博士の作った大飯喰らいの奇妙な兵器
博士は、研究室の片隅に一人座っていた。手に持つ、クソ安い手巻き煙草に火を点けると、それを一息吸い込み、胸を撫で下ろした。長年の研究が、ようやく一つの形になったである。
そこに助手がやってきた。
「ようやく性能実証に漕ぎ着けましたか」
「ああ、新時代の兵器を作るために献身してきたが、苦節五年、ようやくここに辿り着くことが出来た。私の理論通りにコトが運べばいいのだが」
「上手いこといけば、これは絶大な威力を示しますよ。これからの戦場には不可欠の兵器になると思います。なにせ、広範囲に渡って、空気中の酸素濃度を低下させるというものですから。設定次第で人を殺めない程度にすることも出来ますし、原爆以上の広範囲を無差別殺傷することも出来るのですから」
「うむ、これを軍隊に売り込むことが出来れば、私たちは大金持ちになるに違いない。ポチ、出ておいで」
研究所に不似合いなペットゲージから出てきたのは、可愛らしい子犬であった。
「これが兵器であるとは誰も気付くまい。何せ姿形は普通の犬となんら変わりない。しかし、このポチは呼吸により周囲の酸素を爆発的に消費することが出来、更にある程度酸素濃度の低下した環境内でも、活動できるのだ」
「ええ、この発明は実に素晴らしいです。軍がポチを採用した暁には、最前線の兵士の死傷が大幅に激減するでしょう」
ポチは満面の笑みを浮かべながら、長い舌をだらしなく垂らし、喘いでいた。その様はまさに犬そのもので、兵器であるとの疑念など抱きようもない。
ポチはその短い脚を器用に動かすと、定められたトイレに、茶色い塊を捻り出した。
「あ、博士、ポチが糞をしています」
「馬鹿者、そんなものはいちいち私に報告せんでもよろしい。君が片付けなさい」
不躾に博士が命じた。
「ポチの世話は日替わりで担当すると取り決めたではありませんか」
助手は不満顔で言う。
博士は壁にかかったカレンダーをチラッと確認すると、渋々糞の処分に取り掛かった。
「博士、それだけではありません。そろそろポチに食事を与えなくては」
糞の処理を終えた博士は、それを早く言ってくれと言うように憮然とした表情で、食事の準備に取り掛かった。
ポチは大飯喰らいでかつ、人間が食べるそれなりな料理以外を受け付けなかった。幼い頃より、夕飯をつまみつまみ与えていたところ、普通のドッグフードを毛嫌いするようになったのだ。
「やれやれ、この食嗜好と大飯喰らいだけは私の計算外だな。想定した以上に食費が掛かってしまう」
このポチと命名された犬の姿をした兵器は、犬のDNAを調整し生まれたものである。人間では生存できない酸素濃度、具体的に言うと酸素濃度16%以下でも活動できるように改良されていた。また設定で切り替えることの出来る肺活量で、空気中の酸素を大幅に低下させる性能が付与されている。これが兵器としての肝であり、広域空間で酸素欠乏症を催すことにより、人間を殺傷するのだ。姿形は犬そのものだから、通常の軍事行動よりは、どちらかというと秘密裏での行動が向いていた。この事実を知らないものには対処が不可能であり、理論上は絶大な破壊力を有することとなる。
「ところで博士、肝心の防弾性能に関してはどうなりましたでしょうか」
博士はしたり顔で助手に返答した。
「私を誰だと思っているのだね。通常の銃、榴弾などはポチの敵ではないよ」
エフ博士のこの表情はいつものもので、助手は扱いを心得ている。ここで変なことを言うと、へそを曲げることは、三年以上前に学習済みだ。
「さすが博士です。核兵器でもない限り、ポチを殺すことは出来無さそうですね」
「実にその通りだ。全く、私は素晴らし研究者と言えんかね」
この傲慢ささえ無ければ、もっと尊敬できる人になるのにと、助手は常日頃から思っているが、そういったことはおくびにも出さない。それが博士の信頼を勝ち取ることに繋がるのは、重々承知のことである。
軍事行動の際、諸々の試作兵器を前線で運用することは往々にしてある。戦場という過酷な環境の中、兵器がどれだけ安定して稼働し、また前線の兵士たちの信頼をどれだけ得られるか、は正式採用を目指す兵器にとっての登竜門といえる。無事お偉い方からの承諾を得たポチは、前線で試験運用されることとなったのだ。結果、ポチはその性能を遺憾なく発揮し、その有用性を世間に知らしめた。
「博士、あなたの作った兵器は素晴らしい。動物を直接的な兵器に転用するアイディアは、古今東西あらゆるところにありましたが、近代化した戦場においての活動は限定的でした。旧ソ連の地雷犬を始め、アメリカにおける軍用イルカなど、どうにも失敗例ばかりが目に着きます。しかしあなたの作り出したこの動物兵器は、実によく働き、信頼できるだけの戦果を生み出してくれる。やはり博士は天才ですかな」
将校は豪放磊落な様で笑いだした。
博士はそんなの分かっていると言うようにふんぞり返り、高級な葉巻に口をつけた。これぞ、勝者のみが味わえる、至福の香りである。
「ところで、ポチの様子はいかがですかな」
前線でポチを稼働させている間、博士はポチの世話を、一般兵士に任せきりにしているのだ。なに、兵器といえども犬であることに変わりはない。前線の兵士たちに懐くよう、彼らの下で食住を共にさせている。厳しい戦場の中、兵士たちが極限の精神状態に置かれることはままあり、犬と共に過ごす時間は、彼らのストレス軽減の一助にもなる。これは犬を兵器として転用した、副次的な効果だった。
「兵士たちと仲良くやってますよ。彼らと飯を分かち合い、寝るときも一緒です。実によく懐いていますし、彼らもポチを気に入ってますよ」
将校もポチの人気ぶりは聞き及んでいた。兵たちは、ポチを我が子のように可愛がり、支給されたレーションの一部を分け与えたりもしている。
「ほう、あの食嗜好の激しいポチが、レーションを食べるようになりましたか。それはいい傾向ですね。研究室時代は毎日のように我々の食をせびりましてな。ドッグフードなど食べない有り様だったのです。それに実に量を食った。今はそこそこの量で足りるのですかな」
「ええ、レーションは高カロリーですから、あまりたくさんは食べないみたいですね。兵士たちにも懐いているようですし。さて、明日にも作戦が控えています。そろそろ消灯の時間です」
将校は博士を寝床へ促すと、紙巻きタバコを手に取り、深く煙を吸い込んだ。胸の中に煙が行き渡り、軍事行動で否応なしに酷使された頭脳を、爽やかに晴れ渡らせる。
「ポチには大助かりだ。彼のおかげで前線の死傷者が従来の三分の一に減ったし、作戦も滞りなく進む。これであの博士がもう少し謙虚な方であれば、言うこともないのだがな」
明くる日、作戦が開始された。今回の作戦は、国際指名手配を受けているテロ組織を秘密裏に支援している、石油王の暗殺だ。オイルマネーで潤った潤沢な財産で栄華の限りを付くしつつも、思想のために私財を投資し、国際治安の悪化を引き起こしてる極悪人だ。
ポチは対象邸宅の一キロメートルまで、特殊部隊の支援を受けつつ接近、そこからは単独で住居に侵入し、対象のみを暗殺する任務を与えられた。
作戦は滞りなく進み、邸宅への潜入には成功した。ここまでくれば兵士の支援は必要無く、作戦が完了次第、ポチは勝手に帰投してくれる。が、ここでポチの信号が途絶した。
「博士、ポチの信号が消えました!」
助手の微かに震えた声は、隠し切れない動揺を明らかにしていた。
「何、作戦行動中の一時的な通信途絶などよくあること。きっとGPSの機能が故障してしまったのだろう。慌てるでない。時間になれば直に帰ってくるだろう。そんなことで動揺してしまうから君は自分の研究が上手くいかないんだ。自信を持ち給え」
博士は不遜な表情を見せつけると、助手を嘲笑った。将校もそんな様子の博士の言葉を信頼してか、何も言わなかった。
しかし、いくら待てども、ポチが帰ってくることはなかった。
焦る博士と、怒りと落胆を顕にする将校。ただ只管に動揺を続ける助手。多大な期待を寄せた兵器の消失に、三者三様の反応を見せていた。
しばらくして、その事実を知った兵士の中には、涙を見せるものもあった。ポチの帰還を信じ、いつもと同じようにレーションを用意し続けた兵士も、三日後にはそれを諦めてしまった。
ポチが戻ることは、二度となかった。
「突然この犬が部屋に入ってきた時は驚いたものだが、私の食事を与えたら大変よく懐く。うちの専属料理人の料理を気に入ってくれたのかね」
自分の味覚を共有できる犬の存在に、石油王は満足げな顔をした。
食べ残しを与えると嬉しそうに尾を振り、おかわりを要求する犬を、愛念の心で撫でつける。まるで我が子のようで、とても愛らしい。これは子宝に恵まれなかった自分への、神の思し召しではないのだろうかと、石油王は本気で思っていた。
――ああ、神よ。あなたの施しに感謝します。
しかし、石油王は知らない。
この犬が、彼を殺めんとするために、送られてきた刺客ということを。
この犬が、本当はテロにお誂え向きな特性と威力を備えた兵器であるということを。
この犬が、前線基地で与えられた、クソまずいレーションに嫌気が差して、ここを安住の地に定めたことを。
ポチは上手い飯を存分に食らうと、満足そうにワンと鳴いた。
博士の作った大飯喰らいの奇妙な兵器