蒼い青春 三話 「激動」
◆主な登場人物
・長澤博子☞このシリーズの主人公。 事故による白血病に犯される中、若手刑事の剛とほのかな恋に落ちる。
・河内剛☞23歳の若手刑事。 博子を二度助けたことをきっかけに、彼女と恋仲になる。
・長澤五郎☞博子の父親。 大学で心理学を専攻する教授。 上司・小野寺から弱みを握られたうえ、博子の病気とそれを公言してはいけないと釘を刺され、葛藤する。
・園田康雄☞剛の先輩警部補で、相棒。 手荒な捜査から「横須賀のハリー・キャラハン」の異名をとる。
・小野寺史朗☞五郎の上司。 彼の弱みに付け込んで、自分の良いようにコントロールしようとする。
◆三話の登場人物
・野村たか子☞長澤家に家政婦としてやってきた女性。 その正体は博子の母親。
・山本少年・貴美子夫人☞大手企業メーカー・山本産業の社長夫人とその息子。 少年は不良暴走族の親玉で、夫人は傲慢な態度で園田と衝突する。
前篇
五郎は町を行く果てもなく歩いていた。 脳裏に残るのは、あの小野寺の言葉と、一つの疑問だけだった。 博子の病気を、彼女に打ち明けるべきか・・・
一度は胸の奥に閉まっておこうと決心した五郎だったが、時間が経つにつれて考えは少しずつ変わりつつあったのだ。 「あの、長澤五郎さんで、よろしいですか?」 いつか、どこかで聞いたことのある渋い声に、五郎ははっと我に返った。 声は一人の男のものだった。 あの事件の日、彼を睨みつけた「無礼な男」だった。 「ああ、この前の。 何の用です?」 五郎は後のことを考え、あえて静かに言った。 「この前のご無礼を謝ろうと思いまして、ちょっとそこまで、付き合っていただけますね。」 言葉遣いこそは正しいものの、その口調は重かった。
数分後、二人は駅前の喫茶店に居た。 「先日は、無礼な態度を取って申し訳ありませんでした。」 「いや、気にしないでください。 本当は、それだけじゃないんでしょ?」 五郎は頭を深々と下げる男に、ゆっくりと言った。 「さすがは精神学の先生です。 ああ、紹介が遅れました。 私、横須賀署の園田と言うものです。」 そう言って園田は、「園田康雄」と書かれた警察手帳を見せる。 「はあ、警察の方ですね。 ではあの時も。」 「ええ、ご察しの通り、あの日は大学内に紛れ込んだテロリストを追っていまして、全く我々の警備が甘かったがために、あんな事故になってしまって。 それでその事故についてなんですがね、ちょっと先生にお話しをお聞かせ願おうと思いまして。」 「はあ、それで、話と言うのは、どんな?」 「あの事故で、放射能汚染があったとお聞きしていまして、その時に被害者がなかったかということで、どうでしょう?」 五郎は、内心真っ青になっていた。 ここで正直に博子の話を話せば、どんな返り打ちを受けるか、分かったものではない。 「いいえ、そのような者は私の知っている限りでは、おりません。」 「そうですか、いや、ちょっとしたことでもそう言う話が出れば、警察としても黙っていているわけにはいきませんからね。 やあ、わざわざお時間を無駄にしてしまって、申し訳ありません。」 そう言って園田が喫茶店を出た後、五郎は自分の惨めさから、拳をかたく握りしめ、しばらくその場にじっとしていることしかできなかった。
店を後にした園田は、散歩がてら港のあたりをブラブラしていた。 あいにく、特別な呼び出しもなければ非番のようなものだった園田は、出港していく船を眺めて、日頃のストレスを和らげようとしていた。 こうしていると、禁煙中にもかかわらず、こころなしにか煙草が吸いたくなる。 そんな衝動を抑えようと港の柵から身を離し、三歩歩いたころだった。 後ろの方で、物凄い爆音と、気違いみたいな笑い声が聞こえた。 見てみると、暴走族の不良が二、三人、アベックを囲んでからかっている。 刑事としてどうかと思う方もいると思うが、園田はその後の展開が気になり、少し口を出さないで見ていようと考えていた。 やがて不良たちがバイクから降り、地上戦になる。 ここからが面白いところだ。 園田はそう思って見ていたが、途中であることに気付いた。
それは不良の親玉の手に握られていたのが強力なスタンガンであったことと、絡まれているアベックが、剛と博子であることだった。 その時、園田の中で誰にも止められない「ダーティー・ハリー・スイッチ」が入り、愛銃のスミス&ウェッソンM29 4インチバレルを手に取ると、ゆっくりと彼らの方に近づいていった。
中篇
園田がマグナム44を片手にする少し前に話を戻そう。 剛は朝の電話で博子からデートの誘いを受け、港の近辺を二人で散歩していた。 「俺がまだ小学生くらいの頃、よく親父と船に乗ったのを思い出すよ。」 柵に手を掛け海を見ながら、剛が言う。 「海ね。 いいわね。 気持が穏やかになるわ。」 博子もその隣で言う。 「今度、二人きりで航海しない? 小さなヨットを借りて、二人だけで。 『赤い疑惑』みたいに。」 ふと、博子が海をまっすぐ見ながらつぶやくように言う。 「『赤い疑惑』? 古いのによく知ってるね。 確かに、あんな風に海に出るのも、ロマンチックでいいね。」 そう言って剛が笑った時、後ろの方で声が聞こえた。 「ロマンチックか、いいな。」 二人が声のする方を見る。 バイクにまたがった不良少年が三人、ニヤニヤと博子達を見ている。 「なんだね、君達。」 剛の顔が険しくなる。 「なんだとはなんだよ。 ちょっくら金でも借りようと思ってさ。 少しでいいんだよ。」 少年たちの親玉が言う。 「そんな金、今は持ってないね。」 「バカ言え。 デートなのに無一文な奴があるかよ。 それともお前、俺のことなめてんのか?」 親玉がバイクから身を乗り出して言う。 「剛さん、気にしないで行きましょう。」 博子が剛に言う。 「ちょっと待った。 このまま帰すわけにはいかねえな。」 そう言って不良少年たちがバイクで二人の行く手を阻み、囲うようにグルグルと回りだす。 「おい、お嬢ちゃん、俺とドライブしよう。」 少年の一人が博子の腕をぐっと掴む。 「イヤっ」 「離せ。」 剛が少年のバイクを蹴り飛ばし、少年が倒れる。 「この野郎!」 立ちあがった少年が、剛の頬を一発殴る。 しかし刑事である剛も、腕っ節には自信があるように見えて、思いっきり殴り返す。 「野郎、これが見えねえか!」 そう言った親玉の手には、強力なスタンガンが握られている。 「大人しくしろってんだ。」 そう言って剛の腹に拳を入れる。 ウっと剛が怯んだその時だった。
「お前ら、やめろ。」 そう言って向こうから、男が一人歩いてくる。 「なんだあいつ。」 強力な武器を持つ不良少年は、怖いもの知らずと言った感じで男に近づく。 と、その時、突然男が立ち止り、手の持った44マグナムを構えると、少年めがけて引き金を引いた。 弾丸は少年の肩をかすめ、少年は地面に倒れる。 その男こそ、言わずとも知れた園田である。 園田は立て続けに二発の弾丸を発射し、残りの少年を倒すと、ゆっくりと親玉の方へ近づいて行った。 怯える少年の前まで来ると、園田は銃を構えて言った。 「肩が痛むか? こいつはマグナム44って言う世界最強の拳銃だ。 お前の腕をその胴体からもぎ取るくらいわけはねえ。 今から二度とお前があんな危ない武器を握れないようにしてやる。」 そう言って彼が撃鉄を上げる。 あああ、っと少年が叫び声を上げた時、園田の前に立ちふさがったのは、なんと博子だった。 「やめてください。 この人はもう十分に罰を受けたはずです。だからこれ以上傷つけるのはやめてください。」 博子が園田に哀願する。 「何を言うんですか? この男を許したら、また乱暴を始めるはずだ。」そう言って博子を押しのけ、銃を向ける園田に、ついに博子が動いた。 バシっ 鋭い音が響いて、博子の平手が園田の頬を直撃した。 うっと頬を押さえ、博子を見つめる園田。 「私のことを公務執行妨害で連行してもいいわ。 だから、この人にだけは手を出さないで。」 そんな博子の声に押され、園田はゆっくりと銃をしまった。 これをいいことに、不良少年がいっぱいに手を伸ばして、落ちているスタンガンを手に取ろうとしていた。 「イテーっ」 しかし不良少年は、博子にパンプスのかかとでグリグリと腕を踏みつけられていたため、スタンガンどころではなかった。
後篇
あの騒動から数分後、博子、剛、園田、不良の親玉だった山本少年と母親の貴美子たちは、横須賀署で事情聴取を受けていた。 一通りの事情聴取が終わったころ、貴美子が突然席を立ち、博子と剛を指差して言った。 「あなた達、さっきウチの子が喧嘩をふっかけたような言い方されましたけれど、聞いたところでは、ウチの子はロマンチック、いいなって言っただけで、なんなんだって反応したのは、お宅らだそうじゃないですか?」 そう言われて、博子が目を伏せる。 園田は関係ないと言った顔で、禁煙中用のガムを噛んでいる。 「ほら、そこのお嬢さん、目を伏せたわ。 私の言うとおりでしょう。 全くウチの子ばかり悪者にして、どういうつもりなのかしら?」 母の言葉に、山本少年はニヤニヤと笑っている。 「それは違うんじゃないですか? 奥さん。」 そう言って立ちあがったのは、園田だった。 「なによ、あなただって、無防備のウチの子に銃を向けて、怪我までさせているじゃない。」 ヒステリックな貴美子の怒りの矢は、今度は園田に向けられた。 「いいえ、奥さん、この子はスタンガンを持っていましたよ。 しかも18歳以上の少年は所持が禁止されている、強力なものです。 この子、まだ16なんでしょ?」 園田も落ちついて言う。 「なんですって、あなたこそそんなもの持っているからって、ウチのこの腕を切断しようとしたそうじゃないですか? このお嬢さんが止めなかったら、あなた犯罪者ですよ。 全くよくできた娘さんに救われたもんですね。 情ない。」と貴美子。 「おっと、さっきまであんなに悪く言ってた彼女を味方につけましたね。 案外、どっちつかずなんですね、大企業の奥さんって。」 園田も冷静に、皮肉そうに言う。 「な、なんですその態度は? 全く話になりませんね、私帰らせていただきます。」 行き場の無くなった貴美子は、そう言って息子とともに部屋を出ようとする。 「ははん、立場が危うくなると、逃げるのも一人前ですか? 全く、企業の奥さんってのは、こんなにもみっともないんですか?」 園田がとどめをさすように、回転椅子でくるくる回りながら一言。 「く~っ アンタ、覚えてなさい。」 顔を真っ赤にした貴美子は、息子の手がむけるほどの勢いで走り去って行ったのだった。 周りがシーンと静かになる中、ひと段落つけた園田は、ガムをゴクンと飲み込むと、一人部屋を後にするのだった。
結局、博子が家路に着いたのは、もう外がずいぶんと暗くなってからのことだった。 少し前の曲がり角で剛と別れた博子は、家までの遠い道のりを一人で歩いていた。 もう少し歩けば家に着くといった頃、後ろから一人の女性が走ってきて、博子にぶつかりそうになった。 「すみません。」 そうとだけ言って女性は行ってしまったが、アットホームな優しい母親と言った感じの、いい人っぽいなと博子は一人考えていた。
「ただいま。 あっ。」 家に着いた博子が、あっと驚いたのも無理もない。 玄関先には父と一緒に、さっき彼女にぶつかりそうになったあの感じのよい女性が立っていたのだ。 「やあ、博子。 お帰り。 この方はね、今日から家に住み込んでお手伝いをしてくれる、家政婦の野村たか子さんだ。」 五郎が女性を紹介する。 「今日からお世話になります、野村です。」 女性はちょこんと頭を下げる。 しかし、この女が家政婦として家に来たのではないこと、その本当の目的は、五郎自身がよくわかっていた。 その女こそ、五郎の妻で、産まれたばかりの博子を残して、突然に消息を絶った、彼女の実の母親だったのだ。 つづく
蒼い青春 三話 「激動」