practice(127)
百二十七
「よくも見事にまあ。」
と感心しながらそのお爺さんは地面に杖を軽くつく。近くで『観たい』と思う先走った気持ちと,邪魔をしては申し訳ないと後から気付いた配慮とがぶつかりあって生じた,少し前のめりの立ち止まり方のように僕には感じられた。石畳が擦られるかすかな音も。旧ターミナルの広場には何か事情があって立ち止まる人が多い。面している道路も簡素な鎖の仕切りの向こうで早朝の流れに乗って,黄色いタクシーは徐行ののちに速度を上げて去っているというのに。どうやらその先で取り仕切る信号との関係で,ときどき出来る停車の間に送られる視線も,興味と車外に取り残されては慌てて主を追いかけている始末で,恐らくターミナル違いの迷い道に入り込んだと思われるキャリーケース付きの黒コートな男性はそれに引っ張られたままの姿勢でいるから,すっかり時間を忘れている。餌が欲しい鳥としては,啄ばむことができたポップコーンか何かの食べ物を降らせる手が止まってしまうのは頂けないと,首を動かし凸凹な硬い石の上を納得しない気持ちで歩いているのかもしれない。新聞紙を小脇に抱えて,人は動かないこともあるのだ。脱がされたハンチング帽は緑でカジュアルな厚手の上着の胸のあたりで,取り壊されない旧舎の屋根から漏れた陽を浴びた臙脂色を頭から見せている。長いマフラーを存分に首に巻いている女性は灰色の髪を伸ばして,白い息は静かに呼吸を終えている。それは,誰もがそうだった。跳んだり跳ねたり,何事もなかったように止まったり。動けば息は切れる,だからより息を吸う。それは誰もがそうだ。踊り手がただ夢中なだけで,溶けるように消えていく呼吸の塊が見えない僕らが,旧ターミナルとしての広場の周りをこうして囲んでいるだけで。
「悪い足場ってものは,あるのかい?その,ああいう踊りには。」
お爺さんが聞く。
「ある,って本人は言います。けれど,どんなものかは僕には分かりません。」
僕はそう答える。
「ふむ。かえって観たくなる,というのはなかなか複雑な気持ちになるな。」
「ええ,分かります。観たくもないんですよね?」
「そうだな。観たくもない。お前さんも踊るのかい?」
「いえ,僕は踊りません。」
僕はそう答える。
「そうかい。踊れたらって,思うかい?ああして。ああいう風に。」
「いいえ,僕は。長い間観て来ましたから。」
「そうかい。わしは正直に思う。こうしてでも,踊れたら,ってな。」
杖が黙って支える。石の凸凹な厚さはかつかつと,耳元でも感じられる。跳んだり跳ねたり。立ち止まったり。邪魔にならないからといって結ばれた髪が踊り,防寒具に付けられた黒い色のボンボンが最後に動きを見せる。それが肩にぶつかり,僕はこう答える。
「そうですね。」
息は大きく,白く吐かれた。
列車の時刻とともに新ターミナルまでの正しい道を改めて確認しながら,お爺さんとは別れ,拍手をくれた男性の姿は既になく,鳥は食事の続きにありつけている。長いマフラーを首に巻き,旧ターミナルの広場には何か事情があって立ち止まる人が多い。面している道路も簡素な鎖の仕切りの向こうで早朝の流れに乗って,黄色いタクシーは徐行ののちに速度を上げて去っている。僕らもそれに倣う。それに倣う。
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