アイ ラブ アイ

 右目に違和感を感じた。
 鳥のさえずりが聴こえるのどかな朝。寝ぼけ眼を擦ろうにも、うまくいかない。はてさて。
 布団から出て、恐る恐る洗面所へ向かう。ナウでヤングじゃない僕の部屋に、鏡など無いからだ。少し小走りで廊下を通り、洗面所の鏡に映る自分の顔を見た。
 あ。
 右目が。
 無い。
 ……無い。
「ぬぎゃあああああああああああああああ!」
 一瞬で意識が覚醒した。え、え、え、え、無いぞ、無い。右目がない。右半分が見えない。左目を閉じると真っ暗。なんだなんだ、なんなんだこれは。
 痛みは全くない。だがそんなのどうでもいい。見てるだけでも痛い。鏡から目をそむけ、おそるおそる触る。うっ、無い。空洞、だがこわいこわいこわいこわい。すぐさま手を目から離す。
「無い……無い無い無い無い無い!」
 喚くことしかできない。っていうかなんでだ。昨日の夜は付いていた。というか、付いてないときなんてなかった。母体の中にいた時から一緒だったはずだ。なのに、なぜ、急に。
「うるさいわあ、どうしたの」
 僕の慌てっぷりに目が覚めたのか、お母さんが目を擦りながらやってきた。その目をくれよ、とは言えない。擦ることすら許されない、目があったはずの空洞を指差しながら叫ぶ。
「目が、無い!」
 まるで僕が僕に目が無い、ナルシスト人間であるかのようだった。朝から鏡なんて見ているし。っていやいや、さすがに伝わるよな。
「あらほんと、目が無いわ」
 伝わった、が。
「びっくりねえ」
 反応が、薄い。
「え、ちょっとちょっと! 目が、無いんだよ!」
 ボキャブラリーが貧困だった。というより、この状況を表すのは、目が無いの四文字しかないだろう。だって無いんだよ、目が。
「そうねないわねえ。ちゃんとなくさないようにしなさいよ。大切なものなんだから」
 そう母は言い残して、寝ていた部屋に去っていった。
 ……え。
「ちょ、ちょっと!」
 僕は慌てて追いかける。まてまて、息子の目が無いんだぞ。なんだよお前寝ぼけてんのかよ。その目は付いてる意味あるのかよ。いらないならくれよ。
「もうなによ。私はもうちょっと寝かせてもらうわ」
「いやいや、え? ま、まさかお母さん」
「そうよ。セカンドスリーピング。――二度寝をさせてもらうわ」
 母はそうキメ顔で言い、お布団に潜り込んでいった。え、あの。嘘でしょ?
「マザー! マイマザー!」
「ううん。アイドンドイーティング……」
「ああ! もう寝てる!」
 成す術無しだった。母は第二の睡眠を始めたら、なかなか目覚めることは無い。無理に起こしても、今度は僕が二度と目覚められない体にされてしまう。
「こうなったらお父さんに頼むしかないか……」
 そう一人で呟く。しかし、頼むって何をなんだ。目をくれってか。その目はどこから来るんだ。義眼か。ああ、もうそれでもいいから目をくれ、目を。
「アイギブミーアイ!」
 僕は叫びながらお父さんの部屋に駆け込……む……って、あれ。
「お、お父さん、そ、それ」
「おう、もう起きたのか。早いなあ、おかげで」
 お父さんは僕にニッコリと微笑みかけて、言った。
「俺のアイランドが見られてしまったよ」
 唖然。
 父の机には、たくさんの透明な、箱。
 その中には。
 目。目。目。目。目。
「きれいだろう。うっとりするだろう。これ、全部左目なんだぜ?」
 お父さんはとってもとっても幸せそうな顔で呟く。ちょ、ちょっと待って。
「ぼ、僕の右目は」
「ああ、今日は何の日か分かるか?」
 僕は左目だけで見る視界を頼りにカレンダーを探す。えっと、十月十日? なんの日だっけ?
「まさかわからないのか?今日は目の愛護デーじゃないか!」
 再び、唖然。
 僕は知らずの内に震えていた。先ほどのお母さんの反応の薄さは、これを知ってのことか。お父さんが眼科をやっているのは、そういうことか。戦慄するなんてもんじゃない。逃げ出したいけど、動けない。
「しかしなあ、もうお前にあげたくないんだよなあ、俺の目」
「……」
「ってことで、お願い。もう、目、無くていいよな」
 モウ、メ、ナクテイイヨナ。
 イイヨナ。
 いい、わけ。
「あるかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 僕はお父さんの右目に手をのばした。そして、もぎ取る。てめえ、俺の目を! 目を! 目を!
「あっ、お前……!」
 血まみれの眼球を手に取る。付け方なんてわかんないが、自分のまぶたにねじこむ。無いよりマシだ。こんな奴に目があるのに、僕に目が無いなんておかしい。
「それは俺の目じゃない……。それは俺の目じゃなくて――お前が三才の時に失明したときの目だ」
 ……え。
「俺が肩代わりして、より良い目を渡してたんだが迷惑……だったな」
 僕はハッとなってお父さんを見る。
 あ、ああ。死んでる。当たり前だ。無理やりに目を抉り取られたのだ。
「僕の、目?」
 僕は三才のころなんて記憶に無かった。でも、物心ついた時には、もう、両目が見えていた。
「ちゃんとなくさないようにしなさいよ。大切なものなんだから。私はそう言ったんだけどねえ」
「お、お母さん」
 いつの間にかお母さんが後ろに来ていた。こうなることを半ば予測していたのか、驚く気配は無い。
「視力を無くし、そしてお父さんの努力も無くしたのね。いや責めてないわ。いつかはこうなると思ってたでもね」
 お母さんは、机の上を見て言う。
「寂しいわね、目なんて、ここにいくらでもあったのにね」
 僕はお父さんのコレクションを見る。よく見ると、どれも傷ついていた。取ったものの、使い物になるものがなかったんだろう。
「失明してるのが、ついにバレそうになったのよ。焦ったのね。眼科が失明なんて笑えないもの。焦ってあんたの目を取って……失敗した。だからもう、死にたかったのかもね」
 お父さんは、俺の目をあげたくないといった。そうか、僕の目はずっと、お父さんの目だったのか。
「最初に目を交換したときは成功したのに、ね。うしろめたくなったのかしらね」
 お母さんはそう言って、目から涙を流した。
 僕は泣かなかった。もう、どうしていいのかわからなくなった。ただ、右目から、お父さんの血液が流れ出ていった。

アイ ラブ アイ

アイ ラブ アイ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-26

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