!」
「いや、特別馬鹿だろ」
にべもなく言い放つと凛と真紀以外の周りの生徒達までもが苦笑いを浮かべ、藍蔵に同情の眼差しが集まる。
「あーあ、凛でさえ遠慮して言わなかったのに」
その一言に藍蔵が吠えた。

「バカにされるのも嫌だけど、同情されるのはもっと嫌だーーッ!」

平凡な毎日はこんなことの繰り返しで、コミニュケーションが苦手なせいで教室を怖がっている事も人に知られずにいれば、俺は普通の男子生徒の一人だ。
「お前ら~席に着け~」
プリントを山程抱えて教室に入ってきた北沢恭二先生も、
「そんなにやるのー?」
補修プリントの多さに不平を述べる女生徒も、
「センセー、席は自由で良いんですか?」
勿論、俺の親友も。
誰もが人に知られていない想いを抱いて生きている。
もしかしたら先生は体育授業の隙に女子の制服をあらぬ事に使用しているかも知れないし、あの女生徒は普段口も利かず小馬鹿にしている男子生徒に淡い恋を抱いてるかも知れない。
藍蔵だって、実のところ俺の事を二、三発殴ってやりたいと思っているかも知れない。
そんな事を考えてばかりいると、思考がグルグルと同じ場所から動けなくなり、終いには口にしようとした言葉が立ち止まったまま動こうとしなくなってしまった。
「教え合って解らなかったとこだけ聞きに来いよ。プリントは五枚あるけど、満点取った奴は帰っていいぞ。職員室にプリント置いてけ。それからな、満点取ってもやってないプリントは持って帰って家でやるように。以上、他に何かあるか?」
「ねぇヨシ、机くっつけても良い?」
それでも、こうして学校に来られるのは多分藍蔵のお陰だ。
「あぁ、御所望通りマンツーマンで教えてやるから、さっさと満点取れよ」
「アイアイサーッ」
本人はそんな覚えないだろうけど、答えはいつだって自分で導き出せると、こいつから学ばせて貰った。

「さぁ補修開始だ。お前ら先生を早く帰らせてくれよ」

まぁ、補修くらい付き合ってやるか。




「で、どこが分からないって?」
「俺はここの仕訳が」
「高橋センセー俺も分かんないっ」
「ヨシこれ計算どこで間違ってるんだろう?合計が合わない」
「………」
なんでこうなった!?
と思わず叫び出しそうになるのを美彦はギリギリの所で飲み込んだ。
補修が始まり一時間程経った十時頃、彼の周りには男子達が机を寄せて集まっていた。
自分で解いた問題も含め、補修プリントを手に凛、藍蔵、佐々木尚が次々に質問を投げかけて来る。
これが女子だったら幾ばくか楽しい時間になるだろうが、と美彦は教室を見回す。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、補修を受けに来ている女子生徒は仲の良い者同士でまとまっていた。
須藤奈緒、児玉那央、中川果奈はいつも行動を共にしている三人組で、山田龍美、三浦南朋は常にとは言わないが班割をする時はセットで居ることが多い。
ただ、生方陽子という生徒はコミニュケーションには問題は無いけれど、一人で居る事がほとんどだ。

「あ、高橋がこっち見てるよ」
「ほんとだ〜。あれ絶対果奈のこと見てるよね」
「やだ〜、根暗とかマジないし」
「え〜、そうかなぁ」
「あれれ、もしかして那央ってば高橋のこと気になちゃってるとか?」
「那央は真面目君が好きだからなぁ」
「そ、そんなんじゃないよ」

「『も〜!止めてよっ』的なこと言ってそうじゃね」
既に補修に飽きた藍蔵が、美彦の視線を追って裏声で勝手にアテレコを始め、うひひと笑った。
顔は真顔でプリントに向かっている凛も悪ノリし、裏声で喋り出す。

「私は正直、根暗君よりも〜佐藤みたいな悪い感じする男が好きみたいな〜」
「果奈ってそういう感じ好きだよね」
「奈緒はあれでしょ?河村とか逢士みたいな可愛い系男子をはべらせたいんでしょ?」
「ハーレムっ」

「『え?大石?ないない!目つき悪過ぎ〜』みたいな?」
佐藤夏織と組んで近くでプリントをやっていた小林舞笹が途中から凛に変わってアテレコに参入して、
小馬鹿にしたような視線を美彦たちグループに向けた。
「『小林って、いっつも何か聴いてるけど時々こっち見ててキモイ!超むっつりなんじゃねー』…って言われてる可能性もなきにしもあらずだぞ。おい馬鹿ども。遊ぶのは補修が終わってからにしろっ。口じゃなく手を動かせ、手を。佐々木を見てみろ。同じ馬鹿でも黙っていればこれだけ進むんだ」
「馬鹿って、」
アテレコ劇場の餌食になったのが不愉快だったのか美彦は最後に悪ノリした舞笹に一撃を与えて、ついでに悪ノリをしていなかった尚にも毒の刃を一振り。
尚は苦笑していたが、その他は不満気にそっぽを向き合った。
「飽きた〜!」
藍蔵が机の縁に手のひらを乗せ、指先でパタパタとプリントを叩く。
「大体よぉ、生徒だけに補修やらせるってどうよ。北沢の野郎職務怠慢だ!」
「そーだー。タイマンだ!」
「アイ、怠慢の意味分かってるのか」
放って置くとどんどん五月蝿くなりそうな自分のグループに、北沢に面倒ごとを押し付けられた感が強くなる。
「まぁまぁ、そうイライラしなさんな」
ぽんぽんっと肩を叩いてそう言ったのは、やはり補修に飽きた真紀。
「委員長、…代わってくれ」
「い・や」
「…余計に苛々して来た」
どいつもこいつも補修に飽きやがってと美彦は心の中で毒づき、ぎゃわぎゃわとした喋り声に頭痛を覚えた。

「うるせぇー…」

小さな声で陽子が呟いたが、聞き止めたのは一番近くに座っていた美彦だけで、そっと彼女の方に視線をやると言葉とは裏腹に顔が無表情でゾッとした。
(怖っ)

ガラガラ

「みんな補修頑張ってるか?」
暢気な調子で教室を覗き込んできたのは書道を受け持ってる鎌神亜郷。
美術部の顧問で自身も絵を描いている彼は、つけている黒いエプロンが油絵具で絵のようになっているのに気づいているかどうか。
女子がにわかにそわそわし始めたのが手に取るように分かった。
鎌神は受け持っている部活が文化系なのが勿体無いくらいの長身で、ついでに中々の男前だ。
「鎌神せんせ〜」
奈緒が亜郷に近づくと続いて果奈も駆け寄る。
那央だけは席から離れずに、もじもじとその様子を眺めていた。
だが美彦は思った。
鎌神にいくらアピールしても無駄だ、と。
同じ事を考えていたのか藍蔵が美彦の耳に顔を近づけコソッと耳打ちした。
「亜郷センセー、ホモなのにね」
鎌神がフェミニストに見えるため女子生徒たちは気づかないが、彼は女だけではなく男にもとても優しい。
そして、高校生になど興味がないことは、一定の距離をとる態度を見ても明らかだ。
「ホモじゃなくてバイだろ」
凛がボソッと言う。
しかし、あくまでも推測であり本人に確認した者は、まだいない。
「北沢先生は…居ないみたいだね」
奈緒達の相手をし終えた鎌神が改めて教室内をぐるりと見回す。
「きょーちゃん先生なら多分職員室じゃない?質問あったら来いって言ってたし」
「全然見に来ないからもしかしたら居眠りしてるのかも」
時計を見ると十一時少し前で、そろそろ誰かが解答に悩んで質問をしに行くかどうかという頃合いになっていた。

「ねぇ山田、ここさ」
「これは、こっちの…。それより南朋のこの答え、なんでこんなんなってんの?」

龍美と南朋はまだまだ相談中と言った感じに顔を突き合わせている。

「亜郷先生は今日どうして学校来たの〜?」
「ちょっと描きたい絵があってね。副担してるこのクラスが学校来るって聞いて、じゃあ僕も補修のお手伝いしますって教頭先生に言って、特別に登校許可貰ってるから。北沢先生に口裏合わせといてってお願いしようと思ってさ」
「いま手伝ってけば嘘にならないよー」

奈緒のグループは補修よりも別な事に夢中になってしまったようで、陽子はと言えば、そんな彼女らを見て、またもや「うるせー」と呟いていた。

「だから、未収費用を費用に入れるのは違うってば」
「え〜?」

巴が何度目かと窺える説明をしているのに続き、恐らく理解していないであろう真紀の声がする。
学級委員長だからと言って、勉強が出来るとは限らない良い例かもしれない。

「佐藤できた?」
「んー…、まぁこんなもんか」

舞笹と夏織が終わったプリントを見せ合い解答の相違を確認し始めているのを横目に、美彦は自分の周りにいる可愛い馬鹿どものプリントを見た。
八割方終わっているが、取り敢えず自分達で解かせているため不正解が多々目についた。
「まだまだかかりそうか」
そう言えば、補修の終了時間は何時なのだろう。
まさか昼過ぎまでかかるのではと美彦が外に目をやると、登校時に晴れ渡っていた空からいつの間にか牡丹の花びらのような雪が落ちて来ていた。
「えらい降って来たな」
尚が美彦の視線を追って、外が吹雪始めていることに気がつく。
「なぁ、補修って何時までか聞いてるか?」
「さ〜、プリントが終わるまでかなぁ。馬鹿ばっかで終わんないけど」
それには美彦も同感だったが、どんよりと重たい色の雲が隠れてしまいそうな程に降りしきる雪に、補修が終わる頃には帰れなくなるのではという気がした。
「ちょっと先生に補修いつまでするのか聞いて来る」
海と山がある街の天気は気まぐれな上に傍若無人で、下手をすると一寸先すら見る事が出来なくなる。
早々に帰宅したい美彦は北沢を捜す為に立ち上がった。
「みんなは補修続けてて」
「ヨシどっか行くの?」
「職員室だ。お前はついて来るな。プリントをやれ」
「オレも調度恭ちゃん先生に聞きたいとこあったんだよね〜」
「アイは先生に質問する前に俺に聞け。なんの為にここにいると思ってるんだっ」
ゴツっと藍蔵に頭突きをして美彦はサッサと教室を出ていった。
「い"ッた〜。あ、待ってよ!ヨシ!」


「あの二人ほんと仲良いよね〜」
南朋が美彦と藍蔵が教室から出て行ったのを見て龍美の方へ身を乗り出す。
「いっそ付き合えばいいのに」
クスッと龍美が笑った。
「いやいや、もう付き合ってるでしょ」
きゃっきゃとはしゃぐ彼女達の会話は、男子によるアテレコよりも予想外な展開であることは当の本人達には知られないのであった。

待ってくれと君の手を掴む

待ってくれと君の手を掴む

北海道の東部に位置するとある高校。 商業科の数人が検定に向けての補修の為に集まった冬休み初日。 問題なく進められた補修とは逆に天候が荒れ、補修後もひとまず学校で過ごすことに。 しかし瀕死のクラスメイトの最期の言葉を聞き、穏やかだった補修が一変。 犯人は、学校の中にいる。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-28

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