木更津でともに
「よし、そろそろお前、告白しろよ」
幼馴染の安西に言われたマサキは気の毒なぐらいうろたえた。ここぞという場面でいつもしどろもどろになって踏み込みが甘いのが彼の弱点だ。
ここは三十人乗りの舟の上、東京湾は穏やかな晴れ、近くに見えるアクアラインは行楽客で混雑しているようだ。いつも一緒にバカをやってきた同窓生達は、ある者は魚を追いかけ、ある者はアサリを掘り、そして大半は舟に乗って酒盛りをしている。
遠浅の海に魚が入り込んで逃げられない仕組みの定置網を設置しておいて、干潮になった時に逃げられなくなった魚を捕まえる遊び「すだて」。木更津金田海岸は、テレビで紹介されてしばらくは県外からの客が殺到していたようだが、今では沈静化している。
「よし、今こそ告白するぞ」マサキは意を決してうなずいた。
「みんな注目! マサキがサトミちゃんに重大な告白するぞ!」
「私ね、木更津を出たいんだ。東京で暮らしたい」
突然のサトミの言葉にマサキはただうろたえるばかりだった。しばしの間をおいてから問うのが精いっぱい。
「なんで? 木更津が嫌なのかい」
「だってつまんないじゃん。駅前はシャッター通りだし、面白いショップとかないじゃん。いるのは田舎者ばっかだしさ。こんなお先真っ暗な田舎にいちゃこっちまで暗くなっちゃうわ」サトミは間髪いれずにぴしゃりと返答する。
木更津金田海岸近くに生まれ育ったマサキ、家はノリやアサリで生計をたてている。マサキはこの木更津が好きだった。たしかに駅前は寂れるばかりだけど、田圃に行ってホタルを観たり、春にはタケノコを採ったり、ハマグリや落花生を盗んで食べたり、そんな木更津が好きだったのだ。幼馴染でいつも一緒にいたサトミが、まさかそんな事を考えていたなんて、自分を否定されたみたいでショックだった。
朴訥なマサキに、いつもサトミは明るく話しかけてくれた。一緒にいればそれだけで楽しかった。高校を卒業して早五年、そんな日々がずっと続くものだと漠然と考えていたマサキなのだった。
マサキはいつものように、親友の安西に相談した。
「サトミちゃんが木更津を出たいって言うんだ。木更津なんてつまらないんだって言うんだよ。俺はずっと木更津で一緒にいたかったのに」
安西はしばし腕を組んで考えて、そして提案する。昔からマサキとサトミがいつも一緒にいるのを知っていて、人知れず応援していた安西なのだ。
「だったら木更津の良さを教えてやろうぜ。そうだ、同窓会を兼ねてすだてをやるんだよ。あとな、お前しっかりサトミちゃん捕まえとけよ。そうだ、きっちりと皆の前で宣言しろよな。お前が煮え切らないからサトミちゃんは木更津を出たいなんて言うんだぞ。男ならきっちりと腹をくくれよ」
こうして、同窓会を兼ねたすだてをやることになった。
滅多にない週末と大潮が重なる晴天の朝、なにやら祝福されているような春の陽気、アクアラインを左手に見る金田海岸にサトミを伴ってやって来たマサキは二人して海を眺めていた。岸壁には複数のすだて用の舟、中央にテーブルを置いて座る所によしずを敷いた舟が客を待っている。海面をよく見ると、シラスウナギやカニがいた。
「あんた集合時間は十時なのに、なんで八時に来るのよ?」
サトミはいつものようにふくれっ面でぼやく。マサキときたら、時間に厳格すぎて集合時間の二時間前に到着していないと気が済まないのだ。毎度毎度巻き込まれる私の身になって欲しいと、毎度毎度言うのだけどマサキはわかっているのかいないのか。
「でもだって、遅れる訳にはいかないし」
マサキは既にドキドキしていた。サトミに木更津の面白さを分かってもらいつつ、皆の前で宣言する、恥かしいやら緊張するやらで、ついカニの動きを見つめてしまうのだった。
苛立ったサトミがマサキの背中にエルボー攻撃をし始め、期待したリアクションがなくて更に苛立ってスリーパーホールドに移行した頃、ようやく仲間達が集まってきた。高校時代、一緒にバカをやって遊んだ連中だ。
「よっしゃ、今日は呑むぞ!」ビールを満載した大きいクーラーボックスをかついでやって来た安西が、「お前ら今日も仲いいな、ははははは」サトミとマサキを指さして大笑いする。慌てて離れるサトミと、命拾いしたマサキ。
ぽっちゃり体形を隠すことなくピッチリとした服を着ているサトミ、木更津名物のタヌキに似ていると皆思っているけどそこがまた可愛いと評判だ。マサキは家族ぐるみで毛髪が少なくて、三十路前にして禿げるだろうと衆目の一致する朴念仁。この二人がうまくいけばいいとずっと思っている安西と仲間達なのだった。
我先にと舟に乗り込む同級生達、舟は揺れて女の子達はおっかなびっくりだ。安西がマサキを見ていると、案の定、乗り込むサトミをエスコートしちゃいない。とはいえ身軽なサトミはひょいと飛び乗っていたが。
舟はうららかな日差しの中、沖合にある定置網に向けて出航した。対岸には、左の方に港みらいが見えて、右の方にスカイツリーが見える。アクアラインを渡ればすぐに遊びに行けるんだから木更津は面白いと思うんだけどなと思うマサキ、毎度思っているだけだからサトミに伝わっていないのが難点だ。
定置網に到着した舟は、ここで潮が引くのを待つ。カモメや鵜が飛び交い、遠くにはタンカーが見える遠浅の海。潮が引けば舟底は海底に乗っかり、舟を降りて歩けるようになり、そして定置網の中の魚達は逃げ場を失う。
網のそこかしこに刺さってもがく鋭く尖ったダツ、ボラの最終成長形態トド、恐くて誰も手を出さないフグ、意外とすばしっこいアジ、漁師さんが好意で入れておいてくれたと思しきタイとかヒラメとかスズキとか、膝までの水深の中で人間との追いかけっこが始まった。
すだてでは御馳走も出る。調理用の舟があって、海上で新鮮な魚の天ぷらやお刺身を調理して食べさせてくれるのだ。細長いダツは天ぷらになり、タイやヒラメはお刺身になる。木更津名物のノリも美味しい。
もともと子供っぽい男達は大騒ぎして魚を追い掛け、持参したビールを飲みながら御馳走を食べまくる。マサキも負けじと魚を追いかけるがトドしか獲れないのだった。これは臭くてあまり食用には向かないのだが。一方サトミは完全に干上がった砂浜で潮干狩りに精を出し、着実にアサリを稼いでいるのだった。
魚獲りも一段落して皆舟に戻ってきた瞬間、安西がおもむろに宣言する「注目! マサキがサトミちゃんに宣言することがあるんだってよ! 皆しっかりと聞こうぜ」
安西に肩を叩かれたマサキは気の毒なほどうろたえた。そうだ、宣言するんだった、魚獲るのに夢中になって忘れていた、昔から一つの事に集中すると他がおろそかになるマサキなのだった。サトミはきょとんとして見ている。
いざとなったらやる男だと、自分で思っているだけあってマサキは決意したら気が早い、意を決して話し始める。
「サトミちゃん、木更津は面白いだろ。だからさ、木更津を出たいなんで言うなよ。あとさ……俺と、一緒に……俺と……。」
肝心な所で一時停止、誰もがプロポーズすると思い固唾を飲んで見守る中、間を開ける事でより深いプレッシャーに苛まれるマサキ。
へ、何? なんなの? もしかして、あのマサキ君が私に、プロポーズ? サトミも緊張して見守る。
重い空気を払うように力強くマサキは吠えた「俺と付き合ってください!」
その場にいた仲間全員が突っ込んだ「お前ら付き合ってなかったんかい?」腰砕けになってずっこける仲間達。
とっくに付き合っているものだと、マサキ以外の誰もが思っていた。サトミだってそう、ちょっと真面目すぎるからあまり触れてこないだけだと思っていた。なんて純朴なんだろう、ほんとにこの人って田舎者。
「じゃあさ、ちゃんとに私をエスコートしなさいよ。退屈させるんじゃないわよ」
仁王立ちで上から目線で言い放つサトミ、人間優位に立つと本性が出るものだ。
「キース! はいキース!」安西が手を叩きながら煽る。まあいいか、次回の同窓会でプロポーズさせよう、こいつら俺がいないとだめなんだからな。安西はどこまでもおせっかいなのだった。きっちりと気が効いたセリフを言うようにマサキの野郎に言っておいてやらんとな。
そして二人は、ぎこちなくファーストキスをした。
すだてが無事に終わってその日の夕方、サトミはマサキに手を引かれて木更津港にある中の島大橋に来ていた。しっかりエスコートしろと言われたマサキは全力でエスコートすることにしたのだ。思えばマサキから誘ってどこかに行くこともあまりなかった。彼氏になったからには、どこまでもエスコートしていこう。行きつくとこまで行くまでだ! 純朴なマサキの心は煮えたぎっているのだった。
シーズンともなれば潮干狩り客でごったがえす中の島公園と鳥居崎公園を繋ぐ高さ二十五メートルの中の島大橋、ここには都市伝説があるのだ。
橋の一番高い場所に来た二人。西を見れば東京から横浜にかけてのビルの林と、富士山をバックに夕陽が眩しい。東を見れば夕陽に映える木更津の町並み。北は自衛隊、南にはラブホ、これは蛇足。サトミが意外なまでの景色の美しさにみとれていると、マサキはポケットから南京錠を取出して橋の欄干にガチャッっとはめた。気が付いたサトミが見ると丁寧に相合傘が書いてあった。仲良く並んだ二人の名前。橋の欄干にはたくさんの南京錠がはめてあって、「私達結婚しました」との報告の落書きも見えた。なかなかロマンチックじゃない、サトミはうっとりとなった。
「ここに鍵をかけると結ばれるんだよ。サトミちゃん、知ってた? あとさ、聞いて欲しい事があんだけど……」
マサキに両肩を掴まれて相対する格好になったサトミはどきっとした。まあ、なんて積極的なんでしょ。それにしても夕陽が眩しいわね。ちょうどマサキ君の頭に反射して……。
「俺が君を照らす光になる! だから俺と一緒に木更津で暮らそう。結婚してくれ!」
サトミは爆笑した。確かに照らしてくれているわ。それにマサキ君となら退屈しないで済みそうね。昼に告白して夕方プロポーズって、笑わしてくれるじゃない。「あんた、やる時はやるじゃない。一緒になりましょ。こちらこそよろしくね」
橋を降りて二人、こっそりと見守る安西の存在に気が付かないまま、南の方に行くのだった。
木更津でともに