グレン・グールド論
鈴木雅春 作
はじめに
本論では、グレングールドという一人のピアニストの活動の中から「演奏会メディア」「録音芸術」「フーガ」の三つに焦点を当てて、以下の二つのことを明らかにしたい。一つは彼が西洋音楽史という大きな流れの中で、非常に大きな転換期の中を生きた人物であること。そしてもう一つは、彼の行動や言葉や演奏が、その転換期に起きた様々な特徴を非常に象徴的なかたちで示していること、である。今なお、他のピアニストたちの追随を許さないこの天才が、その神話から逃れて歴史的文脈の中に置き据えられた時、果たして何が見えてくるのだろうか。
第Ⅰ節 演奏会メディア
この節では、グールド三十二歳の時に決行した、彼の演奏会活動引退宣言を軸に論を進めていく。まずは彼が生涯に渡って嫌悪感を抱いていた「演奏会メディア」というものの性質を明らかにしていくとともに、続いて、彼が実際に行った「拍手禁止計画」という「演奏会メディア」に対する抗議活動についての考察。そして彼が後に提唱した「演奏会死滅論」を見てから、彼の演奏会活動引退までを追っていくことにしよう。それによって私たちは、グールドが「演奏会メディア」に対して考えていた限界と、「録音芸術」(第二節でみることになる)に対して抱いていた理想を、確認していくことになる。
a.演奏会メディアの誕生
現在を生きる私たちが慣れ親しんでいる「演奏会メディア」の誕生は、十八世紀ウィーン古典派の時代まで遡ることになる。それまでの音楽は基本的に教会ないし王侯貴族の独占物であり、今のように録音技術がない当時は、一般の市民が気軽に音楽を聴くということは難しかった。そんな状態の中で、市民革命およびそれに伴う貴族階級の没落を背景に、いち早く市民に開放された「演奏会メディア」を成功させたのがハイドンである。彼が一七九〇年代にイギリスで公開演奏会を大成功させた話は有名で、モーツァルトが自作演奏会を行ったり、ベートーヴェンがパトロンを拒否して自立作曲家になったりと、ハイドンが後の「演奏会メディア」に与えた影響は非常に大きかった。勿論実際に演奏会を訪れるのは まだ一部の富裕層であって、全ての市民が気軽に演奏会を訪れるということにはならなかった。けれども、「全ての人間に開かれた音楽」という理念の萌芽を、この時代に見て取ることは十分に可能なのである。
b.演奏会の雰囲気の変化
そんな演奏会の雰囲気が、一九世紀に入ると二つの勢力に分裂していくようになる。その二つをここでは便宜上「真面目派」・「娯楽派」と呼んでおこう。「真面目派」の風潮が発達したのは主にドイツ圏で、彼らは音楽を、偉大な巨匠の崇高な精神を全身全霊で享受するいわば「疑似宗教」的なものと看做していた。
一方「娯楽派」の風潮が発達したのは主にフランス?イタリア圏で、これはドイツに比べこれらの国の作曲家たちがグランドオペラやサロン音楽といった商業的な要素が強いジャンルの音楽を積極的に作っていたことに関係している。イタリア語の「ムジカ・デデスカ(ドイツの音楽)」という語が、今でも「あの小難しくて、つまらない音楽」という皮肉なニュアンスを持つのは、よくこの二つの対立を物語っているだろう。もう一つ、ここでは「真面目派」の代表格であったワーグナーの言葉を引用する。
――肝心ことは、われわれは理想的に再生された作品そのものを聴かなければならないということであり、作品に対するわれわれの注意が演奏家の特別な性質によって毫も損なわれてはならないということである。不幸なことに、今日公のところで音楽が演奏される状況は、この当然の要求にまったく反している。聴衆の関心と興味はまずもって、演奏家の技巧に向けられているのだ......。(RichardWagner,"DerVirtuosundderKunster",p.107)
ここで彼が述べているのは、音楽を、ヴィルティオーソの派手な技巧や、末梢神経を刺激するだけの安易な盛り上がりなどで評価してはならず、人は作曲家の偉大な精神を統一的に把握するべきだという主張である。やはりここでも、「真面目派」が「娯楽派」の音楽を、感覚的にすぎず大衆に迎合している瑣末な音楽だと批判していることが見てとれる。
以上にみた両者の亀裂は時代を下るとともにさらに深くなり、「娯楽派」の風潮は後のポップスに引き継がれ、「真面目派」の風潮はクラシック業界の中で更に腐敗していくことになる。グールドが批判した演奏会メディアというのは、まさにこの「真面目派」の残党であり、彼はそれに対して様々な発言や行動を通して反発していくことになる。次は、彼のその具体的なアプローチとしての「拍手禁止計画」という実験を考察していこう。
c.拍手禁止計画
一九六二年、「ミュージカル・アメリカ」誌に掲載された「拍手を禁止しよう!」という論考の中で、グールドは演奏会での「拍手禁止計画」を提唱し、更に半年後の一九六二年七月の自ら音楽監督を務めるコンサートで、この計画を実行することになる。彼は本気で、「私たちの文化」から拍手等の「聴衆の反応を徐々に、しかし完全に排除する」べきだと考えていた。以下に、その理由を説明する彼の言葉を引用する。
――芸術とは、人の心に内なる燃焼を起こしてこそ意義が認められるのであって、おおやけに向け浅薄な示威行為を導いても芸術の意義は認められないと信じるからだ。芸術の目的は、アドレナリンの瞬間的な分泌にあるのではなく、驚きと落ち着きの状態を、ゆっくりと、一生涯をかけて構築していくところにある。ラジオや蓄音機のおかげで、私たちは美的ナルシシズム(最良の意味での)の諸要素を急速かつ適切に評価できるようになり、ある課題に目覚めつつある。それは、個々人がじっくり考えながらそれぞれの神性を想像するという課題である。(GlennGould,"Let'sBanApplause,"MusicalAmerica82,no.2;republishedinGGR,245-250)
音楽の真の価値とは、瞬間的な感覚による興奮状態などではなく、個々人がじっくりとそれぞれの神性を想像する(=美的ナルシシズム)活動にあるのだ、というグールドの意見は、そのまま、演奏後の突発的な感情表現である「拍手」を排除するべきだ、という結論に結びつく。その裏には、彼の演奏会に来ている聴衆が、「演奏を何かの運動競技だと考え、危険の及ばない場所で、目の前の光景を楽しんでいる」ばかりで、「音楽とひとつになろうとする演奏者の努力」に関与しようとしない光景に絶望したという体験があった。彼はもう演奏会にきた人々とともに、音楽が我々の周りを包み込み皆が一つになるような「共同体体験」をすることは不可能だと考えたのだった。だから、人々は演奏会で例え素 晴らしい演奏にであったとしても、その場で「拍手」をすることによって公にその意志を発する必要はないと考えるのである。
ここで確認されることは、グールドが演奏家と聴衆の間に自然と生じていた「拍手」のコミニュケーションを排して、個々人が各々独立して厳粛に音楽の美を享受するべきだ、という「美的ナルシシズム」の態度を重要視していたこと。そして、この考えがグールドを録音芸術へと向かわせる大きな要因となっていたことである。この「美的ナルシシズム」という彼の思想は、次に見ることになる「演奏会死滅論」へと、引き継がれていく。
d.演奏会死滅論と引退
グールドは演奏会活動引退の二年前、以下のような発言を残している。
――私は絶対の確信を持っていますが、いつの日か、独奏による音楽の夕べはすっかり消滅するでしょう。もしかしたらある種のオペラは残るかもしれませんが。かつて演奏会の習慣に専心していた人々も、レコード、ラジオ、テレヴィジョンを介したナルシスティックな聴き方に転向するでしょう。(中略)別に悪いことではありません。録音が音楽鑑賞に果たした貢献はじつに大きいですし……。(DonaldL.Hoffman,"PianistPredictsandEndtoConcertEra,"KansasCityTimes,November23,1962.)
このように、グールドは演奏会ピアニストとして活動してきた中で常にスタジオへの愛着を示しており、が故に、新しく生まれた録音芸術を介した「美的ナルシシズム」による音楽聴取の態度を提唱し続けてきた。その一環として、その内省的な態度を実際の演奏会にも持ち込もうとする異例の実験、「拍手禁止計画」を敢行し、最終的に一九六四年、彼自身の十二年間演奏会活動に終止符を打つことになった。
第Ⅱ節 録音芸術
この節では、グールドが生涯の間で数多くの活躍を見せた場である「録音芸術」と、その大きな特徴である「編集行為」そしてそれに伴う彼の「贋作者的作品観」について論を進めていく。まずは、グールドが行う音楽の切り貼り作業、即ち「編集行為」を批判した、「オーセンティック(=本物=正統性)」を主張する人々の音楽観を考察し、その後に、それに対してグールドが展開した反論と具体的な事例について見ていきたい。また、「録音芸術」が登場してくることによって同時に発生した「新種の聴き手」なるものを彼が重要視した点も見逃せない。ここでは、音楽というジャンルに非常に大きな変革をもたらした発明―「録音芸術」―の提唱者兼実践者であるグールドの一面が浮かび上がってくる。
a.一九世紀的作品観
「クラシックとは偉大な作曲家が残した作品が秘めている深い精神性を享受する音楽である」といったような音楽観は、初期ドイツロマン派詩人達のそれと、非常に深い関係にあった。彼らは、あらゆる諸芸術の中でも音楽だけが(とりわけ器楽曲こそが)、音それ自体の抽象性ゆえに、この現実世界を超えたものを表現できると考えた訳だが、音楽には「絶対的で唯一無二な正しい作品、若しくは、作品解釈」というものがあると、人々に思わせた原因はそのあたりにあるだろう。それ以前の時代においては、何の概念も持たず、ただ人々の感情を刺激するだけのものとして、様々な芸術のジャンルの中でも特に低い地位を与えられていた音楽が、この自らの保身のために企てたこのコペルニクス的転回が後世 へ残した影響は計り知れない。グールドの「録音芸術」を不当なものと看做した側の人間達も、この影響下にいたと言える。
b.録音芸術の意義
論文「録音の将来」の中でグールドは「録音芸術」とそれに伴う「編集行為」についての擁護論を展開している。録音芸術は、演奏における偶然性や偶発性を除去し、いわば、演奏者のミスタッチや集中力の欠如を隠蔽する「不誠実で非人間的なテクニック」であると批判する録音・編集行為反対論者に対し、彼は、そういった価値観自体が西洋音楽(一九世紀ロマン派的)のつまらない伝統だと切り捨てた。「演奏は一回きりの真剣勝負でなければならない」といったことは音楽の本質とは無関係であって、そもそも編集の対象は音楽の様式自体ではなく、むしろ編集とは様式に対する信念に基づいて行う行為だ、とグールドは反論するのである(Gould,"TheProspectsofRecording,"337)。
ここでグールドが批判しているのは、「演奏家とは、偉大な作品と誠実に向き合い、たゆまぬ努力と研鑽を重ねることによって、いずれかは理想的な一つの解釈に辿り着けるであろう」というような「オーセンティック」を重視する価値観と、それが歴史的文脈におかれた時に生じる「歴史的進歩主義」とである。(以下のグールドの発言で出てくる「クロノロジー」とは、時間軸に従って物事を整理することであり、ここでは「歴史的進歩主義」と同等のものとして扱われている。)
c.新種の聴き手
以上で「録音芸術」とそれに伴う「編集行為」について、演奏者側を中心に論を進めてきたが、一方でグールドが重要視していた聴衆側の変化、即ち、「新種の聴き手」なるものについても言及したい。「新種の聴き手」とは、録音技術によって自宅で音楽を享受し、さらにまた、その録音された作品を自由に編集して、作曲家・演奏家の領分にまで積極的に参加していくような聴衆のことである。その例として彼は、様々なアーティキュレーションの録音の断片を用意し、聴き手が自由にそれを組み合わせて楽しむという「編集キット」なる珍商品の開発も考えていた。そのような聴衆の登場によって、「ルネサンス以後の世界に存在してきた具体的で、はっきりと明示された区別(作曲家/演奏者など)は決定的にぼ やけてきますし、さらに重要なことに、聴き手―いや、統計を意識した言葉としてより適切であれば、消費者と呼びましょうか―の役割が、作曲や演奏者の役割と、かなりの程度重なっていく」(Gould,"AnArgument,"116)ことにより、「聴き手は彼だけのベートーヴェンの第五交響曲を物理的に作り出せ(中略)カラヤン氏でも、バーンスタイン氏でも、自分が取り仕切りたいどんな指揮者を組み合わせてもいい、彼が好ましいと思う特徴のシロップ煮を作る」(Gould,"AnArgument,"125)ことができるようになった。
この事態をグールドは、「音楽的ヒエラルキー内部で進行しつつある専門化が引き起こした大問題が修復され」、「作曲家、演奏家、そしていちばん大切な、聴き手の役割のあいだの新しい統合を実現させることにもなる」と、好評価をしている。そしてこの論理は、次に見ていくグールドが描き出した芸術の未来像にまで繋がっていくことになる。
d.万人に解放される芸術
論文「録音の将来」の末尾は、こう締めくくられている。
――「存在しうる最良の世界にあっては、芸術は不要となるだろう。そして芸術に備わった活力回復と癒しの力を求める人はいなくなる。芸術行為を専門の職業に使用とすれば、それは厚かましい営みとなろうし、芸術の効用のあらましを説けば、それはおこがましかろう。聴衆は芸術家となり、その生活は芸術となるのだから。」(Gould,"TheProspectsofRecording,"343)
ここでグールドが述べているのは、音楽が万人に開かれることによって、作曲家と聴衆の区別が無くなり音楽の非専門家が徹底され、そしてまた、誰しもが自分で音楽を作りその効能を自主生産できるが故に芸術は日常に回収される、ということである。この発言には、グールドがわざと読者の反論を挑発しているとする声もあり、おそらくその通りだろう。しかし、彼がこのような発言をする裏には、それほどまでに、録音芸術という新時代のメディアに期待を寄せていたということが、顕著に現れていることを見逃してはならない。
第Ⅲ節 フーガ
この節では、グールドが愛した「フーガ」というものについて基礎的な知識を押さえつつ、その向こうに見えてくる「フーガ的なもの」について考察を進めたい。「フーガ的なもの」とは、―感覚的に理解するために先取りして言うのであれば―「アンチ・ヒエラルキー的なもの」、「背景的なもの」、「軽やかな聴取を求めるもの」のことである。彼が「フーガ」を好んだということは、同時に彼が「フーガ的なもの」をも好んでいたと言うことになる。いや、むしろ彼の中の「フーガ的な精神」が、「フーガ」それ自体と呼応したとでも言うべきであろうか。いずれにせよ、「フーガ」と「フーガ的なもの」、そしてグレングールドとは、一つの直線上に置くことが可能なのである。
a.フーガとソナタ形式
フーガとは、複数の声部が互いに絡みあうようにして主題を奏でていく対位法的(水平的)な楽曲形式である。九・十世紀に生まれたグレゴリオ聖歌から始まり、オルガヌム・モテット・カノンと続いたこれらの対位法的楽曲は、フーガという形で大バッハによって集大成を迎えた。彼の死後は長らく音楽史の第一線には姿を現すことが無くなり、フーガの再登場は二〇世紀初頭に起きた反ロマン派・反機能和声の時期まで待つこととなる。
その一方で、更にフーガの性質を明らかにするために、これとは正反対のソナタ形式と呼ばれる楽曲について見ておきたい。ソナタ形式とはまず第一に和声的(垂直的)な楽曲形式である。その和声的楽曲の誕生は、やはり大バッハの『平均律クラヴィーア曲集(DasWohltemperierteKlayier)』であろう。そしてそれ以降に続くロマン派の時代では、我々に馴染みのピアノソナタにしても弦楽四重奏にしても交響曲にしても、このソナタ形式が採用され、この隆盛は前述した二〇世紀初頭のフーガの復権まで続くこととなる。
b.アンチ・ヒエラルキー
ところで、この節の初めで見たように、フーガが「アンチ・ヒエラルキー的なもの」だとすれば、その反対項にソナタ形式が「ヒエラルキー的なもの」として、対置される。そのことを示す為に、この二つを作曲技法の点から見ていこう。
中世からルネサンスにかけての対位法音楽、そしてその集大成としてのフーガは、やはり「神のための音楽」であった。まだまだ人間の情感を表現するような「人間のための音楽」ではなく(勿論それまでに幾つもの微かな萌芽はあったにせよ)、それは荘厳で重々しく、神を讃えつつも同時に、神に恐れおののいているような響きを持っていた。作曲技法としても同様で、フーガにおいては、構成する各声部のどれか一つが際立って目立つことは無く、それぞれの声部が互いに上手く協和し如何に全体の調和(一元的)を生み出せるか重要であった。なので、この声部が最も重要で、その声部は補助的なもので...などといった優劣、すなわちヒエラルキーは存在せず、それよりも各声部は平等にそれぞれの働きを することによって全体に貢献するのである。
では、ソナタ形式が持つ特徴とはなんであろうか。まず第一に、自らの想いや意見を歌う「個人」が存在しているという点、即ち「人間のための音楽」という性格が強いという点である。ベートーヴェンの激情、シューマンの愛らしさ、ショパンの情緒、例を挙げれば限りが無いほどにロマン派の作曲家たちは皆、自らの想いの丈を歌っているし、これほどまでに人懐っこく我々と同じ等身大の人間像を感じる音楽は、この時代から始まった。作曲技法としても同様で、まず主役となる主旋律(メロディー)が重視され、伴奏(和声)がそれを支える、という形をとる。ここではまさに、歌う個人がスポットライトを浴びるべきで、脇役はそれを盛り上げろと言わんばかりのヒエラルキーが存在しているのだ。それ と同時に、ソナタ形式の最大の特徴は、二つの主題(二つは対比的な性格をつけられる)の最終的な和解を求めて互いに拮抗していく動きが楽曲の推進力を保っているという点だろう。少し穿ち過ぎた解釈かもしれないが、ここに「近代の全体を失った個人が、自己分裂を重ねていく自分をもう一度折り合わせんとする意志」を見ることができるのではないだろうか。
いずれにしても、グールドは生涯に渡って非常にこのフーガという形式を好んでいた。彼のレパートリーの大半は対位法的音楽であったこと。また、ロマン派的(ソナタ形式的)作品を取り上げたとしても、和声的な響きを無視して対位法的な演奏に無理矢理といっていいほど弾き換えていたこと(ベートーヴェンのピアノ協奏曲第五番変ホ長調や、ブラームスのピアノ協奏曲第一番ニ短調など)はそれを示す良い例であろう。それは、以下のグールドの発言からも伺える。
――音楽とは何かという概念そのものが、私たちを取り巻くあらゆる音、つまり環境がもたらしてくれる音すべてとこれまで絶えず融合してきたと私は考えています。その意味で、対位法の作曲家達、特にルネサンスの作曲家達と、いわば彼らを歴史的に代表するバッハは、これを実践に移した最初の人たちでした。(中略)道筋のどれかひとつが優位に立つことや、高声部や低声部や定旋律に対して、残りの二つないし三つの声部がへりくだってお辞儀することなど彼らの想定外です。(GouldandDavis,"Well-TemperedListener,"280)
この発言の後半部では、前にも述べた通りグールドの「主旋律/伴奏」といったものへの批判、即ちアンチ・ヒエラルキー的なものが見られる。では、前半に見られた、「音楽が決して非日常的なものだけでなく、日常(=環境)の影響を絶えず受けている」ということは一体どういうことか。
c.背景的なもの
グールドは「電子時代の音楽論」という講演で、バックグラウンド・ミュージックを「編成された響き(organizedsound)」と呼び改め、その擁護論を展開する。「編成された響き」とは、日常の中に浸透している環境音楽という意味だけでなく、彼曰く、「どんな時期、時間、様式であろうと、音楽の基本的な流儀、特徴、癖、慣習的な仕掛け、統計的に頻度の最も高い表現」(Gould,"AnArgument,"127)つまりクリシェというものを、場所・時間・用途に合わせて「編成」した音楽という意味をも視野に入れている。
グールドは、こういった一見すると陳腐に見えるありふれた音楽(=背景)こそが、芸術家たちの想像力を刺激し、偉大な芸術音楽(=前景)が生まれると考えていた。ここに、ロマン派の常套句(とりわけドイツに強く見られた傾向)、”音楽とは決して聞き流されるものではなく、人々は作曲家の精神の結晶である作品に全身全霊を傾けて向き合わねばならない”といった価値観へのアンチテーゼをみることは容易である。サロン音楽やキャバレー音楽などの娯楽音楽を軽蔑視し、芸術音楽のみを重要視することはグールドに言わせれば「背景なき前景」を求めているに過ぎない。彼が見極めていたのは、独創的な芸術音楽が数多くのクリシェを生み、それによって「編成された響き」が作曲家の想像力を刺激する、 といった循環的な相互関係の重要さである。
以下は、次の項目とも関わってくるグールドの言葉を引用して、「背景」というものが「オープンエンド(open-ended)」という性質を持つことを確認しよう。「オープンエンド」とは、終わり(エンド)が設定されていない(オープンである)ということであり、噛み砕いて言えば―終始通しで集中して聴くような音楽とは反対の―つまみ食いのような軽やかな聴き方が許される音楽のことである。
――ところで、ホテルのロビーやダイニング・ルームに流れているミューザック(=バックグラウンド・ミュージック括弧内筆者)のことですが、バッハと、ミューザックの形態で製造された音楽とのあいだには、関連があります。フーガそれ自体の本質にはミューザック的な意義がこめられていますよ。あるいはフーガでなくとも各声部が自分の生きたいように生きるという姿勢を含むあらゆる音楽はみなそうです。なぜなら、フーガの第一の機能とは、オープンエンドを本質とする体験を示唆することにあるからです。エレヴェーターに乗り(その中で三十五秒間だけマントヴァーニを聴き)、十九階で降りる程度の気軽さで、ある音楽体験にちょっと浸り、やがてそこから抜け出るようなものだと考えたらどうでし ょうか。ドアが開くと、ピーター・ネロが流れるゾーンに入り、それからほかの誰かの作った音楽的装飾に満たされた場所に移動します。ある意味で、バッハとはこういうものだと思います。なぜなら、バッハはどんな互換性でも受け入れる用意が明らかにあった人だからです。さまざまな楽器編成や、さまざまな調性のあいだの互換性を――。(GouldandDavis,"Well-TemperedListener,"278)
d.軽やかな聴取
このグールドの発言から、バックグラウンド・ミュージック=編成された響き=背景=オープンエンドという四つ概念が、繋がったことがお分かり頂けたと思う。そして、これらの音楽と私たちが付き合う時に生まれてくるのが、前述したつまみ食いのような、即ち「軽やかな聴取」というものである。そして更に、グールドはフーガという音楽に対してさえ、この「軽やかな聴取」が可能だと言う。先にも挙げた『平均律クラヴィーア曲集』第一巻フーガ・イ短調の例はこれを良く示しており、フーガのオープンエンド的な性質が、このような「軽やかな聴取」を可能にしていることを、グールドは自ら立証して見せた訳だ。
分かりやすくするために、この軽やかな聴取が不可能な反対例を考えてみよう。もし私たちがマーラーの交響曲を一瞬聞き逃したとするならば、私たちはたちまち自分がこの作品の中でどこに立っているのかを見失ってしまう筈だ。ソナタ形式の極北ともいえるマーラーの交響曲は、それほどまでに「構造性(⇔断片性)」に突出していて、聴き手にも同様な理解の仕方を要求する。それは、提示部と再現部の関係性、第一主題と第二主題の対比から、展開部の主題労作の発展などなど、その作品の中に互いに関係し合ういくつもの要素を含んでいるこの類いの音楽は、聴き手にもそれを理解するための高い楽曲理論と集中力を要求する。その際には当然、「軽やかな聴取」は成立しないのである。
つまり、フーガ(=対位法)という作曲技法が持つ、調性、リズム、声部、展開、楽器編成などを容易かつ自在に変化可能であるという性質が、もとより終わりを想定していない(=オープンエンド)であるということ。そして、その「断片性(⇔構築性)」、即ち、フーガのどこを切り取ってもそこには自立的な展開があるという性質が、この「軽やかな聴取」を可能にしているのである。
終節
以上、<演奏会メディア><録音芸術><フーガ>の三つに焦点を当ててグールドがどのような思想を抱いていたのかを見てきた。この節では、私にとってのグールドを、やや断片的にはなってしまうが、述べてみたいと思う。
彼が演奏会から引退し録音芸術に活躍の場を移したことは、やはり「美的ナルシシズム」という彼の思想が根底にあったからだと思う。演奏会での音楽体験で真実の音楽体験はできないと言い、人はもう自宅で音楽を楽しむべきだ考えた。しかし、一人で楽しむ音楽が果たして成立するのだろうか。まだ断言は避けておこう。しかし、ここにはそう簡単に解決できない音楽の本質に関わる問題が潜んでいると思う。また、彼の言う「美的ナルシシズム」が、教会を捨てて純粋個人での神との対話を目指したピューリタンの精神と酷似しているのも、見逃してはならない。
彼を「演奏会は死んだ。」とまで言わせてしまうほど腐敗していた演奏家の雰囲気は、確かに批判されるべきだ。けれども一方で、グールドが夢見た理想の音楽体験は実現したのだろうか? 彼が言う、新種の聴き手が、本当に私たちをより良い音楽体験に導いてくれたのか? もしそうだとしたら、それこそ、彼が批判していた「歴史的進歩主義」ではないのだろうか?
万人に開かれた音楽というのも、よくよく考えれば、二百年前のヨーロッパで楽譜の大量生産や市民演奏会が生まれた時に謳われた文句と同じ話だろう。我々は、音楽が開かれることによって、同時に、聴衆の質が低下することはもう学んでいる。しかも、もしその聴衆の質が、グールドの嫌った演奏会の雰囲気を作る要因の一つになったのであれば、なんたる皮肉か。それを踏まえていれば、安易にこうした状況に夢見てはいられない。
「軽やかな聴取」という概念は、一九世紀の「音楽とは厳かに聴くべきだ」というアンチ・テーゼとして生まれてきたことは明らかである。確かに、音楽から徹底して身体性を排除したそのような態度は不健康だろう。しかし一方で、もし「軽やかな聴取」が「音楽とは軽やかに聴くべきだ」というテーゼとして理解されるなら、それもまたなんと不健康だろうか。そもそも人が音楽に出逢った時、それがその人にとってBGMとして聴かれるなら、その人は自然と軽やかに聴くだろう。それがその人にとって胸躍る音楽として聴かれるなら、その人は自然とビートを刻んで踊りながら聴くだろう。それがその人にとって自分の人生を組み替えるほどの音楽なら、その人は自然と厳かに聴くだろう。音楽の聴き方 とは、そのようなものだと思う。誰かに強制される筈が無いし、また一方で、その音楽が私たちを突き動かしたなら、私たちはその実感に誠実であればいい。
グールドが生涯において苦悩した問いは、同時に、私の中でも未だ解決できていない問いとして残っている。ならばもう少しの間、彼にその肩を借りることも許してもらえるだろうか。
グレン・グールド論