ピスタチオ入りヨーグルトドリンク

 「ブラジルに行きたい」
 裕子が枕に顔を埋めたまま呟いた。ワンルームマンションのフローリングに敷きっぱなしの布団にうつぶせで倒れている。部屋は生乾きの洗濯物の匂いと情事の香りでいっぱいだった。
 「山車にビキニみたいなの着て踊り続けるやつ、あたしも踊りたい。村上龍の小説にそういうのがあったのよ」
 換気扇の紐を引く。生活の匂いを消したかったが、今度は換気扇が所帯染みた駆動音を立てはじめる。土曜日はどうにもならないんだと諦めて、俺は煙草に火を着けた。
 「裕子、青森だっけ」
 「そうだけど、なんで」
 「カーニバルより先に山車が出てくるのに南米に行きたいなんて分不相応な小市民の夢って感じがして」
 煙を吐き出しながら思ったままを口にした。裕子はねぶたが大嫌いだと言っていた。町内会でねぶたを出すのに、子供の頃から何度も動員されたけれど、日本の田舎のお祭りという感じしかしなくて夢がなかったと。煙と一緒に、出会った頃の思い出も換気扇に吸い込まれていった。
 「どこでもいいの。でもどこかに行きたいの。そういうの、あるでしょ」
 裕子のけだるい声も半分くらい枕に吸い込まれていた。俺は遅漏気味でセックスが長い。区切りがつくたびに裕子はいちいちショーツを履いてトイレに行き、万年床に身を投げ出す。背中が蛍光灯の照明で真っ白く見える。裕子はうちに来るときには俺の好みの下着を履いてきてくれる。先週はピンクのフリル、今日は黒いTバック、来週は多分またオレンジに近い赤。三種類しかないと知っているのは俺だけだと思うと嬉しいが、三種類しかないというのは裕子がそれほど男の視線を重視していないことの現れのようでもあって複雑でもある。
 「リゾートホテルで二週間くらい遊んで暮らしてみたい。水着を買ってプールサイドのパラソルの下で水色のカクテルを飲むの」
 裕子のドリームはひどく曖昧だった。多分美容室で雑誌のリゾート特集かなにかを読んで、うろ覚えのまま、思いつくままを述べているだけなのだ。
 「俺はあれが飲みたい。なんていったかな、つぶつぶしたやつ、寒天みたいなの、あれがたっぷり入ってて、プールサイドで花なんか添えて飲むやつ」
 「あんただってピスタチオより先に寒天が出てくるじゃない。この岩手県民」
 俺は苦笑した。岩手県民と青森県民が東京の真ん中でセックスをして、何の縁もないブラジルについて語っているのがまさしく小市民的な気がしたのだ。俺も裕子も田舎にいるのが嫌で上京してきた口だが、それ自体が文系青年の一類型だ。
 換気扇の音と煙を吐く音だけがしばらくしていた。キッチンからうつぶせの裕子の尻を眺めていると少し寂しい気がしてきて、もう一回しようよという言葉が漏れだした。
 「もう三回したじゃん」
 裕子はぶすっと言った。土曜日がこんな風にだらだらと浪費されるのはもっぱら俺の都合だった。平日に溜まったものを吐き出したくて、俺が裕子を呼びつけるのだ。やりたいで放題しないと日曜日に優しくなれない。月曜日から不満を飲み込んで働く機械になれない。日曜日には裕子の行きたいところに行くことになっている。デパートのワンフロアを二時間かけて回るのも、煙草の吸えないフルーツパーラーで仕事の話を聞いてやったりもする。対して興味のない美術館や水族館にも付き合う。それでもどこか後ろめたくて、セックスでは何度もイカせる。行為一回一回が長く疲れるのに、裕子は土曜日の誘いを断ったことがない。その代わり、事後のやりとりはいつもけだるげだった。
 「昨日見た映画でさ、奥さんに俺がやりたいんだからやらせろって言うシーンがあってさ、あんたのこと思い出しちゃった。奥さんは気分じゃないって嫌がったのにさ、バコバコ犯しちゃうの……いいけど、ちょっと気分を変えたい」
 裕子はむくりと起き上がって布団のそばに投げ出されたムーミンのTシャツとユニクロのジーンズを着てぱたぱたと出て行った。コンビニにでも行ったのかと思いきや、彼女はすぐに戻ってきた。両手に280mlのアルミ缶を二つ持っている。それを思い切り振ってからグラスに中身を開けて持ってくる。
 「つぶつぶ、入ってるよ。ピスタチオ」
 裕子の声は何だか元気だった。梅雨空みたいな乳白色の中に、ほとんど同じ色の粒が何個も浮いていた。ハイビスカスはないけどと前置きしてから、彼女はそれをぐっと飲んだ。舌の上でピスタチオの粒を転がしたり噛んでみたりして食感を楽しんでいるらしく、口元がもごもごと動いていた。くにゅくにゅする、高校の頃たまに飲んだんだ、これ、ピスタチオが入っててさ、あの頃ブームだったじゃないなどとはしゃいでいる。俺も彼女にならってグラスに口をつける。ヨーグルトドリンクと一緒に硬くもなく柔らかくもない不思議な感触の粒が入ってくるのがわかった。たかが缶ジュースなのに贅沢をしている気がした。十年くらい前、まだ東北の高校生だった頃、物珍しさに惹かれてスポーツドリンクの代わりについ買ってしまったことが何度もあった。部活の後には甘ったるすぎていつも自分の選択を呪うことになるのに、つい買ってしまったのは何故だったのだろう。
 俺はそのときはっとして、キッチンに置かれたアルミ缶を確かめに行った。
 ナタデココ ヨーグルト味
 深い空色でそう書かれていた。俺はそれを裕子の鼻先に突きつけてみせたが要領を得ない様子だったので、
 「ナタデココじゃないか」
 裕子はこういうハイカラなものには疎かった。都会の女らしくしたいのに上手くなりきれない。暇があれば読書か映画、勝負下着は頑張ってはみるものの三種類、ナタデココとピスタチオのちがいもわからない。
 「勘違い……? ねぇ、ピスタチオってなんだっけ?」
 言われてみると俺も困った。ピスタチオってなんだ? なんとなくハワイとかバリ島とかブラジルとか、暑いところで食べられるもののような気がしていた。それはナタデココもそうじゃなかったか? 自分も大概だった。俺が眉間に皺を寄せて悩んでいると、
 「どっちでもいいよ。夏っぽい感じ、したでしょ」
 裕子がジーンズを脱ぎながら満足げに言った。窓の外は梅雨模様、換気扇をかけても部屋の生臭さは消えない。多分ブラジルにも、ハワイにも、バリ島にも行く余裕はない。でも裕子と過ごせるなら、今年の夏も楽しいに違いないという気がした。

ピスタチオ入りヨーグルトドリンク

ピスタチオ入りヨーグルトドリンク

旅行会社も航空会社もお金と暇がなければバカンスには連れて行ってくれない。男は金と時間と精力があっても、女をどこかに連れてはいけない。女の人はそんなのには慣れっこになっていて、一人でなんとかしてしまう。けだるい休日の幕間を覗く。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-20

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