すばらしき宇宙生活(4)
四 博士の研究
僕の近所には、そう、空飛ぶ靴で十分程度歩いた(?)所に、ある科学者が住んでいる。博士は、奥さんが早くに亡くなってしまい、子どもはいなくて、一人暮らしだった。犬や猫などのペットも飼っていなかった。自分が研究に専念するため、世話ができないからだ。
博士は、毎日、朝から晩まで、時には、寝る時間も惜しんで、研究に専念している。研究している間は、集中しているため寂しくはなかったが、研究が一段落着き、研究室から外に出ると、今まで黙っていたせいか、誰かと無性にしゃべりたくなった。だけど、人々は空飛ぶ家に住むようになったので、隣近所との付き合いは少ない。
なぜなら、お隣さんに行くのにも、以前のように気軽に歩いて行けないからだ。いくら、空飛ぶ靴があったとしても、地面を歩くようなわけにはいかない。用心しないと下から、上昇気流に乗ったゴミの襲撃を受けてしまうからだ。だけど、わざわざ、空飛ぶ車に乗っていくような距離でもない。だから、人々は、必要以外はあまり外に出ようとしなくなった。
それで、博士は、今、その悩みを解消するべくある薬の開発に取り組んでいる。
僕は、小さい頃から、そう、空飛ぶ三輪車に乗っていた頃から、博士の家に遊びに行っていた。今は、学校や塾の帰り、休みの日に、空飛ぶ自転車で訪問している。
僕が博士の家を訪れるたびに、博士は、
「よく、来てくれた」
と言って、目に見えない分子や原子、素粒子のことから、僕たちが住んでいる地球のこと、人類や他の生物のこと、夜空に広がる宇宙のことなどを、時には、昔、君たちが見ていたという紙芝居で、時には、最新鋭の3D映像で、時には、博士が体を張った一人芝居で、時には、博士が開発したロボットで、何時間でも熱心に、子どもの僕でもわかりやすく説明してくれた。
僕は、博士の話を聞くのも好きだったけれど、小さい頃は、紙芝居の前に、博士がくれるお菓子が目的だった。もちろん、今は、純粋に、知識欲が目的だ。けれど、「本や情報を買いなさいよ」と時々くれるお小遣いもまた、魅力のひとつだ。
一週間ぶりに博士の家にやってきた。
「こんにちは」
大声を上げた。でも、返事がない。いつもならば、「やあ、いらっしゃい」と、玄関口までやって来てくれるはずなのに。ひょっとしたら、あの研究が成功したのだろうか。
博士が開発に取り組んでいる薬は、液体をかけると、家の中の物、テレビや洗濯機や冷蔵庫などがしゃべりだすものだ。僕は、最初、この薬の話を聞いた時、まさか、そんなことが実現できるのかなあ、いくら、何でも無理だろう、と思った。犬や猫だって、まだ、人間の言葉をしゃべる研究が成功していないのに、まして生き物じゃない物がしゃべるなんて信じられない。だけど、博士の熱心な話を聞いているうちに、心から応援したくなった。博士によるとこうだ。
「あーあ、誰かと話がしたい。このままでは、私は一生声を発することができないぞ」
博士は、僕が遊びの来ない日は、毎日、家の中でこう呟いていたそうだ。
「わしでさえ話し相手がいないんだ。近所に住んでいる一人暮らしの人も、わしと同じだろう。何かいいアイデアはないかな」
博士は家の中を、台所から居間、和室の間、バスルーム、トイレ、寝室、押し入れ、べランダなどを歩き回った。時には、天井裏さえ覗いた。博士は何かを考えることに夢中になると歩き回る癖があった。歩き回ることで、いいアイデアが浮かぶのだそうだ。
「そうだ、目の前に多くの友人がいるじゃないか」
博士が思いついたのが、身近にある家の中の家具や電気製品だった。使いなれた電気製品だが、話しかけることはなかった。もちろん、当り前だ。誰かが、電気製品に熱心に語りかけていたら、それこそ危ない人物と疑われてしまうだろう。
いくら博士と親密な僕だって、博士がソファーに向かって「今日はいい天気だな。久しぶりにクッションを干してやろうか。なんだ。折角、人がよいことをしてやろうとしているのに返事がないとはどういうことだ」と怒っている姿とか、テーブルに向かって「肌触りがいいな。ベッドの代わりに寝てもいいかな。ああ、気持ちがいい」と一人でたわむれている姿を見かけたら、そっと家を出て、警察や保健所に通報するだろう。
博士の友人(?)である、タンスや本棚、テレビや洗濯機などの家具や電化製品は、短いものは一か月、長いものは十年来のつきあいだ。共に暮らしてきた仲間であり、共に時間を共有してきた生活者だ。
タイマーを回し過ぎて、食パンを真っ黒にしてしまったトースター。お湯が沸いたことに気がつかないで、火を点けっぱなしにしてしまい、やかんからお湯が噴き出てしまったガスレンジ。卵をゆで卵にしようとして爆発させた電子レンジ。など、など。語り尽くせない思い出がある。もちろん、ほとんどが博士の失敗のせいで、電気製品等に何の責任もない。
思いついたら吉だ。早速、博士は研究に取り掛かった。それこそ、寝食を忘れ、僕とも話すことも忘れ、何百回、何千回、何万回と挑戦し、何百回、何千回、何万回と失敗を繰り返した。それでも博士は、成功するまで諦めなかった。いや、必ず、成功すると信じていた。
すばらしき宇宙生活(4)